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4-2 入学初日にて(その2)

 第15話になります。

 宜しくお願いします。




 講堂から続く廊下には人集りが出来ていて、様々な歓声が飛び交っていた。

 壁には各科毎にクラス分けが貼り付けられており、自分のクラスを確認した生徒たちが教室の中に入っていく。

 専攻が異なるユキやレイスは講堂を出てからすぐに別行動となり、他の生徒達と共にすでにそれぞれの教室に入っていて、今はキーリとフィアが並んで自分の名前を探していた。


「あったか?」

「いや、まだ見つからないな」


 普通科に所属する生徒の数は全部で九十名。その人数が三クラスに分けられることになるが、貼り出されれば生徒全員がそこに殺到する。掲示された紙の前では押し合い圧し合いが行われていて、視力に自信のある二人はその人集りを避けて後方から自分の名前を探していた。


「あ、あった」

「私も見つけたぞ。どのクラスだ?」

「Aだ。フィアは?」

「同じくAだ」フィアは嬉しそうに顔を綻ばせ、そして何処か照れくさそうにキーリに向かって手を差し出した。「私は全課程―― 一年半在籍するつもりだがキーリは?」

「俺も一年半だ。上手く行けば一気にD-ランクまで行けるからな」

「凄い自信だな。確かに一年半フルに通えば特例でそこまで行ける可能性はあるが、D-は単純な腕っ節だけではダメなんだぞ? 実力も然ることながら集団戦闘や護衛任務もこなせるだけの広い視野も求められる。数年に一人出れば良い方だという話だと聞いた事がある。」

「なんだ、フィアは自信ないのか?」

「まさか」キーリの煽りに、敢えてフィアは不敵に笑った。「少し驚いただけだ――私以外にそんな大それた事を考えている愚か者が居るとはな」

「愚か者二人か」キーリもフィアに向かってわざと鼻で笑ってみせた。「ちょうどいいじゃねぇか。馬鹿野郎は多い方が心強いしな」


 そして差し出された手をしっかりと握り返した。


「どうやら長い付き合いになりそうだな。改めてよろしく頼む。キーリ」

「ああ。こちらこそ頼むぜ」


 どちらからともなく小さく喉を鳴らして笑い始める。キーリもフィアも互いに直感した。フィアが口にした通り、長く深い付き合いになるだろうと。そして、良いライバルであり良き友となれるであろうと。

 二人は並び立って教室へ入っていく。そしてすぐにキーリは小さく感嘆の息を漏らした。

 教室の中は人数の割に広く、前方の黒板から離れる程に位置が高くなっていくすり鉢状の作りになっていた。席は明確に分かれておらず、机と椅子は基本的に長く一つに繋がっており、それが三列分設置されていた。まるで大学時代の講義室のようで、キーリは少し懐かしく思った。

 個人個人の席というものは決まっていないようで、多くは他の生徒と距離を置いて座っているが中にはすでにグループで固まって座っている生徒も居た。小綺麗な容姿と雰囲気から貴族だろうと彼らに当たりをつけつつ、キーリとフィアは適当な席に隣りあって座った。


「この後って何があるんだっけ?」

「さあな。教室に行けとしか言われていないからな。大方担任の紹介と、我々の自己紹介と……それくらいで昼食だろうな」


 二人で話していると教室の扉が開く。担任が来たのか、と思って振り向いたが立っていたのは制服を着た生徒だった。顔を見れば勝ち気そうで自信に満ちた眼差しに特徴的な金色の縦ロール。代表挨拶をしたあの生徒だった。


(同じクラスか……)


 面倒な事が起こんなきゃいいな、と思いながらその生徒を見る。彼女は扉のところで生徒席をグルリと見回すと、全員を見下すように小さく鼻で笑った。だがキーリの姿を認めると途端に眉間に皺を寄せて顔をしかめ、そしてプイと不機嫌そうにそっぽを向くと空いていた最前列の席に座った。

 一体何なのだろうか、と首を傾げて記憶を探るも、今日より前に出会った覚えはやはり無い。そうしている間にも数人が教室に入ってきて、一通りの席が埋まっていった。

 そしてチャイムが鳴る。同時に――


「全員着せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇきっ!!」


 スライド式のドアが「どがぁぁぁぁぁんっ!!!」とあるまじき音を立てて開いた。そのままドアは壁にぶち当たって吹っ飛び、「がっしゃんっ!」と倒れた。

 いきなりの賑やかな登場に、教室にいる全員が呆気に取られてポカンと口を開ける中、スキンヘッドでムキムキという中々にパンチの効いた容姿の男が肩を怒らせて入ってくる。

 鍛えられた筋肉の上ではち切れそうな白いシャツの上にダークブルーのジャケットを羽織り、同じ色のズボンの裾は頑丈そうな軍用ブーツの中に入れ込まれて、歩く度に軍靴の音が響く。キーリは口の中で思わず「ヤクザ?」とつぶやいた。

 教室中の注目を浴びながら男は教壇の前に立ち、手に持ったファイルを「ぶわぁん!」と叩きつけた。そして濃い色のサングラス越しにグルリと教室内を見回し、くわっ! と眼を見開いて叫んだ。


「ぜぇぇいん、きりぃぃぃぃつぅっっっ!!」


 その迫力に思わず反射的に全員が「びしぃっ!!」と擬音が付きそうな勢いで立ち上がる。指示されたわけでもないのに貴族も平民も関係なく直立して「気を付け」の姿勢で背筋をぴーんと伸ばす。もちろんキーリも例に漏れず、まるで軍人にでもなったかの様な気分だ。


「ふむ……全員揃っているようであるな。では――全員着せぇぇぇきっっ!!」


 再度の怒鳴り声に一糸乱れぬ動きで全員が着席し、男は満足そうに頷いた。


「うむ。やはり全員の動きが揃うというのは見ていて気持ちが良いものだな。さて、それでは――」


 スキンヘッドを照明で輝かせながら男は教卓に両手を突き、全員を睨めつけつつもったいぶって――


「――何をやるんだったかな?」

「「「知らねーよ!!」」」


 全員から突っ込みが入った。


「……なあ、フィア。今ここに居るって事はこのおっさんって……」

「おそらく……いや、間違いなく私達のクラスの担任だろうな」

「先が思いやられるぜ……」


 一斉にざわつき始めた教室内でキーリはため息を吐き、そして恐らくは担任を割り振ったであろうシェニアを脳内で罵っていく。


「我々の自己紹介ですよ、オットマー先生」


 ざっと百八個程の罵り言葉をキーリが思い浮かべて不幸の手紙の文面を認め始めた時、教室の外から別の男の声が聞こえてきた。

 「よっと」と言いながらオットマーと呼ばれた筋肉教師が破壊したドアをレールにはめ直し、着ていたよれよれの白衣の裾を叩いてオットマーの方へ歩み寄る。


「おお! そうであった、そうであった! すまぬな、カイエン先生」

「いえいえ。ではどうぞよろしくお願いします」

「うむ!」


 ニコニコとしながら腰の低い態度で促すと、オットマーは鷹揚に頷いて生徒たちの方へ向き直った。


「吾輩が本日より諸君らの担任となるアレキサンドロス・オットマーである! そして!」


 オットマーは区切ると上着を脱ぎ捨てタンクトップ姿になって――


「ふんっ!!」


 サイドチェストで上腕二頭筋を強調し。


「ぬんっ!!」


 モストマスキュラーで僧帽筋を見せびらかし。


「ふぅんぬぅぅっっ!!!」


 バックダブルバイセップスのポージングでシャツがスパーンッ! と四散した。

 それによりオットマーの見事な筋肉美が顕わになる。目に入る全ての筋肉が見事に盛り上がり、誰が見ても相当に鍛えられている事が分かる。

 分かるのだが。


「誰得だよ、これ……」


 キーリのつぶやきが全てを物語っていた。


「そして! 吾輩がこの筋肉を存っ分に使って諸君らに実戦的な格闘術を主に指導していくっ! 格闘の心得が無い者には手取り足取り教えてやろう! 喜べっ!!」

「うぇぇぇっ……」


 誰も喜べねぇよ。

 まさかの筋肉ダルマの宣言に一斉に呻きのような悲鳴が上がった。

 横のフィアを見れば、彼女も珍しく顔を引きつらせていた。


「先生のご指導を賜われるのはありがたいのだが、あの暑苦しさが直ぐ側に居るというのは……」

「フィア。何事も……諦めが肝心だ」

「そういうキーリも本音は?」

「マジ勘弁」


 他の生徒と同じように頭を抱えたキーリだが、最前列でただ一人違った様子の生徒が居た。

 新生活を襲った絶望に多くの生徒が項垂れる中で、金髪縦ロールの彼女だけは頬を紅潮させキラキラと眼を輝かせてオットマーの姿に見とれていた。

 まさか、可愛い顔してああいう暑苦しいのがタイプなのか、と甚だ失礼な想像を巡らせた時、「パンッ!」ともう一人の先生が手を叩いて注目を集めさせた。


「はい、お静かに。オットマー先生は元レディストリニア王国の軍人で、格闘術の達人です。皆さんが今後迷宮に潜る冒険者として生きていく中でとても大事なことを身につけることができると思います」

「うむ。第一線は退いた身ではあるが、この筋肉! 衰えぬよう日々の鍛錬は欠かしておらぬ! 諸君らが将来大成する一助になると自負しておる。

 また吾輩は諸君らの担任である。若い諸君らは慣れぬ学校生活で分からぬことや悩みもあろう。授業の質問はもちろん、悩みや困ったことがあればいつでも相談に乗ろう。夜間であろうと二十四時間気にせず訪ねてくると良い」


 胸を張っていつでも受け入れる、と宣言したオットマーにキーリは「へぇ」と感嘆を漏らした。

 公立の学校など無いこの世界では多くが別の職を持っていたり、或いは元々別職だったりと専門の教育を受けてはいない、言わば片手間で行われる職業だ。そんな世の中で生徒の面倒を二十四時間見る、と宣言する人間はまず居ない。

 暑苦しい見た目だが、もしかしていい先生か? とキーリはオットマーを見直した。元軍人という事は戦闘力は十分だろうし、嘘か本当かは不明だが達人という触れ込みだ。自分の実力を底上げするのに役に立ってもらおう。そういう意味でも良い先生かもしれない、と底辺に落ちかけていたシェニアの評価も上方修正する。


「なに、大概の悩みは筋肉が解決してくれよう」


 暑苦しい見た目だが。


「さて、それでは僕の自己紹介もさせてもらいますね」もう一人、カイエンと呼ばれていた先生が笑顔を浮かべて中央やや横に立った。「クルエ・カイエンと申します。このクラスの副担任として、オットマー先生を補佐していきます」


 クルエは皺の寄った白衣をピンと引っ張って伸ばした。しかしすでにかなりくたびれた白衣はすぐにヨレヨレに戻る。チョークの汚れや恐らくは薬がこぼれたのだろう染みが散見され、容姿に気を遣わないだらしなさが見て取れる。

 そんな彼は、柔和な笑みを浮かべて優しくキーリ達を眺めていく。眼鏡の奥では眼が三日月状に細められている。オットマーとは違って落ち着いた人物らしい。

 そうやってクルエ教諭を観察していたキーリは彼の背中部分に小さな膨らみがあるのに気づいた。そしてその理由は程なくクルエ自身によって語られた。


「ちなみに私の背中が膨らんでいるのに気づいた方が何人かいらっしゃるようですが、これは翼を収納しているためです。私は翼人族なので」

「翼人族、か。珍しいな」


 説明を聞いたフィアがそんな呟きを漏らした。


「そうなのか?」

「ああ、少数民族の一つだったはずだ。種族全体の特性として魔法、特に風神魔法に長けてはいるがあまり集落の外には姿を見せないと言われている。もっとも、私も直接見たのは初めてだから何処まで真実かは分からんがな」

「へぇ」


 少数民族、というワードにキーリは少し親近感を抱いた。そういえばルディやエルたち鬼人族も余り外の世界と関わりを持っている様子は無かった。結局、最後まで鬼人族たちが人族を敵視していた理由は教えてもらえず終いだった。ただ、キーリが二人に拾われるずっと昔に人族との間に何かがあった事は分かっている。翼人族も同じようにトラブルに見舞われたのだろうか。

 いつか、図書館でそこら辺の事情を調べてみるか。キーリはそう思った。


「僕の専門は魔法学・魔法薬学です。皆さんは魔法学を専門に学ばれるわけではありませんので、基礎的な範囲の講義に留まるかと思いますが迷宮内は単なる力押しのモンスターだけでなく魔法を使ってきたり、或いは毒や麻痺などの症状を引き起こす攻撃をしてくるものもあります。そういった時の対処法として魔法と魔法薬の知識を深めて頂けたら良いかと思います。

 オットマー先生が不在の時などに困ったことがあったら遠慮なく僕の方に相談して頂いて構いませんよ。もちろん、不在じゃなくっても気軽に話しかけてくださって結構ですし、相談じゃなく雑談であってもいつだって研究室に遊びにきてください。

 なにせ普段から部屋に引きこもりっきりなので、話しかけてくれないと会話方法を忘れちゃいますから」


 茶目っ気たっぷりの冗談に、教室から笑いが零れた。まるで前世の引きこもりみたいな発言を聞き、キーリも思わず笑い声が漏れた。

 オットマーが入ってきた時とは異なって和やかな空気に教室が包まれ、人の良さそうな先生であることに皆密かに胸を撫で下ろした。


「亜人なんかの授業なんか受けられねーんだよ」


 しかしそんな声で空気が再び緊張に包まれた。

 一斉に教室の後方に視線が集まる。その先には、最後列に近い一番高い場所に陣取る少年。明るい茶色の髪をしていて、顔立ちは幼い。十代前半だろうその少年は退屈そうにアクビをし、机に頬杖をついたまま大儀そうな態度でクルエを見下ろしていた。


「……申し訳ありません。ですが、こればかりは僕の努力ではどうにもなりませんので」

「ちっ、わっかんねぇかな」


 クルエは少し悲しそうに一度眼を伏せ、だが努めて冷静に、そして見ている方が胸を痛めるような笑みを浮かべて謝罪を口にした。しかし少年は粗野な口ぶりで詰まらなさそうに舌打ちする。


「どっか消えろって言ってるんだよ。こっちはちっせー頃からお前なんかとは違う優秀な魔法使いから指導を受けてんだ。わざわざ劣等種(・・・)である亜人なんかから教わる事はないんだよ」


 瞬間、教室の方々(ほうぼう)が殺気立った。

 「亜人」というのはかつて人族以外の種族に向けられていた蔑称だ。大陸内での人口構成において最大である人族こそ至上の存在であり、それ以外の種族は人族になりそこねた出来損ないだという考えが世間を占めていた時代が存在していた。

 無論そういった事実は無く、翼人族が飛行できたり人狼族が嗅覚に優れていたりと人族以外の方が優れている分野もある。しかし世の考えが五大神教を中心としており、魔法を使える=神々の寵愛を受けているとの考えが根底にあったりしたため、人族以外は全て劣等種であると多くの人族が信じて疑っていなかった。中には他種族をモンスターと同じと見なす人族も居た。

 その後、こういった考えへの反発が各地で起き、人族以外の民族が一斉に蜂起したりといった歴史を経て現在ではそう言った考えは恥ずべきものとの意識が広まっていった。また人族以外が迷宮冒険者として多く名を馳せたりといった事もあり、加えて冒険者の互助会として設立されたギルドが公平・平等を掲げた事も世の中の流れを加速させた。時の五大神教の教皇も人種・民族間での優等・劣等の因果関係を明確に否定する声明を発表し、言葉こそ人族以外を一括りにする呼称として残っているものの、今では時代遅れな考えとして歴史の一部と化している。

 それでも貴族の間では、貴族の優位性を担保する手段としてこの考えを固持している者も多い。また古くからある家系や田舎に往く程にこうした考えは根強く、未だに時折軋轢を生んだりしているのも事実だ。そして今、その許されざる発言による摩擦が教室内で起きていた。

 今、キーリ達のクラス三十人の内、貴族は十人ほど。平民を含めて二十数人は人族とみられるが確かに他の種族も居た。今しがた言い放った少年は地方からやってきた貴族と考えられるが、あろうことか「劣等種」と言い放った。少年らしい短慮と貴族らしい肥大した傲慢さでクルエだけでなくクラスメートに対しても明確に侮辱したのだ。

 ある生徒は俯いて恥辱に耐え、ある生徒は机の下で拳を握りしめ、今にも飛びかからんばかりに怒りを膨らませていた。

 そしてそれはキーリとフィアも同様だった。ルディとエルを親とし、鬼人族を誇りに思うキーリは彼らへの侮辱を許さない。椅子に座ってこそ居るが、全身から鬼気が溢れ始め、シェニアから釘を刺されているために我慢しているが、ギルドでやらかしてしまったように怒りを爆発させてしまいそうだ。

 隣に座るフィアも、種族こそ人族だが友人思いの彼女が友への侮辱を許せるはずもない。公平さや誠実さで自らを律し、不正や悪事を許せない「正義」の心が彼女の体を震わせた。


「……私を罵るのは結構ですが、『劣等種』という言葉は撤回して頂けませんか?」

「やだね。クズをクズと呼んで何が悪いんだよ」


 クルエは深い悲しみを抱いた。少年がクルエを侮辱するのは構わない。一度根付いた価値観は容易に覆すことは出来ない。だが間もなく少年から青年へと変わろうとしている年齢の彼の物言いが、今後友と成り得るだろうクラスメートとの関係に罅を入れ未だその事実に気付けていない、そうした教育しか受けてこなかった彼の過去を哀れんだ。

 故にクルエは遅れた。彼以外の侮辱された者たちが動き出そうとしていたことに。気づき、止めようとした時には既に幾人かは少年に向かって直接的な行動に出始めていた。


「ブァァァァァカモォォォォォンッッッッッッッ!!」


 しかしそれらが届くよりも早くオットマーの教室全体が震えるような大声が響いた。ビリビリと響くその怒鳴り声は少年に向けられたものだったが、余りの迫力にキーリやフィア、その他の他人種も思わず眼を丸くして動きを止めてしまった。


「貴族! 平民! 人族! 亜人! そんな区別に何の意味も無い!」


 オットマーは「くわっ!」と眼を見開きながらポージングしていく。呆気に取られていた少年が気を取り直して反論しようとすると、再びオットマーの口から「ばっっっっっっっかもぉぉぉぉんっっっっっ!!」と怒鳴られる。

 サイドチェストのポーズから大胸筋をピクピクと動かし、「ビシィ!」と少年を指差した。


「生まれを区別することに何の意味があろうか! 無意味! 無意味である! この世で意味のあるなどただ一つ! そう!」全身の筋肉が生き物のように動く。「生まれなどこの! 鍛え上げられた筋肉の前では等しく無価値なのである!」

「むちゃくちゃだこのオッサン……」


 だがどうやら効果はあったらしい。殺気立った空気は瞬く間に微妙な脱力感に支配されて霧散した。少年の方も開いた口が塞がらない様子で、だが何と反論すればよいのか分からずに顔を引きつらせていた。

 そんな中で動ける人物が一人。最前列の彼女だけが顔を紅潮させて甚く感激した様子で立ち上がって称賛を口にした。


「素晴らしい、素晴らしいですわ!!」

「おお、そうかそうか! 君もそう思うかね! して、少女よ。名前を問うても良いかな?」

「これは失礼致しました」少女は淑女らしい丁寧なカーテシーをした。「申し遅れました。ワタクシ、オースフィリア帝国から参りましたアリエスと申します。以後、お見知り置きを」


 少女が名乗った途端、教室がざわめいた。

 オースフィリア帝国。それは長年王国と敵対関係にあった北の大国だ。三十年ほど前には大きな戦争となって多くの王国の都市を焼かれた憎き敵国。「魔の門」の出現をきっかけに講和条約が結ばれて今でこそ両国の関係は平穏が保たれているものの、年長者の、特に北方の貴族では領土を荒らされた為に遺恨を残している者も多い。

 彼女が行ったカーテシー。洗練されたそれは平民が学習して身につけたものでは無く、幼い頃から日常的に行ってきた事を想像させる。つまりは、彼女は貴族。それも高位の。そんな存在が王国の同じ教室内に居る。貴族の子弟を中心に室内が戸惑いが広がっていった。


「うむ。アリエス君だな」しかしオットマーはそんな空気を微塵も読むこと無く満足そうに頷いた。「して、アリエス君! 君も筋肉こそが至高であると同意してくれるのかね!?」

「ええ、ワタクシも先生のお考えには賛同致しますわ!」アリエスは頬を赤らめたまま、まるで恋人と抱き合うかの様に自らの肢体に両腕を巻きつけ、うっとりとした様子でオットマーの肉体を鑑賞した。「いつだって頼れるものは己の肉体のみ! 筋肉が全てとは申しませんが、己の技術、肉体を鍛えあげることは何人であっても平等に与えられる機会であり、自己の鍛錬の前には人族や翼人族といった区別など全く無意味です!」

「うむ、うむ! 全く以て同感である! 我輩は筋肉の鍛錬に意味を見出したがアリエス君は筋肉と技術に価値を見出したということだな! 喜ばしい限りである!」

「ですが私は貴族と平民の間には区別を見出すべきと思っておりますわ」

「ほう。それは今言ったことと矛盾するのではないかね?」

「いいえ、矛盾しませんわ」アリエスは教室をグルリと見回した。「貴族は平民よりも優れているべきなのです。なぜならば貴族は力なき彼らを守るために権力を得た存在ですもの。血筋だけでなく、自らを厳しく律して守るべき力を付ける義務と努力をする才能を有した者。そして守るべき民を慈しむ事ができる者。それこそが貴族であるべきで、逆説的に貴族であればそうあるはずですわ。

 もっとも――」彼女は先程の少年の方を見て鼻で笑った。「近頃は単なる生まれだけで自分が貴い存在であると勘違いしている方も居られるようですが」

「なっ! 貴様、今僕を馬――」

「素晴らしい考えである!」


 馬鹿にされた少年が机を叩いて立ち上がるが、その声もオットマーの大声にかき消された。


「ギルドは全てに対して公平・平等を詠っておる。故に君の考えに同意は出来ないがその考えは尊重しよう。その歳でその考えを持てているのは紛うこと無く素晴らしいものだ」

「ご理解感謝致しますわ」

「それにひきかえ――」


 オットマーは視線をアリエスから少年へと移した。教卓前から階段を登って行き、少年の傍へと辿り着いた。「ふむ」と顎に手を遣りながら徐ろに少年の腕を掴んだ。


「な、なんだよ!」

「腕は細く、胸板も薄い。痩せて見えるが脂肪分が多い。少年、日頃の鍛錬を怠っているな?」

「それが何だってんだよ! 俺は魔法を使えるんだ! 魔法が使えれば――」

「かぁぁぁつっっっ!!」オットマーの声圧で少年の前髪がめくれ上がった。「嘆かわしい、実に嘆かわしい! 迷宮内においていざという時に役に立つのは己の肉体のみ!

 宜しい、ではこれから我輩が少年の性根を叩き直してみせよう!」

「なぁっ!?」

「さあ少年、早速鍛錬場へ行くぞ。

 申し訳ないがカイエン先生、後は宜しく頼みますぞ」

「あ、ちょ、ちょっとオットマー先生!」

「なぁに! 少年も筋肉の素晴らしさに気づけば考えを改める事でしょう! ご安心くだされ!」

「ちょっ、クソッ! 離せよ脳筋教師! 俺は貴族だぞ! こんな事して――」

「ぬあはははははっ! 先程も言った通り筋肉の前では貴族も平民も無い! 今日は初日であるからな! 程々で勘弁してやろう! 明日からもマン・ツー・マンでレッスンだから覚えておくように!」

「はなせぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!!」


 襟を掴んで少年を持ち上げるとオットマーはそのまま廊下へと消えていった。

 少年の悲鳴をどこまでも残して――。


「……えーっと」


 呆然と廊下に消えたオットマーと少年を見送ったクルエは変わらぬ笑みを顔に貼り付けたまま頬を掻いた。


「とりあえず……皆さんの自己紹介でもしましょうか?」


 担任不在の教室の全員がその提案に頷いた。

 ただアリエスだけが名残惜しそうにオットマーの消えた先を見つめていた。




 2017/5/7 改稿


 お読みいただきありがとうございます。

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