12-2 かくして願いは踏みにじられる(その2)
第2部 第68話です。
宜しくお願いします。
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強い重度のショタコン。実はレディストリニア王国の第一王女だったが、出奔して今に至る。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。少しマッドなケがある。フィアの被害者。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。最近はユーフェの母親役のようにもなってきている。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖で不機嫌そうな顔がデフォ。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。気は良く、後々までひきずらないさっぱりした性格。
ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。
ユーフェ:猫人族の血を引く貧民街の少女。表情に乏しいが、最近は少しずつ豊かになった気がする。
エリーレ:レディストリニア王国軍人。かつてレイスと共にフィアのお世話をしていた。
ステファン:オーフェルス辺境伯で英雄の一人。国王暗殺を企てている。
ファットマン:子爵位を持つ貴族でオースフィリアの徴税官。金に関してゲスい。
そこからはまた比較的乾いた地面が続いた。多少の湿り気はあり、湿度も高く空気は不快だがしっかりと踏みしめる程度には硬い。
天井からは地下水が染み出して時折水たまりを作っている。そこに垂れ落ちたピション、という音が暗闇に吸い込まれ、駆け抜けていくキーリ達の足音でかき消されていく。
やがて下層へと到達。途中で現れたイービルウンディーネやウォーターリザードなど、Cランクでも中位から上位に位置するモンスターとも度々遭遇していった。
それらは強敵だ。キーリ達でも手こずる相手でもあり、実際に遭遇した場所の近くには幾重にも軍人らしき遺体が積み重なり、血の匂いが満ちている。剣は砕け、槍は折れ、壊れた盾や篭手が散らばっていた。同時に微かに魔素の粒子が輝いており、つい先程までもここで彼らとモンスターの戦闘が行われた事を物語っていた。
いつもであればフィアとキーリを前線に置いた陣形を組むが、ここでは水神魔法の属性が強いアリエスを前線に配しつつ、シオンの防御魔法を駆使しながら戦い、次々と撃破していく。
だが奥に進めば進むほど次第にモンスターの密度は増し、ダメージもじわりと蓄積。昨日から一気に踏破しており、また慣れないモンスターとの戦闘ともあって心身ともに疲労も溜まっていった。
それでもキーリ達の脚が止まることは無かった。それはユキがいよいよ戦闘に加わり始めた事も大きな要因だった。
立ち止まっていたと思えばモンスターの背後に周り込み、ただ蹴り飛ばす。腰も何も入っていない、例えるならば石ころを蹴るような気楽さのそれは、しかしただの一撃で強靭な肉体を持つはずのモンスターの息の根を止めた。
かと思えば無詠唱で風神、水神、地神、炎神といったあらゆる属性の魔法を使いこなした。敵を切り刻み、岩石弾で撃ち抜き、永久凍土に閉じ込める。幾重にも連なる敵の群れも足止めにすらならない。これまで彼女の実力を感じ取りつつも、まともに戦うところを見ていなかったフィア達はその隔絶した実力差に絶句するばかりだった。
「……何でテメェは今まで突っ立ってるだけだったんだよ?」
「めんどいから」
指摘に悪びれもせずそう答えるユキに、流石にギースも呆気に取られ、その他もただ苦笑いと共に彼女が敵で無くて良かった、と胸を撫で下ろしたのだった。
だが、そんな彼らの中でキーリだけは異なる思いを抱いた。普段はまともに戦闘に加わらない彼女が、手加減しているとはいえモンスターを蹴散らしている。それはすなわち、これまでにフィア達が想像していた以上に猶予の無いことの表れであることを正確に見抜いていた。
「ユキ」
「なぁに、キーリ?」
「正直に答えろ――あと、迷宮はどれくらい保つ?」
その問いは迷宮の壁に反響し、暗闇に吸い込まれていく。それでも確かな音となってフィア達の耳に届き、突然のキーリの問いかけに押し黙ってユキへと視線を注いだ。
果たしてユキは眼を伏せ、闇の中でもなお色褪せないその赤い唇を開いた。
「正直、分からないわ。もしかすると――今にも暴発するかも」
「そんなっ! 後数日は保つって――!」
「予想外よ、私だって。こんなに急に負の意識が膨れ上がってくなんて」
ぷいっとそっぽを向くと、再び先頭を切ってユキは奥へと走り出そうとした。だがすぐにその脚が止まる。
キーリは耳をそばだてた。シオンも意識を集中し、耳を迷宮の奥へ向ける。聞き取れるのは水の滴り落ちる音。だがカチャカチャとした金属が擦れる音が混じり、荒い息遣いが次第に大きくなる。
これまでに横目で流してきた死体と同じ鎧。濃密な血の臭い。二人の男がボロボロの剣を杖にしながらも必死でキーリ達へと近づいてきていた。
そして彼らを背後から更なる悪意が覗き込んでいた。暗闇の中で煌々と輝く赤い眼。モンスターが攻撃時に示す色だ。二体のモンスターは、爪をそのまま伸ばしたかのような巨大な曲剣を振り上げた。
キーリとユキは同時に動いた。ユキは影に溶け込んだかと思うとモンスターの目の前に現れ、自身の倍はあろうかというモンスターの胸元を蹴り上げた。ベコンという、缶がへこんだような音を立ててモンスターの体は天井に叩きつけられ、やがて落下。力なく落ちてくるその体は、横薙ぎに振るったユキの手によって壁に叩きつけられて動かなくなり、その体から魔素の粒子が溢れ出した。
もう一体に向かったキーリが低く駆けていく。その頭上をアリエスが作り出した氷弾が追い抜いていき、モンスターの顔を穿った。短い悲鳴を上げて太い腕で顔を覆い、だがその隙にキーリが懐に潜り込んだ。
「ふっ!」
短く鋭く吐き出された息。モンスターの重心を見定めて蹴り飛ばして距離を取る。そして、襲われていた男から十分に離れた事を確認しながらキーリは背中の大剣を引き抜いた。
剣に魔素をまとわせ、振り下ろす。日々の鍛錬の末に得られた一撃は、モンスターの体を見事に袈裟に斬り裂いた。
「……ふぅ」
会心の一撃とも言える攻撃を受けたモンスター――Cランク中位に相当する――の体から魔素が溢れ始め、それを見届けてキーリはようやく残心を解いて額の汗を拭いとった。
「あっぶねぇ、ギリギリ――」
「ひああっ!」
モンスターも撃退して場の緊張が解れかけたその時、キーリの背後から悲鳴が上がった。振り向けば、傷だらけの兵士二人が頭を抱えて震えていた。嗚咽を漏らし、治療をしようとアリエスやシオンが触れようとすると、それだけで悲鳴を上げて喚きながら腕を振り回し近寄らせようとしない。
「ちょっと! ワタクシたちは治癒魔法を……」
「く、来るなぁっ! もう嫌だっ! たす、助けてくれぇ……!」
兵士達は恐慌状態に陥っていた。落ち着かせようとアリエス達が声を掛けるもその声は耳に入らず、彼女たちの姿も目に入らない。
困惑し戸惑うアリエス達だったが、そんな中ユキは彼女らの間に割って入る。喚き暴れる彼らの腕に打たれようとも意に介さず強引に彼らを抱き締める。そして、ユキは黙って口付けた。
「……! ……っ!」
尚も暴れ続け、押しのけようとするもユキは離さない。頭を抱えるようにして数秒口付け、続いてもう一人にも同じように整った唇を押し付けた。突然始まったキスに、キーリやレイス以外は顔を赤らめながらも思わず凝視してしまうが、次第に彼らの眼に落ち着きが戻っていくのが分かった。
「……ふぅ、落ち着いたかしら?」
口付けを終え、ユキは微笑みながら尋ねた。大人びた、幾分低めの声色で発せられたそれに熱情はなく、代わりに労るような響きがある。問われた兵士二人にはまだ多少の怯えや震えは残っているが、少なくとも暴れまわるような状態からは回復したようだ。
「いったい、何がありましたの? 尋常でない怯え具合でしたけれども」
「お二人だけですか? 辺境伯殿の軍兵とお見受けしますが、他の方々は?」
ユキの行動に多少呆れながらもアリエス、そしてエリーレと続けて質問を口にする。すると男達は再び頭を抱えて震えだした。それでも何とか会話はできそうで、怯えた眼を向けながらポツリと零した。
「ほ、他の皆は奥に……居た」
「居た? という事はもう地上に戻ったということか?」
フィアの問いかけに、兵士の一人は小さく頭を振った。
「……んだ」
「すまない、よく聞き取れなかった。もう一度たの――」
「皆死んじまったんだよっ!」男は叫んだ。「ダチも! 仲の良かった後輩も! 気に食わなかった先輩も! 皆死んだ! モンスターに食い殺された! 串刺しにされた! どんだけ倒したって次から次に湧いてきて、俺だって必死に頑張ったんだ……」
「まさか……全滅……!」
「いや……まだ結構な仲間が残ってる」もう一人が呟くように言った。「だけどもう限界だったんだ……何日も何日もこんな場所で過ごして、いつ襲われるかも分からず眠れなくて……次々に仲間が死んで、それを置き去りにして行かなきゃならないのに耐えられなかった……」
叫んだ兵士は大粒の涙を流しながらフィアに掴みかかり、だがその慟哭は尻すぼみに小さくなる。もう一人は表情がごっそりと抜け落ちたままポタポタと雫を地面に零した。声にはひどく後悔が滲み、まとまりのない話ながらもキーリ達も朧げに事情を察した。
「貴方達のように他の人も逃げ出したりしなかったのか?」
「こんなトコまで来ちまったらもう引けなかったんだよ……逃げてもどうせ途中でモンスターに食い殺される。運良く生き延びられてももう街には住めねぇ……だから皆もう賭けるしかないんだ。迷宮核を持ち帰ればグリーズ将軍は昇給を約束してくれたし、ファットマン子爵も多額の報奨金をくれるって宣言してくれた」
「迷宮核を持ち出す、ですって?」
「仲間達ももう皆おかしくなって、それに飛びついたんだ。それに縋るしか無かったんだ。狂ってるって思うけどもう、それしか選べなかった。けど……もう俺らは無理だと思った。金なんか要らない、仕事も要らない。ただこの地獄から逃げ出したかったんだ……」
「もう嫌だ、帰りたい、家に帰りたい……こんな、こんなトコで死ぬために俺は兵士になったんじゃない……」
「ああ、そうだよな……俺も早く帰りてぇよ……」
フィアを掴んでいた男の手が緩み、縋るようにしてうずくまって嗚咽を漏らす。もう一人がそんな彼を抱きかかえるようにし、絶望に口元を震わせた。
それでも彼はキーリ達を見上げ、懇願した。
「頼むよ、アンタ達は冒険者なんだろ? こんな事言える立場じゃないのは分かってる。けど頼む。どうか、どうか、仲間達を救ってくれ……」
「――ああ、もちろんだ」
フィアはしゃがみこむと、躊躇いなくその願いに応じた。
「兵士は市民を守るために在るのであって、このような場所で散るべきではない。後は私達に任せてくれ」
「迷宮攻略は俺らの仕事だしな」
「良いのかよ? あのブタを捕まえんのなら、こいつらは敵だろ?」
渋面で問うたギースに、フィアもまた同様に厳しい表情を浮かべた。
「確かにそうかもしれない。だが私達の目的はあくまで子爵を捕らえる事だ。
もしもの時――兵士達は私がなんとかする。だから、皆は子爵を捕まえることだけに集中してくれ」
「それだけじゃダメよ」ユキが口を開いた。「目的が迷宮核なら、何としても止めないと」
「そういや、そっちの問題もあるんだったよな」
「もし今の状況で迷宮核が外に持ち出されたら、大変な事になるわ。あの子ブタ子爵なんてどうでもいいけど、それだけは絶対に阻止しなさい」
「ですけれど、迷宮核が無くなってもモンスターを生み出さないようになるだけではなくて? でしたら現状、そちらの方が良さそうなのですけれども」
「バカを言わないで」
ユキの厳しい言葉にアリエスは鼻白んだ。
「おい、エルミナの迷宮ン時はそう言ってたじゃねぇか」
「アレはあの迷宮が安定してたし、半分枯れてたからよ。こんなに不安定で、しかも負の感情に溢れた状況で迷宮の外に出したら最悪だわ。悪意と魔素が制御できなくなってそこら中からモンスターが湧き出てくるし、そうなったらまず間違いなく街中まで溢れ出るわよ。下手したらこの迷宮自体が崩壊しかねない……」
「マジかよ! 超やべーじゃん!」
「マジよマジ、大マジ!
ああ、もう! 本気で頭痛くなってきた……!」
ここまでユキが苛立ちを顕わにするのは珍しく、それは否応なしに事態の深刻さをキーリ達に知らしめた。
「なら急ごーぜ! 何のために迷宮核を持ってこうとしてんのか知らねーけど、早いとこ止めねぇと!」
「分かっている。しかし彼らをここに置いていく訳にも……」
「もう、仕方ないわね!」
ユキは「はぁ」と強く溜息を吐くと、震える二人の兵士の手を引いて強引に立たせる。そしてパチン、と指を鳴らした。
すると、何も無い空間に人一人が通れる程の影が浮かび上がる。兵士達はその暗さが醸し出す不気味さに怯えるも、ユキは二人をその中へと押し込んでいく。
「いい? この中を真っ直ぐ歩けば外に出られるわ」
「こ、ここをか?」
「本当、なのか?」
「ここで野垂れ死にたくなかったらさっさと行きなさい。ただし、絶対に後ろは振り向かないこと。そして前以外に歩かないこと。でなければ一生この中から出られなくなる。それから、外に出たらこの事は一切合切忘れなさい。
この先も生きていたければ」
強い口調で言いくるめるユキに、二人は怯えた顔をしながらも大きく頷き影の中に入っていく。ユキはそれを確認すると影でできた孔を塞ぎ、キーリ達に向き直った。
「これで良いでしょ? なら早く行くわよ」
「……ユキ殿はいったい……」
「そんな事はどうでもいい」初めて見るユキの闇神魔法と、それが醸し出す雰囲気に警戒を強めるエリーレだったが、それをフィアは諌める。「ユキ、ありがとう。これで憂いは無くなった」
「……礼なんて要らないわ」
微笑み礼を述べるフィアに、ユキは何処か戸惑った様子を浮かべた。フィアを一瞥するとぷいっとそっぽを向き、「急いで」と全員を促した。
「……照れてんのか?」
「くだらない事言ってる暇はないの」走りながら軽く冷やかしたキーリを、ユキは睨みつけた。「ともかく、迷宮核の確保を最優先にして。街の人を助けたいならね」
「分かっている」前を見据え、フィアは強く頷いた。「父も、街の人もどちらも守る。絶対に」
「――ああ、そうだな」
決意を新たにするフィアの横でキーリもまた強く拳を握りしめた。
迷宮の最深部は、もう目の前だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
果たして、そこはいよいよ地獄の様相を呈し始めていた。
最深部目掛けてひたすらに走るキーリ達。彼らの傍らには常に死体があった。
DからBランクまでのモンスターの死体がそこかしこに転がり、魔素の粒子を放出している。そしてそれを遥かに上回る数の兵士の死体があった。
同じ鎧を着た兵士達の死体。部隊の指揮官だろうか、意匠の異なる高級そうな鎧を付けた死体。黒いローブを纏った魔法使い部隊の死体。まるで河のように連なるその死者の列はどこまで行っても終わりを見せそうになかった。
そしてどの死体にも共通しているのはその表情だ。
絶望、苦痛、怒り、悲哀……顔が無事な死体は全て断末魔の悲鳴を叫ぶような状態だった。大きく見開かれた眼と口は、ここに居る生者でさえ黄泉の国へと連れ去ってしまいそうなおぞましい迫力があった。
「ひどい……」
走りながらもカレンは口元を押さえ、こみ上げる物を何とか飲み下す。ユーフェはレイスにしがみついて顔を押し付け、レイスもまたユーフェにこんな様相を決して見せまいと頭を自分の体へと抱え込む。
「狂ってる……さっきの人が言ってた意味がよく分かります。まさしく狂ってますよ、こんなの。ここまでして欲しい迷宮核って……一体何なんですか? なんで辺境伯はそんなものを欲しがるんですか?」
「ンな事、俺が知るかっての」
泣きそうになるのを必死で堪えるシオンは、こみ上げる苦しさのはけ口を求めて思い浮かぶままに問いを口にし、ギースもまた胸糞の悪さと共に吐き捨てた。
「迷宮核って、前にカレンの田舎で見たあの綺麗な宝石だろ? どーせそれを売っぱらって金にしようって思ってんじゃねーの?」
「イーシュはあの城の中をちゃんと見てましたの? 辺境伯はすでに十分な財を成してますわ。今更金品を欲するともワタクシは思えないですの」
ステファンの意図など分かろうはずもない。だが、ここまでくれば急激に迷宮がおかしくなった理由も分かる。
「これだけ短時間で人間が死ねば……迷宮もおかしくもなるわよ」
「やはり彼らが原因なのか?」
「それしか考えられないわ」ユキは顔を強くしかめた。「死んだ自覚も無いくらいに突発的な死ならともかく、こんな風に負の感情を撒き散らしながら大量に死ねば、幾ら迷宮って言ったって消費しきれないわ。まして、ただでさえ不安定な時期だっていうのに……」
「もしかすると……それこそが狙いなのかもしれないな」
「こんなに部下の兵士を殺すことが、か?」
「迷宮を不安定にすることが、だ」キーリの言葉をフィアは訂正した。「そう考えれば少なくとも納得が行くというだけだ」
「何のためにだよ?」
「それこそ私が分かるか」
こみ上げる怒りを辛うじて飲み下し、それをエネルギーにしてフィアの走る脚にもますます力が満ちていく。
「ただ確実に言える事は、辺境伯もまた狂っているということだ。せめてそうでなければ――奴を人とは最早呼べまい」
「それか――」
キーリの頭である考えが閃いた。同時にそれは苦い記憶も掘り起こしてくる。同じく、人生を狂わされたかつての同級生の、あまりにも惨めで、あまりにも残酷な末路。
「それか、ステファンもまたいいように操られているとか……? ゲリーみてぇに?」
「……そういえば、ゲリーの時もティスラ――エレンが裏で糸を引いてたのだったな」
「今回は双子の姉か妹かは知らねぇけどフランが関わってる。本人は否定しちゃいたが、今の状況で無関係って主張する方が無茶――」
「みんな! 何か来る!」
風の流れから何かを感じ取ったのだろうか。カレンが叫ぶとほぼ同時に地面が鳴動し、ボコボコと盛り上がり始めた。
地面から生える形で現れたのはマッドゴーレム、そしてアイアンアント。名の通り、マッドゴーレムは全身が泥でできたゴーレムで、柔らかい体とそれに似合わぬ強烈な打撃が特徴のモンスター。アイアンアントは全身を鉄でコーティングした、人間大の蟻である。
どちらもBランク下位に当たる強力なモンスター。これまでの道中でもその死体が数多く転がっており、現在のキーリ達のランクからすれば格上である。
だが、ギルドのランクが必ずしも実力を示している訳ではない。
「じゃまっ!」
鬱陶しそうにユキがアイアンアントを蹴り飛ばす。細い脚を伸ばしたユキの横をフィアが駆け抜けていき、そして、転がったアイアンアントに向かって跳躍した。
剣に灼熱の炎を纏い周囲を歪めて陽炎を見せる。彼女でなければ持つことすらできないだろう熱量を撒き散らす剣を、ひっくり返って仰向けになった蟻目掛けて思い切り振り下ろした。
「おおおぉぉっっっ!」
ただの剣であれば通さない程に硬いアイアンアントの体がまるで紙の様に焼き切られていく。ここまでの道中、相性の悪い敵ばかりで鬱憤が溜まっていたのか、いつも以上に剣に魔素が注ぎ込まれているようであった。
フィアが一撃でアイアンアントを屠ったと同時に、キーリとアリエスもマッドゴーレムに向かって動いていた。
「氷精霊の寵愛!」
アリエスが水神魔法を詠唱。瞬間、マッドゴーレムの周囲の温度が著しく低下していく。水気を多く含んだ泥の体を震わせ、今にも襲いかかろうとしていたマッドゴーレムの動きが鈍くなっていく。関節に当たる箇所が固まり、垂れ下がった泥が凍りつく。空っぽの眼窩からは怨嗟の眼差しが注がれ、だがそれも氷によって遮られた。
マッドゴーレムの全身が完全に氷に覆われ、不気味なオブジェと化す。そこに走り込むキーリ。背中の大剣を引き抜くと、剣そのものを魔素で強化し一息で振り抜いた。その瞬間、氷漬けにされたマッドゴーレムは砕かれ、無数の破片へと散っていった。
だが。
「後ろも気配があります、お嬢様」
「ちっ! おい、キーリ!」
「分かってるっ! このまま最後まで走り抜けるぞ!」
背後からも同じようにモンスターが湧き出ているようで、話している間にもまた一体、もう一体と増えていく。一々相手をしていたらいつまで経っても先へ進めない。
「シオンっ!」
「はいっ!」
キーリがシオンを抱え、その状態でシオンは地神魔法を行使。ジグザグに地面を隆起させて、時間を稼ごうと足掻く。だが駆け抜けた先からも続々とモンスターが湧いてくる。それが意味するものは何か。程なくしてユキが声を張り上げた。
「気配が近い……この先に迷宮核があるわ!」
「先って言っても行き止まりじゃねぇかっ!」
「部屋の入口が塞がれてるだけよ!」
叫びながらユキは地神魔法を口にした。壁にしか見えない場所に小さな孔が穿たれ、爆発したように土砂が飛び散っていく。
「飛び込めっ!」
フィアの号令にしたがってぽっかりと開いた孔の中へと全員が転がり込む。乾いた地面から砂埃が巻き上がり、口に入った砂を吐き出しながらアリエスが叫ぶ。
「孔を塞ぎなさいっ! 早くっ!!」
遠くからモンスターの赤い眼が近づいてくる。だが孔が地神魔法によって徐々に閉じられ、やがて完全にそれらの姿が見えなくなる。更に念を入れ、その上からアリエスが水神魔法で分厚い氷の壁を築き上げる。それを見届けると、全員の口から一斉に溜息が漏れた。
「これで一安心ですね、フィア様」
「ああ。後は迷宮核とファットマン子爵を――」
乱れた息を整えてフィアはエリーレに微笑んだ。それぞれの顔に安堵が浮かび、そして飛び込んだ部屋の中を見回したところでフィアの声が止まった。
「……」
「……えっと」
フィアが視線を向けた先。そこからもまたフィア達に向かって多くの視線が向けられていた。
これまで幾度と横目で流してきた鎧達と、もう散々見飽きている丸々とした体。その隣には、顎髭たっぷりの筋肉親父。ファットマン子爵達がそこに居た。
お読み頂き、ありがとうございました。
また次回も引き続きお付き合いください<(_ _)>




