12-5 かくして願いは踏みにじられる(その5)
第2部 第71話です。
宜しくお願いします。
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強い重度のショタコン。実はレディストリニア王国の第一王女だったが、出奔して今に至る。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。少しマッドなケがある。フィアの被害者。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。最近はユーフェの母親役のようにもなってきている。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖で不機嫌そうな顔がデフォ。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。気は良く、後々までひきずらないさっぱりした性格。
ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。
ユーフェ:猫人族の血を引く貧民街の少女。表情に乏しいが、最近は少しずつ豊かになった気がする。
エリーレ:レディストリニア王国軍人。かつてレイスと共にフィアのお世話をしていた。
ステファン:オーフェルス辺境伯で英雄の一人。国王暗殺を企てている。
フラン:かつての英雄で、教会の指示をステファンに伝えていた。
目も眩む閃光が収まり、キーリの視界に色が戻っていく。
足元にはシャンデリア。頭上には赤い絨毯と煤けた跡。そして頭に上っていく血液。それが意味するところを、キーリはすぐさま理解した。
一瞬の浮遊感。その後に急降下。見るからに高級な絨毯が急速に迫ってきて、キーリは体を捻り体勢を整えようとした。
だが。
「いつまで掴んでるのさっ」
キーリの頬に硬いブーツがめり込む。首が不自然な音を立て、その痛みを感じる間もなくキーリの体は床に叩きつけられた。
背中から落ちて勢い良く弾み、視界が劇的に変化するが脚を懸命に伸ばして地面の場所を確認する。そのまま両足を広げて踏ん張りながら壁に向かって滑っていった。
「のはっ!?」
壁スレスレのところでキーリの体は止まり、しかし直後に柔らかいものが鳩尾を直撃。押し潰されながらも紅いポニーテールとかんざしがふわりと揺れるのが見えた。
「……大丈夫か?」
「……心配してくれんならとっとと退いてくれ」
キーリと同じくフランに蹴り飛ばされたフィアだったが、彼女が手加減をしてくれたのか、はたまたキーリをクッションにしたからか目立ったダメージは無さそうだ。
「腕の方はどうだ?」
「んなのかすり傷だよ」
フィアに手を引かれて立ち上がったキーリは首を傾けてゴキリ、と鳴らしてズレを戻すと、軽く笑ってみせながらナイフで刺された腕を軽く振る。流れ出た血の跡はすでに無く、傷一つない綺麗な腕がそこにあった。
それを見て、窓際に着地したフランが呆れた声を上げた。
「ホントだ。ぐっさりと刺したはずなのにどうなってんのさ、君の腕は」
「残念ながら企業秘密ってやつだ」
「えー、それもぉ? もしかして君って実は治癒魔法が天才的だとか? ボクは回復系が苦手だからよく分かんないけどさ」
「だろうな。生憎だが、俺は魔法の才能はねぇんだよ」
「むー、なら――」
「フラン」
ナゾナゾを出された子供のように、フランは口をとがらせつつも無邪気に正解を出そうと頭をひねるも、違う場所から発せられた低い声でそれは遮られた。
「どうしてスフィリアース王女を連れてきた?」
「別に連れてきたわけじゃないよ。勝手に付いてきたんだよ」
ステファンは眉根を寄せて不機嫌そうに睨み、だがフランはどこ吹く風と肩を軽く竦めてみせた。
「よう、英雄。久しぶりだな」
二人のその会話に、キーリは犬歯を覗かせて割って入った。久しぶり、という言葉に、しかし覚えのないステファンは怪訝な顔を浮かべた。
「誰だ、貴様は?」
「死に損ないの鬼だよ。テメェは知らねぇだろうがな」
「ほら、昔、魔の森に行った時にボクら村を一つ焼いたでしょ? あの村の生き残りだって」
フランの説明に当時の記憶を刺激され、キーリは獰猛な笑みを濃くする。無意識に拳が握り込まれて骨が軋むようだ。そんなキーリとは対照的に、ステファンは一層怪訝な顔色を濃くして首をひねる。記憶を探るような仕草を見せ、やがて「ああ」と強面の顔を上げた。
「確か異教徒の鬼達の村だったな。貴様ら皇国の人間が強硬に主張して奇襲したが、結局何も出てこなかったのは覚えている。無駄な時間を過ごさせおって」
「まーまー。あれはあれで意味があったし、それに、こうして因果って言うんだっけ? 過去が現在に巡ってくるなんて面白いじゃない」
当時を思い出し不愉快そうにステファンは鼻を鳴らした。気分は良くないようだが、それは時間を無駄にしたことについて。村を、罪のない村の人達を殺し回った事に対する後悔も罪の意識も汲み取ることはできそうもない。
歯が軋む。ガチガチと怒りで音を立てキーリは今にも飛びかかりそうだった。抑えきれない感情に、背後の影から靄のようなものがにじみ出て、だがステファンとフランの二人は会話しながらもキーリ達の方を警戒しており、怒りに任せた行動を何とか自重した。
「それよりもさ」フランは手にした迷宮核をステファンに見せた。「はい、これが迷宮核。君の大切な部下達が一生懸命探し出してくれたよ」
「……グリーズ達はどうした?」
「死んじゃった。あの太った子爵もね。みんな君の怒りを鎮めようって必死に頑張ってたよ。上司思いの良い部下を持ったね」
ファットマンは自ら殺したというのに素知らぬ顔で言い放つフランに、フィアは嫌悪を隠そうともしない。しかしそんな実情を知らぬステファンは「そうか」と小さく漏らして軽く眼を閉じただけだった。
「それで、貴様はどうしてここに来た? 迷宮核を欲したのは貴様らだろうが。わざわざ見せびらかせずに、さっさと戻れば良いだろう」
「うん、それはね、ステファンにも見せたいものがあってさ。せっかくだし、そこの二人にもね、ぜひ見てもらいたいな」
そう言いながらフランは、真新しい応接机に黒い核を置いた。そしてそこから離れ詠唱を始めた。
急激に高まる魔素。それはフィアやアリエスが通常使う魔法の比ではない。空気が粘性を帯びてドロリと変質したような錯覚を覚え、小柄な彼女から放たれる威圧感がビリビリと肌を刺激する。窓がガタガタと鳴り、外と面していない扉でさえ地震の時みたいに音を奏でる。
何よりも、詠唱だ。フランは、英雄である。なれば大抵の魔法など詠唱もなしに行使できるはずだ。にもかかわらず彼女が詠唱を口にするということは、それだけに高位の魔法であるということ。キーリとフィアは何が起きようと対応できるよう身構えた。
果たして、フランは詠唱を終えて「このくらいでいいかな?」と呟くと指を打ち鳴らした。
直後、キーリ達の視界が白く染まった。目の前で落雷を思わせる轟音が耳をつんざく。そして破裂音。音が一瞬の突風に乗って聞こえ、二人は思わず腕で顔をかばった。
耳鳴りと目眩を覚えながら眼を開ける。だが、目に入ってきた光景には何ら変わりはない。
いや、一箇所、迷宮核が置かれたテーブルの上だけ変わっていた。
光神魔法が放たれ、迷宮核の置かれてあった場所がピンポイントで黒く焦げている。そして黒い迷宮核は弾かれて床に転がっていた。
あれだけの高威力で放たれたにもかかわらず一見迷宮核は傷一つ無い。しかし一点、恐らくはフランの魔法が直撃したと思しき箇所だけが小さく欠けていた。
「うん、バッチリ。やっぱりボクって凄いよね」
「何を……」
フランは迷宮核と欠けた破片を拾い上げると自画自賛。どうやら意図した通りの結果が得られたようだ。
しかしキーリとフィアはその意図が分からなかった。何のために迷宮核に傷を付けたのか。巨大な宝玉のような美しさを持ち、膨大な魔素を内包するそれの価値はとても値が付けられるようなものではない。もし、何処かに売り払おうというのであれば傷つける意味など無いはずだ。
そしてステファンも彼女の意図を理解していないようだ。腕を組み、険しい顔でフランと迷宮核を睨んでいる。
「そのような事をして良いのか? あの御方が欲しているものだろう?」
「いいのいいの。だってこうしないと――目的を達成できないもんね」
ステファンにフランは笑いかけた。口が三日月状に怪しく歪み、そしてフランの姿が消えた。キーリが次に彼女の姿を捉えた時、彼女はステファンの首を締め上げていた。
「ぐ、がぁ……!」
「まぁったくさぁ、ホント、部下だけじゃなくてステファン、主従揃ってグズなんだから。完全に体鈍ってるよね? そのだらしない体見れば分かるんだけどさ」
「ふ、フラン……! 貴様、何を……!」
小さな体で首元にしがみつき、耳元で囁く。笑みを浮かべた眼から溢れるは嘲笑。口元から零れるのは侮蔑。悪意を隠そうともせずに腕を首に絡ませ、ステファンが懸命に引き剥がそうとするもびくともしない。
「ほら、ね? 昔のステファンだったら簡単にボクなんて引き剥がせてたのにさ。くだらない野心なんて持って余計なことばっかりにうつつを抜かしてるからこうなる。分不相応なんだよ、小心者のステファン?」
「黙れ……ぐぅ……」
「ねぇ? また、強くなりたいと思わない?」
首を絞める力を強め、ステファンは呻く。そこにフランは一転して優しく囁いた。
「なに……を……?」
「いつまでも人の手のひらの上で踊ってばかりなんてつまんないでしょ? 頑張って頑張って頑張って、バカにされるのが怖いから、誰かに負けるのが怖いから人の何倍も頑張って才能を鍛えて英雄にまでなって。だけどそんな力も所詮半端。権力の前では良いように使われるだけ。だったら、どんな奴らもひれ伏すような圧倒的な力があれば。そんな事を夢想したことはないかな?」
甘ったるい、童女のような、或いは極上の娼婦のような声でフランは囁く。皺が増えたステファンの顎下を艶やかな仕草で撫でる。
確かに、フランの言う通りであった。街で一番の冒険者となってもステファンは満たされなかった。Aランクの冒険者となっても満足はできなかった。英雄と呼ばれても、ちやほやともてはやされても、貴族となりこうして辺境伯として出世しても彼の欲を満たすことは無かった。
いつだって誰かに使われる人間である。肉体はいずれ衰え、代わって蓄えた権力は、気をつけねば他所の誰かに掠め取られるか上役の気まぐれで奪い取られる代物にすぎない。いつ自分がただの人間となってしまうか。それを恐れなかった事はない。
だからフランの甘い言葉が、彼の大柄な体の隅々まで瞬く間に染み込んでいく。頭の中がしびれるような感覚がステファンを飲み込み始めた。
そして――
「だからそんなステファンに――力をプレゼントさ」
「んなっ!?」
フランはステファンの首を強引に自分の方へ向け、そして口付けた。
予想外の行動。フィアは思わず声を上げ、しかしフランの無理矢理に口を開かせ、舌が口腔を蹂躙した結果響く艶めかしい音に頬を赤らめて注視を中止することなどできない。
だがそれもほんの僅かな時間。フランの突然の行動にステファンもまた面食らい、動きを止めた彼の口の中に硬い石のようなものが押し込まれた。
それは舌によって喉へと追いやられ、口内を傷つけながら流し込まれた唾液によって体内へと流されていった。
「くっ……!」
ステファンは思い切りフランを押し飛ばした。キスをするために拘束が弱まっていたためか、軽いフランの体は簡単に離れた。バク転をして体勢を立て直すと、彼女は濡れたその口元を拭い笑った。笑みの下にあるのはおもちゃを見る目だった。
「フラン……! 貴様、俺に一体何を――」
飲ませたのか、と続くべき言葉が続かなかった。一度、心臓が激しく脈打つと体が熱くなる。体の内側で火を焚べられているように熱い。呼吸が苦しく、全身が軋み、頭がぐらつく。堪らずステファンは膝を突いた。
「辺境伯!」
「フラン! テメェ、何をしやがった!?」
「力の元を飲ませてあげたのさ。迷宮核というね」
「迷宮核を飲ませた、だと……?」
「そ。これだけ立派な核だからね。内包してる魔素を考えれば、たった一欠片だけでもとんでもない力をステファンに与えてくれるだろうね」
「っ……! 何やったか分かってんのかっ! そんなもん、人に飲ませたら……」
「ぐぅぅるぅぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
獣のような雄叫びが上がった。キーリがそちらに視線を移すと、ステファンが喉をかきむしり、脂汗を大量に垂れ流しながら頭を床に打ち付け苦しみもがいている。
至る所の血管が浮き上がっている。溢れる熱さに耐えきれず服を破り捨てる。露出した腕では脂肪で覆われていたはずの筋肉が不自然に激しく脈打っていた。
ステファンは、真っ赤に染まった眼でフランを見上げた。
「ぐぅぅ……フラぁン……!」
「あは、気分はどうかな? 力が湧き上がってくるのが自分でもよく分かるでしょ?」
「すべ、て……全て最初から……俺を始末するつもりダッタな……? 国王を、殺、セば、オレを宰相に据え、る、などと、ソンなツもりは無かった、な……?」
「あっは、今更気づいた? ステファンなんてもうこっちからしたら役立たず、むしろ目障りなんだよね? 簡単に殺すこともできるけど、どうせ消えてもらうんなら最後に色々と役に立ってもらおうって訳なんだよね」
「お、のれ……おのれオノレオノレぇぇっ!」
眼を剥き、血の涙を零してステファンは絶叫した。だがそれだけで全身を耐え難い程の苦痛が襲う。彼の全身からは白い煙のようなものが滲み出し、皮膚が裂け、至るところから血が流れていた。
「さて、それじゃ最後の仕事をしよっかな。あ、そっちの二人はもうちょっと待っててよ? すぐに退散するからさ。それに、ステファンも死ぬわけじゃないから安心して放っといていーよ。君らだって死にたくないだろうしさ?」
仇とはいえ、苦しむ人間を放置する程フィアは薄情ではない。また父暗殺未遂の犯人としても死なせるわけにいかないと介抱に近寄ろうとするが、足元にフランの投げたナイフが突き刺さり制される。
フランは、そしてステファンの腕を手に取った。破れた袖を更に引き裂くと、ステファンの腕の一部が淡く光を発していた。
「あれは……」
「神威をどうするつもりだ……?」
理屈のない不安がフィアを過り、思わず胸元のシャツを握りしめる。
「うん、これなら持ってっても大丈夫だね」
そう言ってフランは――腕を斬り落とした。
「っ!?」
「ぎゃああああああああああああっっっっっ!!」
飛び散る鮮血。ステファンは激痛に悲鳴を上げた。それにも意に介さずにフランは彼を蹴り飛ばすと、いつの間にか取り出していた短剣を腰の当たりに仕舞う。そして血の滴るステファンの腕を白い布で包み込んだ。
「フラン! 貴様、貴様ァァァァッ!!」
「じゃあね、ステファン。君の神威は貰ってくから」
「おのれぇぇぇ……!」
地面に這いつくばり、怨嗟をステファンは撒き散らす。血の跡を作りながら床を這い、しかしいつの間にか不自然に変形した彼の体は自由が効かない。人族の柵を越えた形に骨は変形。全身には血を思わせる真っ赤な線が走っており、白目もまた赤く変化。かろうじて識別できる眼が激しい怒りと近づく絶望に染まり始めていた。
やがて不気味に体のあちこちが膨れ上がっていく。脂肪が削ぎ落ち、変わって筋肉が発達していく。その変化は多大な苦痛を伴っているようで、ステファンの口からはもう苦悶しか出てこない。
余りに苦しげなその声に、フィアは堪らず走り寄ってステファンの背を擦ってやる。
「辺境伯! 大丈夫か!?」
「ス、フィリアース、王女……ぐ、ぅぅぅぅうぅぅぅ……!」
「頑張れ! 助けてやるから! もう少し頑張れっ!」
とは言え、このような症状に対してどう対処すれば良いのかまるで見当がつかない。だが何もしないよりはマシだ、と彼女は携帯していた回復薬をステファンの口に押し込んだ。
「おー、敵に対しても王女サマは健気だねー。ボクはボクの仕事をしたまでなんだけど、これじゃすっかり悪役だね」腰に手を当て、フランは嘆いた。「ま、良いけどね。用は済んだし、じゃ、そーゆーことで」
「逃がすかよ」
フランが背を向けるとナイフが放たれ、それを一歩脚を引いて避ける。「やれやれ」と溜息混じりに振り返り、身を低くして迫りくるキーリを見据えた。
切り取った腕を肩に担ぎ、余裕を崩さないフラン。そんな彼女に向かってキーリは眼を見開き、再びフランの眼を覗き込んだ。眼と眼が合う。途端にフランの体は言い知れぬ恐怖に襲われ竦んだ。同時にキーリはフランの影を具現化させてグルグル巻きにし、拘束していく。
だがその拘束も一瞬だけ。強靭な意思でキーリから眼を逸し、自身の拘束が力で解けないと知るや咄嗟に震える口で詠唱して光弾を作り出した。ただの光の玉だがそれに有り余る魔素を注ぎ込み、破裂させた。瞬間、強烈な閃光がその場に居る全員の網膜を焼いた。
そしてその鮮烈な光は、フランにまとわりつく影を消滅させ、フラン自身の中に芽生えた暗さをも打ち消して、視力を一時的に失う代わりに全ての拘束から自由にした。
キーリもまた視力を奪われるも気配だけを頼りにしてフランにナイフを突き出した。失敬したエレンのナイフが細い喉めがけて突かれ、だがフランもまた感覚だけを頼りに強引に体を仰け反らせてそれをかわした。
避けられたものの、ナイフはフランの首の皮を微かに斬り裂き、派手に血だけが飛び散った。仕留めきれなかった事にキーリは苛立って舌打ちをし、だが追撃の蹴りは今度こそ強かに彼女の腹部を捉えた。
「くぅ……!」
最初に無茶な避け方をしたせいで威力を削る事もできず、フランの表情から初めて余裕が消えて苦痛に歪む。軽い体が壁に叩きつけられ、キーリは更なる追撃を加えようと迫る。だが、直後に無数の光の矢が飛来して接近を許されなかった。
「……なんかヤな感じ」
フランは口を尖らせて吐き捨てた。余裕ぶった笑みが完全に消え、代わりに苛立ちと怒りが消えた表情の裏から微かに滲んでいる。
「そうかよ。俺はテメェをぶっ飛ばせて結構スッとしたけどな。ようやく一矢報いられたってな」
「さっきの何なのさ? 急に体が動かなくなるし、迷宮でも同じことしてくれたよね? あれ、すっごい気分悪くなるんだけど?」
「お望みならもう一発くれてやるぜ?」
「いいよ、もう。君の眼は見ないようにするから」
二度食らっただけできっかけが何であるか理解をしているのは、流石は英雄というところか。それまでの何処かナメていた雰囲気がフランから消え失せ、ここからが本番か、とキーリは気を引き締める。
「ああ、もう……イライラするなぁ。ステファンもだけど、どいつもこいつも全ッ然言う事聞いてくれないし、ヤになってくる」
「世の中、テメェの思い通りになると思ったら大間違いだぜ? 良かったな、一つ勉強になったろ?」
「うっさいなぁ、もう」
苛立った声と同時に、フランの周囲に魔素が集まっていく。パチ、パチ、と小さな発光と破裂音が繰り返し、それがいつでも光神魔法を放てる合図だとキーリは察した。
対するキーリも影の密度を上げた。部屋の至る所でできた影から靄が溢れ出し、彼の周囲の空間に幾つもの切れ目が出現する。
果たして、再び戦端が開かれた。
ほぼ同時に床を蹴る。瞬きも許されない程に一瞬で距離は零になり、ナイフ同士がぶつかりあった。キィン、という金属音が完全に消える前にまた別の金属音が鳴り、幾重にも重なっていく。そこに蹴りなどの鈍い打撃音が時折混ざる。
攻防は一進一退。どちらも決定打を与えられず、血や汗が周囲に飛び散っていく。
「うっとうしいなぁ!」
フランが叫び、これまでより威力のある蹴りがキーリの腕を捉えた。ダメージは無いがキーリの体が床を滑り、距離ができた。そこに光神魔法による雷撃や光矢がおびただしい数で迫ってくる。
だがそれらは全て空間の切れ目に消えていった。単なる線だった切れ目が唐突に、まるで魔物の口の様に開かれて喰らい尽くしていく。どの一本もキーリには届かない。
「何なのさ、それっ!」
フランから、まるでおぞましいものを見たかのような声が溢れる。だがキーリは答えない。応える余裕は無い。
今のキーリは虚無感に胸が締め付けられるようだった。顔では笑っているが、胸の内で何か大切なものが消失してしまった気がしてくる。それが錯覚だと分かっている。この程度だとまだ喪失はなく、忘却もない。心が砕けてしまいそうな痛みだけで済む。
闇神魔法を使う時には常に付きまとうリスクだ。痛みには慣れている。だがそれは如何ともしがたい辛いものであることには変わりない。
吐き気を飲み込み、気持ちを取り繕う。どうやらそれは成功しているようで、至近距離でナイフを叩きつけ合うフランにも気取られてはいないようだった。
「気持ち悪いなぁ、それ」
「冷たいこと言うなよ。光ばっか見てると眼は焼き付いて何も見えなくなっちまうぜ?」
「……暗いとこよりも、光に包まれてる方が人は幸せなんだよ!」
距離を取り、嫌悪を露わにしてフランはキーリの影を睨む。光神魔法を得意とする故か、或いは教会の人間だからか、闇や影といったものと精神的な相性は宜しくないようだ。
ムスリ、とした様子の彼女をキーリは挑発するように口端を上げ、互いに睨み合う。
ジリジリと距離を詰め、隙を伺っていた両者だが、その緊張をステファンの一層激しい苦悶が遮った。
「しっかりするんだ、辺境伯! 耐えるんだ!」
「ウ、ギィ、グガ、アア……」
フィアから腕を止血処置を受け、手持ちの回復薬などで手当を受けていたが悲鳴が変質する。一層獣じみた声に変わり、彼の両目は完全に赤く染まっている。
そして――
お読み頂き、ありがとうございました。
また次回も引き続きお付き合い宜しくお願い致します<(_ _)>




