8-5 悲しみは宵闇に、想いは胸に(その5)
第2部 第48話です。
宜しくお願いします。
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。
魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。フィアの被害者。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖でいつも不機嫌そうな顔をしている。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。
ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。
ユーフェ:猫人族の血を引く貧民街の少女。表情に乏しいが、最近は少しずつ豊かになった気がする。
カイト:カレンの弟。やんちゃで、イーシュと気が合うらしい。
アヤ:カレンの母親。かんざし作成の職人で、気の良い明るい性格。時々子供っぽい。
ワグナード教皇国、皇都・ロンバルディウム
「――なので今、世界には私達が手を差し伸べるのを待っている方々が多くいるのです。しかし、私達の手は余りにも小さい。それでも出来る事はあるのです。
だから皆、祈ろうではありませんか。微々たる力でも、確かに私達の祈りで救われる者が居るのですから」
神殿のバルコニーで行われた演説が終わり、教皇が両手を誇らしげに瑠璃色の天に向かって広げる。それと同時に下の広場から熱狂的な歓声が響き渡った。
まるで神の腕を模したかのように円形に伸びる巨大な回廊。それに囲まれた広大な広場には所狭しと信者達がすし詰めになっており、発せられる熱量はかなりのものだ。だが信者達のその顔に不快なものは一切見受けられない。額に汗を流しながらも、教皇のお声を、ありがたい説話を聞けた感激が圧倒的に勝っている。
その様子を眺めていた教皇は仮面で隠れていない口元を柔らかく綻ばせ、しかし突然大きく両手を打ち鳴らした。
たった一人の人間が一度鳴らしただけのその音は、しかしその場にいる誰しもに届き、一瞬で狂騒が静寂へと転化した。そして教皇がその場に跪いて祈りを捧げる仕草をすると、何百、何千という人間が一斉に跪いて彼に習う。一心に祈りを捧げ、それぞれが家族の安寧と世界の落ち着きを、名も知らぬ誰かの無事を願う。
「皆の願いは、きっと神に届いたでしょう。全ての願いはこの場では叶わないかもしれません。ですが、確かに誰かの心を救ったに違いありません。そして私も祈りましょう。世界で苦しむ人々のために。それと、この場に集って下さった皆のために」
最後にもう一度眼下の信者達に祈りを捧げ、立ち上がると同時に上がる歓喜の声を聞きながら教皇は純白のマントを翻して奥の部屋へと戻っていった。
「お疲れ様でございました」
信者達から見えなくなると教皇はマントを脱ぎ、労いの言葉を掛けてきた侍従長に雑な仕草で手渡すと椅子へと腰を下ろした。
細く白い手で仮面を掴んで外す。顔から離れると白く長い髪が広がる。仮面が教皇から側仕えのメイドに渡り、代わって白ワインが注がれたグラスが教皇に手渡された。
「つくづく人間というのは度し難い存在だね」
肘掛けに肘を乗せて頬杖を突き、大義そうな仕草でワインを一口含むと呆れたように吐き捨てる。だが対象的に口元には笑みが浮かんでおり、愛おしんでいるように見える。
「一度権威を感じると、その言葉を疑うこともしない。正体も分からぬ何者かに未来を委ね、自らの主体性を放棄し、誰かに縋るのみだ。自分は何も出来ない無力な存在だと信じきって自ら足掻くことを容易く放棄してしまう。実に悲しい生き物だ」
「事実、人はか弱い存在でございますから。相手が何者であろうとも楽になるのであれば縋り付くのが人の性というものなのでしょうな」
「だからこそ可愛い存在であるのだと、私も思っているよ」
嘲るでもなく侮辱でもなく、ただ純粋に人という種が好ましい。教皇の表情はそれを物語っていた。
やがて前もって準備していた夕食がメイドによって運ばれてくる。食器こそ品の良さが漂う高価なものであったが、料理そのものは簡素なものだ。量も軽食といった程度で、ワインを堪能しながら軽くつまんでいく。
「各国の状態はどうかな?」
「報告ですと、大きな変化は無いようでございます。粛々と、計画通りに進んでいると。ただ、王国の方は少しずつ効果が現れ始めてきているようだ、との報告が上がってきております」
「そうか。辺境伯は上手くやってくれているようだ。
あの国王は聡明だから押し隠してはいるが、こちらに対して長く疑念を持ち続けている。あの先見の明と賢さは人としては特に好ましいとは思うけどね、それも時には賢しらしくなってくるよ。
引き続き彼には上手くやってもらわないとね。フランを捕まえたら労いの言葉の一つも掛けてあげておくれ」
「畏まりました」
そうしてしばらくの間、薄っすらと笑みを浮かべてワイングラスを傾けていた。
ワインに合う軽い食事に舌鼓を打ち、やがて陽が完全に沈みきる。窓から覗く街の明かりが輝き、その様子を何ともなしに眺めていた教皇だったが突然眼を見張ると不意に立ち上がった。
「どうなさいましたか?」
侍従長が問いかけるが答えない。北東の方面を向いたまま立ち尽くし、やがて半ば崩れるようにして椅子へとまた腰を下ろした。
「大丈夫でございますか?」
「そうか……とうとうあの子も……」
もう一度侍従長が問いかけるも、返ってきたのは独り言のようなつぶやきだ。教皇は口元に手を当てて考え込む。前髪の影から微かに覗く目元は、皺が寄せられて厳しい目つきだが長く側仕えをしている侍従長は知っている。これは、教皇が歓びを押し隠す時の仕草であることを。
「侍従長」
「何なりとお申し付けくださいませ」
「では……ここから北東の方角、恐らくはレディストリニア王国の東側だろう。その辺りに教会の調査隊を派遣せよ」
「畏まりました。して、何を調査すれば宜しいでしょうか?」
「おっと、すまない」
侍従長の質問は、教皇は自分ばかりの気が急いていた事に気づき苦笑を浮かべた。どうにもあの子が関わると気ばかりが逸ってしまう。
自らの状態を自覚し、ワインの残りを一気に流し込む。よく考えれば今から調査を向かわせたところで如何な証拠も出てこないだろう。そういったところは昔から抜け目のない子だった。
教皇は顎を撫でて「ふむ……」と唸った。
「そうだね……一般に知られている光神魔法などの要素魔法とは異なる魔法を行使した者が居なかったか、まずはそれを調べてくれないか?」
「御意に」
「それから」
教皇は立ち上がり、人気の消えたバルコニーへ歩いて行く。夜風に艶やかな髪を揺らしながら懐かしむような声で告げた。
「色の白い、不可思議な魅力をまとった女性の所在を探ってくれないだろうか?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
盗賊達の襲撃を撃退してからのフィア達は慌ただしかった。
魔力切れで倒れたキーリをウェンスター家へ放り込むと、全員で手分けして後処理に当たった。治癒魔法が使えるシオンとアリエスは村を回って怪我人や具合の悪くなった人達のケアに向かい、残りのフィアやイーシュ達は他の冒険者達と協力し盗賊達を縛り上げて一箇所にまとめていく。
途中でユーフェとレイスとも合流したが、彼らはキーリの魔法からは何とか逃れたらしく、特に精神的なダメージを負ってはいないようだった。暗闇が広がるのをユーフェがいち早く察知し、共に逃げ延びたとの事。
「ユーフェがレイスを助けてくれたんだな。ありがとう、ユーフェ」
フィアに頭を撫でられ、くすぐったそうにユーフェは身を捩った。その様子を無表情ながらも物欲しそうに眺めているレイスがフィアには印象的であったが、気づかないフリをしたのだった。
村にはキーリの魔法により意識を失った村人や商人達も大勢いて、彼らもまた無事だった家や宿へ運び込まれていった。村が暗闇に包まれた最中でも意識を失うことの無かった者達はひどく精神的に不安定になっていて、彼らは何が起きたのかは分かっていなかったが、キーリが原因と知っているフィアとしては心苦しかった。盗賊達を縛り上げながらも何か出来ることは無いだろうか、と頭を悩ませていたが、最終的にはユキに一任することにした。
「ここは私に任せてくれていいよ。フィア達だって上手く説明できないだろうし、キーリの後始末は私の仕事でもあるからね」
「……いいのか?」
「いいのいいの。その代わり面倒な盗賊達の処理は宜しくね」
面倒事には関わろうとしないユキが珍しく自分から申し出た事に若干驚きながらも、フィアは彼女の言葉に頷いた。エシュオンから官憲役を呼ぶ手配をしたり、目覚めた盗賊達が暴れたりしないよう監視したりとフィアはフィアで急ぎすべき事が多くある。任せられるところは任せるべきだろう、とフィアは何処ともなく消えていくユキを見送った。鼻歌混じりで楽しそうだったのが不安ではあったが。
なお、結果だけを述べれば、翌日には村人のみならず商人や冒険者達も完全に平静を取り戻していた。昨夜の出来事など何も無かったかのように、朝からのいつも通りの景色が広がっており、盗賊の襲撃のショックも、魔法による異変の傷痕もフィア達の眼には彼らから見つけ出すことができなかった。一晩中姿をくらませていたユキが昼頃になって戻ってきた時、彼女の肌がやたらとツヤツヤとしていたような気がするがそれに関しては誰しもが見ないふりをすることにした。きっと、そういう事なのだろう。
そうして他の冒険者や村人たちと協力しながら後始末を続けていく中で明らかになったのは、実際の被害は微々たるものだったということだ。宿が焼けたり怪我人はいたものの死者・行方不明者はゼロ。これは盗賊の襲撃を受けた場合としては奇跡に近いものであった。
「皆さんのお陰です。本当にありがとうございました」
実質的にフィア達が盗賊達を壊滅させたのを村人のほぼ全員が目撃している。村長を始めとして多くの村人から感謝の言葉を掛けられたが、その度にフィア達は居心地の悪い思いをしていた。
もちろん礼を述べられるのは嬉しいのだが、初動でしくじったというのは全員の共通認識だ。特にギースはいつまで経ってもしかめっ面で、ずっと明後日の方向を見つめ村人達の顔を見ることが出来ずに居た。
フィアも正直に村長に事情を話し、その話に村長は少し驚きはしたものの、禿げかかった頭を撫でながら柔らかく笑ったのだった。
「貴女方がどうしたとしてもこの村は盗賊達に襲われていたでしょう。村人や宿客達の被害がこれほど小さなもので済んだのはフィアさん、貴女方のお陰であることは変わりありませんぞ」
「しかし……」
「確かにもう少し上手いやりようはあったのかもしれませんがの。だからと言ってその事を責めるような恥知らずは儂の村には居りませんぞ。カレンの友人とはいえ、それ以外に村に縁があるわけでもなく、ましてこちらは依頼料も支払っていないのですからな。どれだけ礼を言っても足りないのはこちらの方ですぞ」
そう言ってカッカッカッと闊達に笑う村長に、フィア達は気持ちが楽になるのを感じたのだった。
大変だったのはウェンスター家も同じであった。
意識を失ったカイトと老婆を運び込み、しばらくするとそれぞれが眼を覚ます。そして死んだはずのアヤが直ぐ側でバツの悪そうに座っているのを見て大騒ぎである。
老婆は自分もお迎えが来たのかと達観した表情を浮かべ、カイトはアヤに抱きついて本物かどうかを何度も確かめ始めた。やがて本当にアヤが生きているのだと分かると、今度はカイトが泣き叫びながらアヤにしがみつき、老婆は憤怒の表情でアヤを叱りつけ始める。
すっかり夜も更けているのだが、延々と二人の声が外にまで響き渡っていく。しかしそれを咎める者はおらず、付き添っていたカレンも止める事はしなかった。
どうしようも無かったとはいえ、子供に母親が刺殺される姿を見せてしまったのである。責められるべきは盗賊であるとはいえ、二人の気持ちもカレンにはよく分かった。
アヤ自身も二人の気持ちはよく理解できている。だから老婆からの説教を粛々と聞き、カイトを抱きしめて何度も「ごめんね、ごめんね」と謝罪を繰り返すばかりだった。
「まったく……とにかく、有ってほしくはないがの、次に似た状況になったらもっと自分を大切にするんじゃぞ? 良いな?」
「それは出来ないなー」アヤは笑いながらきっぱりと言った。「もし、子供達が危険から逃げられるなら私は喜んでこの身を投げ出すよ、きっと」
説教を食らい、泣き叫ばれても間違ってないと思ったらアヤは考えを曲げない。カレンは一人で寝息を立てるキーリをチラリと見て、こういうところはやっぱり親子なんだ、と納得した。
そうして数日が過ぎる頃には盗賊達をやってきた役人に引き渡し、燃えた宿も村人達総出での再建も始まり、全てが完全では無いにしろ元に戻ろうとしていた。
のどかで牧歌的な雰囲気を再び醸し出し、旅人や商人が立ち寄り、通り過ぎていくエルミナ村。これからもこれまで通りにこの村は緩やかな時を過ごしていくのだろう。ゆっくりと行き交う人達を眺めながらフィアやキーリはそう思った。
ただ一つ気になるのは、連行される前に盗賊の一人が言った言葉。
『はぁ? 俺らの拠点だ? ンなもんねぇよ。共和国の拠点は無くなっちまったし、根無し草のまま新しい拠点を探してたら先立つもんが乏しくなってきたから村を襲撃しただけなんだよ。この辺りにやってきた時期だぁ? ンなもん、襲った日に決まってるだろうがよ』
彼は嘘を言っているようには見えなかった。吐いた言葉が本当だとするならば、この辺りには襲撃の日に初めて訪れ、それまでは近づいてもいなかったことになる。
ならば、数か月前からあるというあの噂話は何処から生まれたのだろうか? 単なる偶然だったのか? それとも何処も襲撃はしなかったものの、一時期には本当に別の盗賊団が拠点を構えていたのだろうか?
キーリもフィアも、アリエスもシオンも、誰もが気味の悪さを覚え、しかしどのような仮定をしても確たるものなど何もない。もやもやしたものを胸の内に抱えつつ、だがそれは彼らの胸の中から外に出ることはなく、記憶の端へと追いやられていったのだった。
そしてスフォンへ戻る日がやってきた。
「つい長く滞在してしまいました。色々とお世話になりました」
「お婆様が作られたご飯、とても美味しかったですわ」
「そうそう、おばさんのも食えなくは無かったけど、やっぱ婆ちゃんの飯は絶品だったぜ」
「イーシュさん、それ結構失礼ですよ」
フィアはアヤと老婆に向かって頭を下げた。他のメンバーも口々に礼を二人に向かって述べ、老婆はしわくちゃの顔に更にシワを寄せて笑い、アヤも口元を綻ばせた。
「いやいや、とんでもないよー。こっちこそレイスちゃんに味付け教わったり、ユーフェちゃんの抱き心地を堪能させてもらったり、何時になく家の中が賑やかで楽しかったよー。あ、それから村と私の命を救ってもらったし、皆からもらったものを考えると全然割りに合わないね」
「それ同列に語っちゃうんだ……」
カラカラと明るく笑うアヤを見ながらカレンは溜息を吐いた。だが彼女が心底から感謝しているのは、先程全員に手渡された真新しい彼女のかんざしが示している。ここ数日はほぼ寢ずに人数分のそれを作り上げ、今も女性陣の髪に飾られて輝いていた。
フィアはキーリから貰ったものと並んで刺しているそれを撫でながら、どこか申し訳なさそうだ。
「宜しかったのですか? 売りに出せば結構な値になると伺っていますが……」
「いいっていいって。さっきも言ったけど、それくらいじゃ恩は返せないからねー。私に出来るせめてもの御礼って事で、さ。でも大事に扱ってくれると嬉しいかな?」
「ええ、それはもちろん」
「宝物にさせて頂きますわ」
フィアとアリエスの返事に、アヤは嬉しそうに笑った。
「ふぇっ、ふぇっ。良かったらまた遊びにおいで。歓迎するよ」
「ええ、またこちらへ来たいと思います」
「お嬢様、またあの温泉へ入りに参りましょう。今度は二人だけで」
「あの温泉は最高に気持ち良かったですものね」
「いい考えだ、レイス。だが断る」
「どうして……! どうしてですか、お嬢様……!」
「お前と二人だと、私の貞操が危ういからだ」
「まあまあ。また全員で温泉に入りに行きましょう」
「シオンと三人ならやぶさかではないな」
「シオン様、ぜひ、ぜひお願いします……!」
「すいません、やっぱりキャンセルでお願いします」
「何故だ、シオン……!」
「その鼻血引っ込めてから言ってくださいね?」
フィアは絶望に打ちひしがれた眼差しで仲間に救いの手を求めたが、全員にそっぽを向かれた。自業自得である。
和やかな雰囲気に、アヤも楽しそうに笑いながらカレンに声を掛けた。
「ホント、面白い子達だね。お世辞でもなく歓迎するから、狭い家だけどまた連れておいでよ、カレン」
「うん。来年にでもまた皆を招待する。それまでにお母さんは料理の味付けの勉強しておいてよ?」
「アンタこそ料理の一つでもまともに作れるようになっときな。じゃないと嫁の貰い手が無くなるよ?」
「お母さんに言われたくないよ」
「こっちはこっちで目くそ鼻くそな会話やめろって」
あちこちで繰り広げられ始めた不毛な言い争いにキーリは溜息を吐き、中々出発しないことにギースがしびれを切らして舌打ちを始めた。
「ンなくだらない会話してんじゃねぇよ。おら、さっさと行こうぜ」
「ああ、そうだな。名残惜しいがいい加減出発するとしよう」
「うん、そうだね。
カイト、お母さんの事宜しくね?」
「分かってる。口だけじゃなくて、本気で強くなって、今度こそ母ちゃんや村の皆を守れるようになってやる」
アヤの手をしっかりと握り、カイトは決意のこもった眼差しを向けつつ頷いた。あの盗賊の襲撃は、強い衝撃的な記憶となってカイトの中の何かを変えたようで、姉のカレンから見ても幼さが抜けて大人びてきている。
「無茶はしちゃダメだからね?」
「分かってるって。母ちゃんを泣かせる事はしねーって」
本人にそのつもりはないのだろうが、当て付けられているように聞こえ、アヤはバツが悪そうにボサボサの頭を掻いた。カレンとしてもまだまだ怒りはあるので特にカイトを咎めるつもりはない。
「さて、それじゃあ気をつけてね」
アヤはギュッとカレンを抱きしめる。こうして抱きしめられるのはまだ恥ずかしいが、またしばらく会えず寂しい思いをさせるため、素直に黙ってアヤのしたいようにさせることにした。
「それからユーフェちゃんも。元気でね」
「うん……また抱っこしてくれる?」
「ああ、こんなおばさんで良ければ喜んでしてあげるさ」
無意識に母の温もりを求めているのだろうか。抱き上げられたユーフェは耳をピクピクと動かしながら鼻をアヤの首元に押し付けて、滅多に見せない自然な微笑みを見せていた。
「レイスちゃんもありがとね。お客様なのに食事の準備とかゴメンねー」
「いえ……」
「教えてくれたレシピでしっかり勉強しとくから、また次は新しい料理教えてね」
「はい。アヤ様もご自愛ください」
アヤのお願いにレイスは頷き返し、抱きしめ返す。体を離す時、レイスは何処か名残惜しそうで、眼差しは寂しそうだった。
「それからフィアちゃんとアリエスちゃんも」
「え?」
「わ、ワタクシ達もですの?」
「いいじゃんいいじゃん。うちのバカ娘を宜しくね」
「世話になっているのはワタクシたちの方ですわ。でも、おば様のご依頼、承りましたわ」
両脇に抱えるように二人を抱きしめる。人肌の温もりを確かに感じ、フィアもアリエスも気恥ずかしさに顔を赤らめる。だが、悪い気はしなかった。
その後もユキにシオン、果てはギースとイーシュにもアヤは別れの抱擁を交わしていく。ユキは何処か嬉しそうに、シオンは顔を真赤にしながらも応じたのだが、ギースは流石に恥ずかしかったのか逃げ回った末に、何故かギースを上回る機敏な動きのアヤに敢え無く捕獲され、これ見よがしにたっぷりとした抱擁を食らったのだった。なお、その時のアヤの顔にはいたずら心がはっきりと浮かんでいた。
なお、イーシュは抱きつかれる前から鼻の下を伸ばしているのがカレンにバレ、強烈なボディブローを食らって意識を飛ばされた上で抱擁を受けたのだった。ちなみにアヤの接触時間も一秒にも満たなかった事を記しておく。
そして――
「キーくん」
名前だけを呼び、アヤは両腕を広げた。そこにキーリの大きな体が収まる。恥ずかしがりもせず、ぎこちなさもないそれは自然な仕草だった。
「本当にありがとう。話も聞いてもらったし、村も助けてもらったし、命まで……キーくんのおかげでまた皆と楽しい時間を過ごせるよ」
「……礼なんて要らねぇよ。話は俺が聞きたかっただけだし、村が無事だったのは俺よりもパーティの皆が頑張ったからだ。命を救ったのだって偶然の結果に過ぎねぇし」
「いいの。私が御礼を言いたいだけだもん」
背中を軽くポンポンと叩きながら、アヤは子供っぽい口調で笑う。キーリからは彼女の顔は見えないが、きっと記憶の中のそれとそう変わらないだろうと思った。
「なら有難く受け取っとくよ……もう行くな?」
母の温もりを忘れまい、とキーリは最後に強く抱きしめるとそっと離れる。そして目に入ったのは、寂しそうな顔をしたアヤだった。緩やかに弧を描いた口元と目付きの悪さはいつも通りで、その平素との僅かな差はきっと他の人には分からないだろう。けれども、キーリには分かった。
「うん……いつでも……いつでも、何処かに帰りたくなったら家においで。キーくんのお家はもう無いのかもしれないけどさ、ここを新しいお家だと思ってくれていいからね?」
「あん? 俺を間男にしようってか?」
「旦那に次いでいい男だからね。どうだい? 自分じゃ私もまだまだ若いと思ってるんだけど?」
「冗談。二番目にゃ興味ねぇんだ」
「それは残念」
だからキーリはいつも通り皮肉げな笑みを浮かべてみせ、からかった。アヤも冗談で応じ、どちらともなく後ろに下がり一歩分の距離が開いた。
「そう言ってくれるとありがてぇな。
けどここはカレンとカイトの家だからな。近くに寄った時にぶらっと邪魔させてもらう程度に留めとくぜ」
「……相変わらず気を遣い過ぎる子だね」
「おだてんなって。ま、今回の事で恩を感じてくれてんなら、次来た時にまたアンタの味噌汁飲ませてくれや。それで十分だよ」
「それで良いんだ?」
「それが良いんだ」
キーリはそう言い残して背を向け、手をヒラヒラと振って別れる。
これで全員の挨拶が終わり、最後にもう一度「元気で」と互いに投げかけあう。カレンはキーリを見上げ、何か声を掛けようとした。しかし彼のその顔を見て、喉元までこみ上げていた言葉をそのまま飲み込む。
そして、キーリ達は村を後にしていった。
「……賑やかな子たちじゃったの」
「そだね。でも……いい子ばかりだった」
「うむ、そうじゃな。さて、儂は昼の準備でもしてくるかの」
小さくなっていくキーリ達の姿を見送り、老婆は腰を叩きながら自分の家に戻っていく。アヤとカイトはまだ微かに見える彼らの姿を見つめていた。遠く、彼らの内の誰かがカイトたちを振り向いて手を振り、それがイーシュだと気づいたカイトは笑顔を浮かべてもう一度大きく手を振り返す。
「イーシュ兄ちゃん達、また来てくれるかな?」
「さあ、どうだろうね……来てくれると……いいね」
次にまた会える時が楽しみだ、とカイトは声を弾ませたがアヤから返ってきた声がいつもと違う。不思議に思ったカイトが隣のアヤを見上げた。
「母ちゃん……?」
アヤの眼からポロポロと涙が零れ落ちていた。精一杯笑顔を浮かべようとして、だが失敗し口元が震えていた。不格好に歪んだ頬を伝った雫が足元に幾つもの染みを作っては消えていく。
カイトはそんな母親の様子に面食らい、しかし腰に手を当てて「仕方ないなぁ」と背伸びして背中を擦ってやる。
「母ちゃんは寂しがり屋だなぁ。そんなに姉ちゃんと離れるのが寂しいのかよ?」
「……うん、ゴメンね、ダメな母親で」
「んな事ねぇよ」カイトはニッと歯を見せて笑ってみせた。「俺は泣き虫の母ちゃんも大好きだぜ? 泣き虫じゃなくっても大好きだけどな。ま、たまにうぜぇ時もあるけど」
「ん……言ってくれるじゃないか」
アヤは涙を拭って大きく息を吐き出すとカイトを後ろから大きく抱き上げる。小さな子供を「高い高い」するように持ち上げ、寂しさをアヤは笑い飛ばした。
「私もカイトの事大好きだよ! こーんな事したくなるくらいにね!」
「わっ! ちょ、母ちゃん! やめろって!」
「お? あ、やば」
「おわあああああああ!?」
調子に乗りすぎてバランスを崩し、悲鳴を上げるカイト共々アヤは後ろに転んだ。尻もちを突き、「あいたたた……」と自分の尻をさすりながら起き上がると、口をへの字に曲げたカイトと眼が合う。だがすぐにどちらともなく笑い声があがった。
「あ? あれ、父ちゃんじゃね?」
「え? うそ?」
「おーい、父ちゃーんっ!!」
キーリ達と行き違いでやってくる猫人族の姿をカイトは捉え、大声で父を呼んだ。近づいてくる影は手を振って応え、カイトは久しぶりに会う父に向かって走り出した。
アヤは俯いて笑った。そして空を見上げる。澄み渡るような青空。眼を閉じて一度ほぅ、と息を吐き出すと気持ちを切り替えるように両頬を叩いた。
そして子供のように、カイトの後ろを追いかけ追い越し、夫の驚いた顔を見ながらその胸に飛び込んだのだった。
今回でエルミナ村編は終了。お読み頂き、ありがとうございました。
気が向きましたら、ポイント評価、レビュー・ご感想等頂けると幸甚でございます<(_ _)>




