11-1 オーフェルス(その1)
第2部 第57話です。
宜しくお願いします。
「まだ見つからんのかっ!!」
報告に訪れた部下に向かって男の怒鳴り声が叩きつけられた。ダンッ! と拳が苛立ちとともに執務机にぶつけられ、強い叱責を受けた部下の男の体がビクリと震えた。
「も、申し訳ありません……なにぶん当都市の迷宮は深く、出現するモンスターも手強く……」
「そんな事はお前たちよりも私の方が承知しているっ! だが軍の人間を一斉に投入したところでこの一週間、全く進んでおらんでは無いかっ!!」
怒りに任せてもう一度拳を叩きつけ、見るからに高級な机が悲鳴を上げた。おそらくは現役の頃であればとっくにその机は役目を果たさなくなっていただろう。
ゆったりとした衣服の袖から覗く彼の腕は、かつては冒険者としてそして英雄として鍛え上げられていた。しかし今は筋肉の代わりにたっぷりとした脂肪が塗りたくられ、篭手や鎧で覆われていた腕にはジャラジャラとした宝石類がアクセサリーとして巻きつけられている。
ステファン・ユーレリアは血走った眼で部下をジロリと睨みつけた。すっかりたるんだ肉体と違い、その眼には強い野心が滾っている。その眼力は、まだ若い時分には無かったが貴族となっての十五年近くに渡る「血の流れない」争いに明け暮れている内に身についたものだ。
気持ちを落ち着けるため、ステファンは腕を組み眼を閉じた。そして彼の脳裏に浮かぶのは貴族になってからの権力闘争の日々だ。
王城には名ばかりで実の伴わない貴族が多く居た。そんな連中に限って元々が平民の彼を表面上は英雄として媚び諂い、裏では露骨に嘲り、何とかステファンの失態を作ろうと無駄な努力を重ねる。実際に何度仕事の妨害を受けたか分からない。
だがステファンにとってそれは都合が良かった。同時に、王国のためにならない貴族を排除することに腐心していた国王にとっても都合が良かった。
ステファンは自らの政治的手腕を示して国王の信頼を得るために。国王は貴族派の人間を排除するために。互いの目的のために、二人は暗黙の内に手を組んだ。そうして貴族派は力を削がれ、王城内は国王派が過半数を占めた。ステファンも単なる子爵から出世を果たし、辺境伯にまで成り上がった。英雄としての功績があったからといって、平民がここまでの爵位を与えられる事など前代未聞だ。
だがその蜜月関係ももう終わりだ。かつては利害が一致した二人も今は道を違えた。もう二度と交わることはない。
「くれ」
「畏まりました」
側付きの小柄なメイドにグラスを突き出し、酒が注がれる。血のように赤いそれにうっすらと映る老けて醜くなった己の顔を睨む。それを一気にステファンは飲み干し、だが喉の渇きは癒えず、続けざまに二杯目を胃に流し込む。
「……それで、一向に攻略が進まぬ原因はなんだ?」
怒りこそまだ完全に治まっていないものの、苛烈さは過ぎ去った。
部下の男、ファットマン子爵はバレぬようにそっと安堵の溜息を吐くと、彼と同じように――いや、彼以上にたるんだ体を揺らし、脂汗を拭いながら恐る恐るといった様子でようやく言葉を継いだ。
「そ、その……」
「ハッキリと言え。また怒鳴られたいのか?」
「い、いえ、そのような事は……え、ええっと、軍からの報告によるとここ数日で更に急にモンスターの数が増加したとの事でして……加えて浅い段階から現れるモンスターのランクも上昇している傾向が見られると……」
「……迷宮を閉鎖して冒険者を締め出した日以降の話か?」
「は、はい……」
ステファンは先日、作戦を上申してきた辺境伯軍の将校を絞め殺してやりたくなった。
自信満々で作戦を説明し、軍の侵攻に邪魔になるからという理由で冒険者の排除を具申した部下の姿が浮かぶ。懸念を指摘しても「対策済みです。お任せください!」と胸を張ったあの姿はなんだったのか。やはり、忙しさを理由に作戦を一任すべきでは無かった、と後悔するも既に遅い。
目の前の肥え太った部下も、軍を任せた部下も昔はもっと優秀だった。だからこそ抜擢し、自身が辺境伯領に叙されたのに合わせて子爵領から連れてきて、それに見合った処遇を与えたというのにこの体たらくだ。首を斬り飛ばしてしまいたいが、ステファンの野望の一端を知っているため迂闊にクビにすることもできない。
勝手に溜息が出る。疲労感が体を蝕んでいくが同じくらいに怒りがこみ上げてくる。
ジロリ、と頭を抑えた指の隙間から部下の姿を睨みつけると、蛇に睨まれた蛙のように竦み上がった。丸々と肥え太った姿を見ていると、ますます腹立たしくなってくる。
「……もういい。下がれ」
「は、はい。その、ご期待に応えられず申し訳――」
「謝罪などいらん。私が欲しいのは結果だ」そう言ってステファンは人差し指を立てた「あと一週間だ。一週間だけ猶予をやる。その間に最低でも迷宮核の位置の目処をつけろと将軍に伝えておけ」
「か、畏まりました!」
「それから」
口の前で手を組み、眼光鋭く睨みつける。射竦められたファットマン子爵はその鋭さに息を飲む。
「な、何でしょうか?」
「お前は将軍が出した損失を埋め合わせる手段を考えろ。方法は問わん。なんならあのギルド支部長の蓄えから巻き上げても構わん。本人は誤魔化しているつもりかもしれんが、どうせ他の支部にはバレてそろそろ調査団でもやってくるだろうからな。
分かったら――さっさと私の前から消えろ」
「ぶ、ひぁ、は、はいぃぃ!」
豚の様な悲鳴を上げ、男はドタドタと騒がしく足音を立てながら執務室を逃げ出していく。その情けない後ろ姿を見送ると、ステファンは頭を抱えた。
「……クスクス」
溜息を漏らすと同時に忍び笑いの声が聞こえてきた。その声は、先程まで澄まし顔でステファンの横に控えていたメイドからだ。余りに無礼なその態度に、ステファンは青筋を浮かべた。
「……何がおかしい?」
「いやぁ、だってさ。天下の辺境伯ともあろう方なのに、部下には恵まれないんだなって思ったらおかしくってさ」
睨まれてもなお笑うのを止めない。言葉遣いもとても一介のメイドが吐いて良いものではなく、強面の辺境伯を相手にして臆した様子も微塵も見せない。
怒りで頭に血が上るのと同時に、メイドに対する不審感がこみ上げてくる。だがそれもメイドの女が口にした言葉で一気に血の気が引いた。
「――で、迷宮核の方は分かったけど、他の首尾はどうなってるのかな?」
「お前……フランかっ!?」
「そ。ごめーいとーう!」
よくできました、と手を叩いてバカにしたような調子で称賛を口にする。ステファンはその仕草に眉をひそめるが、余計な事を口にしなかった。代わりにマジマジと、教皇国の遣いであるフランの姿を下から睨めつけた。
足の先から頭のカチューシャまで、全てが完全なメイドだ。声も、楽しげな笑みを浮かべた顔も彼の知るフランでは無い。今でこそ擬態を解いているが、部下が居た先程までは所作までもが全く違和感を感じさせなかった。ただ無邪気にステファンを見下すような表情だけがフランであることを物語っていた。
「いつから……」
「最初っからだよ? 今朝からずっとステファンの後ろで仕事をしてたけど? あ、でも大丈夫。心配要らないよ。元々の貴方付きのメイドは今頃休暇でのんびり休んでるはずだよ。明日から復帰するから、ボクにからかわれた腹いせに意地悪しちゃダメだからね?」
「魔の門」を閉ざすために共に旅をしていた時からこうして変装し、クルエやアルバートをからかっていたのをステファンも覚えている。当時から本来の姿とは全く違う姿に化けていたが、ますます磨きが掛かっているように思える。
一方的にまくし立てたフランに幾分呆気に取られていたが、ステファンは椅子を回転させてフランに背を向けた。
「問題ない。お前の指示通りに飲ませている。少量ずつ食事、飲み物、薬にまで混ぜてな。部下にも王とその周囲を観察させているがバレている様子はない」
「そ。ならいいよ。きっと教皇様もこの報告をすれば喜ぶだろうね」
見慣れたメイドの顔のまま愉快そうに笑うフランを見て、ステファンは苦々しいものを感じていた。
あの教皇の事だ。自分から告げなくともこの程度の事、王城に忍ばせた間諜から報告を受けて全て知っているだろう。それでもわざわざフランを寄越し、ステファン自身の口から話させたのは牽制のつもりか。
すなわち、常に見張っているぞ、ということだ。
だがその程度、ステファンとて織り込み済みだ。辺境伯にまでなったとはいえ、王国の一貴族に過ぎない。今や世界を影から牛耳る皇国の手から逃れる術はないと理解している。
ただし、今だけは。野心の滾る眼差しでフランを見上げる。今は掌の上で踊ってやるが、いつかその手を捻り潰してやる。そのためにも――
「その代わり、そちらも分かっているな? このまま上手く事が運び、王が崩御された暁には――」
「うん、分かってる。次の王が立った時には、一度別の人間をあてがうけどその次にはステファン、貴方が宰相の職に就けるよう手を貸してあげる。そうすれば王国は貴方の思うがまま」
「念のために言っておくが、これは借りでは無いからな?」
「そこも教皇様は理解してるよ」フランはステファンの眼を覗き込んで笑った。「これは対等な取引。ステファンは国のトップに立ちたい。教皇様は無駄に有能な男が目障り。利害は一致してるんだ。かと言って王国が余りにも無能ばかりで国として成り立たないのも困るし、だからずる賢くて有能なステファンに教皇様も白羽の矢を立てた。だからそんなに怯えなくても良いって」
「ずる賢い、は余計な世話だ。あと、怯えてなどいない」
ムッと顔をしかめてステファンはフランを睨んだ。だがフランは相変わらず涼しい顔。人を小馬鹿にした態度といい、まだステファンが若かった頃の子供からまるで成長していないようだ。長耳族という長命種だからこそなのか、それとも彼女自身の性質なのか。いずれにせよステファンにとって不快な存在には違いない。
「用はそれだけか? であればさっさと帰れ」
「分かってるって。ボクだって暇じゃないんだし、こんな辛気臭い場所からは早く離れたいもん」
そう言うとフランは大きな窓を開け放ち、窓枠にローファーに包まれた足を掛けた。
「帰るならエントランスから帰れ」
「やだよ、面倒くさい。それじゃ教皇様にはちゃんと伝えとくから。ステファンもキチンと仕事するんだよ? んじゃ、また来るね」
「二度と来るな。報告が欲しいなら別の者を寄越せとも伝えておけ」
ぶっきらぼうに吐き捨てたステファンに向かってフランはあかんべぇをした。そしてますますステファンが渋面を濃くするのを見て笑い、そのまま十数メートルはあろうかという高さを気にする事もなく、月明かりだけが照らす暗闇の中へ飛び降りていったのだった。
白いカーテンが揺れ、部屋が静かになる。いつの頃からか静寂を愛するようになったステファンにとっては、この時こそが心休まる時だ。だが、フランが騒いだ余韻が残っているのか心はざわついたままだった。
ステファンは、フランが残していったワインの瓶を掴んだ。いつもならばグラスに注いで飲むところだが、今日ばかりは乱暴にラッパ飲みをしていく。赤い液体が口端から溢れ、高そうな衣服が汚れるのも構わず乱雑に袖で拭った。
「……俺はお前達の思い通りにはならん」
フランが消えていった窓を睨みつける。ステファンは奥歯を歯ぎしりして忌々しそうに吐き捨てると、溜まった鬱憤を晴らすようにワインを飲み干した。
瓶を握る彼の手は、小さく震えていた。
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