11-2 オーフェルス(その2)
第2部 第58話です。
宜しくお願いします。
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。実はレディストリニア王国の第一王女だったが、出奔して今に至る。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。フィアの被害者。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖でいつも不機嫌そうな顔をしている。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。気は良く、色々とひきずらない性格。
ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。
ユーフェ:猫人族の血を引く貧民街の少女。表情に乏しいが、最近は少しずつ豊かになった気がする。
エリーレ:レディストリニア王国軍人。かつてレイスと共にフィアのお世話をしていた。
「……何か、暗い街だな」
予定通り、キーリ達はオーフェルスへ辿り着いた。街へ入る審査を終えて、門から真っ直ぐに伸びる大通りを歩きながら、イーシュは開口一番そう呟いた。
「そうだね……街の人も皆俯き気味だし、風も何だか気持ち悪い」
カレンもイーシュに同意しつつ街を見回す。
人が居ない訳ではない。スフォンに比べれば確かに通りを歩く人は少ないが、それは比べる対象がスフォンであるからで、事前に聞いていた街の規模からすれば妥当なところといえるかもしれない。小さな地方都市であるエシュオンやエルミナ村よりはよっぽど多いし、通りの両脇には数多くの店舗が並んでそれなりに人々が出入りしている。
それでも活気が感じられないのは人々の表情が何処と無く暗いからだ。カフェで昼下がりの一時を過ごしている人も、店で買物をしている人も笑みは無い。あっても何処か作り物めいたようにキーリは感じた。
空は晴天。太陽が燦々と輝き、対象的に街には濃い影を落としていた。
そしてもう一つ違和感を覚えるのが、冒険者らしき人々を殆ど見かけないことだ。
「冒険者らしい人が殆ど居ませんね」
「迷宮が閉鎖されてますものね。迷宮のない街に冒険者が滞在する意味はありませんから当然といえば当然ですわ。
……閉鎖してしまえばこうなるのは当然でしょうに、辺境伯は一体何を考えているのやら」
同じ事に気づいたシオンの呟きに、隣のアリエスが呆れた風に肩を竦めてみせる。本来であればもっとこの大通りも人は多いのだろう。街も、もしかするとスフォンに負けないくらいに賑わっているのかもしれない。
「……」
「どうしたんだ、ユーフェ?」
珍しくキーリの肩に乗らず、フィアのズボンの裾を掴みながらも自分の脚で歩いていたユーフェだったが、その手が微かに強く握られた。それはユーフェが不安がっている時の癖なのだが、それに気づいたフィアはユーフェを抱え上げると彼女は鼻をフィアの頬に擦りつけた。
「ここ……知ってる」
「オーフェルスをか?」
聞き返すとユーフェは小さくコクンと頷いて、腕をフィアの首に巻き付ける。その姿勢のまま高くなった視点で街を見回す。その顔は何処か悲しそうだ。
「もしかすると、スフォンに来る前はこの街に住んでいたのかもしれませんわね」
だとすれば、あまり良い思い出ではないだろう。強張っているユーフェの体がそれを物語っており、フィアは安心させるようにギュッと抱きしめてやる。
そんな彼女の姿をエリーレは微笑ましそうに見つめていたが気を取り直してこれからの予定を尋ねた。
「まずは宿を探そう。できれば早々にカタが着けば良いのだが……辺境伯に問い詰めるにしろ、迷宮に潜るにしろ、しばらくは滞在することになるだろうからな。それに、どのみちスフォン以外からやってくる他のギルドの調査員の方々とも合流せねばならないしな」
「なら飯屋付きの宿にしよーぜ? んで、せっかくなんだし高い宿に泊まろうぜ! 支払いはもちろんフィアの奢りって事で」
「宿はシェニア支部長で手配して頂いていたのではなくて?」
「それに私は王女の立場は捨てているのだが……」
イーシュがカラカラと笑って冗談を飛ばしが、エリーレが不敬だとばかりに睨む。そんな三人の後ろをギースは退屈そうに街を眺めつつ付いていく。
「キーリ」
「ん? どうしたよ、ユキ?」
そんなやり取りをしながら宿を探し歩いている途中、ユキがキーリのシャツを引っ張った。珍しいな、と思いながらキーリは振り返るも、ユキの方から声を掛けてくる時は大概何か良くない事がある時だ。しかめっ面を浮かべていると、二人の様子に気づいた全員が注目していた。
「ユキは何か気になる事があるの?」
エルミナ村での盗賊襲撃も知らせたのはユキだ。詳細は分からずとも彼女に不思議な力がある事はエリーレを除いて全員が気づいているし、ここに来た理由も理由である。何かあるのかと彼女の顔を注視するもユキは珍しく言い淀む。が、少し考える素振りを見せた後で「ま、いっか」と顔を上げた。
「迷宮に行きたいんだけど」
「迷宮に、ですの?」
「改まってンな事言わなくても、どうせ後々で行くことになんだろうが」
「ギースの言うとおりだけど、私はなるべく早く行きたいの。だから後でキーリを借りてくね?」
「二人で行くのか?」
「別に二人じゃなくていいけど、皆はギルドに行ったり辺境伯って人のところに行くんでしょ?」
「それは……まあそうだが」
ユキの言う通りなのだが、ここに来て何故急に迷宮に行きたいと言い出すのか。むぅ、と唸るフィアの後ろからレイスが進み出た。
「ユキ様、理由をお話頂ければそちらに人を割くこともできるかと存じます」
「そんなの決まってるじゃない。迷宮で異変が起きてるからだよ」
「モンスターが増加してるって話だろ? そんなの前から分かりきってたことじゃね?」
イーシュの疑問に皆同じように頷くも、この場でユキが言い出す理由としては弱い。まさかそれ以外の異変が起きているのではないか。シオンは口の中が乾いていくのを覚えた。
「ユキさんがどのようにして異変を察しているのかは分かりませんけど……もしかして、僕らが思ってるよりもっと悪い事が起きようとしてるんでしょうか?」
「私にとってはそう悪いことじゃないんだけど、たぶん人間にとってはそうじゃないかな?」
ユキはゆっくりと首を傾げ、そして彼女が予想する未来を口にした。
「迷宮からモンスターが溢れ出すよ。それも近い未来に」
全員の脚が止まった。
「……ユキは迷宮の外にモンスターが出ていく、と言っているのか?」
「そ。それも大量にね。たぶん、このくらいの街なら数日でモンスターで埋め尽くされちゃうんじゃないかな?」
大暴走の発生。それは悪夢だ。街に居る人々は殆どが戦う術を持たない。そんなところへ一匹でもモンスターが街へと解き放たれれば、立ちどころに蹂躙されてしまうだろう。まして、今、街からは冒険者たちの多くが姿を消してしまっている。全くのゼロではないだろうが、数を大きく減らしてしまっているのは間違いない。
一匹でも大問題であるのに、それが大量に。それも、ユキの言葉を信じるならば街を覆い尽くす程だと言う。
もしそうなれば、まさに数十年前、魔の門が出現していた時の再現だ。当時は街が滅びた事もあり、それから時が経ち全く準備のなされていない今起きてしまえば、甚大な被害となってしまうだろう。
その光景を想像したカレンの顔は青ざめ、フィアのこめかみを冷や汗が伝い落ちる。
「……テメェのそんな戯言を信じろってのか?」
「信じたくないなら別に? ギースには関係ない話だし。私も別に放置したところでちょっと困るだけだもん」
軽く肩を竦めるユキに、ギースは舌打ちで返す。
ギースの言う通り、俄には信じられない話だ。普通なら妄言と一笑に付されるところで、この場に居る者の心情としてそうしたいところだ。実際にエリーレは「何を馬鹿なことを」と言いたげだが、フィアの手前それは控えているに過ぎない。
フィア、そしてアリエスはキーリの様子を伺った。キーリはユキと特に付き合いが長い。ユキが嘘を吐くとは思っていないが、キーリならば真実それが本当であるかを判断できると思ったからだ。
果たして、キーリの表情はユキを肯定していた。
「ちょ、それってやべーじゃんか!」
「だからそう言ってるじゃない」
「は、早く街の人達に知らせないとっ!」
カレンが慌てて駆け出そうとするが、その襟首をアリエスが掴んで止めた。
「落ち着きなさいな、カレン」
「ですけど! このままじゃ街の人達が……」
「何と言って伝えますのよ? 迷宮からモンスターが溢れると言いますの? それこそ誰も信じませんわ」
「っ、それはそうですけど……」
「おいフィア、テメェが正体を明かした上で街の連中だとか辺境伯様とやらに指示したりはできねぇのかよ?」
ギースの提案にフィアは少し考える素振りをし、しかし無念そうに首を横に振った。
「……無理だろう。街の人達は私の事を知らないし、そもそも王女が存在しているということも皆忘れているだろう。基本的に私は表舞台にはずっと出ていなかったから」
「そういえば、辺境伯様ってフィアさんが押しかけたところで会ってくれるのかな?」
「エリーレが居るから身分を明かせば辺境伯は会ってくれるだろうが……」フィアは難しい顔をした。「彼らが今迷宮に潜って何かをしようとしているんだ。私が正体を明かしたとしても信じてくれるかどうか。信じたとしても信じていないフリをして追い返すことも考えられる。まして、迷宮に関してまともに話を聞いてくれはしないだろう。すまない……」
「ちっ、別に謝んなくっていい。こっちが悪いことした気になるだろうが」
「ま、そこは後で考えりゃいい。最悪強引に押し通る事もできるだろうしな」
フィアの謝罪にギースは頭を掻いて舌打ちし、キーリがたしなめる。代わってシオンが口を開いた。
「ユキさん、モンスターの暴走まで後どれくらい猶予があるか分かりますか?」
「うーん、そうねぇ……もって半月ってところじゃない? 確実に止めるんなら後一週間くらいで何とか手を打たないといけないけど」
「そう言えばユキはどうすれば止められるか、その方法は知ってるの?」
「もちろん」
「具体的にどうすんのか教えろって言ってんだよ」
「そんなの入って見なきゃ分かんないに決まってるじゃない」
ユキの馬鹿にしたような言い方にギースはこめかみに青筋を浮かべるも、シオンが「まあまあ」と宥めて改めて確認する。
「今日明日で手遅れになるなんて事は無いんですね?」
「うん、それは大丈夫じゃないかな?」
「だったら一度落ち着いて考えようぜ? イーシュじゃねぇけどまずは腹ごしらえだ。腹が減っちゃ戦もできねぇってな」
「お腹すいた……」
最後にポツリと零したユーフェの一言に、ここまで緊張で強張っていた全員の表情が思わず綻ぶ。抱えられているユーフェの頭をフィアは撫でた。
「だが、キーリの言う通りかもしれない。ここで焦っても仕方ない。ひとまずは予定通り宿を探して、食事でも取りながら落ち着いて対策を考えよう」
「だな」
「フィア様、宜しいのですか?」皆が同意する中、ここまで黙っていたエリーレが口を挟んだ。「目的は国王へ盛られている毒を止め、可能ならば解毒剤を手に入れる事です。そんな起きるかどうかも分からないものに時間を割いている余裕など――」
「エリーレ」
チラリと胡散臭そうな眼でユキの様子を窺う。その眼は、敬愛する姫をそそのかそうとする魔女を見る眼だ。だがフィアは彼女の話を遮り、その声には咎める響きがやや含まれていた。
「……ユキをよく知らないエリーレからすれば、お前の疑念はもっともだと思う。だがユキの言う事はほぼ間違いなく本当だ。そしてそれを私は知った。ならば見過ごす事など到底できない」
「それはそうでしょうが、それでは国王様が」
「分かっている!」
俯いたフィアの大声が通りに響いた。エリーレは、初めて声を荒げる彼女の姿を眼にして言葉を失い、キーリもまた彼女の心情に思い至り眉間に軽く皺を寄せて眼を閉じた。
通りを行き交う人達がフィア達の姿を横目で流していく。フィアは昂ぶった気持ちを、大きく息を吐き出して落ち着けていった。
「……父の事は心配だ。父の苦しみを考えると私だって苦しくなる。だが……甚大な被害をもたらしかねない事態が目前に迫っているのを知りそれを見なかった事にした結果、人々が傷つき、苦しむなど私には到底できない」
彼女の目元に深いしわが刻まれる。口元はきつく真一文字に結ばれ、だが口調は落ち着いて。それでも握りしめられた彼女の拳は小さく震えており、フィアの頬をユーフェが優しく撫でた。その柔らかく暖かい感触に、フィアは微かに眼を見張り、何とか笑みを作ってみせた。
「……申し訳ありません。フィア様のご心情も理解せず、勝手を申し上げました。ご処分は如何様にも」
「良いんだ。お前も父の事を考えての発言だと分かっている。それに何度も言っている通り私は『フィア・トリアニス』だ。国軍の将校であるお前の方が偉ぶってくれたっていいんだぞ?」
「ご冗談を。そんなことをすれば私の首が物理的に飛んでしまいます」
申し訳なさそうにエリーレが頭を下げて謝罪する。それにフィアは敢えて軽口で応じてみせると、エリーレもまた少しホッとしたように表情を和らげたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
キーリ達はシェニアからもらった依頼書に書かれていた宿を探して街を歩き回った。
スフォンほどで無くともオーフェルスの街は大きい。宿への地図はなく、大通りを探しながら歩くも中々見つからない。なので途中で何度か通行人に声を掛け、宿の場所を尋ねようとしたのだが、その多くが声を無視して通り過ぎるか、そっけなく「知りません」とだけ応えて足早に立ち去るだけであった。
「冷たい街ですわね……」
アリエスの呟きには全員が同意するところだが、果たしてそれがこの街の特性なのか、或いは一時的なのかは分かりかねた。
それでも何人も声を掛けていれば親切な人は居るものであり、尋ねた人が十人を越えたところでようやく宿の場所を詳細に地図まで描いて教えてくれる人に出会った。
まだ年若いその女性はキーリ達の溜息を見てなんとなくここまでの事情を察したのだろう。場所を説明した後で、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「前まではみんなもっと親切だったんだけど……最近になって何だかみんな暗くなっちゃって……」
「昔はそうでは無かったのか?」
「ええ……ここ数ヶ月くらいかしら? 街の人もみんな俯いて、余裕をなくしたみたいに不親切になっちゃったの。ごめんなさいね。本当はもっといい街だから、嫌いにならないでくれると嬉しいわ」
頭を下げて謝る彼女に礼を言って見送り、フィアはキーリを見上げた。
「急に雰囲気が変わった、か……迷宮の異変と関係があるのだろうか?」
「ない話じゃねーと思うぜ? 迷宮が悪意を吸って変質するなら、迷宮が近くの街に影響を及ぼすのも十分に考えられる話だしな」
だとすればのんびりはしていられない。フィアは父を思って揺らぎそうになる心を強い意思で押さえ込み、暗い雰囲気で包まれている街を見遣ったのだった。
そうして、女性に教えられたとおりに進んでいくと程なくして宿は見つかった。大通りから迷宮の方に向かって道を曲がり、迷宮を取り囲む巨大な門、そしてその隣の小高い場所に威風堂々とした様相で建つ辺境伯の居城を眺めて進み、豪華な作りの屋敷が立ち並ぶ貴族街の手前で彼女たちは立ち止まった。
「ここか」
「シェニアがよく使うっつってた割にゃあんまそれっぽくねぇんだな」
建物を見上げたギースがぼやくように言った。外から見る限り、建物は極々普通。三階建てで、部屋数も数パーティが滞在すればすぐに満室になりそうな規模だ。高級そうでもなければ安宿っぽさもない。Bランクの迷宮の街らしく、近くには上位冒険者向けの高級で立派そうな宿もあれば、駆け出し冒険者向けそうな少々ボロさの目立つ宿もあるが、目の前の宿からはそう言った雰囲気に染まらず堅実そうな印象を受けた。
「ま、シェニアだしな」
「あの人はあまり権威をひけらかす人じゃありませんし、逆にこういった普通の宿の方が好きそうですしね」
シオンの意見に同意しつつ、ドアを押し開く。
エントランスには、食堂を兼ねているのだろう。規則正しくテーブルが幾つも配置されていて、カウンターにも四、五個の椅子が並べられていた。テーブルの脇を奥へ進みながら眺めると、テーブルはどれも綺麗に磨き上げられていて丁寧な仕事ぶりが目に付く。だが奥のフロントでは、白髪混じりの壮年の男性が椅子に座ってコクリコクリと船を漕いでいた。
「もしもし、ご主人?」
「……」
「ご主人、宿泊したいのだが」
「……ふぁ?」
フィアがカウンターから身を乗り出して男性の肩を揺する。男性はゆっくりと顔を上げ、眠そうな眼で彼女の顔を見た。が、何度かパチパチとまばたきをすると、椅子を後ろへ倒しながら大慌てで立ち上がった。
「い、いらっしゃいませ! ご、ご宿泊ですか!?」
「ああ。全部で十一名になるんだが、部屋は空いているだろうか? シェニア支部長からこの宿を紹介されて来たんだが」
「十一名様ですね! そうですか、シェニアさんのご紹介でしたか」シェニアの名前を聞くと主人は微笑んだ。「ええ、全員個室でご準備できますよ」
「ならそれで頼む。あ、この子は私か彼女と同じ部屋にするから十部屋で良い」
「承知しました。お食事はどう致しましょうか? お昼がまだでしたら、簡単なものであればご用意できますが」
「飯っ!」
いい加減空腹の限界に達していたイーシュが途端に顔を輝かせ、その脇をカレンが呆れながらつついた。
「もう、はしたないよ、イーシュくん」
「んな事言ったってこっちはもう腹減ってしょうがねぇんだよ」
「はは、ならすぐにご準備致しましょう。そちらの小さなご婦人の方は、苦手な物はありますか?」
「……ん、ない」
ユーフェはフィアの脚の後ろに隠れながらも、主人の男を見上げて自分で返事をする。男性はにっこりと優しそうに微笑み、食堂の奥にある厨房に向かって叫んだ。
「畏まりました。おい! おーい、お前!」
するとすぐに奥から「はーい! なんだい!」と叫び返す声と共にふくよかな女性が姿を現し、キーリ達を見ると「あらあら!」と嬉しそうな声を上げた。
「お客様だ。お食事の準備をすぐに頼む」
「あいよ! すぐに準備するから待っときな!」
女性は小気味の良い返事をしながら腕まくりをし、口笛を吹きながらドタドタと厨房へ戻っていった。元気の良い声を掛けて去っていく女性にフィア達は面食らい、その様子に男性は「騒がしい奴ですみません」と謝罪を口にするも、何処か楽しそうである。
「奥様ですの?」
「ええ。私と二人でこの宿を切り盛りしております。手前味噌ですが、彼女の料理は期待して結構ですよ」
「ですって。楽しみですね、アリエス様」
男性にエスコートされてフィア達はそれぞれの部屋に荷物を起き、旅装を着替えていく。女性陣は軽くシャワーを浴び、フィア達が簡単な装備と武器を持って食堂に降りていくとすでにそこは美味しそうな匂いで満ちていた。
「おせーよ。ずっと匂いだけ嗅がされんの、もうムリ」
「女性は支度に時間が掛かるものなの」
彼の前には大量の料理が並べられ、イーシュはグッタリとして抗議の声を上げた。他の男性三人は同じテーブルに座って苦笑いを浮かべているが、気持ち的にはイーシュと同じなのか、特に咎めもしない。
女性陣も並び合うテーブル二つに別れて座る。なるほど、この香りを空腹の中で嗅がされ続けるのは酷だろう。奥方の女性が作ったその料理はフィアがそう思うほどに見事だ。
「では細かい話は後にして、まずは料理を頂こうか。エリーレ、お前も早く座れ」
「しかし私は」
「いいから早く座れってんだよ。テメェが座んなきゃ飯食えねぇだろうが」
エリーレはフィアとの同席に気が引けるも、ギースから文句を受け、更に他のメンバーも眼で急かしているのに気づき戸惑いながらも同じテーブルに座った。
直後、料理の争奪戦が始まった。
大量に並べられた料理が見る見る間に消費され、胃袋に消えていく。まさに「がっつく」という表現がふさわしい勢いで肉にかぶりつき、スープを飲み干していく。皿とフォークがぶつかりあう音が響き、横取りを狙うフォークと防衛のナイフが交わり、バチバチと火花を散らす。だがそうして目の前にだけ意識を集中していれば、他所から第三者によって料理が奪われ、絶望に染められるのだ。
「ちょっと! イーシュくん! それ私のっ!」
「へっへっへ、これはな、戦争なんだぜ? 速いものが勝つんだよ」
「ならば私が頂こうか」
「あ、テメェっ!!」
「ふっ、油断しているのが悪いのだ」
はしたなく口元を汚し、もきゅもきゅと口を動かしながらフィアは勝ち誇る。そうしながらも手元の料理を死守するナイフ捌きは見事としか言いようがない。
一方でそんなフィアの姿にエリーレは唖然としていた。
「あの、エリーレさん、ぼーっとしてると料理無くなっちゃいますよ?」
「え?」
親切心からシオンが声を掛け、エリーレが自分の皿を見下ろすといつの間にか忽然と肉が消えていた。誰が奪ったのか。キョロキョロと見回すも、誰もがシレッと空とぼけている。
流石にエリーレとしても飯抜きは辛い。慌てて残った料理を口に運び始めるも、自身の知るフィアとはかけ離れた姿が未だに信じられなかった。
「……いつもこのような感じなのでしょうか?」
「驚かれるのも分かりますけれど、みんな揃っての食事ではこんなものですわよ?」
「はあ、そうなのですか……」
王城の方々が見れば卒倒するだろうな、と思うが郷に入れば郷に従え、という事なのだろう。アリエスも食べる仕草は優雅だが、その速度と量は半端ない。ごく普通の胃袋しか持たないエリーレとしては胸焼けしそうな食事風景だが、そういうものだと思うことにしていつもよりも気持ち速いペースで料理を胃に詰め込んでいくのだった。
「はは、やはり冒険者の方々の食事風景というのは見ていて気持ちが良いですね」
追加の料理を持ってきた主人が嬉しそうに笑いながらテーブルに並べ、空になった皿を回収していく。そこにイーシュが「これもおかわり!」と皿を差し出すと、主人も一層顔を綻ばせた。
「これだけ食事が進むのも料理が美味だからこそです」
「だな。スフォンの飯も悪くないけどな、ここの飯は断然美味ぇ。いい素材を使ってんだろうな」
「その素材を活かす腕前もあってこその味ですわ。奥様に是非御礼を申し上げたいところですわね」
「ありがとうございます。あまり高級なものは使えませんが素材には気を遣っておりますし、妻にもお客様が褒めてくださったと伝えておきましょう。
それに、こちらとしてもせっかく仕入れた素材が無駄にならなくて良かったとホッとしているところです」
「……やっぱり冒険者の数って減ってるんですか?」
カレンが尋ねると、主人は困ったように眉尻を下げながら頷いた。
「ええ……この数ヶ月は少しずつ泊まってくださる冒険者の方々が少なくなってまして。お恥ずかしい話ですが、特にここ数日はごらんのような有様です」
「料理は美味しいし、手入れも行き届いていて良い宿だと思うのだがな」
「迷宮が一時的とはいえ、閉鎖された事が大きいのでしょうね」
「その間、俺ら冒険者は稼げなくなっちまうからな。他の街に出稼ぎに行くってのも当然の話だし」
「ですので、私としても皆様には非常に感謝しております」主人はキーリ達に恭しく頭を下げた。「ご滞在中は皆様が快適にお過ごしになれるようお世話を精一杯務めさせて頂きます。何かありましたらすぐにお申し付けください」
「ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ世話になりますのでよろしくお願いします」
心の篭った主人の挨拶にフィアも返礼すると、主人は笑みを浮かべて厨房へ戻ろうとした。
その時、エントランスのドアが乱暴に押し開かれた。
「ほう、今日は客が入っていたのか。これは好都合」
ホールに嫌らしさの篭った声が響いた。
まず入ってきたのは数人の武装した兵士達。槍を携え、ドアを押さえる形で両脇に逸れ、彼らに導かれるようにでっぷりとした男が宿の中へゆっくり歩いてくる。
飛び出た腹にたるんだ顎。顔に分厚く張り付いた脂肪が重力に負けて目尻が垂れ下がり、肌もだいぶ荒れているし皺も多い。まだ四十台と思われるが、その容姿のせいでかなり老けて見えた。
「なんだ、あのブタ野郎は……?」
「ファットマン子爵様と言いまして、この街の徴税官様です……辺境伯様の覚えのめでたい御方でして、こうしてよくあちこちの店にフラリと現れて、その……」
主人は怯えた声でそっとイーシュの声に耳打ちして応える。キーリは、せっかくの美味い飯がまずくなりそうだな、と思いながら様子を窺った。
お読み頂き、ありがとうございました。
気が向きましたら、ポイント評価、レビュー・ご感想等頂けると幸甚でございます<(_ _)>




