10-2 彼女らは苦しくも笑う(その2)
第2部 第56話です。
宜しくお願いします。
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。実はレディストリニア王国の第一王女だったが、出奔して今に至る。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。フィアの被害者。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖でいつも不機嫌そうな顔をしている。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。気は良く、色々とひきずらない性格。
ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。
ユーフェ:猫人族の血を引く貧民街の少女。表情に乏しいが、最近は少しずつ豊かになった気がする。
エリーレ:レディストリニア王国軍人。かつてレイスと共にフィアのお世話をしていた。
「これは?」
「依頼書よ。急いで書き上げたの。他の仕事を全部ほっぽってね」
疲れたとばかりにわざとらしくシェニアは肩を揉み解した。
キーリはフィアの手にある紙を覗き込んだ。依頼内容は「辺境伯領における実態調査」、依頼人は――ギルド・スフォン支部。
「ここ最近、辺境伯領から冒険者があちこちに流出していってるのは前に話したわよね? ずっと彼らからヒアリングをしてたんだけど、辺境伯領内や迷宮で何か異変が起きてるらしいのよ」
「どんな事が起きてるんですの?」
「聞き取った内容によれば『低階層でも強いモンスターが現れ始めた』や『弱いモンスターが集団で出現するようになった』というのが多いわね。加えて『素材の買い取りが他所より不当に安い』や『ギルドや街の空気が暗くて住みづらい』『税金が上がった』なんてのもあったわね」
「きな臭いな……」
「もしかして、前みたいに迷宮が成長してる?」
「辺境伯やギルドも金をピン跳ねしてんじゃねぇのか?」
皆が様々な意見を述べるが、シェニアは残念そうに首を横に振った。
「正直、実態は分からないわ。迷宮に異変が起きてそうなのも問題だし、素材の買い取り価格も基本的にギルド本部が決めてるから他所と大きく変わらないはず。何らかの不正が行われてる可能性が高いわ」
「それで俺達に調べてこいって?」
「ええ、そう」シェニアは大きく頷いた「支部長会で辺境伯領内の支部長に問い詰めてたんだけど中身のない返事ばっかり。冒険者たちの話を聞く限りだと捨て置いとくわけにもいかないから、近郊の支部から合同で調査団を送ることにしたの。迷宮の異変調査も兼ねてね。
貴女達なら私としても信頼できるし、少々トラブルがあったとしても何とかできそうだから。どう? お願いできないかしら?」
「しかし私達は……」
シェニアの話を聞きながらフィアは渋面を作った。今、彼女がすべきことは父を救うことだ。確かに辺境伯領には向かうが、シェニアからの直々の依頼とはいえ、そのような調査を行っている余裕は無い。
「分かってるわ。だから無理に全員で調査を行う必要は無いわよ。何人かがギルドの調査団に参加してくれるなら、他は辺境伯の方へ向かってくれて構わないわ。ただ、恐らくはどちらも行き着く先は同じでしょうね」
「どういうことですか、シェニア支部長?」
「ついさっき、辺境伯が迷宮の閉鎖を宣告してきたわ。予告もなく、一方的にね。おまけに事後報告」
「……っ!」
シオンの質問に答えたシェニアの言葉に、キーリ達は皆、一様に眼を剥いた。
迷宮が生み出す富は莫大だ。危険も伴うが、それ以上に迷宮内の素材は価値がある。モンスターの素材を素に日用品が生み出され、武具が生産され、魔道具が生活を豊かにする。この世界の経済は、迷宮で回っていると言っても過言ではない。
だからこそ多くの人間が冒険者を志し、迷宮へと潜っていく。彼らは素材の採集者であるが、同時に富の消費者である。迷宮が閉鎖されれば冒険者は職を失い、他の土地へと流れていく。彼らを追って商人も消え、街は活気を失い、廃れていく。何らかの理由で迷宮の富が枯渇したというのであれば閉鎖するのも已む無しであろうが、そうでなければ例え一時的な処置だとしても経済的には自殺行為に等しい。
「理由は? 何か言ってませんでしたの?」
「迷宮で異変が生じていて危険だからその調査をするため、らしいわ」
「辺境伯の部下達が調べんのか? 連中、ロクに迷宮に潜ったこともねぇだろ?」
「私達冒険者の方が迷宮のことは分かってるはずなのに……」
カレンは納得が行かないとばかりに猫ひげを撫で、尻尾を左右にゆっくりと揺らした。彼女の言い分にシェニアも頷く。
「たぶん、ね。幾ら辺境伯自身が元々冒険者だからって、自身の子飼いだけで調査するなんて理に適ってない話だわ。単に表向きの理由を並べただけと私だって判断してるわよ」
「英雄なんだろ? 自分の感覚で、ただ単に迷宮なんて楽勝! とか思ってんじゃね?」
「イーシュじゃねぇんだから、ンな訳あるか」
「……冒険者には見られたくない、ということでしょうか?」
「シオンの言う通りなんだろうが……だが何のためにだ?」
「辺境伯領のギルドは抵抗しませんでしたの?」
「当の本人が言うには『まだ認めて無くてギルドも調査に参加するよう交渉中だ』ってことらしいけど……流れてきた冒険者達の話を聞く限りだとたぶん」
「辺境伯とグルってことか」
キーリの確認に、シェニアは肩を竦めた。
「でしょうね。恐らくは支部長から辺境伯へ、冒険者が収めたお金が流れてる。何らかの取引があるのかもしれないわ」
「賄賂か……嘆かわしい事だな」
「ええ、まったく。公正・中立を謳うギルドの支部長が呆れるわ」
心底嘆かわしい、とばかりにシェニアは溜息を吐き、だがすぐに気を取り直して話を続けた。
「そういうわけで、迷宮に向かってもギルドを調査しても行き着く先は結局は辺境伯なの。逆に言えば、辺境伯の企みを止めることができれば問題も恐らくは解決するわ」
「なるほど……納得しました。調査のやり方や順序は私達の方で決めても?」
「ええ。全面的に委任するわ。緊急の事があれば、遠隔会議用の魔法具がギルド支部内にあるはずだから強引に使ってでも私に連絡してちょうだい」
「承知しました」
シェニアの説明にフィアは快諾を示した。明確には言わなかったが、彼女が思うにおそらくはシェニアの心遣いなのだろう。ギルドという後ろ盾を与えてくれる事で辺境伯領内でも動きやすくなるに違いない。
彼女の快諾にシェニアも頷き返す。フィアの目に映る彼女の瞳には強い信頼が見て取れた。それは「スフィリアース」ではなく「フィア・トリアニス」に対する信頼だ。
フィアは頭を軽く下げた。無言で礼を述べ、考え込んでいたエリーレに向き直る。
「というわけで、辺境伯領に行く理由がまた増えた。エリーレには悪いが、お前が何と言おうと私は引くつもりはない」
「……承知しております」エリーレは腰に手を当て、軽く息を吐き出した。「先日も申しましたが、フィア様の頑固さは重々承知しておりますから」
「では――」
「なので――私も同行させて頂きます」
「え?」
口では理解を示しながらも、顔には多少の不服を滲ませながらそう宣言したエリーレ。今度はフィア達が呆気に取られる番だった。
「お、お前も付いてくるのか?」
「ご不満ですか?」
「いや、そうは言わないが……」
昔からエリーレは真面目で職務に忠実だ。エリーレ自ら指令を投げ出してそんな事を言い出すとはフィアも思ってもいなかった。
慣れないメンバー、それも如何にも堅苦しそうな国軍の軍人が加わる事に抵抗があるのか、イーシュは露骨に顔をしかめ、ギースは「また面倒くせぇ奴が……」などとつぶやいて天を仰いだ。
もちろんフィアにとっては旧知の仲であるし、仲間が増えるのは心強い。更に言えば、今のフィアは単なる冒険者にすぎず、少尉とはいえ軍人である彼女が居れば何かと楽になる場面もあるだろう。
しかしフィアは彼女の同行に尚もためらいを見せた。
「だがエリーレ、お前にだってするべき事が……」
「私が拝承した使命はフィア様を王城に連れ帰る事です。辺境伯領へフィア様を見送って私は一人で王都に戻るなど到底出来るはずもありません。かと言って頑固なフィア様を強引に連れ帰る事もできそうにありませんし、なのでここはフィア様と共に一刻も早く問題を解決して連れ戻る事が先決だと判断致しました。
何か問題がお有りでしょうか?」
「そういうわけでもないが……お前にはすぐに王城に戻って私の懸念を信頼できる人物に伝えて欲しいと思っているのだ」
「それでしたら王都に向かって早馬を飛ばせば事は足りますから。
シェニア支部長、ご事情は既にお察しかと存じます。お手数おかけいたしますが、王城の信頼できる御方に手紙を郵送して頂けますでしょうか?」
「ええ、もちろん。事情は昨日、フィアから聞いてるから事の重大さは私も理解しているわ。すでにミーシアに素案を書かせてる。本日中には手紙を出せるわ。もっとも、今の王城でそれがどれだけ意味があるかは分からないけれど」
「構いません。どちらにせよ、私が赴いて状況を訴えたところで事態が劇的に変化するとも思えませんから。ご協力感謝致します」
敬礼をしてシェニアに感謝の意を伝え、エリーレはフィアに向かって小さく微笑んだ。
「さて、では早速参りましょうか?」
もはやフィア達に彼女の同行を断る理由は無かった。
しかたない、とフィアは溜息を付きながらもエリーレに頷き、果たして彼女たちは一路辺境都市――オーフェルスに向かって行ったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
レディストリニア王国において、辺境伯に叙されているものは四家ある。
まず北方のオースフィリア帝国に面する北方辺境伯。帝国と広範囲で睨み合うためこちらは二家あり、国境を東西に分けて分担し防衛に当たっている。
続いて南方から西方に領土を持ち、ワグナード教皇国と国境を接する南方辺境伯領。そして教皇国北東端から東のブリュナロク共和国と睨み合う国境沿いに弓形の領土を有している、最も王都から遠い南東辺境伯領がある。
歴史的に王国は各方面の国々と常に争いを繰り広げてきた。取り囲む各国との戦いの最前線であり、攻勢に転じた時は真っ先に侵攻を開始する貴族。それが王国における辺境伯の役割である。
辺境伯は名の通り正式には伯爵位だ。だがその特殊な事情故に独自に徴税権や警察権、また軍隊を所有する事が認められており、実質的には伯爵位より上位の侯爵と同等レベルの扱いをされている。
辺境都市・オーフェルスは南東辺境伯領の中心に位置する、いわば領都だ。スフォンからは真っ直ぐに南、やや東寄りになる。有事の際の一大拠点となるため、歴代の辺境伯によって都市の守りは強化され、広大な土地の周囲は巨大な壁によって守られている。常に防壁の上には歩哨が歩き回っており、夜間であってもその眼が途切れることはない。
街の中心付近は高台になっていて、そこには無骨な辺境伯の居城が重厚な佇まいを晒している。明らかに戦闘を意識した作りになっておりその周囲にも頑丈な城壁が築かれていて、その様は長い歴史と戦いの跡を刻んでいた。
だがここ数十年はその役目は果たされていない。表面上は教皇国、共和国の両国と良好な関係を保っているためだ。代わりに今は、かつてのスフォンに代わる一大迷宮都市の一つとしての方が有名だ。
スフォンほど広くは無いものの、深部は深い。まだ比較的新しい迷宮であるせいもあるが、全貌については謎が多く残っている。現在の迷宮ランクはB。それはスフォンよりも強力なモンスターが出現することの証左でもあった。故に多くの著名な冒険者が集い、より栄達と富を求めてこぞって迷宮へ潜り、彼らの探索を支える商人や職人が集まり一大経済圏を築き上げていた。少なくとも、数年前までは。
スフォンを出たキーリ達は早馬を使ってオーフェルスへと急いだ。何とか確保した五頭に別れて乗馬し、南へと走らせる。
だがエリーレやアリエスはともかくとして、平民であるキーリ達に馬を操った経験などあるはずもない。精々が行商人であるローラントから荷馬車の手綱さばきの手解きを受けた程度。フィアにしても最後に馬を走らせたのは何年も前である。
故に、急ぐ旅であるはずなのに最初はおっかなびっくり。途中でイーシュなどは馬に振り落とされ、逆にキーリやユキが乗れば本能的に何かを感じ取ったのか怯えて歩き出すのもままならない。
それでも四苦八苦しつつ馬の扱いに慣れてしまえばその後は早かった。
先頭を走るエリーレ、アリエス達の後ろを何とか付いていき、街道を走破していく。そうして本来ならば一週間は掛かる道のりをたった二日で駆け抜け、後一日も歩けばオーフェルスに到着するというところまで彼らは達していた。
馬は近くの早馬屋へと返し、歩いてオーフェルス入りをする前夜。食事をしながら彼らはシオンから前述のようなオーフェルスの説明を聞き、早々に眠りへと就いた。この数日はほぼ休みなく進んできたのだ。迷宮に潜るのとはまた違った疲労が溜まっており、食後の満腹感を感じながら速やかに入眠し、そこかしこで寝息やいびきが響いていた。
「……」
その中でエリーレは焚き火の番をしていた。
元々軍隊で馬の扱いは慣れているし、強行軍なども珍しくない。多少の疲労は感じていたが、少なくとも冒険者であるキーリ達よりは遥かに体は楽だ。彼らにゆっくり体を休めてもらうためにも彼女は番を進み出たのだった。
パチパチと薪が弾ける音を聞き、暖かい茶の入ったカップを手に何とはなしに火を眺めている。金色のショートヘアが炎の色でやや朱に染められ、一方で瞳には何も映っていない。だが、背後からの小さな足音を捉え、エリーレは意識をそちらに移した。
「っ、……何だ、レイスか」
決して意図していた訳ではないが、彼女のメイド服が暗がりに紛れる形になる。一瞬体を強張らせたエリーレだったが、その正体がフィアと常に共に過ごすレイスと気付き、緊張を吐息と共に吐き出した。
「どうだ? お前も一緒に飲むか?」
「いえ、結構です」
王城に居た時は二人共フィアのお付きであり、故に旧知である。フィアに向けるものとは違う気安い言葉遣いで話しかけるとエリーレはカップを掲げてみせるが、レイスは感情の篭もらない表情で首を横に振った。
「相変わらず無愛想だな、お前は。未だに直っていないのか」
「直す気もありませんので」
呆れた口調でレイスを咎めるエリーレだが、言葉ほど責める調子は強くない。素気ないレイスの返事にも頬を軽く掻くだけでカップを少しだけ傾けた。
「ならせめてそこにでも座ったらどうだ。どうせ話があるんだろ?」
「その通りでございます。ですが、腰を下ろすのはご遠慮させて頂きます」
「いいじゃないか。立ったままというのも話しづらい」
「申し訳ありません、貴族の方と同席する時は決して座らないよう教育を受けておりますので」
「私にはとても貴族に対する態度には見えないんだが……それに、スフィリアース様やアリエス様の前では座っていたじゃないか」
「エリーレ様はこの程度で気分を害する方では無いと存じてますので。お嬢様とアリエス様は私がメイドに徹すると途端に不機嫌になりますから」
「愛されてるんだな」
「もったいなくも。
ですのでエリーレ様も――嫌いな相手にお気遣いなど不要でございます」
エリーレの目つきが一瞬だけ変わる。焚き火によって作られた影の中で彼女の瞳が昏く染まった。そのレイスを見る目にはひどく憎しみの色が滲んでいた。
だがそれも刹那だけ。気を落ち着けるようにふぅ、と深呼吸すると目元を揉み解した。
「気づいてたか……」
「はい」
「上手く隠してはいたつもりだったんだけどな……そうか、バレてたか」
「昔はお下手でした。もっとも、お嬢様はお気づきになられておりませんでしたが」
「スフィリアース様にまでバレていたら、私はとっくに王城から追い出されていただろうからな」
はぁ、と大きくため息をついて顔を覆い黙り込む。そして天を仰ぎ、苦しそうに息を吐き出すとエリーレはカップの茶を飲み干した。
「なら……理由も知っているな?」
「はい。
お父上――アルクェイリー子爵様につきましては……誠に申し訳ございませんでした」
レイスは深々と頭を下げた。黒い彼女の髪が垂れ下がり、そのまま時が止まったように静止する。
エリーレは拳を握りしめた。眉間に皺を寄せ、湧き上がる感情を堪え、抑えきれなかった怒りが膝の上で拳を揺らした。
「……止めてくれ。私はこれ以上お前を恨みたくないんだ。
お前の昔の境遇は知っているし、父がお前に殺されたのはお前のせいじゃない。父が愚かにも金に目が眩み、手を出してはいけない領分に手を出してしまったのがいけなかったんだ」
「……」
「だがそうは言っても私は……お前を恨んでしまいたくなる。
でも同時にお前は私の同僚だ。お前が敬愛するスフィリアース様を、私もまた尊敬している。二人共同じ御方を大切に思ってるんだ。だからレイス、お前とはずっと良い関係でいたいと思っているんだ」言葉を何とか絞り出すと、クシャリと顔が歪んだ。「ずっと隠してたつもりだったんだけどな……そっか、バレてたか」
エリーレは小さく体を震わせた。それは感情を何とかコントロールし、怒りをぶつけるのを避けようとしているようにレイスには思えた。
「もうこの話は止めよう……続けたってロクな事にはならない。
話っていうのはその事か? 私に謝罪をしたかっただけか?」
「いえ。謝罪は、本題の前に申し上げねばと考えてのことです。王城では謝罪することができませんでしたので」
「そうか……分かった」エリーレは強張っていると感じた頬を揉み解した。「……よしっ、いいぞ。気持ちは落ち着いた。話してくれ」
「では、失礼します」
そう言うとレイスはスカートの裾を寄せながらエリーレの正面に座った。
「貴族と一緒の時には座らないんじゃなかったのか?」
「単なる口実でございます。エリーレ様に刺殺されるのでは、と危惧しておりましたので」
「酷いな」
「ですが、もうその心配もないと感じましたので、エリーレ様の『同僚』としてご同席させて頂きます」
「……ずるいな」
「でしたら立ちましょうか?」
「いや、いいよ。はぁ……昔からスフィリアース様第一主義のお前の行動には振り回されてきたが、アレはスフィリアース様というより『お前』に振り回されてきたとよく分かったよ……
それで、話ってなんだ?」
「はい。どうして急にお嬢様に同行すると言い出されたのかと」
「別に。そうした方が良いと私が判断したからだけど?」
「そうなのかもしれません。ですが以前のエリーレ様であればお嬢様のご意向に背いてでも、ご自身に下された命令を忠実に実行しようとしたでしょう」
「なるほどな」エリーレは組んだ膝の上に頬杖を突いた。「レイスは、スフィリアース様を強引にでも王都へ連れて帰ろうとしなかった私を訝しんでいるわけか。何か企みがあるんじゃないかって、そう思ってるんだな?」
「端的に言えばそうなります」
「なら答えようか。理由は幾つかある。スフォンの街を発つ前も言ったが、押し問答をするよりも早く問題を解決してスフィリアース様のご懸念を解消した方が早いと思ったからだ。それに、昔ならいざしらず、今のスフィリアース様を強引に連れて帰るのも無理だろうしな」
苦笑いを浮かべてレイスの懸念に回答するエリーレ。だがそれに反応せずにジッと自分を見てくるレイスの視線に気づくと、彼女は物憂げな様子を覗わせた。
「それと、スフィリアース様は王都へ戻るべきでは無いんじゃないかって、実はそう感じたっていうのも理由の一つだ」
「詳しく伺っても?」
「お前も知っての通り、あそこは……魔境だ。貴族だけでなく官僚も、軍人のお偉方も皆誰かを引きずり下ろしてそこに自分が収まろうとしのぎを削っている。お前はずっとスフィリアース様の傍に居るから気づかないかもしれないが、彼女はずっと明るくなられた。この間、キーリ殿とアリエス様と街を歩かれている姿をみたが、明るく、楽しそうだった……きっと、昔からお転婆だったスフィリアース様には今の生活の方が合っているんだろうな」
「今頃気づいたのですか? お嬢様付きであればとっくに気づいているものと思っておりましたが」
「うるさいな」レイスの辛辣な評価にエリーレは思い切り舌を突き出した。「まあ……自分でも今更かって思うけどさ」
情けないような、照れくさいような表情をしてエリーレは笑った。その顔を見るレイスの顔も、一見冷たく見えるものの、微かに口角が弧を描いていた。
しかしエリーレのその表情が曇り、口からは心情が吐露されていった。
「まあ、なんだ……本音を言うと王都に戻りたくないというのもあるんだ」
「エリーレ様お一人で戻ると叱責されるから、でしょうか?」
「それも理由といえば理由だがな……軍の中で女性が生きるというのは中々難しいんだよ」
「訓練が厳しいのですか?」
「厳しい訓練には流石にもう慣れたけどね。それにもうずっと王城で働いてるから訓練も体が鈍らない程度にしか課されないしな。書類仕事が多くて、軍人ってよりも官僚になった気分さ」笑いながらも背を丸めて何度目かの溜息が吐き出された。「それでも私は軍人だし、軍というのは基本的に男性社会だからな。女性であっても配慮はあまりされないんだ。もちろん所属や仕事は適正に応じて配慮されはするが、普段男性と共に仕事をしていると何処か馴染めて無かったりというものを感じてしまうんだ。
別に仲間が嫌だとは言わない――いや、正直嫌いな奴もいるが――気の良い奴も多いし、バカ話を言い合える程に仲も良いが、なんだろうな、ふとした瞬間に自分が『異物』であるように思えてしまうんだよ」
「……」
「自分で選んだ道ではあるんだが、ふと考えてしまうんだよなぁ。『私の人生はこんなはずじゃなかったはずなのに』って」
「……その」
焚き火の炎に照らされたエリーレの顔は何処か疲れて見えた。パチリ、と薪が弾け、炎が一瞬燃え盛り、だがすぐに元のサイズを通り過ぎて火が小さくなった。
その音でエリーレはハッとし、慌てて手を振った。
「ああ、ゴメン! 別にレイスを責めてるわけじゃないんだ! これは単なる愚痴」
エリーレは消えそうになった焚き火に新しい薪を焚べる。また煌々とした明るさが戻り、エリーレは困ったように笑った。
「まあ、その、なんだ。今のスフィリアース様を見てると少しうらやましくなったんだ。自由で、何にも縛られる事無く生き生きとしてらっしゃるのを見て、私も少しだけ軍というものから離れて、スフィリアース様の『ご友人』として過ごしてみたくなっただけさ。最初に挙げた理由は単なる口実だよ」
話は終わりだ、とエリーレは立ち上がった。傍らに置いていた、国軍章が鞘に刻まれた剣を手に取るとレイスから離れていく。
「少し見回りにいってくる。夜の番は私と殿方でするんだから、レイスも早く寝ないと明日に響くぞ?」
「……畏まりました。ではそろそろ先に休ませて頂きます。
――お話できて良かったです、エリーレ」
「私もだ、レイス。これからも『様』付けはしなくていいぞ」
「今だけです」
珍しくレイスが微笑み、エリーレの背に向けて一礼した。そしてフィアとユーフェ二人の寝所へと戻っていった。
その後姿をエリーレは見送り、完全に姿が見えなくなると腰に手を当て空を仰いだ。風に流された自身の金髪がまとわりつき、さっと払うと鎧の懐からそっと短剣を取り出した。
ジッとそれを見つめ、エリーレは強く鞘を握りしめる。
手の震えが、止まらなかった。
お読み頂き、ありがとうございました。
気が向きましたら、ポイント評価、レビュー・ご感想等頂けると幸甚でございます<(_ _)>




