9-5 影に光を(その5)
第2部 第53話です。
宜しくお願いします。
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。フィアの被害者。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖でいつも不機嫌そうな顔をしている。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。
ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。
ユーフェ:猫人族の血を引く貧民街の少女。表情に乏しいが、最近は少しずつ豊かになった気がする。
フィアはベッドの上で眼を開いた。そして肺に溜まっていた重苦しい息を吐き出していく。だが気持ちは微塵も軽くならなかった。
眠れない。体を起こして立ち上がり、窓を開けた。夜風が彼女の頬を優しく撫でていく。
もう間もなく深夜になろうかという頃合いだが街のそこかしこに明るい場所がある。遅くまで営業している酒場などだろうか。フィアは眼を細め、何ともなしにその景色をボーっと眺めた。
エリーレが告げた事実。それが重くフィアにのしかかっていた。
「お父様……」
窓枠に掛けた拳が知らず握りしめられる。俯いたフィアの眉間に深く皺が刻まれ、苦悶の表情を空へ向けた。心がモヤモヤとして落ち着かず、それを表すかのように夜空は薄く雲を伸ばし、月も星も覆い隠してしまっている。もう何度目か分からない大きな溜息を吐き出した。
今夜は、眠れそうにない。
体は疲れ、昼間から悩み続けたせいで頭もクラクラしている。熱を持ち、風が幾分冷ましてくれるがそれ以上のペースで頭が熱くなっていく。
(ダメだな、私は……)
考えるのを止めようとしても止まらない。様々な感情が溢れ、色んな想いがグツグツと沸き立っていく。グラグラと茹だった思考はまともに答えを与えてくれるつもりはないらしい。
フィアは着ている寝間着を乱暴に脱ぎ捨てた。迷宮に行く時と同じシャツとパンツに手足を通し、胸当てを付け剣を持った。篭手を腰にぶら下げ、道具入れ用の袋に財布を乱暴に突っ込むと息を殺す。
足音を殺し、そっとユーフェとレイスが寝ている部屋の戸を開くと中を覗き見る。いつもはユーフェとフィアが一緒に寝るが今日はレイスにお願いしていた。とてもそんな気分ではなかったから。
覗き見る限り、二人が眼を覚ます様子は無い。それを確認するとフィアはまた音を立てずに戸を締める。
そうして、フィアは一人夜の街へと出かけていった。
ダンッ!
力加減を誤り、ついグラスをカウンターに叩きつけてしまって大きな音を立てた。
「……すまない」
フィアは赤くなった顔でカウンターの中に居るマスターに謝罪を口にし、もう一度グラスの中身を煽る。冷えた酒が通り過ぎると逆に喉が熱くなり、ひりつくようだ。
ふらりとフィアの頭が揺れる。手をついて崩れそうになる体を支えると、そのまま腕を折りたたんで枕代わりにし、空になったグラスをマスターに差し出した。
「同じものを……」
「もう止めておいた方が良いんじゃない?」
化粧の濃いマスターが男性の声でたしなめるも、フィアは無言でグラスを差し出した。マスターは真っ赤な紅を塗った口からそっと悩ましげな溜息を漏らし、リクエストに応じて琥珀色の強い酒を注いだ。
「程々にしときなさいね? 明日が辛いわよ」
「……」
声を出すのも億劫なのか、フィアは体を起こして受け取ると一気に半分ほどを飲み干し、グラリと揺れてまた叩きつけるようにしてグラスを置いた。マスターは腰に手を当てて呆れた様子を見せるも、特に咎めるわけでもなく洗ったグラスを拭く作業へと戻る。その時、店のドアに取り付けたベルがカランカランと鳴って新たな来客を告げた。
「あら、いらっしゃーい。お久しぶりじゃない?」
「まーな。せっかくの夏だしさ、ちょっちダチの田舎に遊びに行ってたからな。あ、いつもの頼むぜ、マスター」
「マスター、じゃなくてママって呼んでっていつも言ってるでしょ?」
最早寝そべるような状態になっていたフィアだったが、聞き覚えのある声がして気怠そうな眼をそちらに向ける。そこでキーリと虚ろな目が合った。
「なんだ、キーリか……」
「フィア……だよな? 珍しいな、フィアがンな店で飲んでるなんて」
「別に……ただ私だって酒に溺れたい時だってあるということだ……」
髪と同じようにアルコールで真っ赤に染まった顔で拗ねた様に言うと、プイとそっぽを向いた。
「あら、そのへべれけと知り合いなの、キーリちゃん?」
「ん? ああ、ウチのパーティのリーダー。今はこんなんなってるけど、普段は頼れるすげー奴なんだぜ? そうは見えねーだろうけど」
グラスをマスターから受け取りながらフィアを褒める。すると、フィアがポツリと否定の言葉を零した。
「私は、お前が言うような立派な人間ではない……」
「……何かあったの?」
「まあ……ちょっちな」
グラスを渡しながら質問するマスターに、キーリは軽く肩を竦めて口を濁して酒を味わう。マスターもそれ以上客の事情に深入りするつもりはないようで、代わりにキーリに耳打ちする。
「もうずっと悪い飲み方をしてるわ。止めても聞きやしないんだもの。キーリちゃんからも言ってあげてよ」
「……ま、今日くらいは大目に見てやってくれ。迷惑は掛けねーからさ」
「ん、良いわ。何があったかは詮索しないけど、人間そう言う時だってあるものね」
「サンキュ。恩に着るぜ、ママ」
「その代わり、キチンと連れて帰ってあげなさいな。それから……酔った女の子に手を出しちゃダメだからね?」
「ンな事するかっての」
気を遣ってか、マスターはキーリ達から離れていく。キーリはグラスの中身をもう一口軽く含むと、席を立ってそっぽを向いたままのフィアの隣に座った。
「昼間の件で悩んでんのか?」
「……まあ、そんなところだ」
エリーレは二、三日は待つと言ってくれた。だが王都とスフォンはかなり離れている。すぐにでも大事が起きる、というわけではなさそうだが病の原因は不明であり、今後どうなるか分からないとの事だ。万が一を考えて早く決断をしなければならない。
「……もし、お前の親父さんに万一の事があったらパーティは解散か?」
「いや……私には兄が居る。間違いなく兄が後を継ぐだろうし、兄は私を嫌ってる。だから私が冒険者に戻ると言えば喜んで送り出すだろう」
「なら別に良いじゃねぇか。親父さんのところに戻って顔見せて安心させてやれよ。俺らは待っててやるからよ」
「……付いて来てはくれないのか?」
フィアは体勢を変えてキーリの方へ向き直った。相変わらず腕を枕にして寝そべっており、口を尖らせている。眼をトロリとさせながらも頬を膨らませてキーリを見つめるその仕草は小さな子供みたいだ。思わずキーリは笑い、フィアの髪を撫でた。
「お前が望むなら何処だって付いてってやるよ」
「……優しいのだな、キーリは」
「ンなこたねぇよ。他の皆だって同じ答えを返しただろうさ」
「そう……かもしれないな。私は仲間に恵まれた。こんな私にさえ皆優しくて……ますます帰りたくなくなる」
「実家は居心地悪かったのか?」
キーリは踏み込んだ質問をし、フィアはグラスの中の氷をグルグルと掻き回した。
「良くは無かったな……周りに居る大人は信用できなかったし、父とは傍に居ながらも顔を合わせる事は殆どなかった。優しかった母上と一番上の兄は死んでしまったしな」
「そうか……」
「あそこに私の居場所は無かった。居ても居なくてもどうでも良い存在だったし、居れば人間の汚い部分ばかりが目に付く。それを咎める事が出来るほど私の立場は強くなかったし、見て見ぬふりしかできなかった。それが一番辛かったかもしれない」
「なるほどな。お前にゃ似合わねー場所だったな」
「こうして冒険者になって何年も過ごした今となってはつくづくそう思う」
体を起こし、フィアはグラスに残っていた酒を一気に飲み干す。体がふらつくも今度はグラスを叩きつける事無く置き、いつの間にか傍に置かれていた酒瓶を掴むと心許ない手つきでグラスに注ぎ、気怠そうに頬杖を付いた。
「……本当は、別に帰りたくない訳じゃないんだ」
「そうなんか?」
「父に会いたい……前は上手く父と話せなかったが、もう一度面と向かって、真っ直ぐに向き合って話したいという気持ちはある。少なくとも分かり合う努力をしてみたい、という気持ちはあるんだ」
「なら――」
「だが、私はフィア・トリアニスだ」フィアはグラスに浮かぶ自分の姿を睨みつけた。「スフィリアースと言う少女は死んだんだ。あの日――レイスと共に家を捨てた時に」
グラスを強く握りしめ、水面に浮かぶ幼い自分の姿を幻視し、それを一息に飲み干す。そして重く長い溜息を漏らした。
「……きっと、父も同じ思いだろう。元々私に期待などしていなかっただろうし、私が家を出たと分かった瞬間に死んだものとして扱ってるはずだ。
私は家を捨て、父はそれを認めた。そんな私が、今更戻って父と会ったところで……父の心を惑わせるだけだ……」
フィアは顔を伏せて体を震わせた。グラスの中にポタリ、と雫が落ちて水面を揺らした。
キーリとフィアはもう相当に長い付き合いだ。だから分かる。
相当の覚悟を持って彼女は家を出ていったのだ。父と分かり合えなかった悲しみを胸に秘め、全ての未練を断ち切るつもりで名を捨て、自分の足だけで立って歩いて行くことを選んだ。その覚悟を非難することなど誰ができようか。
だが。キーリはグラスを傾け、何処ともなく眺めながら呟くように口を開いた。
「たぶん……俺が勝手に思ってるだけだけどよ、親父さんは今でもフィアの事を愛してると思うぜ」
酒のせいだろうか。フィアは涙で濡れた顔を拭わずにキーリに向けた。キーリはそんな彼女の顔を見ないように前を向いたまま話を続けた。
「根拠も何もねぇけどな。けど俺が思うに、親父さんも不器用なんだろうよ。お前と一緒でな」
「不器用……」
「さっきお前は親父さんと顔を合わせる事が少ねぇみてぇなこと言ってたけどよ、昔はどうだったんだよ?」
「昔?」
「そ。むかーしむかし。それこそお前がまだちっちゃくて、大好きなお袋さんや兄貴が元気で一緒に暮らしてた頃だよ」
フィアはまたグラスへ視線を向けた。琥珀色の液体に映る自分の顔がぼやけていく。視界がグルグルと回転していく。フィアの手にキーリの手が重ねられているが彼女は気づかない。影を使い、フィアの赤い髪を黒いベールで覆っていく。それにもフィアは気づく様子は無く、じっと俯いている。
やがて、彼女の硬い殻で覆われた朧げな記憶がハッキリとした形を取っていく。酔った頭でも徐々に像を結び始め、幼かった彼女の顔が水面に浮かび上がってきた。
あの頃はどうだったか。子供の時分の顔を見つめ、細い記憶の糸を手繰り寄せていく。そうしてまず思い出したのは母のお淑やかな微笑みだ。
母は常に笑みを湛えていたような気がする。フィアが喜んでいる時でも、逆に泣いても変わらぬ優しい笑みを浮かべ、頭を撫でてくれた。彼女がイタズラをすると少しだけ怒ったように口を尖らせ、しかしすぐに困ったように笑いながら注意するのだった。
続いて出てきたのは二人の兄だ。長兄は如何なる時も落ち着いていて、賢くて剣の腕も凄かった。幼いフィアが近寄れば嬉しそうに抱き上げてくれ、その腕はまだ子供なのに心強く感じたものだった。
次兄は逆に不機嫌そうにしている事が多く、余りフィアとも喋ろうとしなかったが、二人きりになると――今思えばだが――どう接していいか分からずにぶっきら棒にフィアの赤い髪を撫で回してくれた思い出が不意に浮かび上がった。
そしてそんな家族を見る父は――
「笑っていた……」
フィアの幼い頃の記憶。そこではいつも父は楽しそうだった。
天気の良い昼は、仕事を抜けてフィア達の元にやってきてランチを食べる。家族の顔を見る父はいつも笑顔で、フィアが近寄れば嬉しそうに抱きしめてくれた。
思い出した。父は優しかった。厳しい時もあったが、いつだって父は暖かかった。いつだって、いつだって、家族の事が大好きだった。愛してくれていた。私を愛してくれていた。
フィアの両目から、大粒の涙が溢れた。
「……親父さんの事は好きか?」
「ああ……! だい、好きだ……!」
「なら、会いに行ってやればいいさ」キーリはグラスを傾けながらフィアを抱き寄せた。「すぐに会いに行くにせよ、もう少し時間を置いて気持ちを整理するにせよ、どっちにしたっていい。何にせよ、後悔の無いようにな。大切なモンなんてのは、気づいた時には遠くに行っちまってる事も多いからな」
キーリの言葉には強い実感が篭っていた。それをフィアも感じ取ったのだろう。濡れた瞳で彼を見上げ、小さく頷くと頭をキーリの肩に預けた。
顔を肩に押し付けて、静かに体を震わせるフィアの頭を、安心させるようにキーリは撫でた。何も言わず、キーリはゆっくりと優しく撫で続けた。
マスターはその二人の様子を見守った。二人を冷やかそうとした常連客を怖い眼で牽制すると一転、そっと口元に指を当ててウインクを送る。常連の酔客はそんなマスターのジェスチャーに頭を掻くと、キーリ達を一瞥し悔しそうに口元を歪めた。若い二人の様子を羨ましそうに眺めると、やけ酒だ、とばかりに呷った。
誰にも邪魔されず、バーの片隅でキーリとフィアは二人だけの時間を静かに過ごした。
お読み頂き、ありがとうございました。
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