閑話 王城にて
第13話です。
よろしくお願いします。
――レディストリニア王国、王都・レディシア
王城・コーネリウス
天気が良い日には、王都の端に位置する城壁の歩哨櫓からも見ることができる巨大な王城。その中をコーヴェル侯爵は歩いていた。黒と白を貴重としたチュニック、それと正装であるマントを身に纏い、すっかり通い慣れた廊下を進みながらかつての王城内の姿を思い出す。
まだコーヴェルが爵位を継ぐ前、つまりは二十年前程前には王城内の至る所がきらびやかであった。廊下や部屋の天井には職人に命令して作らせた派手で恐ろしい程に微細な装飾が施されたシャンデリアが幅を利かせ、廊下の壁には大きな絵画が通り過ぎる者たちを威圧していた。その時の情景がコーヴェルが瞬きをした一瞬だけ瞼の裏で蘇り、しかし今のコーヴェルの瞳にはその残滓が映るだけだ。
それらは全て先王の命で設置されたものだった。先王は芸術品や派手な装飾を好み、芸術家を積極的に支援した。作らせた芸術品は王城内の至る所に設置され、訪れた者の眼を楽しませた。それは国の財政が傾き、経営が苦境に陥っても続けられた。批判も多かったが、それは決して単なる王の放漫というわけではない事をコーヴェルは知っている。
先王は、国としての体面にこだわる人物だった。外交においてはどれだけ見栄とハッタリが重要な役割を果たすか、そして何時如何なる時にメンツを失って不利になるかを理解していた。故に、財政が傾いた後でも王族の資産を減らしてでもそういった装飾品に手を抜かず、来訪した外国の重要人物に国力が未だ健在であることを魅せつけていた。云わば、「実より名を取った」のだ。
没してすでに二十年に近くなる今でも賛否はあるが、彼のそういったスタンスによって、ほぼ敗戦に近かった帝国との戦争でも五分の条件で停戦条約を結ぶに至ったのだから馬鹿にできない。
そんな王城内であったが先王が没して、友でもある現国王が即位して以来一変した。今でも廊下に赤い絨毯こそ引かれているが、かつてあった派手なシャンデリアや美術品といった物を目にする事は無い。必要最低限のものを残して全ては売り払われ、それで得た資金や美術品に費やしていた資金を土地の開発や経済の発展に費やされた結果、傾いていた王国の財政は建てなおされて、国力も戦前程度までは回復することができた。現王は「名を捨てて実を取った」のだ。
「実の親子だというのに、対照的な親子だな」
記憶を掘り起こしながらコーヴェルは呟いた。戦争が終わり長い歴史の中での束の間とはいえ平和な時代が続いているのだ。彼自身現王がとった方針には賛成だが、美術品の鑑賞を好んでいたコーヴェル個人としては密かに残念に思っていた。
「今の仕事が一段落したらユースに頼んで何か置いてもらうか。これでは余りにも殺風景だ」
「コーヴェル侯爵」
いつの間にか下を向いて歩いていたコーヴェルは、声を掛けられて顔を上げた。
「国王に何か御用でしょうか?」
「ああ、ご苦労さん。少しお話したいことがあってね。国王はご在室かな?」
厳しい面構えをした、国王の執務室を警護する兵士二人の一方に問われて、コーヴェルは柔らかく微笑んで気安い感じで兵士を労った。そして国王の所在を尋ねると兵士は頷き、そしてフッと眉間の皺を解いた。
「お忙しいのは分かりますが、歩く時は考え事を止めて前をお向きになることを小官はお勧めしますよ」
「そうそう、侯爵様に倒れられたら自分らは喜んで職務放棄しますからね。定期的に見回りに来て頂かないと。なんたって俺らは元々は気まぐれな冒険者なんですから」
「ふむ、実に耳の痛い言葉だ。傾聴に値する重要な意見だね。前向きに検討させてもらおう」
兵士たちが軽い口調で進言すると、侯爵は禿げ上がった頭を掻きながら茶目っ気たっぷりに笑って慇懃な言い回しで返答した。
国王の警護という重役を任されている兵士たちだが、貴族の縁故者だったりするわけでもなくただ腕が立つだけの平民だ。
代々の王は貴族の嫡男以外の子弟の重要な「就職先」の一つとして王の警護の役割を与えていた。養成学校を卒業したという「資格」こそ必要になるものの、王の傍に控える事が事が許されるこの職場は爵位を継ぐことの出来ない次男や三男にとって憧れの一つであった。同時に、王との結びつきを強めたい貴族の面々からしても王から直々に言葉を頂く機会のあるこの職務は重要な意味を持っていた。
野心を抱く貴族たちはこぞって養成学校へ我が子を入学させると、続々と王へその子を推薦する。そして王たちは貴族たちの「ご機嫌とり」の手段の一つとして、重用したい貴族の子息を護衛として取り入れていった。
しかしそれも先王までの話。先の戦争にてあわや王の首を取られかけた、という事実を口実に現王であるユスティニアヌスは王城の全ての兵士の登用に実力主義を採用した。これによって貴族の影響力を削ぐことに成功するとともに、平民の中にも「自分も出世できるかもしれない」という野心が生まれ、優秀な人材を発掘できるようになったのも成果の一つだ。
「それって貴族様たちが聞く耳を持たない時にする返事じゃないですか」
その結果、認められたのがゲラゲラと笑い声を上げるこの二人の兵士であった。平民故に礼儀に欠ける点はあるものの、採用当初は王の命を預かる職務であることと登用してくれた王に恥をかかせてはならぬと極力礼儀正しく鯱張って職務にあたっていたのだ。現職に就いて数年が経過した今では、貴族を相手にしても問題ないくらいの礼儀を身につけてはいる。
だが、コーヴェルに対しては当初から彼自身が気安くとっつきやすい様子で声を掛けてきたことと、彼の前ではもっと気を抜いても構わないとお墨付きを与えたおかげで、まるで長年の知人であるかのような気安い距離感が生まれていた。
「いやいや、私もまだまだ元気で怪我なく居たいからね。頭の毛はすっかり無くなってしまったが」
「ぶはっ! 笑わせないでくださいよ、侯爵様! 後で思い出し笑いしてまた他の貴族様に怒られちまう」
「ははは、それは申し訳ないね。おっと、立ち話が長くなってしまった。それじゃあ引き続きここの警備を頼むよ。頼りにしているからね」
笑いを堪える兵士二人を励まし、コーヴェルは扉をノックする。中から女性の声が聞こえ、入室の許可を伝えると、彼は扉を開けて中に入った。
王の執務室に入ったコーヴェルは幾分表情を引き締めた。正面には椅子に座って書類に向き合っている王が居る。王の私室も兼ねている部屋の床には柔らかく毛足の長い絨毯が引かれ、光沢のある木目調の棚があって中には軽食用のフルーツや幾つかのグラス、そしてワインのボトルがある。その他にも調度品の類はあるが、一国の王の部屋としては随分と物寂しい感じだ。
部屋の隅にはメイドが一人控えていて、王の執務の邪魔にならぬように静かに佇んでいた。彼女は部屋に入ってきたコーヴェルを認めると丁寧に礼をした。
「ユスティニアヌス王」
コーヴェルが王の前に進み出て声を掛け、跪いた。王はその声に顔をあげると、書類から顔を上げて幾分表情を緩めた。
「何だ、宰相か」
「何だ、とは随分なご挨拶でございますな。ご所望の調査の結果が届きましたのでお届けに参りました」
恭しく頭を垂れていたコーヴェルが皮肉りながら訪れた趣旨を告げると、王は軽く眼を見張り、一度瞑目した。
「そうか。ならば一度休憩とするか」
レディストリニア王国国王・ユスティニアヌスは執務机から立ち上がると、いつもコーヴェルとの会話に使うソファに細身を沈ませた。その向かいにコーヴェルも座り、王と向き合う。
控えていたメイドが慣れた手つきでグラスにワインを注ぎ、王、そして侯爵の前に並べ、無言で一礼してまた元の部屋の隅に直立して控えていった。
ユスティニアヌスがグラスを傾けて喉を潤す。それをきっかけに二人の関係は王と侯爵ではなく、かつてと変わらない「ユースとエル」に戻るのが常だった。ユースはため息を漏らしてソファに背を預けるとコーヴェルは疲れた様子の王に微笑んで声を掛けた。
「随分とお疲れみたいですね、ユース」
「まあな。愚かな連中を何とか王城から排除できたのは喜ばしい事なんだろうが、こちらの仕事が増えて敵わん」
「伝統と家柄だけが取り柄の無能でも書類の決裁くらいの仕事は出来ていたという事でしょうかな?」
「俺に知らせずにコソコソと勝手に処理していた部分が多いという事だ」
ユースはグラスを一気に傾けて中身を飲み干す。メイドがすぐに二杯目を注ごうと近寄るがユースはそれを制した。
「昼間からこれ以上飲むと酔いが回って仕事にならなくなる」
「畏まりました。では紅茶で宜しいでしょうか?」
「ああ」
「おや? そんなにお酒に弱かったでしょうか? 記憶が正しければ、ユースは執務の合間に毎日浴びる様に飲んでいたと思いますが」
「いつの話をしている。若い頃と同じでは居られんよ。俺もお前も」
「違いないですな」
エルヴィンス・コーヴェルは同意しながら友の顔を見た。なるほど、確かに昔はハリがあって若々しかった肌はいつの間にか皺が至る所に走り、国の改革への熱意を湛えていた眼元も隈で黒ずんでしまっている。落ち窪んだ瞼の奥で改革への熱意こそ変わらず静かに滾っているが、加齢による老いは隠せようもない。そしてそれは自分も。コーヴェルは禿頭を撫でた。
「それはそうと、早く渡すものを渡せ」
「歳をとっても相変わらずせっかちだ」
「残された時間もそう多くは無いからな」
メイドが紅茶を二人分カップに用意し、ユースはそれに口を付けながらエルから渡された書類に眼を通していく。
「ふむ……一応聞いておくが、この税収減に対して男爵は何と言い訳をしている?」
「森にランクCのモンスターが住み着いたせいでそれよりも下位ランクのモンスターが人里にまで押し寄せ、幾つかの村が壊滅的な被害を受けたためだと。付け加えれば王には寛大な処置を頂きたいとの使者の言葉も預かってますよ。まあ――」
「十中八九嘘だろうな。査察官は?」
「すでに派遣しておりますとも。それと、非公式にですが諜報員を商人に偽装させて領内に忍び込ませてます。中間報告だと確かにモンスターによる被害はあったようですが、それもすでに現地の冒険者によって殲滅されていますし、被害度合いも報告の半分以下みたいですな」
「そうか。ならば問題は誤魔化した税金が何処に流れているか、だな。男爵の懐に入っているだけならばまだ良いが、近隣の――」
二人が議論を交わしていたその時、扉の向こうから騒々しい声が聞こえてきた。ユースが顔をしかめ、控えていたメイドが恭しく一礼すると扉を開けて外の様子を確認する。だが開いた扉の隙間からよりハッキリと聞こえてきた声に、ユースは頭を抱えてこめかみを揉み解す仕草をした。
「ユーフィリニア第二王子がご面会をご希望でございます」
「またか」ユースは深い溜息を吐いた。そしてコーヴェルに目配せし、彼が立ち上がったのを見てメイドに声を掛けた。「構わん。入れろ」
その言葉と共にメイドが扉を少し開くと、扉が一気に乱暴に開かれた。その奥から一人の青年が姿を現した。
光を受けて金色に輝く髪に整った容姿。適度に鍛えられた肉体は、軍人に比べれば細くはあるが王子という肩書からすれば立派な筋肉がついている。社交場にただ立っていれば、肩書を無視しても多くの女性が寄ってくるに違いない美丈夫だ。
しかし今の彼の眉間には深い皺が寄っていた。目尻を逆立て、肩を怒らせながらユーフィリニアはユスティニアヌスの元に近づいてくると不機嫌そうに「父上!」と声を荒げた。
「騒々しいな。何事だ」
「何事だ、ではありません! ヤミル男爵の領地の件ですが、どういうことですか!」
「どう、とは何か。ハッキリと言え」
ジロリ、とユスティニアヌスは敢えて不機嫌な素振りを見せて息子を睨みつけた。ユーフィリニアは一国の王として君臨するその眼光にたじろぎ、だが腹に力を込めて父親を睨み返した。
「男爵領を直轄領として王家に組み入れるとのお話の件です! ヤミル男爵は罷免されて爵位を剥奪されましたが、慣例ならば爵位剥奪された貴族の旧領は近隣の貴族領に組み込まれるはずではありませんか! それがどうしてわざわざ王家が治めねばならないのですか!」
「慣例はあくまで慣例だ。過去にそういった領地を王家が治めた前例もある。
それに、ヤミル『元』男爵の罷免理由は王家に虚偽の徴税記録を提出して不正蓄財して私腹を肥やし、更にはそうやって民を虐げて蓄えた財を近隣貴族にばらまいていたという王家に対する背信の疑いもある。おまけに民が決死の思いで行った陳情を『何処かの誰か』が握りつぶしていたおかげで、南部に住まう国民の多くが王家に対する不信を抱いてしまっている」
一部の語を強調しながらユスティニアヌスはユーフィリニアを睨み、今度こそユーフィリニアは怯んだ。そんな息子を眉間に皺を寄せて見つめ、冷めた紅茶を傾けた。その態度には我が子に対する愛情は見えない。
「故に王家が統治を一時預かりとして金銭の流れを明確にし、不正に関与した貴族と商人を罰せねばならん。そして王家が清廉であることを示さねば民はいずれ我々を見限るだろう」
「……しかし慣例から外れた事をすれば貴族たちからの不満も出ましょう。それは王国に不和をもたらし平穏を崩壊させるのではないでしょうか。そうなれば……」
「分かっている。故に直轄領にするのは一時的な物であるし、全貌が明らかになれば近隣貴族のいずれかに組み込まれる事になろう。その後の統治内容次第では王政府内の重要ポストを任せる事も吝かでは無い」
(その時の近隣貴族が今と同じとは限りませんでしょうに……)
二人の話を聞きながらコーヴェルはこっそりと独りごちた。
ヤミル元男爵は不正により罷免された。だがコーヴェルが知るヤミル元男爵はただの一人であのような不正に手を染める度胸は無い。恐らく複数の貴族や商人が関わっていたはずだ。そしてユスティニアヌスはその辺りを徹底的に洗い出す心づもりでいる。全てが明るみに出た時、あの一帯の貴族の首は全てすげ替えられているに違いない。そして王は、信用できる貴族を一帯の「大貴族」として任命するだろう。そうやってこの二十年、少しずつ少しずつ貴族の力を削ぎ落としてきた。
であれば、王は嘘は言っていない。欺瞞に満ちた言葉であるが、息子であるユーフィリニア王子はそれを見抜けなかったようだ。あからさまにホッとした表情をして「ならば良いのです」と、まるで自分の方が現王よりも優位に立っているかの様な口ぶりだ。第一王子が病で没した今、いずれ自らの治世となることを疑っていない。
(理解っては居ましたが……)
この国の未来に不安を禁じ得ない。今、この国の貴族約四五〇家のうちのどれだけが王国が置かれた状況を正しく理解しているか。
ため息を吐きたかったが、コーヴェルは何とか鉄の意志でそれを我慢し、満足そうに肩で風を切って執務室を出て行く後ろ姿を見送った。
頭を抱えてソファにもたれ掛かるユースの姿に苦笑いし、再び彼の正面にコーヴェルは腰を下ろした。
「頭の痛い問題ですね」
「全くだ……あの子はもうダメだ。先ほどの言葉……アレはユーフィリニアの舌を借りた貴族どものセリフだ。連中に毒されて貴族派のスピーカーと成り果ててしまっている」
「陛下が教育を怠ったためですな」
「耳が痛いな。国を立て直そうとそちらに必死になってしまったせいで家族を守る事が出来なかった。政争で妻を失い、病で息子を一人失い、そして……」ユースはコーヴェルの前のグラスを乱暴に掴むと残っていたワインを一気に流し込んだ。「まったく、父親失格だよ、俺は。一番大事にすべきものを自分の手から放してしまったのだからな」
「後継者を育てるのも国王の重要な仕事の一つです。その意味では第一王子……ユースフィル様が亡くなられたのが悔やまれます。あの方はユースに勝るとも劣らない聡明さと芯の強さがございましたから」
「よせ、あの子は死んだんだ。今更悔いても無駄だ。しかし……そろそろこの問題にも本気で取り組まねばなるまいな」
「まだ、諦めるのは早いのではないでしょうか?」
メイドが入れ直した紅茶を口にしながらコーヴェルはそう言った。彼の意図に思い至らず、ユースは怪訝な表情を浮かべる。
「まだ姫様がいらっしゃいます。聡明さこそユースフィル様には及びませんが、真に民を思う心と決断力、そして何よりも姫様には人の本質を見抜く力がございます。姫様が後を継がれればきっとこの国は良き方向に向かうことと存じますが」
「……あのお転婆とは縁を切った。確かに民を思う心は王族として立派に持ちえているが、キレイ事だけでは世は回らない。まして王族としての役目を放棄してまで出奔するなど言語道断だ。もう娘ではない」
「親子の縁など、そう簡単に切れるものではありますまい。本気でユースが閉じ込めようと思えば姫さまを王城から出さぬようにもできたはず。城から忍び出られた後であってもすぐに捜索をさせれば見つけることもできたでしょう。それをしなかったのは――」
「それまでだ、エル」王は苦虫を噛み潰した様に苦悶を浮かべた。「あの子はもう俺の娘では無い。好きに生き、好きに野たれ死ぬ。そういう生き方を選んだのだ。そして、それが全てだ」
話は終わりだ。最後にそう付け足してユースはエルから視線を外し、メイドに「ワインをくれ」と命令した。そしてグラスに注がれたワインを一息で飲み干すと手元の書類に集中する。
そんな友でもある王の姿を見たコーヴェルは首を横に振ってそれ以上何も言わず、自分も目の前の仕事に意識を集中させていった。
2017/5/7 改稿
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