9-1 影に光を(その1)
第2部 第49話です。
今回から新章。宜しくお願いします。
<<ここまでのあらすじ>>
エーベルを失った悲しみから抜け出せずにいるフィア。見かねたカレンの提案で彼女の地元で静養することにした。道中でも悪夢に悩まされるフィアだったが、道中共にした行商人・ローラントとユーフェの言葉に救われ、立ち直りをみせた。
翌日、近くの迷宮に潜って戻ってくると不在だったカレンの母が帰宅していた。だが彼女はキーリの前世の母であった。前世の記憶を無くしていた母・アヤの存在にキーリの心は乱れ、それでも同じく転生者であることを告白したカレンの勧めで母と向き合う決意をする。
アヤと言葉を交わし、彼女の母性に触れキーリは涙を流しながらも心が確かに満たされていくのを感じ、現実を受け入れた。そんなある日、村が盗賊の襲撃に遭う。目の前でアヤが殺され、魔法を暴走させるキーリ。だが彼女に渡していた護身石で救われ、事なきを得る。
襲撃の後処理も終わり、キーリは母に自らの正体を告げること無く村を後にする。アヤはその後姿を涙で見送り、また元の日常へと戻っていったのだった。
エルミナ村を出立したキーリ達はのんびりとスフォンを目指して歩いて行った。
あわよくば途中のエシュオンでスフォン行きを考えている商人でも捕まえて、護衛しながら戻ろうかと皮算用していたが、そう都合よくエルミナとスフォンを行き来する商人や旅人が居るはずもない。往路にはローラントが居たが、それこそ望外の幸運だったのだろう。
それでも道中では、短距離ではあるが町から町へ移動する複数の小さな商隊がおり、彼らの護衛を割安で引き受けて小銭を稼ぎつつ進んでいった。
そうして道半ばを過ぎ、後二晩もすればスフォンに帰り着くという頃合い。キーリ達は森に囲まれた道の脇で野営をしていた。
途中で護衛を引き受けた商人達から購入した食材を使って料理をし、いつも通りに賑やかな食事を終えて一息ついていた。彼らの後ろではユーフェが荷物を枕にしてスヤスヤと寝息を立てていて、その寝顔に頬を緩ませながら焚き火を囲んで談笑していた時だった。
「――で、テメェはいつになったら俺らに説明するんだ?」
いつにも増して不機嫌そうな声色を、突然ギースがキーリにぶつけた。
胡座をかいた膝の上で頬杖を突いて醸し出される剣呑な雰囲気に、それまでの楽しげな談笑がピタリと止んだ。
「突然なんだよ?」
「そらっトボケてんじゃねぇぞ」
困惑した様子をしてみせるキーリにギースは増々苛立ち、立ち上がる。キーリの前に立ちはだかると彼の胸ぐらを掴み上げ、されるがままのキーリを睨みつけた。
「よせ、ギース」
「村で話さなかったンは分かる。だがな、クソッタレ。あの晩の事でいい加減説明の一つが有っても良いんじゃねぇのかよ」
「……」
「テメェらもだ」黙ってしまった全員に向かって吐き捨てた。「いつまで気を遣ってるつもりなんだ? ああ? 俺ら全員コイツに殺されかけたんだぞ?」
「それは……」
「他人の事情に口を突っ込もうなんざ、俺もゴメンだ。面倒だからな。だが今回は我慢ならねぇ。あの時テメェが何をしたのか、どうしてああなったか、きっちり説明してもらおうじゃねぇか」
顔を覗き込んでくるギースから、キーリは眼を逸した。
いつかは話さなければならないと分かっていた。せめて、それが彼らに対する「筋」だとキーリも理解している。だが説明したくなくて、特に追求してこないフィア達の「甘さ」にキーリも甘えていた。
このまま忘れ去ってくれたら。そう心の中で願っていたが、やはり甘くは無いということか。
「すまん……」
「聞きてぇのはンな薄っぺらい謝罪じゃねぇんだよ」
「そう、だよな……」
溜息混じりにキーリは視線を全員に向けた。
あの日の異常に誰もが知りたいと思っていた。だが余りにも異常過ぎる事態を引き起こしたキーリに対し、面と向かって聞くことができなかった。アレには触れてはいけないことだと、何となく感じていたのだ。
それはギースも同じだったが、それよりも怒りの方が勝った。そしてそれは、三年前の同じ時期の出来事に端を発していた。
「三年前みてぇに、テメェ一人で抱え込んでぶっ壊れんの、繰り返すつもりかよ」
養成学校での休み明け、アンジェにコテンパンにやられて傷ついたキーリは一人で壊れそうになっていた。ギースの頭にはあの時の事が強く思い起こされていた。それはギースだけではない。フィア達も同じだ。ただ、ギースが一番短気であったからこそ、真っ先に苛立ちを顕わにしたにすぎない。
そしてそれは――
「心配してくれてんだよな。ありがとな、ギース」
「んなっ!?」
ギースの心根をよく表していた。
キーリに礼を言われてギースは戸惑い、睨みつけながらも器用に表情をコロコロと変えていく。何かを言おうと口をパクパクとさせるも何も出てこず、結局舌打ちをして突き放すようにキーリから手を離した。
足元の石を誰も居ない方に蹴り飛ばしながら座っていた自分の場所に戻り、苛立ったように頭をガリガリと掻き毟る。
「くだらねぇこと言ってんじゃねぇ。ただ、テメェらに借りを返すまでに何かあったらこっちが困るんだよ」
「……ホント、シンが昔ギースに構いたがってた気持ちが良く分かりますわ」
ため息混じりに零したアリエスをギースは睨みつける。だがその顔は何処か拗ねた子供のようで、そんなギースに「処置なし」とばかりに肩を竦めたのだった。
他のメンバーも似たような生暖かい眼差しを彼に送り、キーリも苦笑を浮かべていたが「さて……」と椅子代わりにしていた倒木に座り直した。
「何から話せばいいんだろうな……」そう呟き、ああ、とキーリは顔を上げた。「そうだな……遅くなったけど、まずは謝らせてくれ。皆を危険に晒してしまって申し訳なかった。許してほしい」
「……それに関してはワタクシからは何も言いませんわ。魔法の暴走である以上、キーリも別に意図して起こしたわけではないでしょうし」
「ま、謝ったんだし、俺も別に責めるつもりはねーよ」
「……」
アリエスとイーシュがそう言うと、同じように他のメンバーも頷いた。しかしキーリは苦虫を噛み殺したように眉間に皺を寄せていた。そこには深い悔恨が滲んでいた。
あの時、キーリは望んでしまった。世界の破滅を願ってしまっていた。それは取りも直さず、フィアやアリエスといった仲間達の命さえ軽んじたということだ。アヤの死を前にしてショックを受けていたからという言い訳は立つが、決して許される事ではない。
(その剣がお主の仲間や罪無き者へと向かわぬ事を心がける様にするが良い)
入学直後にオットマーに投げかけられた言葉が心に刺さる。あの頃から自分は成長していない。フィアを死の危機に晒した時もそうだ。力は強くなっても、戦い方は上手くなっても、自分は弱いままでそれが嫌になる。
このままではダメだ。もっと心を強く持たねば。彼らと今後も共に居たいのであれば、もう次はあってはならない。
「お嬢様が許されるのであれば私からも申し上げる言葉はありません」
彼らの殆どが水に流す素振りを見せた中で唯一、レイスだけはキーリと眼を合わせようとしなかった。口にしているように責める言葉を吐くことは無いが、平素と変わらぬ態度の中に怒りが微かに滲んでいる。それが当然だ。そもそも、他の連中が物分りが良すぎるのだ。信頼されているという事なのだろうが、それだけに気が重い。だが、これ以上誤魔化しを続けて信頼を損なう真似はすべきではない。例え、これが最後となっても。
「それで、お嬢様を危険に晒したあの魔法が如何なものであったか、ご教示頂けますでしょうか、キーリ様?」
キーリはチラリとユキを見た。彼女は我関せずとばかりに茶の入ったカップを傾けていて、キーリの視線を気づくと「好きにすれば?」とどうでも良さげに応えた。
溜息を吐き、キーリは覚悟を決めて顔を上げた。
「これの事か?」
その問い返しと共に、キーリの影が動いた。揺れる焚き火の炎に照らされて影も小さく揺らめいていたが、平面だったそれが立体となり生き物のようにキーリの周りを回り始めた。
「うわっ!?」
「な、なんですの、それは!?」
影が動き出すというあり得ない光景に、イーシュは驚いて仰け反りアリエスは思わず腰のエストックに手を伸ばした。シオンやカレン達も眼を丸くし、呆気に取られて固まってしまっていた。
「科学、で誤魔化されてくれたりは?」
「その時点で『カガク』じゃないって言ってるようなものですけど……」
シオンのツッコミに苦笑いを浮かべるとキーリは制御を解き放つ。途端にそれは霧散し、また炎で揺れる平面の影に戻っていった。
未知の魔法の衝撃に未だ呆然とした様子のアリエス達だったが、その中でユキを除きただ一人だけ平然としている者が居た。
「おい、フィア……テメェ、知ってたのか?」
ムッとしているギースに問われ、フィアは腕を組んで落ち着いた様子で頷いた。
「ああ。以前に見たことがあったからな。流石にこの魔法が何なのかまでは知らないが」
「なら何で今まで黙ってたんだよ? 教えてくれたって良かったじゃんか」
「言った通り正体までは知らなかったからな。何と説明すれば良いかも分からなかったし、キーリの口から説明されるべきだと思っていたんだ。それに……何となくだが聞かない方が良いんじゃないかと思っていた事も否定できないな」
口を尖らせたイーシュにフィアは苦笑を湛えて答えた。言ったことは本当だが、少し別の本音もある。それは、キーリの秘密をフィアだけが知っているという優越感に少しでも長く浸っていたいというささやかな想いだった。
だが事ここに至ってはそれも諦めるしかないだろう。少し残念そうに溜息を漏らした。
「フィアの言った通りだ。今更騙そうとも黙っていようとも思っちゃいねぇけど、正直……聞かせたくねぇから聞きたくねぇなら今のうちだぜ?」
そう言ってキーリは全員の顔色を伺った。まだカレンやイーシュは衝撃から抜け出せてないようだが、それでもキーリをじっと見返す。他のメンバーも席を立とうとはしなかった。
「良いんだな?」
「もったいぶってんじゃねぇよ」
「聞かせたくないのでは無くて話したくないのではなくて?」
「違いねぇ」アリエスの辛辣な意見にキーリは頭を掻き、唐突にイーシュに質問した。「イーシュ、この世界に神は何人居る?」
関係の無さそうなその問いに全員がキョトンとする。だがキーリの顔は真面目だ。はぐらかしでは無いと悟り、イーシュは戸惑いながらも応える。
「待てって、キーリ。幾ら俺が頭悪いからってバカにしすぎだぜ? 五人に決まってるだろ?」
「それぞれの名前は?」
「えっと、光神様が主神だろ? んで、炎神に水神、後は風神に地神……で合ってるよな?」
「そこで不安になるところがイーシュらしいですわね……ええ、合ってますわよ」
呆れながらもアリエスが肯定してイーシュはホッと胸を撫で下ろした。全員が苦笑してイーシュを見るが、しかし、この問いに何の意味があったのか腑に落ちない。
「そうだ。イーシュの言う通り光神、炎神、水神、風神に地神の五体だ。五大神教の教えではそうなってる」
「待ってください、キーリさん」
キーリの含みのある言い方にシオンは気づいた。
これまでキーリはシオンに多くの新しい事を教えてくれてきた。魔法の理論もそうであるし、別の世界の存在もそうだ。知識だけでなく考え方の面でも、それまでのシオンの常識を幾つも打ち破ってきた。
だがこれから彼が口にしようとしていることはとてつもない爆弾だ。この世界そのものの常識を、成り立ちを根本から打ち砕きかねない、そして五大神教という最大の宗教全体を敵に回す考えだ。
「その言い方じゃまるで……まるで他にも神様が居るみたいじゃないですか」
その事を察したシオンの顔が青ざめ、声が震えた。
「お、おいおい、シオン。何言ってんだよ、そんな訳あるはずが――」
「ああ、そう言ってるんだよ、シオン」
笑い飛ばそうとしたイーシュを遮って、キーリの厳かな声が夜の森に響いて消えた。そして続いたのは彼らの困惑した声色だった。
「な、何を言ってるんだキーリ? 神は全部で五体だ。他にも居るだなどと聞いた事も無いぞ?」
「キーリ様……魔法について話したくないのは分かります。ですが、話を逸らすにしてもそれは流石にあんまりでは無いでしょうか?」
「そうですわ。幾らなんでも荒唐無稽過ぎますわ」
口々にキーリの話を批難する彼らだったが、キーリはゆっくりと頭を振った。
「別に逸らそうとも誤魔化そうとも思ってねぇよ。ただ、この事を知っておいて貰わなきゃ話が進まねぇからな」
「えっと」カレンが逆に理解できない、と困惑した様子で全員を見回した。「ゴメン、驚くのは分かるんだけど、何でそこまで否定的なの? 別に神様が六人だって良くない?」
「何を言ってますの、カレン! 世界は五人の神によって作られたというのは不変の事実ですわ。現にワタクシ達は五人の神々の力を借りて魔法を使っているのですし、他の神の存在など見たことも聞いたこともないですもの。
別にワタクシも敬虔な信者という訳ではありませんけれども、キーリ、この話は不敬に過ぎますわよ」
「でも、有名じゃない神様だって居るかもしれないですし……」
「いや、いいんだ、カレン。この世界じゃこれが普通なんだ」尚も反論しようとするカレンを抑えて宥める。「まあ、皆が信じようが信じまいがどうでもいいさ。俺だってこの世界の常識はわきまえてるつもりだからな。
だが、確かに神はもう一体存在する」
「つまりだ、キーリ。テメェの魔法は……」
「そういうことだ、ギース。
あらゆる記録から抹消された神。それが――闇神。光神とは対極にある世界の闇を司る存在で、俺が唯一まともに使うことができる魔法の名前だ」
そう言うと、焚き火で作り出されていたフィア達それぞれの影から黒い何かが飛び出し、焚き火の周囲に集まっていく。作り出された影が焚き火を覆うと、炎の光を完全に遮って一気に暗くなり深い闇が作り出された。不気味な帳。完全とも感じる闇の中、アリエス達にはキーリの瞳が微かに「黒く」輝いているように見えて体を知らず震わせた。
だがそれも一瞬で、キーリは指を弾いて影を霧散させると閉じ込められていた焚き火の炎が彼女たちの瞳を強く焼いた。
「というわけで、これが皆を……殺しかけてしまった魔法の正体だ」
お読み頂き、ありがとうございました。
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