7-1 記憶(その1)
第2部 第41話です。
宜しくお願いします。
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。
魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。
シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。フィアの被害者。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖でいつも不機嫌そうな顔をしている。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。
ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。
ユーフェ:猫人族の血を引く貧民街の少女。表情に乏しいが、最近は少しずつ豊かになった気がする。
トントントン。
小気味の良いリズミカルな音が意識の中に入り込んできて、文斗は眼を開けた。
カーテンの隙間からは朝日が差し込んできている。半分閉じた瞼を擦って枕元の目覚まし時計を探す。適当に腕を動かしていたら勢い余ってはたき落としてしまい、ガシャン、とベッドから転げ落ちた。
文斗も半ば転げ落ちるようにしてベッドから這い出て時計のデジタル表示を見た。時刻は六時二十九分。いつも通りセットした一分前だ。直後に表示が切り替わって三十を示す。同時に耳障りな雑音が鳴り始め、それを一秒立たずに止める。たった一分だが妙に損した気分になるのは何故だろうか、と何年も悩み未だに答えの出ない問いが浮かび、だがそれもコンマ数秒で思考を投げ捨てた。
あくびを思い切りし、背伸びをしながら部屋のドアを押し開ける。トントントン、と包丁がまな板を叩く音が少し大きくなり、文斗も同じようにトントントンと調子を合わせて階段を降りていく。降りきる頃になると、味噌汁の匂いが少しだけ眠気を覚ましてくれた。
「お、文斗。おっはよー! 今日もいかした目つきだな」
「おはよう、母さん。アンタ譲りのこの眼を見てそう評価するポジティブさが今日も羨ましいね」
「バーカ。私も父さんも、私のこの顔が気に入ってるんだよ。なら私そっくりの文斗だって褒める以外に何をしろっていうんだ?」
「母さんが子供の頃は?」
「ごめん、大嫌いだったわ」
朝一でいつも通りのくだらないやり取りを交わし、文斗は洗面所に行って顔を洗う。初夏ともなれば水は大分温み、そこそこの冷たさが心地いい。髪を簡単に濡らして寝癖を直し、タオルで拭き取る頃にはまな板を叩く音は終わっていた。
「おっと、すぐご飯注ぐから味噌汁先に飲んでな」
「分かった。父さんは?」
「さっき出てったよ。私にはよく分かんないけど、朝一で会議があるんだってさ。早めに出社して資料を作らなきゃとかなんとか言ってた。昨夜も遅かったし、別に生活に困ってるわけじゃないんだからそこまで働かなくてもいいのにね」
「会社員ってそんなものでしょ」
ませた返事をしながら文斗はいただきます、と手を合わせ、注がれたご飯を口に運んでいく。遅れて母親――文も文斗の向かいに座っておかずを食べ始める。チラリと文斗が顔を伺うと、自分で作った料理だが実に美味しそうに食べる。もっとも、独特な味付け――客観的には美味しいという評価は得られまい――なのだが、彼女は心底美味しいと思っているようである。
「最近どうよ、中学校は? 慣れた?」
「んー、まあ慣れたんじゃないかな?」
「友達はできた? 部活動とか気に入ったのはあった?」
「友達はぼちぼち。なんていうかな、波長が合いそうなのが二人くらい。後は、まあ話し掛けられれば応えるくらい。部活はまだ考え中」
「……何ていうか、淡白だよね、アンタ。まったく誰に似たんだか」
「母さん以外いないでしょ」
いつ鏡で見ても、母親の面影しかでてこない。性別が違うというのに素晴らしい似方だと自分で自分の顔に呆れを通り越して感心してしまう。もちろん母親が言っているのは性格的な意味でだが。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでした」
食器を流しに片付け、文斗はその足で部屋に戻って通学の準備を始めた。まだ真新しさの抜けない学生服に袖を通し、大分慣れてきた手つきでベルトを締める。
艶が少し消えかけている学生鞄を掴むと再び階段を降りていく。そのまま玄関へ向かう、かと思えば文斗はダイニングへもう一度入っていく。
「はい、いつもの」
「ありがと」
立ったまま汁茶碗を渡され、味噌汁をもう一杯飲んでいく。
母親の料理は余り美味しくは無いが、文斗は彼女の味噌汁の味だけは好きだった。塩気が弱いものの、刻み生姜を入れたピリッとした辛味が気怠げな朝の時間に喝を入れてくれるようで、家を出る前に二度目の味噌汁を味わうのがすっかり習慣になっていた。
「ごちそうさま。それじゃ行ってくる」
「はーい。それじゃ今日も一日、頑張っていこー!」
玄関で文斗が靴を履いたところで、文は文斗の髪をガシガシと乱暴に撫でて送り出す。
「……いつもの事なんだけどさ、もう止めない?」
「なんでよー。元気出るでしょー? それに一日一回は文斗の髪撫でないと母さん死んじゃう」
「それこそなんでだよ?」
四十近い歳だというのに、まるで小学生みたいにいたずらっぽく笑って文斗の控えめな抗議を一蹴した。文斗は溜息を吐いて呆れてみせるも、無邪気な笑顔を見せる母親にそれ以上文句を言うのを止めた。
「ま、いいや。それじゃあいってきます」
「いってらっしゃーい! 気をつけて行くんだよ?」
家の前まで出てきて見送ってくれる文に手を振り返し、キラキラと眩い朝日に溶けていくように朧げな母親に文斗は背を向けた。
――それが母親を見た最後だった。
トントントン。小気味の良いリズミカルな音が意識の中に入り込んできて、キーリは眼を開けた。
半分閉じた木窓の隙間から朝日が差し込んできている。半分閉じた瞼を擦って枕元の目覚まし時計を探す。しかし時計は何処にも無かった。
(ああ、そうか……夢か)
余りにも鮮明な夢だったために、キーリは自分が「キーリ」であることを一瞬忘れてしまった。あの日はもう二度と戻ってこないと分かっているはずなのについ錯覚してしまった。
体を起こして部屋を見渡すと、そこには学習机もベッドもない。代わりにこの世界で新たに得た仲間たちがまだ寝息を立てている。体感ではまだ陽が出たばかり。如何にこの世界の朝が早いとはいえ、起きるには少々早過ぎだろう。
もう一度寝なおそうとするも眼は冴えている。深い眠りだったのだろう。寝付ける気がしなくてキーリはそのまま立ち上がった。
仲間の寝ている隙間を滑るように移動して扉に手を掛ける。だがこの先にいるであろう人物の事に思い至り、キーリは逡巡した。
夢でありませんように。そう願うと同時にキーリは願った。どうか、夢でありますように。相反する願いを抱いたまま、そっと音を極力立てないように扉をスライドさせた。
眩い朝日がキーリの眼を焼いて、思わず眼を細めた。刹那の時間視界が白く染まって、やがて朧げな輪郭が浮かび上がってくる。普段は黒っぽい彼女の髪が朝日に反射して栗色に輝いている。その光の下で包丁が変わらず一定のリズムを刻んでいた。
キーリはその場に立ち尽くした。懐かしさがこみ上げてくる。場所は違えど、世界は違えど、キーリは歳を取ってしまったけれども、先程夢に見たものとほぼ同じ景色がそこにある。けれども、彼女がそこに居るのは夢じゃない。
もし、いつか出会えたら何と罵ってやろうかと考えていた。胸ぐらを掴み上げて喚き散らしてやろうと思った。こんこんと、親を無くした自分がどのような思いで生きてきたのかを聞かせてやりたいと思っていた。泣いて謝っても絶対に許してやらないとも、この世界を知る前は思っていた。
だがこの世界を知り、生き、転生というものが現実にあると理解してその思いは薄れた。生きていて欲しいと願った。会えなくてもいい。母が、父がこの世界で生きていてくれているのであればそれでいいと思った事もあった。だが今、やはり心の片隅で会いたいと思っていたのだ、とキーリは感じていた。
「あ――」
キーリの気配に気づいたアヤが振り向く。自分にそっくりの目元。柔らかそうな髪。自分と同じように若返って転生したのだろうか。昨夜聞いた声も姿形も性格も何もかもがキーリの記憶の中の母親と一致していた。他人の空似では無い。確かに母親だ。その姿を見るだけでキーリの中で感情がこみ上げてくる。
「おっはよー! 早いねー。もうちょっと寝てても良かったのに。あ、もしかして包丁の音で起こしちゃった?」
「あ、いや……いつもこれくらいに起きてるから」
自然とキーリの口調も昔のものに戻る。キーリ自身は気づいていないが、今の彼の戸惑った表情もまたアクが抜け落ちてただの「文斗」へと戻っていた。
「そっか。じゃ顔洗っといで。で、悪いんだけどさー、戻ってきたら皆の朝ごはん作るの手伝ってくれない?」
「うん、別に良いけど」
「ホント!? いやー助かるわー」
アヤは心底嬉しそうに笑った。その姿もまた、キーリの記憶と寸分の違いも無い。自然とキーリの顔も綻んだ。
「大げさだな。大したことないよ」
「いやいや、皿の準備してくれるだけでもマジで大助かり大助かり。これだけの人数の料理なんて作ったことないからさー。作り始めたは良いけどどうしたもんかと思ってたんだよねー」
タハハ、と頭を掻いてアヤは笑い声を上げた。その様子を見て変わらないなぁ、とキーリは苦笑いを浮かべた。かつて失われた親子の姿がそこにあった。
だが――
「それじゃ顔を洗ってくるよ」
「うん、待ってるよ。それじゃ悪いけどお願いね。えーっと――」
キーリは顔を洗うために背を向け、アヤも料理に戻りながら彼に声を掛けた。
「確か、キーリくんだったっけ? よっろしくー!」
アヤはキーリを覚えていなかった。
考えてみれば当たり前の話だ。
「これは……」
「ふっふーん、美味しいでしょ?」
「ええ。今まで味わったことのない味ですが、とても美味しいです。気に入りました」
文斗が昔大好きだった味噌汁を飲んだフィアが驚きに眼を丸くし、素直な感想を漏らすとアヤは嬉しそうに笑った。
キーリが全員の顔を見渡すと、普段から飲み慣れているであろうカレン・カイトの姉弟を除いて、初めて味わうであろう味噌汁を若干の驚きとともに堪能している。そんな彼らの表情を見るとキーリも嬉しくなり、綻びそうになる顔を隠すように汁茶碗を傾けた。
熱い汁がキーリの喉を流れていく。口の中に広がる味噌の薫りが香ばしく、そして霧医家独特の生姜の強い味わいが懐かしい。ぴりりとした刺激が舌を少し刺し、活力が漲るような文斗の大好きな味。数十年ぶりだが、記憶の中のそれとまるで変わらない。
この味を出せるのは霧医・文だけ。だから今、テーブルを挟んでちょうど向かい側に座って頬杖を突きながら楽しそうに食事の風景を眺めているアヤ・ウェンスターが霧医・文本人であることは間違いない。
「あれ? かーちゃん、味付け変えた?」
「あ、分かる? 分かる?」
「だっていつもと違ってまずくねーもん」
「確かに。前に戻ってきた時は相変わらずの味だったのに……」
「へっへーん、私だって成長するんだから。いつまでも『メシマズ王』の称号に甘んじている私ではないのだよ、ワトソンくん」
「ワトソンって誰だよ……?」
褒められて胸を張るアヤ。変わらないその子供っぽい仕草に、キーリと同じ世界を知らなければ出てくることはないであろう単語。
「ねぇ、レイスさん。これ、本当にお母さんが作った?」
「はい、アヤ様が確かにお作りになられました……味付けの方は少々エキセントリックな好みでございましたので、私の方で味付け直させて頂きましたが料理を作られたのは確かにアヤ様でございます」
「ちょっ! レイスちゃん、それ内緒って約束!」
「ああ、これは失礼しました……あのような味付けをお嬢様に食べさせようとなさったのかと思うと少々腹が立ちまして、約束を失念してしまいました」
じわりと怒りをにじませるレイスに、アヤは冷や汗を掻いて眼を逸し、下手くそな口笛で誤魔化した。
料理の腕自体はヘタではないくせに味覚が普通と違うのと、一般的な味付けをつまらないと思うのか、いつも独特の味付けをしてアヤは文斗や父親を閉口させていた。それはこの世界でも変わらないらしい。
容姿、性格、料理の腕前に口調。何もかもが記憶の霧医・文である。確かに、彼女は文斗の母親であった。キーリはそう確信している。
しかし、アヤはキーリを見ても文斗とは気づかない。考えてみれば当たり前の話である。最後にアヤと別れて、体感で二十年。アヤは変わっていないが、文斗はキーリとなり、歳を取り、姿も変わってしまった。母親の中の文斗の姿は中学生で止まっているし、キーリの容姿は、あの事件を境に「霧医・文斗」とは変わってしまった。顔つきは文斗の特徴を残しているが、やはり文斗とは別人。見た目の点からも、過ぎてしまった時間の観点からも気づかれないのは仕方のないことだ。
或いは、文斗のことを忘れてしまっているのかもしれない。キーリは彼女の一挙手一投足を眼で追いながらそう思った。もしもキーリと同じように転生したのであれば、何があってもおかしくない。カレンも、母親は昔の事を話したがらないと言っていたが、それは話したがらないのではなく、記憶を失って話せないのかもしれない。記憶を失う事は辛いことだろうが、キーリはせめてそっちであって欲しいと願った。
「しっかし、器用だよな、カレンたちって」
「ん? 何が?」
イーシュが呆れ三割、賞賛七割といった感じでカレンとカイトの二人を褒めた。その視線は彼らの手元に注がれている。
「何って、その道具だよ。よくそんな棒二つで飯を食えるよなって思ったんだよ」
「ああ、箸の事ね。ま、慣れだよ。慣れ。昔っからお箸使ってるし、逆に慣れたらフォークよりも便利なんだよ?」
「それも東の方の風習なのか? アヤさんは東の習慣に興味があると伺ったが」
「そーよ」組んだ手の上に顎を乗せた体勢でアヤがフィアの疑問に答える。「元々生まれはそっちの方らしいんだ、私は。だから、こっちの文化も悪くないんだけどそっち風の物に囲まれてる方が落ち着くんだろうね」
「なるほど、それで部屋の内装もそちら風というわけか」
納得顔でフィアは頷くと、隣で黙って食べ続けているキーリに眼を向けた。
「やはりキーリの故郷もその『ハシ』とやらを使っていたのか? 特に違和感なく使えているみたいなんだが」
「……まあ、そう言えるな」
朝食の準備が終わって席に着いた時に、他のメンバーにはフォークとナイフが並べられていたがキーリの前に置かれていたのはカレン達とお揃いの箸だった。
もしかして思い出してくれたのか、とアヤの顔を最初は見たものだったが、並べたのはカレンだったようで、「キーリくんなら使えると思って」と彼女は笑ったのだった。キーリとしても箸の方に懐かしさがあるためそのまま黙って使っているが、少し落ち込んだ。
「そうか。そこの、沓脱石だったか? それの使い方も知っていたし、二人とも風習が近い地域の出身じゃないのか?」
「もしかしたら私達、同じ国の出身なのかもねー」
何気ないアヤの言葉が静かにキーリの胸を抉る。軋むような痛みをキーリは味噌汁で流し込み、チラリと彼女の顔を見た。彼とそっくりな、ともすれば射殺そうとしているのかとも錯覚しそうな眼差しであるが、よく見ずとも分かる。特に深いことは考えておらず、ただ楽しそうにしている時の瞳である。
やっぱり覚えていないのだろう。キーリは落胆とともにご飯を胃に掻き込んだ。
「ところでさ」
アヤが口元を三日月状に変えた。ニヤニヤと笑い、その視線はフィアとアリエスの髪に注がれている。
「何か?」
「いや、その髪飾り。かんざしって言うんだけどね、気に入ってるのかなって思って。昨日から付けてるし」
「む……まあそうですね。気に入ってます」
「綺麗ですし、ワタクシ達とは異なる文化を思わせるデザインも面白いですわ。それにその、女性らしさがアップするような気がして」
「うんうん。二人共可愛いと思うよー。で、だ。ちょっと気になったのは、それって自分で選んだの? それとも――」ニヤッと笑ってアヤは親指を立てた。「男から貰ったのかな?」
答えを確信したようにおっさんくさい笑みを浮かべて問い質す。フィアとアリエスは揃って顔を少し赤らめてキーリを見た。
「そっかそっか! いやー、やるねー、よっ、色男っ!」
「……うっさいな。別にそんなつもり……」囃し立てられてキーリは否定仕掛けたが、それも失礼か、と思い直す。「まあ、世話になった感謝の気持ちだよ」
「またまたー! おっと、これ以上ツッコむのは野暮ってやつかなー?」
「え! 嘘!? マジで!? マジでキーリのプレゼント!? くあー! まさか三年も前からお前らそんな関係だったのかよ!?」
「だから感謝の気持ちだっつってんだろ」
「いや、私達は別に……」
「そ、そうですわ! わ、ワタクシはフィアとキーリのお二人から貰ったわけですし、け、決してそういう訳では……」
「え? てゆーか、キーリ! テメェ二股――」
「イーシュくんは」
「黙ってろ」
テンションが上って冷やかし始めたイーシュ。しかしそれも彼の両脇に座るカレン・ギース組に首元をフォークでグサリと刺され、昏倒して終わった。
「お母さんも。私の友達をからかわないでよね」
「えー、だってなんか微笑ましいじゃない。若いっていいなーってさ。
それにさ、やっぱり嬉しいじゃない。自分が作った物がさ、こうしてキチンとプレゼントとして贈られてたりするのを見るのって」
「……へ?」
「自分で?」
「作ったもの?」
キーリは箸を口に咥えたまま間の抜けた声を上げた。フィアとアリエスは互いの髪に刺されたかんざしを見合うと、揃ってアヤの方へ視線を向けた。
「あ、言ってませんでしたっけ?」三人の様子を見て、カレンはイタズラが成功したように楽しそうに笑った。「実はお二人のそのかんざし……お母さんが作った物なんですよ」
唖然とする三人。彼らのその瞳には、得意気に∨サインを見せるアヤの姿がしっかりと映っていた。
「どうだい? 興味があるならどうやって作ってるか、工房を見学してみるかい?」
朝食を取り終えたキーリ達に、アヤはそう提案した。突然の申し出にフィアやアリエス達はやや驚いてアヤを見るが、彼女は機嫌良さそうにニコニコしている。
「興味はありますが……」
「もしアヤさんが宜しいのであれば、ぜひ見学させて頂きますわ」
「……いいの? いつもなら人に見せたがらないのに」
「確かに。厳重に鍵を掛けて立ち入られないようにしているようですが、本当に宜しいんでしょうか?」
訝しげな顔をするカレンだが、アヤは「構わないよ」と言いながら椅子から立ち上がった。
「鍵を掛けてるのは、私の技術をコソコソと盗もうって連中がたまに居るからさ。技術だけで金になるとでも思ってるんだろうね。君らは別に私の技術を使ってどうこうしようって腹づもりも無いだろうし、せっかく可愛い可愛い娘が友達を連れてきてくれたんだ。特に大したもてなしも出来ないし、せめてこれくらいはさせてくれた方が私としても心残りがないしねー」
「私達が勝手に押しかけているわけですし、気を遣って頂かなくても……」
「いやいや、気くらい遣わせてちょうだい。それに、聞いた話だと君ら二人とももう三年もその自信作を使ってくれてるんでしょ? 物を作ってる人間からすればそんな嬉しい事なんて無いんだよねー。だからその御礼の意味も込めて、ね?」
「そうですか。そういうことであればぜひ。このような繊細な物をどのように作っているのか興味があったんです」
アヤの話にフィアも納得し、申し出に頷いた。フィア自身は細かい作業が苦手であるし、余り美的センスにも自信はない。だからこういったセンスが問われるような職を生業にしている人に興味があった。
「他はどうするかな? 別に見学したからかんざし買ってけ、とかは言わないから気軽な気持ちで見てくれて構わないよ」
「でしたら、ぜひ私も見学させてください」
「んー、じゃ私も見てみよっかな?」
レイスが丁寧に頭を下げ、ユキは半分興味、半分暇つぶし、といった感じだろうか。対照的な二人の態度だが、どちらにもアヤは快く応じた。
一方の男性組だが、ギースとイーシュの二人は辞退を申し出る。
「俺は別にいい。すまねぇがあんま興味ねぇし」
「俺もなぁ……細かい作業はするのも見るのも苦手だしな」
そんな中でシオンは見学に手を上げた。魔法具制作に最近興味を抱き始めており、製作工程には細かい作業もある。その参考になれば、と見学に申し出ただけなのが、アヤは含み笑いをすると楽しそうにシオンの頭を撫で回した。どうにも彼の頭は誰にとっても撫でやすい位置にあるらしい。
「あらあら、少年ももしかして、コレかい?」先程と同じように親指を突き上げた。「いいよ、気になる女の子にぜひプレゼントしてあげなよ。なんだったら一つ持っていくかい?」
「い、いえ! 僕は別にそんなつもりじゃ……」
「ははは! 隠さなくたっていいよー! そうだ! 最近作ったとっておきの自信作があるんだ! これで気になる意中の娘もイチコロ! それに少年は可愛いから、万が一自爆したら自分の髪に刺したってきっと似合うよ」
「シオンの髪に……うむ、悪くないな」
「だから違うんですって……フィアさんもその鼻血しまってください!」
「それはムリだ」
「諦めないでください!」
シオンの否定が聞こえないのか聞く気が無いのか――恐らくは後者――、勝手に話を進めるアヤに、一人妄想を膨らませて悦に浸るフィア。突っ込みに疲れてシオンはグッタリと項垂れた。
「……かんざしってなに?」
「かんざしというのはワタクシとフィアの髪に刺してるこの髪飾りの事ですわ」
「ユーフェちゃんもお母さんの作業、見てみる?」
カレンの隣でカップに入ったホットミルクをちびちびと飲んでいたユーフェにアリエスは自分のかんざしを外して渡すと、彼女はまじまじと眺めた。
「私も、見てみたい」
「そう!」アヤは嬉しそうに手を打ち鳴らした。「ちょうど小さい子向けの作品も作ってみたいと思ってたんだー! ならせっかくだし、モデルになってくれないかな?」
「……もでる?」
「この場合だと、お母さんの作ったかんざしをユーフェちゃんが使ってみて、私達からどう見えるか確かめる事かな?」
「ユーフェちゃんは可愛いからねー。更に可愛さを増すためにどうすればいいか、うーん、今から腕が鳴るなー」
可愛いとおだてられた訳ではないだろうが、ユーフェは自分に向けられたアヤやアリエス達の期待を感じ取り、両拳を握った。
「……がんばる」
「あーん! もう可愛い子だねー! 食べちゃいたい!」
そんな仕草にアヤの母性が刺激されたらしい。いつの間にかユーフェの背後に回っていたアヤは満面の笑みでユーフェを抱きしめると、自分の頬をユーフェに擦り付け撫で回し始めた。困ったようにユーフェの表情が変わるが、特に何も言わずに黙ってされるがままになっていた。
「……」
「はぁ……お母さん、ユーフェちゃんが可愛いのは認めるけど、ユーフェちゃんも困ってるよ?」
「あらあら、嫉妬?」
「どうしてそうなるのよ……」
「しょうがないなー……それ!」
「はにゃっ!?」
ユーフェを椅子の上に戻すと、アヤはあっという間にカレンの背後に回り込み、「うりゃ~!」と叫びながらカレンの顔を胸に抱きしめた。
「ちょ、お、お母さんっ!」
「はいはい、大丈夫大丈夫。お母さんはちゃーんとカレンの事を一番に愛してるわよー。だから安心しなさいなー」
「わ、分かってる! 分かってるから! だから離――」
「ほら、カイトも一緒にギューっと」
「俺もかよっ!?」
カレンを抱きしめながら、我関せずだったカイトを片手で引き寄せ、アヤは姉弟二人を抱きしめて頭を撫でていく。皆の前で今日も親子のスキンシップを晒すはめになり、二人共顔を赤くしてもがくが、アヤは気にする素振りもみせない。
そもそも彼女にとって子に愛を注ぐ事の何が恥ずかしいのだろう、と思っている。だから周囲の視線などお構いなしだ。
フィアやアリエス達にしても、親子の仲が良好な事を賞賛こそすれ、咎めるつもりなど毛頭ない。微笑ましい光景に優しい眼差しを注ぐだけである。もっとも、自分が同じ立場であれば死ぬほど恥ずかしいだろうと思い、密かに胸を撫で下ろしているのだが。
微笑んでいるフィアだったが、その隣に座っていたキーリの椅子がガタリ、と音を立てた。
「俺も見学はいいや。フィア達でゆっくり見学させてもらってこいよ」
そう話すキーリの表情はいつもどおりだ。頭を掻きながら立ち上がり、特に口調にも変化はない。だが椅子が奏でた音がやけにフィアの耳に残った。
「……なんだよ、フィア? 俺の顔に何かついてっか?」
「いや、そういうわけではないんだが……いいのか?」
「かんざしは見事だと思うけどな。別に俺が作るわけじゃねぇし、作業工程にあんま興味はねぇんだ。それに、こういう装飾品が作られる過程ってのは見ねぇ方が良いって思ってんだ。
アヤさんも悪ぃな。せっかく誘ってくれたんだが」
「んーんー、別に構わないよ。作成途中の泥臭い作業は見たくないって人も居るっていうのは確かだし、私としても君が私の作品の出来上がりを気に入ってくれたってだけでも嬉しいしね」
キーリの知る「文」は、自分の考えを他人に押し付ける事を嫌う性分だ。だからキーリの断りも実際本当に気にしていないのだろう。
「んじゃ俺は腹ごなしにちょっと体動かしてくるわ。今日は特に皆で何かする予定は無かったよな?」
「ああ、今日は一日自由にしてもらっていいぞ」
「そっか。んじゃ俺も今日は一日一人でプラプラ村でも散歩すっかな」
そう言い残し、キーリは手を振りながら一人、家から出ていった。
「んじゃ俺も」
「俺も。もしどっか行く時はちゃんと声かけてくれよ?」
ギース、イーシュも続いて家から出ていく。ならば早速、とアヤもカレンたちを解放して作業部屋の整理に向かった。
「実際にどうやってこんな綺麗な細工なさってるのか、楽しみですわ」
「そうだな。繊細な造形だし、さぞ難しい作業だろうな。ユーフェに似合うかんざしも気になるところだしな」
キーリ達の事を頭の中から追い出し、アリエス達はこれから見る作業風景を想像して会話を弾ませていく。ユーフェも、もう一度アリエスのかんざしを見つめ、陽にかざしたりと興味を膨らませているようだった。
そんな彼女らに気づかれないよう、カレンもそっと一人、外に出ていく。そして俯き、やがて顔をあげると、もうずっと遠くに小さくなっているキーリの後ろ姿を追いかけていった。
お読み頂き、ありがとうございました。
気が向きましたら、ポイント評価、レビュー・ご感想等頂けると幸甚でございます<(_ _)>