7-2 記憶(その2)
第2部 第42話です。
宜しくお願いします。
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。
魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
アヤ:エルミナ村に住むカレンの母親。前世における文斗の母親でもあった。
ウェンスター家を出たキーリは村から離れた山中を歩いていた。
ポケットに手を突っ込み、眉間に皺を刻んで居並ぶ木々以外に何も無い空間を睨みつける。足取りはゆっくりで、時折踏み潰された枝がパキリと悲鳴を上げた。
自分の足音以外に音はない。村の営みの声は遠く、風に揺られる葉擦れの音にかき消されていく。
いつしかキーリの視線は下を向いていた。奥歯を強く噛み締めた口元はへの字に歪み、口から吐き出される息は焼ける程の熱を含んでいた。
不意にキーリの脚が止まった。苦しそうに眼を閉じ、真上を見上げる。深い溜め息が漏れた。顔が歪む。キーリは強く握りしめた拳を振り上げると、偶々目の前にあった木に叩きつけた。
響く地鳴り音。全力で振り抜いた拳はキーリの二人分はあろうかという太い幹を貫いた。その衝撃に耐えきれず、大木がミキミキと音を立てて他の木を巻き込んで倒れていく。枝が折れる音が苦しげに聞こえた。
前にまっすぐに伸びたキーリの左腕が震えていた。
「……っ」
腕が力を失い、ダラリと垂れ下がる。右腕が口元に当てられ、溢れる何かを抑えようとするが代わりに膝から力が抜けてその場に両膝を突いた。
もう一度涙で濡れた瞳で空を見上げる。木々の隙間から覗く滲んだ青空は雲ひとつなく、吸い込まれる様だった。
「――っ」
そこで限界だった。
「うあああああああああっっっっっっっっ!!!」
慟哭が響いた。喉が切れ、血の滲むキーリの悲鳴が空気を斬り裂いた。
「ああああ、あああああああっっっ!!」
両拳を地面に叩きつける。何度も叩きつける。叫びながら叩きつける。何度も、何度も何度も何度も、荒れ狂う感情そのままに、血を流す心が求めるままに拳を地面に突き立てる。
「あ、あああ、くぅ、あ、が、ああぁぁぁっ……!」
叩きつけた拳が枝や草で傷つく。赤い血が滲み、しかしそれもすぐにこの身に宿る異常性のせいで治っていく。傷が塞がってくれる。だが、ずっと傷つき続けていたキーリの心までは治してはくれない。
「うぅ……ああ……」
キーリはその場でうずくまった。力なく地面に銀色の髪を押し付ける。土でこの髪が、彼女と同じ色に染まってしまえばいいのに。そう思うと涙が溢れる。止め処なく溢れ落ち、土に染み込んで消えていく。まるで何も無かったかのように涙はなくなっていった。
堪らなかった。彼女の顔をこれ以上見続けるのが辛かった。とっくの昔に母親は居ないものだと割り切ったつもりだったのに、捨てられたんじゃない、自分が捨てたのだと言い聞かせてきて、それで決着したと、心は修復されたと思っていたのにそうではなかった。
まだ、自分は親を求めていたのだと思い知らされた。傷は塞がっては居なかった。ただ包帯を巻き付けて、血が溢れないようにしていただけだった。長い応急手当のせいで傷口は血で固まり、しかしその分厚いかさぶたの下で血は流れ続けていたのだ。
固く閉じた瞼の裏でアヤの笑顔が蘇る。先程は、キーリ達にも楽しげな笑みを向けていた。それが、かつてキーリに向けていたものと同質だと思っていた。
だがその思いは打ち砕かれた。
カレンとカイトの二人を抱きしめるアヤ。楽しげなのは変わらなかったが、二人に向ける瞳の違いにキーリは気づいてしまった。
優しく、慈しむ瞳。決して他者には向けられる事の無い、しかし家族にだけに注がれる母の眼差し。そして、それこそが過去にキーリに向けられていたものだった。
別に抱きしめてくれなくていい。謝罪の言葉なんてなくていい。そんなものは望んでいなかった。
ただ――昔のあの愛しい眼差しでもう一度自分を見て欲しかった。
「かあ、さん……」
けれどもうそれは叶わない。叶わない望みなのだ。
今の彼女は「霧医・文」ではない。アヤ・ウェンスターなのだから。
そうは理解していても――キーリはそれが自分ではなく、カレンに向けられているという事実がただひたすらに辛かった。
「……」
それでも受け入れなければならない。誰も居ない場所で一人泣き叫んだ事でほんの少し心の澱が溶け出し、傷口を塞ぐ。傷口からの出血は少なくなり、余裕が生まれた。
泣き叫んだって、何も変わらない。それはいつだって一緒だ。大切なのは傷を誤魔化す技術と、苦しさを奥底に押し込める意思。そうやってキーリは乗り越えてきたのだから。
――だが、どうしてだろうか
今度ばかりは、傷が塞がりそうな気がしなかった。
喉が腫れ、枯れる程に涙を流した頃、キーリはゆっくりと立ち上がった。左腕でゴシゴシと眼を擦って涙を拭う。肺の入り口が詰まったような息苦しさを覚えて大きく息を吐き出すと、ドッと倦怠感が押し寄せてきた。
「戻るか……」
空をキーリはまた見上げた。抜けるような青空だ。泣き喚いたことで少しは気が晴れたのだが、この青空が苦しさを多少なりとも吸い込んでいってくれたような気がした。
それでもまだ彼女の笑みを見るのは辛いが少しずつでも慣れていこう。それは、ウェンスター家の中に自分が存在できない以上避けられない事だから。
ここへやってきた時と同じようにポケットに手を入れて、キーリは来た道を戻ろうと踵を返した。すると、そこに居る人の気配を微かに感じ取り、俯き気味だった顔を上げた。
「カレン……?」
キーリが名前を口にすると、きまり悪そうに体を小さくしたカレンが木陰から姿を現した。
「……聞いてたのか?」
「うん……ごめん」
「恥ずかしいところ見られちまったな」
頭を掻いて空気を誤魔化す。平時通りの皮肉っぽい笑みを意図して浮かべ、キーリはカレンの頭をグリグリと乱暴に撫でた。
「心配してきてくれたんだろ? 悪かったな」
「ううん……その、なんて言っていいか」
「気にすんな。お前は何も悪くねーよ」
最後にポンポン、と優しく頭を叩きキーリは村への帰路に着く。枝葉を踏みしめ、その後ろをカレンが追いかけた。
会話は無い。気まずい雰囲気のまま木々の合間を縫って進む。本来なら年長のキーリが何か気を遣うべきなのだろうが、今のキーリにそんな精神的余裕はない。逆にあれこれ聞かれない事を有難いとも思っていた。
「……ねぇ、キーリくん」
だがそれも、意を決したカレンの声で終わりを告げた。
「……なんだ?」
「お母さん……ウチのお母さんが、その、キーリくんの本当のお母さんだって事だよ、ね……?」
「まぁ……そうだな。鬼人族の親に拾われる前の――ずっと遠くに居た頃の、な」
「ずっと、遠く……」
シェニアやシオンと違って、フィア達は異世界や転生という概念を理解できていない。それを考慮しての言い方だったが、カレンは少し押し黙り、やがてすぅと息を吸った。
「それってやっぱりお母さんも――違う世界で生まれたって事だよね?」
キーリは眼を見開いた。思わず脚を止め、唖然と口を開けてカレンを振り返った。
「お前……理解してたのか?」
「ここが、いわゆる異世界だって事? うん、分かってたよ。だって――」
カレンは少し悲しそうな、同時に何処か嬉しそうな、二つの反する感情がないまぜになった表情で告げた。
「だって――私もキーリくんと同じで、この世界で生まれ変わったんだもん」
キーリは言葉を失い、立ち尽くした。
「私がこの世界を認識したのは、たぶん二歳か三歳くらいの時かなぁ?」
倒木の上に並んで腰掛け、カレンは遠い記憶を思い起こしながら話し始めた。
「それまではなんだかずっとふわふわしたような場所に居て、そこは真っ白だったり真っ黒だったり、二つの色がマーブル状に入り混じったりで、何か変な場所だった気がするけどよく覚えて無いんだ。気づいたら、お母さんの腕の中に居たの」
「って事は……カレンはかあさ……アヤさんから生まれたのか?」
「いいよ、気を遣わなくて『お母さん』って呼んで。
えっと、たぶん私のこの体はお母さんが産んでくれたんだと思う」カレンは愛おしそうに自分の腕を撫でた。「最初はずっと何が起きたのか分かんなくて、頭の中もめちゃくちゃで、気がついたら寝たり起きたりを繰り返してた。それって今思えば、赤ちゃんだったって事だよね?」
「だろうな」
「そんな日がどれくらい続いたか分からなかったけど、気がついたら自分の脚で立って歩いてて、普通にこの世界の言葉を話してたの。それが二、三歳くらい。私達が居た世界と違って人間以外にも色んな種族の人が居て……それでその時やっと、自分が違う世界で生まれ変わったんだって気づいたの。最初はびっくりしたなぁ」
「そりゃあな」
キーリも苦笑して、この世界で初めて意識を取り戻した時を思い出す。
なにせキーリの場合、最初は一人ぼっちで、その上出会ったのがルディである。鬼人族の名に恥じない強面に巨体。食われるんじゃないか、と酷く怯えた事を思い出しキーリの苦笑が深くなる。
――当たり前だけど、もうあの顔も見れないんだよなぁ……
見慣れれば愛嬌のあるルディとエルの顔が目の前に浮かんできて、緩んだ涙腺からまた涙が零れそうになりキーリは鼻を啜った。
「んじゃそれからずっとエルミナ村で過ごしてきたんだな」
「うん。何年かしたら弟達も生まれたし、キーリくんもよく知ってる通りお母さんもあんな性格だからさ。前の世界で死んだことはショックだったし、家族や友達と会えなくなっちゃったのは寂しかったけど、皆が居たからこっちでも精一杯生きていこうって気持ちを切り替えられたんだと思う」
「前の世界で、死んだ?」
突然出てきた衝撃的な言葉に、キーリは思わずカレンの顔を覗き込んだ。
「うん。たぶん……電車の事故だと思う。もう細かいところは覚えてないけど、通学途中で電車に乗ってたらすごい衝撃が走って、色んな人の下敷きになって苦しくって……最後に見たのは私に覆いかぶさって倒れてた血塗れの女の人と、ぐしゃぐしゃになった天井。それだけはハッキリ覚えてる」
「そっか……悪い、辛い事思い出させちまったな」
「ううん、大丈夫。もう昔の話だし」
やや青い顔で強がってみせるカレンの背を撫でてやる。「ありがと」と小声の礼を聞きながらキーリは自分の記憶も探ってみる。
キーリの最後の記憶も同じく電車の中だ。大学に通うために地下鉄に乗って移動していて、ある瞬間からプッツリと記憶が途絶えている。そして気づけば魔の森だった。
もしかすると、キーリとカレンは同じ電車に乗っていたのかもしれない。ユキに言わせれば、極々稀に世界を渡ってくる人間が居るらしいが、そう頻繁に起きる事ではないとの事だ。そう考えると同じ電車の、しかもすぐ傍に立っていたのかもしれない。そして同時にこの世界に転生したのかもしれないな、と思った。もっとも、もうアレがいつだったかは覚えていないために確認のしようもないが。
「そういえば、カレンは前はなんて名前だったんだ?」
「……ごめん、それも覚えてないんだ。日本で暮らして、女子高生だったのは覚えてるんだけど、それ以外は全部曖昧で……」
「そっか」
「キーリくんはなんて名前だったの?」
「文斗。霧医・文斗。こう書くんだが、読めるか」
言いながらキーリは地面に木の枝で漢字を書いていく。この名前を名乗るのも二十年ぶりだ。漢字を覚えてるか不安だったが、書き慣れた名前は褪せないのか淀みなく書けた。
「うん、何とか。珍しい名字だね。だったら、お母さんは霧医・アヤだったんだね」
「ああ。漢字はこうだったな」
文斗の名の上に「文」の文字を書き加える。もう、これから先、一生並べて書く事はないだろう。
「『文』かぁ……何だろ、全ッ然お母さんっぽくない」
「同感。机に向かうより手や体動かすのが好きだったからな」
「そこもやっぱり変わってないんだ?」
「っていうか、何も変わってねぇよ。見た目も性格も――あの味噌汁の味も」
寂寥感がこみ上げ、それをキーリは飲み干す。
アヤの事を話すのは辛い。寂しいし辛いが、それでもこうして彼女の事を共通の話題として話すことができるのは悪くない気分だった。
倒木に座ったまま、キーリはカレンとアヤについて話し続けた。
キーリは前の世界の彼女の事を、丹念に記憶を一つ一つ確かめ辿っていく。カレンが知らない「霧医・文」をカレンに伝えていくと同時に、アヤを回顧する記憶の道を旅していく。
そしてカレンはキーリの知らない「アヤ・ウェンスター」を伝えていく。文斗の下から文が消え去って、この世界でカレンを産み、仲睦まじく過ごしていた日々を。それはキーリの中で「霧医・文」と「アヤ・ウェンスター」の隙間を埋めていく、大切な作業でもあった。
カレンの口から語られる度に、不思議とキーリの心は落ち着いていった。理由はキーリにもハッキリ分からない。自分が知らないアヤが少しずつ減っていって、寂しさが紛れたからかもしれない。アヤが自分の事を知らずともキーリ自身がアヤを知っている。そこに、一度は途切れた彼女との関係性を心の何処かで感じ取ったのだろうか。いつしか、キーリの口元が穏やか弧を描いていた。
「あ、そういえばさ」
「どうしたよ、突然?」
「キーリくんって前の世界だと何歳だった?」
「あー、何歳だっけな……確か二十くらいだったと思うけど、それがどうかしたのかよ?」
「ってことは、こっちでも向こうでも私より年上かぁ。
ねぇ、私のお母さんがキーリくんの前のお母さんでもあるってことは、私達って兄妹って事だよね?」
「……まぁ、そう言えなくもねぇ、のか?」
「そうしたら、キーリくんの方が年上だからお兄ちゃんって事になるよね? えへへ……お兄ちゃんか……」
「何だよ、そんなに兄貴が欲しかったのかよ?」
「まあ憧れはあったかな? 前の世界でも長女だったし、友達のお兄さんの話とか聞いて、いいなぁって。
ねぇねぇ」
カレンはキーリに体ごと向き直り、品を作ると胸を腕で寄せて見上げた。何処かドキッとするような仕草だが、彼女の顔にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。
「今度から『お兄ちゃん』って呼んであげよっか? 男の人ってこういうの好きなんでしょ?」
「止めろって。そんな間柄かよ」
「好きじゃないの?」
「好きだけどよ」
「好きなんだ」
「一人っ子の憧れなんだよ」
この世界では通じないだろうが。
「冗談でも皆の前で呼ぶなよ?」
「分かってるって。皆には説明できないもんね。でも、二人の時は呼んでもいい?」
「好きにしろよ。そんかわり、もし誰かに見られた時はお前が誤魔化せよ?」
「はいはい、分かりましたよ、お兄ちゃん?」
「なんだ、妹よ」
キーリは口元を抑えながらカレンに背を向けた。気恥ずかしくて顔が熱い。同時に、もうこの世界で家族は居ないと思っていたのに、新しい家族ができたようで少し嬉しかった。チラリとカレンの様子を伺うと、両頬に手を当ててうずくまっていた。思いの外、恥ずかしかったらしい。
「……戻るか」
「そだね……」
お互いにバカな事をした、とげっそりした表情で立ち上がり、並んでトボトボと歩く。
考えてみれば、もう結構な時間が経っている。底が抜けたような青空は増々蒼さを増し、村に近づくにつれて賑わいの声は大きくなってくる。恐らくはもう昼近くまでになっているだろう。何処かからか良い匂いが漂ってきていた。
キーリが木々の合間から覗く村の景色を視界に収められるようになるくらいに近づいた時、隣を歩いていたカレンの脚が不意に止まった。
「どうした?」
「ねぇ、キーリくん」垂れた眼の中を微かに潤ませてカレンは言った。「お母さんと、話をしなよ」
「カレン……」
「このまま自分がお母さんの子供だって明かさないつもりなんでしょ? 全くの他人のフリをして、ただの『娘の友達』の一人として……今度村を離れたら二度と顔を見せないつもり。違う?」
「……よく分かったな」
「分かるよ。だって……さっき、悲しそうに笑ってたもん」
「観察眼も鋭い、と来たか。やっぱお前、斥候役に向いてるよ」
「話を逸らさないでよ。
別に私は……キーリくんの決断をアレコレ言うつもりはないよ。名乗り出たって私はもちろん気にしないし、今は遠くの町に行って居ないけどお父さんだって受け入れてくれる。けど、キーリくんが名乗り出たって良いことばかりじゃない事くらい分かってる。たぶん……ううん、絶対に何かが決定的に変わってしまうんだと思う。何より……きっと」
「母さんが耐えられない」
カレンは辛そうに頷いた。
「キーリくんももう気づいてると思うけど……お母さんはたぶん昔の事――日本で生活していた時の事を覚えてない。生まれた時からこの世界で生きてるんだって思ってる。私が最初の子供で、『その前』があったなんて思いもしてない」
「前世の事なんて話さなくても、もし自分が忘れてしまっている子供がいるなんて知ったら……母さんはきっと自分を責める。それも、とても」
キーリは立ち尽くし、村を眺めた。視線の先にあるのは、ここからは見えないウェンスターの家。
カレンとカイトを見る眼が物語っているように、アヤはとても愛情豊かな人間だ。さっぱりした性格で子供っぽいところもあるが、自分が愛する人に対する愛情や慈悲はどこまでも深い。
彼女がキーリの事を知れば彼女は自分自身を責め立てるだろう。キーリの元を離れてしまったのが、記憶を失ってしまったのが不可抗力だったとしても彼女はそれを言い訳にしない。如何な理由があろうとも子供を手放してしまったという事実を深く悔やみ、悲しむだろう。キーリはそう確信していた。そして、それはキーリの望む未来ではない。
「だから俺はもう、母さんになるべく会わない方が良い。母さんはもう『アヤ・ウェンスター』なんだ。それで幸せなんだ。
今回、母さんに出会えた事でそれが分かった。俺がそこに混じると、母さんの幸せが壊れてしまう気がする。今の母さんにとって、キーリ・アルカナは『娘の友達』でいる事がベストなんだよ」
「だから!」
カレンはキーリの腕を引っ張って振り向かせた。口を真一文字に結び、力の篭った眼差しには涙が浮かんでいた。
「……だから、キーリくんは尚更お母さんと話をするべきだと思う。娘の友達としてでも、お母さん自身の友達としてだって何だって良いの。『霧医・文斗』くんじゃなくても、今のキーリくんでもいいからお母さんに覚えてもらって。たくさん話して、記号じゃなくてキーリくんという一人の人間が居る事をお母さんに知ってもらうべきだよ。大切な人の一人なんだって思ってもらうべきだよ。たくさんの記憶の中に埋もれてしまわないように」
「お前……」
「だって……だって私達もキーリくんも同じお母さんの子供なのに、キーリくんだけが身を引いて……知られないままだなんて……そんなの、悲しすぎるよ……」
キーリの体にすがりつくようにしてカレンは泣き崩れた。嗚咽が耳に届き、キーリは眉間に深い皺を刻んで眼を閉じた。下唇を強く噛み締め、眼を閉じたまま天を仰ぎ、息を吐き出す。
「優しいな、カレンは……」
「優しく、なんて、ないよ……!」
彼女の頭を撫でてやる。カレンはよろよろと立ち上がり、両手の甲で目元を拭っていく。
「……ゴメン、感情的になっちゃった。一番辛いのはキーリくんのはずなのにね」
「いや、いいんだ。真剣に考えてくれて嬉しい」
「一方的に言っちゃって今更だけど、今のはあくまで私の考えだから。押し付けがましくなったけど、無視してくれてもいいからね?」
「ああ、分かってる。どうするかは……まあ、帰るまでに決めるさ」
もう一度並んで村へ続く坂道を降りていく。
カレンは俯いて自分の思いを一方的にぶつけてしまった事を悔やみ、浮かない顔だ。
そんな彼女の体が不意にキーリによって引き寄せられる。考え事をしていたせいで突然の事に反応できず、キーリの厚い胸板に顔を埋める形になり、キーリの掌で彼女の栗色の髪がくしゃくしゃと掻き乱された。
「ありがとうな。お前が仲間で……妹で良かったよ」
カレンから顔は見えないが、キーリが笑っているのがよく分かった。気恥ずかしさに顔を少し赤く染め、キーリの胸に体を預けながら彼女も頷いた。
「私もキーリくんで良かったって、そう思ってるよ」
お兄ちゃん。
その呼び名だけは口にせず胸の内にカレンは仕舞った。自分だけの特別なものとして。
お読み頂き、ありがとうございました。
気が向きましたら、ポイント評価、レビュー・ご感想等頂けると幸甚でございます<(_ _)>




