4-3 入学初日にて(その3)
第16話です。
宜しくお願いします。
担任+一名が何処かへ消え去って始まった自己紹介は、当然といえば当然だが何事も無く普通に終わった。キーリや他の生徒が人族以外(亜人)であると告白しても揶揄するような声は上がらない。平民であれば、他種族は普通に隣人で有り得るため特に拘るような事では無いし、貴族であっても胸の内はどうであれ今の状況で迂闊な発言などできようはずもない。
ギルド内でそういった発言は認められないのに加え、下手に貶める発言をしようものならばいつオットマーに連れ去られて矯正させられるか分かったものではない。とは言え、貴族である優位は示さなければ気が済まないらしく、平民を遠回しに侮るような発言をするものは多々居たのだが。
平民の方でも貴族に下手に逆らわない方が良いという意識は刷り込まれているため、彼らの発言にも特に興味を示さない。関り合いにならなければ実害は無いのだ。下手に噛みつくよりも煽てて下手に出ていれば勝手に自尊心を満足させて去っていってくれる。そういった点では自由気ままに育てられた貴族たちよりも余程強かであった。
キーリは鬼人族を侮辱されなければ特段喧嘩っ早いわけでも無く、フィアとて思うところはあれどこういった貴族たちが居ることは理解しているため口を出すことは無い。
教室があるべき姿に落ち着いたことでクルエも難なくその後の段取りを進める事が出来た。というよりは、キーリが想像するにオットマーよりもスムーズに進める事が出来たのではないだろうか。そう思わせる進行だった。
服装こそ入学式にふさわしくない汚れたものだが、理知的で落ち着いた雰囲気を醸す彼の説明はとても分かり易く、段取りも悪く無い。縁無し眼鏡の向こう側で温和な笑みを浮かべ、オットマーを見た後のせいか細身の体は少々頼りなさを感じさせるが、質問の回答にも淀みが無く、まるで初めからクルエが諸々の説明を任されていたのでは無いかと思えてくる。
(しかし……)
自身が自己紹介した時のクルエの様子をキーリは思い出した。
キーリの自己紹介は何ら変哲なものでもなく、少々あっさりしたものではあったが他の生徒も似たり寄ったりだった。にもかかわらずキーリの時にだけ、クルエは僅かに目を見張ったのを見逃さなかった。
(シェニアみたいに鬼人族と縁があったのか……?)
それにしてはクルエの反応は妙であった。縁があったのならばそう公言すればいい。口には出さずとも感情に正直な反応を示せば良い。だがクルエの反応は自分が驚いているのを隠そうとしているようだった。まるで、誰にも知られたくないかのように。
キーリは興味が無さそうな素振りを見せながらクルエの様子を観察した。そんな出来事など無かったかのようにクルエは今も教壇の上で、キーリ達に配布した資料――学内でのルールや一週間の時間割を説明している。その態度には無理をしている感じは見られない。だがキーリには、それこそが何かを隠そうとしているのではないかとの疑念を抱いた。
ジッとクルエを敢えて見つめる。視線に気づいたクルエが小さく微笑み返す。キーリはため息を吐いた。
(俺の考え過ぎか……?)
お前の顔を見たかったわけじゃねーよ、と悪態を吐きつつ眼を逸らした。十年前以来すっかり女顔になってしまったが心まで女になったわけではない。おっさんの顔を見て気分が悪くなることはあっても良くなる事はない。
そうしていると時間も過ぎ、午前の終了を告げるチャイムが鳴った。
「それでは続きの説明は午後からしましょう。食堂の位置は分かりますね? 分からない人は先程の資料を確認してください。いつもであれば食堂は混みますが、今日は入学式なので校内は皆さんだけです。なので慌てなくても大丈夫ですからゆっくり楽しんでください」
そう告げてクルエが居なくなり、生徒たちはぞろぞろと動き出した。話を半分しか聞いていなかったキーリはパラパラと資料をめくって場所を確認して記憶すると資料とにらめっこしているフィアの肩を叩いた。
「おし、飯行こうぜ」
「少し待ってくれ……食堂は何階と言っていた?」
「一階に降りて北側の通路を渡ってその先の右手の建物だ。その資料の二十一ページに書いてたぞ?」
「……よく一回で覚えられるな。ついさっき初めて資料を眺めてなかったか?」
「見て覚えんのは昔から得意でな。さあ行くぞ。さて、ここの飯はどんな味かね?」
「分かった分かった。飯に関してはうるさいな、キーリは」
「そりゃそうさ。飯は全ての基本。美味い飯食えりゃそれだけで幸せになれる魔法だぜ?」
二人が連れ立って教室を出るとちょうど他のクラスも午前の授業が終わったところらしく、すでに廊下は生徒で溢れかえっていた。だが新入生だけのためすぐにその波は流れ、後方の離れた場所から見知った顔が歩いてくるのが見えた。
「あれ、キーリじゃない。それとフィアも」
「ユキとレイスか。珍しい組み合わせだな」
「お前たちも食堂か?」
「はい。ユキ様とちょうどお会いしましたので、せっかくなのでお嬢様とキーリ様もお待ちしておりました」
「そうか。待たせてしまったようだな」
「いえ。私が勝手にお待ちしていただけですので。ユキ様も付きあわせてしまったのが申し訳ないのですが」
「だな。いつも好き勝手に行動するくせに珍しい」
「ぶー。私だって協調性って言葉くらいは学んでるよ。特にご飯は一人で食べるよりも皆で食べる方が美味しいって知ってるし」
「へいへい。わーかったわーかった。んじゃ揃ったところで早速行くか」
いじけた素振りを見せるユキの頭を適当に撫でて宥めながら食堂に向かい始める。が、すぐにその脚が止まった。
「げ」
「――ひぎっ!」
二人は揃って濁った声を上げた。キーリは顔を引きつらせ、そしてキーリたちとは別の教室からちょうど出てきたゲリーとその取り巻き一行は一瞬くぐもった悲鳴を上げた。だが貴族としてのプライド故か、ゲリーはすぐに取り繕って脂ぎった額の汗を拭った。
「ふ、ふん! またこうして貴様の様な下賤な輩と顔を合わせるとはな!」
相変わらず偉そうにふんぞり返って侮蔑の言葉を掛けてくる。だが先日やられた恐怖が残っているのか可哀想な程に脚は震えていて、取り巻きの一人の肩に捕まっているのがやっとの状態だ。
どうしても絡まないと気が済まないんだろうなぁ、と呆れを通り越してキーリは感心した。取り巻き連中が小声で「行きましょうよ」と促しているのだがゲリーは動く様子が無い。
「これはこれはゲリー様。ゲリー様も食堂ですか?」
「ふん! 僕がどうしてお前らみたいな連中がうようよ居るあんな所に行かなければならない? 僕にはちゃんと専用の部屋が用意されていて、料理人が僕の好きなメニューを準備しているんだ。お前らとは違うんだよ」
「はぁ、そうですか。それじゃ俺たちは食堂に向かうんで」
専用の食堂とかシェニアは許さなさそうなんだがな、と思いながらも特に追求はしない。大方権力に物を言わせて勝手にやっているんだろうと想像しながら「それじゃ」とゲリーに背を向けたのだが、「ちょっと待て!」と呼び止められた。
「……この間のは、僕が負けたワケじゃないからな! 僕が全力を出すと建物が壊れるから本気出せなかったんだ! 僕が……僕がお前みたいな奴に負けるはずがないんだ」
キーリに気絶させられたのが余程悔しかったのか、脚は震えているのに視線だけはしっかりとキーリを捉えている。
それが負け惜しみだとキーリならずとも気づいた。しかしこんな形だが才能はあるのだ。光神魔法の適性値が高いだけでなくそれ以外の魔法適性もそれなりだ。魔力量検査は見ていないので分からないが、きっと十分な程にある。魔法に頼らずに訓練すれば、冒険者となったとしても一角の人物になる素質はある。
「なら次は本気で戦える場所で戦いましょうか。誰にも邪魔されずに正々堂々と」
故にキーリはそう応えた。自分よりも才能のある人物が立ちはだかってくれるのであれば望むところだ。その壁さえも乗り越えてみせる。キーリなりの、ゲリーに向けたエールのつもりだった。
だが彼はそうは捉えなかったらしい。顔を見る見る間に真っ赤に染めて怒鳴った。
「ふざけるなっ! ちょっと勝ったからって馬鹿にしやがって!」
「いや、別にそんなつもりは」
「うるさい! どいつもこいつもコソコソと僕を馬鹿にするっ! 僕は光神様に選ばれた人間なんだ! 僕はお前らなんかとは違うんだ! お前らみたいな――」
「ちょっと、そこをどいてくれませんこと?」
癇癪を起こして喚き散らし始めたゲリーだったが、そこに凛とした声が割って入った。
「そんな廊下の真ん中に立って騒がれると通行の邪魔ですわ」
ゲリー達の背後に居たのは長い金髪の少女、アリエスだった。彼女は呆れた表情を浮かべて縦ロール状の髪を掻き上げ、度々キーリに向けてくるものとはベクトルの異なる冷たい視線をゲリーに送る。瞳の中にあるのは軽蔑だ。碧色の瞳の奥に居座るゲリーに向けているのは露骨な眼差しで、仮にも貴族に対して向けるものではない。入学式でも彼を侮辱するようなヒソヒソ話はされていたが、面と向かってそういった感情を向けてくるのはキーリが見る限り彼女が初めてだった。
「黙ってろ、女! 僕を誰だと思っている!」
「そうだ! お前が道の端を歩けばいいだろ!」
ゲリーは、キーリに向けていた怒りの矛先をアリエスに向けて怒鳴り、取り巻きの少年たちも口々に騒ぎ立てながら取り囲んでいく。キーリに対しては恐怖が勝ってできなかったが、自分よりも小柄な、しかも少女ともなれば強気になれるらしい。ゲリーを中央に、両端に少年たちが立ちはだかって上から睨みつけていく。
普通の少女であれば、同世代とはいえ少年にこういった風ににじり寄られれば怯むものだ。だが明らかに貴族であるゲリー達にも臆する事なく「邪魔」と言い放てるのは彼女の豪胆な性根故か、それとも彼女自身も貴族であるからか。或いは帝国人の気質なのかもしれない。
ともあれ、自分に向けられていた敵意が他人に向けられて放っておけるほどキーリも冷たい人間ではない。まして手を出されて怪我でもされれば目覚めが悪いし、平民であるキーリにどんな理不尽が振りかかるか。キーリは彼らの意識を自分の方に向けさせようと声を上げた。
「おいおい、お前らの相手は――」
「知ってますわ。そこの平民に卑怯な真似を仕掛けて返り討ちにあった、貴族の風上にも置けない愚か者とその腰巾着ですわよね?」
だがそれよりも早くアリエスが鼻で笑いながら挑発の言葉を吐き出した。
「お前――」
それと同時に取り巻きの中で気の短そうな短髪の少年がアリエスの肩に向かって手を伸ばした。暴力というよりは単に手で後ろに押し倒そうとしたのだろうが、アリエスは無駄の少ない動きでそれをかわす。そしてその腕を掴むと同時に少年の脚を払う。
まるでボールのように転がる少年。思いがけない少女の反撃に呆気に取られ、しかしすぐに顔をこれまでに無いくらいに真赤にしたゲリーが詠唱を口にし始めた。
しかしアリエスはそれを許さない。転がした少年には目もくれずにゲリーに肉薄し、ずんぐりむっくりとした腕を掴むとそのままひねりあげた。
「校内の、それも校舎の廊下で魔法を使おうとするなんて――本当に、本当に愚か者ですわね」
「ぐぅ、はな、せ……!」
柔軟性に乏しい関節を決められ、痛みで脂汗を流し始めるゲリー。拘束を解こうと力を込めるも、自分より遥かに細身のアリエスの腕を動かすことさえできない。涼しい顔をしてアリエスはゲリーを見下ろし、心底失望した重い溜息を吐き出した。
「帝国にも居りましたわ。傲慢で我儘で自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起こして喚き散らすだけの見るに耐えない貴族が。
貴族とは傲慢であるべき。その考えをワタクシは否定しませんけれども、それはそれを許される程の努力と実績の上にあるもの。貴方のような家柄に胡座をかいているだけの存在に許されるべきものではありませんわ」
アリエスの腕に更に力が込められ、ゲリーの口から悲鳴が漏れ始めた。真っ赤な顔は青ざめて激しく地団駄を踏み始めたところで力が弱められてゲリーは涙を流しながら地面に這いつくばった。
赤くなった眼で必死でゲリーは睨み返す。だがそれを上回る冷淡さでアリエスは見下した。
「本当に目障りですわ――すぐに消えなさい!」
ビリビリと空気が震えるような怒声がゲリー達に叩きつけられる。母親に怒られた悪ガキのように背を丸め、三人は転がるようにして走り去っていった。アリエスは腰に手を当て、湧き上がる苛立ちを抑えるかの様に右足を小さく何度も踏み鳴らしながら三人の怯えた後ろ姿を睨みつけていた。
やがて角を曲がって姿が見えなくなると小さくため息を漏らした。
「悪い、助かったぜ」
そのタイミングを見計らってキーリは声を掛けて手を伸ばした。だがアリエスは労いのその手を叩いて振り払い、キッとキーリの顔を睨みつけた。
「別に貴方を助けたわけではありませんわ」そして不機嫌そうに口元を歪めてプイッとキーリから顔を逸らした。「ただあのような輩が貴族と思われる事が不愉快で我慢できなかっただけですの。それよりも!」
アリエスは再び怒りを顔面に貼り付けてキーリを睨んだ。
「どうしてあのような理不尽な物言いをされて下手に出てるんですの! そういう態度をとるから勘違いを助長させてしまうのですわよ!」
「どうしてって……なぁ?」
「あの手の人間は下手に抗弁すると後々どのような悪辣な手段に出るか分からないからな。黙って下手に出ている方が面倒が少ないんだ」
「貴女……確かフィア・トリアニスと言いましたわね? 今年は優秀な新入生が多いと聞いていましたのに、こんな日和見主義な人間ばかりで失望しましたわ」
「……っ!」
アリエスの発言に黙っていられなくなったレイスが珍しく怒りを浮かべて一歩踏み出す。しかしそれをフィアが手で制した。
「どのように評価されようと結構だ。校内で騒ぐのは本意ではないしな」
「……そう、ならいいですわ。所詮平民ですもの。多くを望むワタクシが間違いなのでしょう」
アリエスはフィアとキーリの間を抜けて食堂に向かう。だが途中で脚を止めて振り返るとキーリの方を指差した。
「ですがこれだけは言っておかなければ気が済みませんわ!
キーリ・アルカナ! 貴族であるワタクシが平民に負けたままで居るのは我慢なりません! 次の校内試験では絶対に貴方に勝ってみせますわ!」
キョトン、として「俺?」と自分を指差すキーリには目もくれず、一方的にそう宣言してアリエスは去っていった。
「……俺、ホント何かしたんかなぁ?」
「いえ、恐らくキーリ様が何かをしたというわけでは無いかと思います」
「どうしてそう思うんだ、レイス?」
「推測ですが、アリエス……様はキーリ様に入学試験にて負けた事を指しておっしゃっているのではないでしょうか?」
「は?」
「ああ、なるほどな。読めたぞ。妙にキーリに突っかかってくると思ったらそういう事か?」
「えっと……」キーリは頭を掻いた。「つまり、あの子は入学試験の序列で俺に負けたのが悔しくていちいち睨んできてたって事か? でも新入生代表はアイツだったぞ?」
「新入生代表挨拶は代々普通科入学の貴族が担う慣習となっていますから。
恐らく何らかの伝手で入試の序列情報を知ったのだと思われます。或いはお節介な御方がいらしたのかもしれません」
「……参ったなぁ」
面倒くさい。もう一度キーリは頭をガリガリと掻いた。せっかくの入学式だというのにとんだ一日だ。誰とでも臆する事無く会話することはできるが、生来それほど社交的ではないキーリだ。こうして扱いの難しい連中と接していると精神がゴリゴリと削られていく。
ああ、酒を飲んで寝てしまいたい。前世からの引きこもり気質が顔を覗かせようとするのをそっと押しとどめ、キーリは食堂に向かおうとしたのだが。
「あれ、ユキは?」
「ユキ様でしたら一人で食堂に向かわれました。『お腹空いたから美味しそうな男の子と一緒にご飯食べてくる』との事です」
「全然協調性ねぇじゃん」
ため息を吐いたキーリだが、いつも通りのユキの行動に何故かホッとしたものを感じてしまって頭を抱えた。
2017/5/7 改稿
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