5-3 ずっとスタンド・バイ・ミー(その3)
第2部 第26話です。
宜しくお願い致します<(_ _)>
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。
魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。フィアの被害者。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖でいつも不機嫌そうな顔をしている。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。
ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。
エーベル:フィアが出会った少年。生活のために窃盗を繰り返していたところ、フィアが雇ったが貧民街で殺害された。
ユーフェ:エーベルと共にいる猫人族の血を引く少女。表情に乏しいが、エーベルを心配している様子を見せる。
ローラント:キーリ達が護衛依頼を受けた行商人。愛犬と共に町から町を渡り歩いている好青年。
モンスターも問題なく退治し、一時的に足止めは食らったものの馬車は順調に予定の旅程を消化していた。
山に近づいたせいか、幾度か野犬や低ランクのモンスターとその後も遭遇したが、その程度に手こずるメンバーではない。あっさりと一蹴して曲がりくねった山道に差し掛かったところで、ちょうど山に夜の帳が降りてきた。
まだ少し明るさは残っていたが、馬車を連れて暗い山道を進むのは危険であると旅慣れたローラントは判断し、少し早い野営をする運びとなった。
食事を取り、酒を軽く傾けながら焚き火を囲んで談笑する。そうしている内に夜も更け、それぞれが銘銘に休息を取っていく。
夜も交互に見張りを行うこととして、担当以外のメンバーは疲れを溜めないよう早めに就寝し、今は荷台の上や茂った草の上で体を横にしている。静かな森にイーシュの気楽そうないびきが響いていた。
その声を聞きながらフィアは一人で焚き火の炎を見つめていた。
最初に見張りを行うのはフィアとレイスだが、今はレイスは周囲で聞こえてきた物音の確認に向かっていてここにはいない。
またしても一人残される形になったフィアは膝を抱え、そこに顔を半分埋めたまま自分を照らす炎を眺めている。そうして炎の温もりを感じていると何となく気持ちが落ち着くのは、自分が炎神に愛されているからだろうか。
「お疲れ様です」
そうしてぼんやりしているところにローラントがやってきた。手にはカップを二つ持っていて、昼間と変わらないどこか人懐っこくもある笑みを向けていた。
「こちらが依頼した立場とは言え、夜も寝ずに見張りとは大変ですね。ありがとうございます」
「いえ、それが私達の仕事ですから……モンスター避けの魔法陣もありますが、万が一強力なモンスターや野盗がやってくるとも限りませんし、見張りをするのが一番確実なので」
「そうですか。いや、実に心強いです。普段は護衛を付けられなくて一人で旅をすることが多いのですが、その時はどこかの村でない限りゆっくり落ち着いて眠ることもできません。今夜は安心して眠れそうです。
ああ、よろしかったらこちらをどうぞ。いつも私が飲んでいるお茶です。これを飲むと疲れがよく取れるんですよ。お熱いので気をつけて」
「っと、すみません……ありがとうございます」
矢継ぎ早に言葉がローラントから投げかけられ、少々面食らいながらフィアは差し出されたカップを受け取った。言葉が達者で一方的にカップも押し付けられた形だが、不快な感じがしないのは流石弁舌で各地を渡り歩いている商人ならではだろうか。
そう思いながらフィアはカップに口を付け、やや上目遣いで彼の様子を伺う。ローラントはちょうど焚き火を挟んでフィアの反対側にある倒木に腰を下ろし、笑顔を浮かべて自分の茶を飲んでいた。
特に何かを企んでいる様子はない。肝は座っているようだが荒事が得意では無いのは昨日今日の彼の様子からも分かっているし、基本的に善人であろうと思っている。だがここ最近の自分の調子がよろしくないのは分かっているし、今はレイスも近くにいない。失礼は承知の上で警戒だけはしておくべきだろう、と考えながらフィアはカップの茶を口に含んだ。
「あ……美味しい」
「でしょう?」思わず漏らしたフィアの感想に、ローラントは笑顔で嬉しさを顕わにした。「以前に立ち寄った村でだけ飲まれていたものだったんですが、振る舞われて一口で気に入ってしまいまして。無理を言って個人的に分けてもらったんです。以来、村に立ち寄る度に個人的に購入させてもらってるんです。夜に寝る前にはこれを飲まないとどうにも落ち着きませんで」
「お気持ちは分かります。渋みがあるのに何処か甘さがあって、だが飲んだ後には清涼感が残る……これだけのものなら十分以上に商売のタネになるでしょうね」
「はは、ですが小さな村でだけ作られているものですからね。流通には乗りませんよ。それに」
「それに?」
「村の彼らも世の中に広まることを望んでいる訳ではありませんから。彼らは彼らの生活に必要な分だけを無理せずに作る。確かにこの茶を大々的に売りに出せばそれなりの金脈にはなるでしょうが、彼らの生活を一変させかねません。だから彼らが望まない限り私から商品とすることはありませんし、他の商人にも教えるつもりもありませんよ」
小さな笑みが焚き火で照らされる中、ローラントは微笑みながらそう告げた。商人としては素人目にも不器用だなと思えるがやはり良い人のようだ。そう思い直してフィアは警戒を解いた。
「申し訳ない、差し出がましい事を申しました」
「いえいえ。確かに損な性分だと自分でも思います。ですが、『損して得取れ』、『信頼はどれほどの金貨も及ばない』――そんな言葉もありますし、ずっと誠実な商売を続けていけば良い結果が出迎えてくれると信じてますよ」
「ええ、私もきっとローラントさんが成功すると思います」
フィアの心からの賛辞に照れくさそうにローラントは微笑んだ。
「ところで……少し気になっている事がありまして」
「なんでしょうか?」
ローラントはカップの茶を飲み干すと、何処か困ったように頬を掻いた。そしてケトルを取りに一度席を外し、戻ってきてカップにお代りを注ぐとフィアにも勧めてくる。フィアは少し迷ったが、彼の勧めに応じてカップを差し出す。戻ってきたカップから漂う香りが芳ばしく、手のひらから伝わる熱が冷えた体を溶かしていくようだ。
「唐突で申し訳ありません。フィアさんと仰いましたか、道中の様子を見ていると、どうも何か思い悩まれているように感じまして」
「……」
「荷台でもふさぎ込んでいるようでしたし、今もじっと考え事をしているみたいでした。お仲間の方々も貴女にはかなり気を遣われているようでしたし、もし宜しければ私にお悩みを話してみませんか?」
「……それは」
「ああ、すみません! 昨日今日出会ったばかりの人間相手に急にこんな事言われても困りますよね。すみません、どうにも私はお節介な性分なようで、困っている方をみると放っておけないと言いますか何と言いますか……」
戸惑ったように見返してくるフィアに、ローラントはワタワタと慌てたように手を振った。彼自身も自分の性分を悪癖だと認識しているのだろう。バツが悪そうに頬を掻きながら気まずそうに眼を逸した。
だがそれでも彼は引く気はないようで、小さく溜息を吐きつつも柔和な笑みを浮かべた。
「ですが、どうでしょう? どうせ私は後数日でお別れする程度の関係です。ああ、もちろん今後もご縁があればお仕事をお願いすることもあるかもしれませんが、それは考えない方向で。
さて、ということで何処かの道端に吐き捨てると思ってお悩みをお話してみませんか? 私ごときが何かアドバイスできるとも思いませんが話を聞くくらいはできますし。在り来りな話ではありますが、悩みを口にするだけでも幾分気持ちが楽になるということもあります。お仲間の方には話しにくい事でも、縁の薄い私のような人間であれば話せることもあるのでは、と思うのですが。
ああっと、もちろんここで伺った話は他言しないことを神に誓ってお約束します」
「……なんだか、教会の懺悔室みたいですね」
「ああっすみません!」どこか自嘲気味に笑うフィアに、ローラントはハッとして謝罪した。「五大神教の信者の方からしてみれば不愉快ですよね?」
「いえ、私はそこまで熱心な信者ではありませんから」
「そうでしたか」あからさまにホッとした様子をローラントは見せた。「良かったですが、なんかすみません。本当に差し出がましいと言いますか厚かましいと言いますか……ですが、どうしても放っておけなくて。あ、別に私が勝手に言ってるだけなので言いたくなければ――」
「宜しければ、聞いて頂けますか?」
俯いてカップの中を覗き込みながらフィアはそう切り出した。
仲間たちから気を遣われているのは十分すぎるほど彼女も理解していた。この旅行もいつまでも不甲斐ないままの自分を慮っての事だというのも気づいている。
だからこのままではダメだとも思っている。この身に巣食う感情と蝕む悪夢を何とかしなければ、と自分なりに努力をしているが自分の力ではどうにもならない。だがこれ以上仲間に負担は掛けたくはないし、共有などさせたくない。
きっと彼らは重荷とは思わないだろうが、悩みを共有することは紛れもなく重荷だ。話してしまえば、知ってしまえば否応なしに悩みのタネになってしまう。それはフィアの望むところではない。その点、ローラントであれば彼の言う通り所詮行き摺りの関係だ。気に病むような深い関係でないからそこまで気を遣う必要もないだろう。そこまで考えて、フィアは自分勝手な思考をしているのに気づき、自己嫌悪に眉間に皺を寄せた。が、もう口は閉ざせない。
ローラントは一瞬呆けたがすぐに気を取り直して姿勢を正し、フィアを見つめて優しい眼差しを彼女に向けた。
「ええ、もちろん。お好きなタイミングでどうぞ」
「……私は」
喉が引きつるのを感じた。言葉が詰まり、感情の波が押し寄せてくる。下唇を噛み締め、それを飲み下す。
「私は……家族を守れませんでした」
「それは……心中お察しします」
彼女の言葉の意味をすぐに察し、ローラントは沈痛な面持ちを浮かべた。彼の反応にフィアはゆるゆると首を横に振った。
「家族、と言っても血は繋がっていません。それどころか出会ったのもまだ今から数ヶ月前で、私は偶然出会ったスラムの少年少女を雇いました」
「ということは、もしかして」
ローラントの呟きにフィアは小さく頷いた。
「はい、幼い少女が一人私達の中に居ますが、彼女がその時に雇った少女です。名前はユーフェ。そしてもう一人、彼女よりも年長のエーベルという少年がいました。
私は彼らを憐れみました。守られるべき子供がやせ細って一日の糧を得るために盗みを働いている。そんな現状がやるせなくて、ハウスキーパーとして二人を雇いました」
「ご立派な行動です。貴女もお若いのに、そういった具体的な行動を取れる事は賞賛に値しますよ」
ローラントの褒め言葉にフィアは無言で頭を振った。
「それは欺瞞です。彼らを本当に必要としたのは私です。私は……家族が欲しかったのです」
「家族、ですか?」
「はい……実の家族とは関係が良くなくて。きっと寂しかったんだと思います。
初めは彼は私を警戒していました。当然です。それまで私と彼は一、二度出会っただけの関係でしたし、彼にとって大人は最も警戒すべき人種でした」
それからフィアは訥々と語った。手を顔に押し付け、懺悔するように告白する。
エーベルを大事に想っていたこと。本当の家族のように愛していたこと。冒険者になりたいと言った彼のために訓練をし、短剣をプレゼントしたこと。
そして、彼が殺されてしまったことを。
「……」
「分かっています……どうしようもなかったと。私は迷宮に居ましたし、私が常に彼の傍に居るわけにはいきません。私が居ない間の彼の行動を縛ることもしたくはなかった……それは守るのではなく鳥かごの中に閉じ込め、彼の自由を奪うことに他ならないから」
誰かのためというおためごかしで束縛する。それはフィアが最も忌避することだ。彼女自身がそれから逃れるために冒険者になったというのに、それを他者に強要できるはずなどない。
だがそれでも彼女は思ってしまう。
「考えてしまうんです……もし、あの子を外に出さないように、スラムに行かせないように言いつけていたら彼は死なずに済んだのではないかって……」
「フィアさん……」
「そして同時に思うんです……果たして、私がしたことは何だったのか……
自分のエゴで勝手に彼を家族と思って、家族であることを押し付けて、殺してしまった……彼に幸せな時間を与えたいと願ったのに彼の将来を、未来を私のエゴで奪ってしまったんです。私が関わりさえしなければ、あの子はスラムに居たかもしれないけれど、生きるのに必死だったかもしれないけれど、まだきっと生きていられた。或いは他の良人に引き取られ幸せな生活を送ったかもしれない」
フィアは目元に押し当てた手で髪を強く握った。最近は艶を失った彼女の赤髪が心情を示すかのようにくしゃりと乱れる。
「同時に……私はユーフェの兄を奪ってしまった。あの子も一度家族を失っているというのに、また奪い取ってしまった。私には何も言ってこないが……きっと私を恨んでいることでしょう。エーベルもきっと……」
ギリ、と彼女の奥歯が軋んだ。足元に置かれたカップから湯気は失われ、ただ焚き火の揺らめきを水面に映し出している。
ローラントは特に彼女の話に口を挟むではなく、静かに話を聞いていた。冷めてしまった茶を飲み干すと立ち上がりフィアのカップを取り上げる。中身をそこらに捨てるともう一度茶を入れ直し、再び温かい湯気が立ち上り始めたそれをフィアに手渡した。
「さあ、どうぞ。たくさん胸の内を打ち明けて疲れたでしょう。
……このお茶は万能でしてね。辛い時、苦しい時、全てを投げ出してしまいたくなる時……いつだって心を落ち着けてくれるんですよ」
「……すみません、貴重なお茶なのに」
「そこはありがとう、と言って頂いた方が私は嬉しいですね」
目元を拭いながら謝罪を口にしたフィアに、ローラントはニコリと笑ってそう言った。
「私にはフィアさんの不安、後悔……そういったものを理解できるとは言いません。所詮他人ではありますし、一度お話を聞いただけで共に過ごした時間の大切さやそこにある感情を神様のように知ることはできませんから」
「いえ……お話を聞いて頂いただけでも楽になったと思います……」
「そうですか、それでしたら良かったです。
ですが、今申し上げたことを踏まえた上で私の意見を述べさせて頂いても? もちろん、フィアさんが望むのなら、ですが」
「……構いません。私の愚痴を聞いてくださったのですから。言いたいことは山ほどあるのは自分でも分かっています」
「それほど有る訳ではないのですが……知ってますか? 人間……人族のみならず獣人族、亜人族、他、多くの知能ある種族がこの世界にはいますが、誰もが自分が思っているほどに自分のことを分かって居ないらしいですよ」
「それはどういう……?」
「私もどこかの偉い学者さんのお話を又聞きの又聞きで聞いたような話ですからきちんと理解しているかは怪しいですが、要は自分よりも他人の方がその人の事を知っている事もある、ということらしいです」
ローラントは茶で口を潤した。
「はぁ……」
「どのような結果を迎えたのであれ、発端がどのような想いであったにしろ、貴女の為さった事は素晴らしい事だと私は思いますよ。聞く限りでは貴女はエーベルくん、そしてユーフェさんを深く愛し、大切に思っているのがよく分かります。だからそう自分を責める必要はないと思いますが」
「そう、でしょうか……」
「ええ、そうですとも。人は人の主観だけで判断してしまいがちですが、時にそれは真実を歪めてしまいます。だから私達商人は自分の眼で確認するとともに多くの情報を集めるのです。客観的に事実を見極めるためにね」
「ですが、私は……」
「私の推測ですが、きっとフィアさん、貴女を責める人は居ませんよ。お仲間の方々もずっと貴女とエーベルくん、ユーフェさんの関係を側で見てきたはずだ。誰一人責める言葉を投げかけなかったのではないですか?」
「でもそれはきっと、彼らが優しいから――」
「信じられませんか? 優しいから、気を遣って本当の事を言わないのだと?」
そう問われ、気まずそうにフィアは押し黙り、しかし小さく控えめに頷いた。
「なるほど、ではエーベルくんはどうでしょう? 彼に尋ねてみては如何でしょう?」
するとローラントはそう提案してきた。だがエーベルはすでに死んでいる。彼の気持ちを確かめようなど無い。
ローラントの意図がよくつかめず、戸惑う。
「え、エーベルは先程申しました通り――」
「ええ、残念なことに亡くなってしまいました。けれど、彼の気持ちを代弁してくれる少女が居るのではないでしょうか?」
フィアは息を飲んだ。確かにそうかもしれない。エーベルと一番時を長く過ごし、彼を一番良く知る彼女ならば、きっとエーベルの気持ちを一番良く知っているだろう。
だが。
「怖い、ですか? 直接ユーフェさんに尋ねるのは」
フィアは震えていた。今までユーフェは彼女に何も伝えてこなかった。恨み言も、悲しみも、憎しみも。元々気持ちを表現するのが苦手な女の子はフィアに対し何一つとして苛烈な感情をぶつける事が無かった。それを言い訳に、フィアは彼女と向き合う事を避けていた。
もし、彼女から憎しみをぶつけられたら。もしユーフェからエーベルの事で責められたら。エーベルはきっと自分を恨んでいる、と告げられたら。もし、彼女がフィアに引き取られた事を恨んでいたら。
「……お気持ちは分かります。分かったような口を利く程、私も人生経験が豊富な訳ではありませんが、大好きな人に嫌われる恐怖というのは理解できるつもりです。
何も知らない第三者が戯言を申していると聞き捨ててしまって結構ですが、私が思うには、フィアさんが為すべきことは彼女と面と向かい合うことのような気がします」
「……」
「申し訳ありません」ローラントは深々と頭を下げた。「慰めるつもりが心を大きく惑わせてしまったようです。お詫び申し上げます」
「い……え……」
「これ以上ここにいても私は不快にさせてしまうだけですね。誠にお節介でした。辞させて頂きますね」
そう言ってローラントは立ち上がり、俯くフィアに背を向けた。そのまま自分の荷台へと戻りかけ、だが脚を止めて振り返らずに彼は最後に伝えた。
「ですが……恐らく貴女の不安全てが杞憂であると、私は思いますよ?」
そう言い残し、ローラントは暗がりの中へと消えていった。
フィアは俯いたまま膝に顔を埋めた。強く噛み締めた奥歯が軋む。
まともに向き合うことができない自らの弱さが憎かった。ユーフェから逃げ続けている現実が悔しくて、しかしその勇気が出せない。
握りしめた拳を地面に叩きつける。だが苦しさは募り、胸が強く締め付けられ、押し殺した嗚咽が夜闇へと溶けていく。
そしてその声を聞きながらレイスはただ俯いていた。木の陰に身を隠し、レンズの奥の瞳は揺れながら自らの影を捉えるばかりだ。
フィアの直ぐ側に居る事を彼女は自覚し、大切に想っている。しかし弁の立たない彼女もまたフィアに掛けるべき言葉をいつだって見つけられずに居る。そのことが悔しかった。
思い悩み、だがその思考も微かな足音で途切れた。ハッとしてレイスが顔を上げれば、キーリが口元に手を当てて「静かに」と仕草で伝えてきた。
「しばらく一人にさせてやれ」
「しかし……」
「エルミナに着いたらユーフェとの時間を作ってやればいい。それまでお前はいつも通りで居てやれ」
「……もし、ユーフェがお嬢様を――」
「それ以上は言わなくていい」キーリはレイスの懸念を遮った。「その時は時間が掛かるだろうが、俺らが本気で支えてやればいい。苦しいだろうが、きっとフィアならいつか立ち直れる。俺はそう信じている」
「キーリ様……」
「行くぞ」
足音を消し、二人はフィアから離れていく。レイスは一度そっとフィアを振り返り、だがすぐに前に向き直り周囲の見張りへ向かった。
(お嬢様……私はいつでもお傍に居ます。例え……どのような事があろうとも)
強い決意を胸に懐き、今だけは彼女から離れる。
微かなすすり泣きが、静かに夜空へと吸い込まれていった。
お読み頂きましてありがとうございました。
お気に召しましたら、ポイント評価、ご感想等頂けると幸甚でございます<(_ _)>




