9-6 影に光を(その6)
第2部 第54話です。
宜しくお願いします。
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。フィアの被害者。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖でいつも不機嫌そうな顔をしている。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。
ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。
ユーフェ:猫人族の血を引く貧民街の少女。表情に乏しいが、最近は少しずつ豊かになった気がする。
それからしばらくしてフィアは眠りに落ちた。キーリが来るまでに相当に飲んでいたためだろう。泣いていたフィアは程なくしてキーリにもたれかかって寝息を立て始めた。
安心したように無防備に眠る彼女をキーリは見つめる。フィアの目元には零れ落ちきれなかった涙が残っていて、キーリはそれを指先でそっと拭ってやる。愛おしそうに彼女の髪を撫で、グラスに残っていた酒をゆっくりとしたペースで飲み干す。やがてグラスの中身が空になるとフィアの分の酒代を置いて「また来る」とマスターに言い残し、彼女を背負って店を出た。
夜はすっかり更けている。時計が無いため分からないがきっと日付はもう変わった頃合いか。通りの殆どの店が閉まっていて、人通りは全く無い。酒で温もった頬を風が心地よく撫でた。
ふたりぼっちの世界みたいだな。ガラにも無くキーリはそんな呟きを漏らして歩いて行く。前世では女には縁も無く、興味もさして湧かなかったがこんな時間もたまには悪くない。背中の暖かさを感じ、自然と口元が綻んだ。
だがその時間も長くは続かない。背中で眠っていたフィアがピクリと身じろぎした。
「気づいたか?」
「ああ……すまない。迷惑を掛けたな」
「いや、偶にはああやって酒に飲まれるのも悪かねぇよ。それに、中々に可愛かったぜ?」
「止めろ。ああ、恥ずかしい。まったく……何て醜態だ」
背負われたまま、フィアは頭をキーリの背に押し付けて殴りつけることで恥ずかしさを誤魔化す。
「こら、止めろ。痛ぇって」抗議しながらキーリは声を潜めて尋ねた。「んで、どうだ? ――戦えそうか?」
何者かが後ろを付けてきていた。気配の消し方と数からして、恐らくは昨日襲撃してきた謎の三人組。付かず離れずの絶妙な距離を保って暗闇に身を潜めていた。
フィアはそこまで気配に敏感では無いはずだが、いざ狙われるとなると酔っていても直感が働くのか三人組に気づいていたようで驚いた様子はない。
「戦え、とお前に言われれば嫌でも戦うさ。だが正直に言っていいか?」
「何だよ?」
「頭が割れそうだ」
「あんだけバカみたいに飲みゃそうだろうよ」
「むぅ……」
「ま、心配すんな。今日はお前の出番はねぇからよ」
「守ってくれるのか?」
「ああ、偶にはお前一人くらい守ってやるよ」
冗談っぽくからかうつもりだったフィアは、思いがけず返ってきた真面目な返答に詰まり、頬に血が集まるのを感じた。それをコホン、と咳払いをして誤魔化した。
フィアと会話しながらもキーリは脚を止めない。背後の連中に気づいている事を悟らせないよう一定のペースで歩き続け、しかし道を曲がってフィアやキーリのアパートとは別の方角へ向かった。
途中で腰に下げた袋から水筒と酔い覚まし用の丸薬を取り出してフィアに渡す。彼女はそれを飲み干すと、口の中に広がる強烈な苦味に顔をしかめつつも「降ろしてくれ」とキーリに告げた。
「何処へ向かうんだ?」
「迷宮。こんな時間なら邪魔も入んねぇだろうし、連中の実力も把握できる」
「確かにそうかもしれないが、しかし迷宮の入口には……ああ、そう言えばお前は問題なかったな」
夜間の迷宮への入場は禁じられている。入口には門番が哨戒しており、通常ならば止められるがキーリならば闇神魔法の効果で彼らに気づかれずに迷宮内へ入ることが可能だ。
付いてきている三人が迷宮内まで追いかけてくるのであれば本気でフィアを狙っている証左であり、また門番達にどう対処するかでも実力の程もある程度は分かるはず。
「そういうことだな。ついでだから言っちまうが、実はアリエスにも声を掛けといた」
「……ずいぶんと準備が良いな」
「昨日の今日だからな。昨日はあっさりと引いたが、連中がどれだけ本気でお前を狙ってるか分からなかったし、少なくとも二、三日は警戒しといた方が良いと思ってアリエスとも話してたんだが……ま、お前が動揺してるのを見て今日の襲撃を決めたんだろうな。お前が店から出てくるのを遠くからずっと張ってたぜ?」
「む……気づかなかった」
「お前の頭ん中はそれどころじゃ無かっただろうが。一応言っとくが、アリエスもアパートからお前の後ろを付けてたんだぜ?」
「……本当か?」
「ああ。俺は本当にたまたまあの店に行ったんだが、店の前で入ろうか入るまいか迷ってるアイツと会ってな。あの三人組が待ち構えてたのは分かってたから、アリエスには迷宮の近くで待機しとくよう言っといた。ユキと一緒に後で合流するはずだ」
「ユキと一緒に、か?」
珍しい組み合わせだ。まだ少しふらつく足取りで隣を歩きながら不思議そうにフィアはキーリを見上げた。
「そ。頼んのは癪だが、とっ捕まえた後で必要になるだろうからな」
恐らくは捕まえた後に尋問をして情報を聞き出すのだろうが、果たしてユキにその役が務まるのだろうか。捕まえても彼女の事だから夜の営みへと移行してしまいそうだが、その時の寝物語としてでも聞き出すのかもしれない。ユキの行動を想像して、少し顔を赤らめた。
そうしている内に二人は迷宮の門へと辿り着いた。門の周囲には魔法具の照明が焚かれ、深夜でも煌々と辺りを照らしている。
「ちょっち失礼するぜ」
そう言うとキーリは立ち止まってフィアを自分の方へ抱き寄せた。不意を疲れたフィアは、店の時と同じようにキーリの胸に顔を預ける形になり、しかし先程とは違って酔いもある程度覚めてきており、彼の見た目以上に分厚い胸板にドキリと心音が跳ねた。だがキーリはそんな彼女の様子に気づくこともなく小声で何かを詠唱し終えるとフィアを見返す。
「もう離れていいぜ」
「え!? あ、ああ。分かった」
「少々の音でもバレねぇはずだが、出来るだけ音は立てんなよ?」
キーリが再び歩き始め、フィアはぼうっとしてその背中を眺めていた。
付いてこない彼女を不思議に思ったキーリから「どうした?」と声を掛けられ、フィアはハッと我に返った。
「な、なんでもない!」
熱を持った頬を強く叩いた。強く叩きすぎてパチンと音がし、キーリが視線で咎める。しかしそれにもフィアは気づかず、「酒のせいだ酒のせいだ酒のせいだ……」と呟きを重ねるのだった。
キーリとフィアは並んで門番の兵士達の前に進み出る。三年前にも経験しているから大丈夫だろうとは分かっているが、やはり本当にバレないだろうか、とフィアは緊張に少し体を強張らせた。
隣のキーリは既に慣れたもので、堂々としている。やがて何事も無く兵士達とすれ違う。だが兵士達はただ真っ直ぐに正面を退屈そうに眺めているだけで、二人を見咎める事は無かった。
歩きながらフィアはほぅ、と溜息を吐いた。視線に気づいて見上げればキーリが面白がっているように笑っていて、フィアはムッとしてそっぽを向いた。
そうしている内に、いつのまにかだいぶ迷宮の奥まで来ていた。振り返ればまだ門の入口は見えるが、もう少々音を立てても気づかれることはないだろう。
「さてさて、奴らがどうでるか――」
そうキーリが呟いた直後、轟音が鳴り響く。続いて「何事だっ!?」「あっちから音がしたぞっ!」と叫ぶ声。門番達が入口から離れるとすぐに、入口に影が三つ現れた。
「まあ、そうするよな」
「お前みたいに素通り出来るくらい気配を消せるなら、昨日の時点で私達はお手上げだろう」
通路に仁王立ちをして三人組を待ち受ける。まだキーリの魔法は解けておらず、フードを被った三人組は気づく素振りを見せずフィア達に近づいていく。
そして距離が十メートル程度にまで近づいた時、魔法の効果が切れて互いに対峙した。
「よう、昨日ぶりだな」
口端を釣り上げてキーリは嘲笑ってみせた。対する三人組は予期していなかった展開に動揺を見せる。しかしすぐに感情の揺らぎを抑え込んでフードに隠れた双眸からフィアとキーリの様子を窺った。
「一応聞いといてやるよ。お前ら、昨日から何の用でフィアを付け回してるんだ? もしかしてコイツのファンってか? 辞めとけ辞めとけ。どんだけ頑張ってもコイツがお前らの攻撃に屈する事はねぇよ」
「その言い方だと、私が随分冷たい人間みたいではないか」
「じゃあ大人しく殺されるか?」
「それは断る」
キーリとフィアの一連のやり取りにも三人は一切の関心を示さない。だがフィアはフードの中からの視線をひしひしと感じ取っていた。眼こそ見えないが、感じる感覚は冷たさ。人間味の無い、無機質な感情。微かに冷徹な殺意だけがフィアに投げかけられている。
いつ、動くか。酔いはかなり覚めたが痛みの残る頭ながらも集中を高める。彼我戦力差は二対三。相手の戦力は未知数だが、昨日の僅かなやり取りから察するにそれなりに強そうだ。それでも負ける気は無いが、万全を期して、アリエス達が来るまで時間を稼ぐのが良いだろう。それまでは防御に徹するのが好ましい。
そう判断したフィアだったが、隣のキーリはそうではないらしかった。
「で、どうなんだ? 引く気は無いか?」
「……」
「昨日に続いてだんまりか……人間は言葉でコミュニケーションを取る生き物だぜ? いい加減『スフィリアース』以外の言葉も発してくれりゃ助かるんだがな」
「……」
「ま、いいさ。お前らが誰の差し金でフィアを狙うのか――力ずくでも吐かせるつもりだからな」
途端、キーリから強烈な敵意が吹き出した。ビリビリと空気さえしびれるような濃密な攻撃意識。フィアは眼を剥いた。
果たして、三人組の行動は早かった。キーリ側からの明確な敵対行動に対して散開。三者三様に移動し、キーリ、そしてフィアへと襲いかかった。
即座にフィアは腰から剣を引き抜き構える。落ち着いて三人の動きを眼で追っていたが、ある一人に視線を移したのを見計らったか、別の一人がフィアとキーリ目掛けて同時にナイフを投擲した。
一瞬生じた死角からの攻撃。しかしフィアはすぐに飛来するナイフを捉えると落ち着いて対処をする。高速で飛び来るそれを剣で斬り払おうと振るい掛けた。
だが彼女の目の前に突如、黒い影が現れた。
ナイフの軌道上に現れたそれに鈍い輝きが吸い込まれていく。フィアは眼を見開いて呆気に取られるが、一瞬の後にナイフを投げた一人からくぐもった悲鳴が響きそちらに眼を向けた。
悲鳴の声色から察するに女。もっとも小柄だった彼女の両太ももの裏辺りに刺さる二本のナイフ。倒れ込むその襲撃者の背後には、先程フィアの前に現れたものと同じ黒い影の固まりが浮遊していた。それを見て、襲撃者自身が投げたナイフが影を通過して彼女自身に突き刺さったのだと察した。
その隙をキーリは見逃さない。他二人の攻撃を受け流すと、爆発的な加速力で倒れた襲撃者と肉薄。襲撃者の女は口元を痛みと悔しさに歪め、倒れたまま懐に隠したナイフを取り出した。
だがそのナイフも即座にキーリによって叩き落とされ、胸元を蹴り飛ばされる。壁に叩きつけられて鈍い音が響き、女はガクリと意識を失って頭を落とした。
「これでまず一人だな」
キーリは涼しい顔でグルリと首を回して骨を鳴らす。そして、距離を取って動きを止めた残り二人を挑発するように指先でクイッと招く仕草をした。
その内の一人が地面を蹴る。向かった先はキーリ――では無くフィアだ。そしてもう一人は壁にもたれて意識を失った女へ走る。フィアは介抱に向かうのかと一瞬思ったが、女に向かった襲撃者の手に握られたナイフは、明確に殺意を表していた。
「口封じするつもりかっ!」
「やらせねーよ」
指をキーリは打ち鳴らした。それを合図として地面や壁のそこかしこから真っ黒な影が湧き出していく。
影の一つが倒れた女性を包み込む。また別の影は、女に向かっていた襲撃者のナイフを腕ごと覆い、足を捉えて転倒させる。そしてフィアに向かっていた最後の一人に向かい、彼女の前に立ちはだかる。突き出されたナイフを首だけを動かしてかわすと、そのまま腕を掴んだ。体を反転させて背負い、地面に叩きつける。
「っ、が、は……」
掠れた呼吸音をさせ、苦しげな声を襲撃者の男が上げる。キーリは叩きつけた男の背から影を出現させると、全身にまとわりつかせ全身を拘束した。
「ほい、いっちょ上がり」
瞬く間に三人を拘束し、軽い調子でキーリが声を上げた。捕らえられた襲撃者二人は影の拘束から脱しようともがく。しかしナイフを突き立てても刃先は影に吸い込まれるばかり。また見かけに反して影の拘束力は強く、腕ごと巻きつかれてしまえば身動ぎさえできない。
戦闘が開始されてから一分にも満たない短時間での攻防。フィアは剣を抜いたものの、一振りさえしていない。キーリの一方的な勝利に思わず呆れた溜息が漏れた。
「……その魔法は反則だな」
「不定形だけに自由度が高いからな。便利だろ? もっとも、ここまで上手くいったのは四方が壁に囲まれてたからってのもあるがな」
「あら? もう終わりましたの?」
迷宮に響いたもう一つの声。アリエスだ。その隣には黒いローブに身を包んだユキもいて、「おつかれー」と笑いながらフィアに手を振っている。
「ワタクシは別に要らなかったんじゃなくて?」
「戦闘には、な。けど、お前だってこいつらが何者か早く知りたかったろ?」
「否定はしませんわ。ですけれど、流石にここまで遅い時間ですとワタクシも眠いですわね」
あくびをしながらアリエスは眠そうに眼を擦る。普段は早くに寝る彼女だが、今日は本当にフィアの事を心配してくれていたのだろう。その事をフィアは申し訳なく思うと共に心の中で感謝を述べた。
「さて、それじゃあ……」
キーリは全身を影にまとわりつかれている一人の前に立った。そして徐にフードを掴むと一気に取り去った。
性別は男。金色の髪を短く刈り込んでおり、頬が少々痩けて見える痩せぎすの体躯だ。年齢はそれなりに重ねているようで、こういった暗殺業に手を染めて長いのだろう。キーリを見上げる蒼い瞳には怜悧で感情に乏しく、表情にも一切の変化が見られない。
「もう一度だけ聞くな? お前らは何処の誰で、何のためにフィア――スフィリアースを狙った? コイツがどこぞのご令嬢だから、政争の火種のために亡き者にしようとしたってところか?」
キーリが尋ねるも男は無表情で肯定も否定もしない。このような表に出れない職を生業としているのだ。簡単に口を割る事は無いだろう。
先程もう一人が仲間を口封じしようとしていたが、情報を漏らすくらいならば自死さえ厭わない連中だ。キーリは軽く息を吐いて男から手を離した。
もう一人についても改めて影で全身を拘束してからフードを奪い取る。こちらはまだ比較的若い男だ。先の男と同様に無表情を貫いているが、感情を完全に隠せていない。キーリのみならずフィアやアリエスから見ても迷いや焦り、恐怖が微かに見て取れた。
情報を引き出すのならば若い男の方が簡単だろう。アリエスはそう考えて尋問しようと一歩前に出た。
だが、キーリが選んだのはもう一方の男だった。
「年齢も経験も上だろうし、アンタの方が色々知ってそうだな」
そう言うとキーリは影を掴み、男を持ち上げる。そしてそのままユキへと男を放り投げた。
「ってわけでユキ、コイツを頼む」
「えー、あっちの若い子の方が良いんだけど」
「後で全員じっくり楽しめばいいだろうが。
それよりも、コイツから取り出すのは手短に頼む。アリエスが寝落ちしちまいそうだしな」
「はいはーい。分かりました。確かに早くアリエスを寝かせてあげないといけないもんね」
「……なんだか子供扱いされてる気分になりますわね」
そう愚痴りながらも、アリエスはもう一度大きくあくびをし、フィアは申し訳無さを感じながらも苦笑いを禁じ得ない。
「それじゃちょっと待ってて」
自分より大きな男を軽々と抱えると、ユキはキーリ達から少し距離を取る。
すると、詠唱も何も口にしていないにもかかわらず足元に影が広がっていく。そしてユキの体がすぅっとその中へと飲み込まれていった。
「っ……」
影の中に消えていく自分の姿。これまで感情を殺していた男の眼に怯えが芽生えた。しかしユキがそれに頓着するはずがなく、程なくして二人の姿は影の中に完全に沈んでいった。
その光景をアリエスとフィアは唖然として眺めていたが、平然としているキーリに向かって「大丈夫なのか?」と目で問うた。
「心配すんな。別に死にはしねぇよ」
「今のは……キーリの魔法ですの? それともユキの……」
「ユキのだ。俺じゃ生きたまんま影の中に入り込むなんて真似できねぇしな」
「という事は、ユキもまた闇神魔法の使い手だったのか」
最後のフィアの確認に、キーリは答えない。違う方を向いて頭を掻いて誤魔化すばかりだ。そんなキーリの反応にフィアは僅かに首を傾げるも、アリエスの呼びかけに意識をそちらに向けた。
「ユキが戻ってくるまでの間、どうしますの? ここでボーっと待ってるだけですの?」
「そうだなぁ……ま、どうせ暇だし」キーリは若い男の前に立つと腰を降ろした。「よう、ちょっち俺らとおしゃべりしねぇか? どうせそうして転がってるだけだし、アンタも暇だろ?」
男は悔しそうに顔を歪めてキーリを睨みつけた。そうしながらも影から脱出しようと試行錯誤をしているらしく、影の外に出ている肩が忙しなく動いている。だが呼びかけに反応すれども返事はしない。
「なあ、何でフィアを狙うんだ? アンタを雇った奴ってのはそんなにコイツが邪魔なのか? それとも単なる怨恨か?」
「……」
「別に単なる雑談だ。知らねぇなら知らねぇって答えてくれりゃいいし、答えたくねぇなら答えなくていいからさ」
「……知らん。俺らはただ単に命令されて相手を殺すだけだ」
「お、やっと口開いてくれたか」
茶化すようなキーリの口調に、男は眉を潜めて顔を逸した。アリエスはキーリの頭をパカンと小気味よい音を立てて叩き、フィアに軽く目配せするとキーリの隣に止まった。
「まったく、この男は……
失礼しましたわ。ワタクシはアリエス。宜しければ名前を教えて頂きたいですわ」
「……名乗る名前など無いし、あっても名乗る事は無い」
「そうですの。なら勝手に適当にジョンとでも呼ばせて頂きますわ。
それで、貴方の仰るとおりならフィアの事はご存知ありませんの?」
「……知ってるのは名前と顔だけだ。その女が何処の誰かなど興味は無い」
「そうか……
ところで疑問なんだが……どうしてこんな仕事をしているのだ? 見たところ私達と同じ頃合いだが、こんな危ない仕事をしなくても他に仕事はあるだろう?」
「別に理由などない。生きるために色々としていたら、たまたま人を殺す才能を見込まれただけだ」
「ということは、貴方も孤児なのか?」
「……」
男はその問いには答えなかった。だが無言は肯定を示している。孤児やスラムの人間は家族も無ければ、居なくなっても騒ぐ知人も居ない。不要になれば簡単に斬り捨てられる暗殺業にそういった素性の者が多いというのは有名な話だが、実際に目の当たりにしてフィアの胸がズキリと痛んだ。
「暗殺業なんてアコギな仕事続けてるってことは、給金も悪くねぇのか?」
「知らん。だが雇われていれば衣食住は保証されている。それで十分だ」
「雇い主が保証してくれるって事は、どこぞの貴族様がアンタの飼い主か。三人の連携を見てればそれぞれフリーって事もねぇだろうし、暗殺部隊を維持できる程の大っきな貴族だな?」
キーリの推察に男の顔色が変わった。喋りすぎた。口にこそ出さないが、一瞬の表情の変化を三人共見逃さなかった。
男はそれきり口を噤み、これ以上話すまいと顔を背けた。キーリも、もう十分だとそれ以上の追求はしない。
「独自の手駒を持ってる大物貴族……フィア、心当たりはありませんの?」
「心当たり、と言われてもな……正直なところ、余り貴族達の事情には詳しくないんだ。政治の場に参加したこともないし、社交の場にも私は殆ど参加しなかったしな。すまない」
「別に謝る必要はねぇよ」
申し訳なさそうに眉を落としたフィアにキーリは軽く首を横に振った。
「王国の大物貴族であれば、ワタクシの方でも幾つか存じてますわ。各方面の辺境伯にコーベル公爵、ジベルディア侯爵、ティーニアル侯爵――」
「……私よりアリエスの方が詳しそうだな」
「帝国貴族の一員として、王国との交流会にも何度か参加したことがありますもの」
フィアに変わってアリエスが目立った大物貴族の名を列挙していき、フィアは溜息を禁じ得ない。こうして名前を聞いていて、知っているのはコーベルくらいだ。名を捨てた身ではあるが、如何に自分が国内の情勢に無関心だったかを自覚させられる。
だが、これからはそうはいかないだろう。自分は平民では居られないと思い知らされ、既にキーリとアリエス、ユキを巻き込んでしまった。知りませんでした、では済まされない。
「おまたせー」
「ユキ」
アリエスの情報を元に推理を重ねようとした時、影が何もないところに現れてそこからユキがのんびりとした声を掛けた。影の中から出てくると、肩に担いでいた男を放り投げる。雑に投げられて勢い良く地面を転がっていく男は、先程まで話していた若い男の目の前で止まった。
中年の男は起き上がらない。仰向けになったまま、ぼんやりと天井を見上げるばかりだ。浅く呼吸しているため生きてはいるようだが、目の焦点はあっておらず、若い男の呼びかけにも応じない。
「お前……! 何をしたっ!」
「別に? ただちょっと中を覗かせてもらっただけ。物理的には口を割らせたけどね。キーリが急かすから少し強引だったかもしれないけどさ。あ、たまには乱暴にされるってのも悪くないかも……」
「テメェの趣味はどうでもいいんだよ」
妄想を膨らませ、ユキは紅潮した頬に手を当てる。顔をにやけさせて、恥ずかしそうながらも嬉しそうに体をくねくねとさせるユキに、キーリは溜息を吐いた。
「それよりも、何か分かりましたの?」
「無理やり服を脱がされて、体を押さえつけられて……って、え?」
「え? じゃねーんだよ。さっさと取り出した事教えろって」
「はいはい。もう、せっかちなんだから」
ユキはブロンドの髪を掻き上げると、「色々と分かったよ」と少し楽しそうに口元を歪めた。
「面白いこともいっぱい知ってたけど、フィア達が知りたいだろうって思うトコをかいつまんで話すと、まず今回この人達を雇ったのはモンロー閣下って人みたい」
「モンロー閣下……ジョゼッフェ・モンロー侯爵ですの……!?」
名前を聞き、すぐにその正体に思い至ったアリエスが驚きに眼を見開いた。そして目頭に深い皺を寄せて言葉を失った。
「……有名なのか?」
「侯爵という時点で有名も何も無いのですけれども……色んな意味で名の知られている御方ですわね」
「モンロー侯爵なら私も聞いたことがある。一度父上が彼と激しく口論していたような……」
「ええ、気性の激しい一面もある一方でそれすらも演技では無いかと思わせる食えない男。そう言った面でも帝国で名を知らない貴族はおりませんわ。生粋の貴族主義者で貴族派の首領であり、反帝国の急先鋒。王国最古の貴族の一つで、戦争前は発言力が小さかったみたいですけれども、当代侯爵になって力を増し、一説によれば王国で国王よりも力を持っているとも言われておりますわね」
「ただ残念だけど駒にはそこまで信頼されて無かったみたい。部隊の人達には自分達の主人が何者かは徹底されて隠されてたけど、そこに転がってるのも含めて何人かは不審に思ったみたいで独自に調べたっぽいわよ」
これはとんでもない大物の名前が出てきた。アリエスとキーリは揃って眉をひそめた。そんな人物がフィアを亡き者にしようとしている、ということは彼女の家もまた侯爵の政敵になりうる大物ということか。
だが、とキーリは思い直した。フィアの家がどのような家系であろうと関係ない。彼女を、仲間を襲うのであればその全てを斬り払うだけ。どんな貴族であろうと容赦はしない。
「それから、これも面白いよ。特にフィアは」
「何だ? 何を聞き出した?」
「フィアのお父さんの病気」
「っ……!」
眼を見開き、転がっている男をフィアは見た。父の病の事を知っている。エリーレの話ぶりと父の立場を鑑みれば、相当な極秘事項のはず。それをこの男が知っている、と言う事は――
「まさか……毒物ですのっ!?」
「ご名答」
「っ……、この男がっ……!」
フィアは立ち上がり腰の剣に手を掛けた。この男が父に毒を盛った。この男が父を殺そうと……!
頭が一瞬で沸騰し、怒りに任せて斬りかかろうとする。犯人がこの男ならば、この男を殺せばこれ以上毒を盛られる心配は無い。そうすれば父はきっと助かるはずだ。
素早い動作でフィアは剣を振り上げ、しかしその手はいつの間にか目の前にいたユキによって捕まえられた。
「まあまあ、落ち着きなって」
「これが落ち着いてられるかっ! この男が、コイツが……!」
「別にコレが毒を盛ったなんて言ってないじゃん」
「え?」
「違うのかよ?」
ユキは頷いた。それに伴ってフィアの腕から力が抜けて剣を降ろした。
「この転がってるのはただ聞いただけっぽい。色々調べてる内に耳にしたんだろうね。だから真偽もはっきりしないけど。それでも少なくとも『コレ』は本当の事だって判断してるみたいよ」
「……何処のどなたですの? フィアの父親に毒を盛った愚か者――その背後に居る御方は?」
「ステファン・ユーレリア」
「ユーレリア……ステファン・ユーレリアだとっ!?」
ユキが告げた名をキーリは反芻し、その名がある人物と繋がり思わず叫んだ。
ステファン・ユーレリア。爵位は辺境伯であり、王国の歴史上で最も若くして辺境伯位を得た、元平民。
そして――
「ステファン・ユーレリアって、『万能』のユーレリアじゃありませんの……」
――魔の門を閉じた「英雄」が一人。キーリは知らず奥歯が軋むほどに強く噛み締めた。
「まさか、辺境伯でもあり英雄でもある人物がそんな……父を……」
「理由は? 理由は何か分かりませんの?」
「さあ? そこまではコレも分かんないみたい。フィアを狙ってる貴族派とは繋がってるっぽいけど」
「お待ちなさい、ユキ」アリエスが厳しい表情で口を挟んだ。「辺境伯といえば国王派で貴族派とは対立関係にあるはずですわ。モンロー侯爵がフィアを暗殺しようとしているのであればフィアのお父上も国王派でしょう? 辺境伯が毒殺しようとするはずがありませんわ」
「そう言われたって私だって知らないし、そこまで興味ないもん」
「おおかた、元々貴族派だったのが単に国王派の振りしてただけだろうよ。生まれは平民のはずだからな。貴族になって地位に味をしめたに違ぇねぇ」
「地位だなんだって私にはどうしてそんなものに拘るのか分かんないけど、人間ってそういうの好きよね。
ま、その辺境伯っていうのがそんな欲に塗れた人間だっていうのなら、フィアのお父さんを殺そうとした理由も想像できそうだけどね」
「どういうことですの?」
「ね? そう思わない?」
ユキの物言いに引っかかるものを覚え、アリエスとキーリは眉を潜めた。
何気なくフィアの方をキーリは振り返る。彼女は俯き、険しい顔をして眼を閉じていた。暗い迷宮の中で、キーリにはその顔が微かに青ざめているようにも見えた。
フィアはユキを見つめた。小さな溜息には緊張が混じっており、対照的にユキは楽しそうに笑った。
「――スフィリアース・フォン・ドゥ・レディストリニア王女様?」
キーリとアリエスは同時に息を飲んだ。そしてユキとフィアの顔を交互に何度も見遣った。
フィアは苦しげに眉に深い皺を刻み込み、その仕草がユキの言葉が真実だと二人に告げていたのだった。
お読み頂き、ありがとうございました。
気が向きましたら、ポイント評価、レビュー・ご感想等頂けると幸甚でございます<(_ _)>




