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4-7 神は天にいまし、世は全て――(その7)

第2部 第23話です。

宜しくお願い致します<(_ _)>


<<登場人物>>

キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。

    魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。

フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。

アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。

ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖でいつも不機嫌そうな顔をしている。

エーベル:フィアが出会った少年。生活のために窃盗を繰り返していたところ、フィアが雇ったが貧民街で殺害された。

ユーフェ:エーベルと共にいる猫人族の血を引く少女。表情に乏しいが、エーベルを心配している様子を見せる。

ギュスターヴ:スラムを牛耳る人物であり、かつてはギースの親代わりをしていた。

シーファー:辺境から流れてきた元冒険者。エーベルを殺害した。








 雨の中で激しい剣戟の音が木霊する。

 幾度も幾度も剣と剣が交わり、二つの影は近づいては離れ、立ち位置を変えて離れては近づいてを繰り返している。


「……っ!」

「良い、良いなぁっ! やはり戦いとはこうではなければっ!」


 苦虫を噛み潰したように渋い顔をするフィアと、子供のように破顔してはしゃぐシーファー。先程から互いに有効な一撃を繰り出せないでいる二人だが、その表情は対照的であった。

 戦況は五分。傍から見ていればそうだ。しかしフィアは、自分が劣勢であることを感じ取っていた。

 相手の力量は確実に格上。素の攻撃力は劣り、剣術の腕前もまだ年若いフィアに比べれば洗練されている。元Cランク冒険者というのは伊達ではないらしい。もしかすると、この男の実力はBランクにも届いているのではないだろうか、とも思える。剣を交える中でフィアはそう痛感していた。

 また、ここまでの戦いで魔法を使う素振りをシーファーは見せていない。使う気がないのか、それとも使えないのか。魔法を有効に使えればフィアが有利になるだろうが、遠距離の魔法を行使するのに必要な時間も距離も稼ぐことができない。こうも超近接戦闘が続くと魔法でケリをつけるのは難しそうだが、フィアとて魔法で勝敗を決するつもりはない。

 この剣でこの男を貫く。フィアは固くそう心に決めていた。絶対に。エーベルと同じ苦しみを、痛みを目の前の男に味あわせてやる。熱くなる心とどこまでも冷めきった頭はどちらも同じ結論を下していた。

 フィアの脚に力がこれまで以上に込められる。競り負けていた力比べでも五分、いや、それ以上になり、繰り出す剣速も更に速度を増した。


「ぬ……?」

「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 これまでの劣勢から一転してフィアが攻勢に出る。力も速度も全てがフィアが上回り、シーファーを追い詰めていく。


「ほう……もしや自己制御を使用する、いや違うな、出力のレベルを上げたのか」


 フィアはシーファーの呟きに応じず、ひたすらに剣を奮う。それを受けながらシーファーは笑った。

 これまでもフィアは魔力制御で身体能力を底上げしていた。安定して制御できる限界までフィアは魔素を使い、それでようやく(・・・・)シーファーと渡り合えていた。

 だが今のフィアはその限界を超えていた。それは憎しみによる感情的な判断と、限界を超えなければ渡り合えないという理性的な判断の両方から成るものだ。半端な状態で切り合っても不利なのはフィア。制御には精神力を使うし疲労も溜まりやすい。決定打を打てずにいる現状、徒に時間が経過して敗北するのは己自身。故の判断だった。


「――っ!」


 怒涛の攻撃が繰り広げられる。慣れない動きに神経をすり減らし、筋肉や骨が悲鳴を上げるのをフィアは必死で堪えた。痛みに耐えて犬歯がむき出しになり、噛み締めた奥歯が軋む。

 しかしその甲斐あってか、戦いは明らかにフィアに優位に傾いていた。シーファーの頬や腕に浅い切り傷が増え、筋肉にも疲労が蓄積してきたか、フィアの重い一撃を受け止める剣にも力強さが薄れてきた。受け流す動作にも、先程までと違って滑らかさが無い。


(――今が好機っ!)


 フィアは力強く一歩を踏み出した。剣に業火を纏い、一気に片を付けるために更に加速した。

 全てを、斬る。

 殺すつもりはない。だが、二度と人殺しが出来ぬよう腕や脚を斬り落とす。それくらいの気持ちでフィアはシーファーに向かって灼熱の剣を振り被った。

 だが。


「それを受けるのは少々難儀だな」


 フィアの耳がその呟きを拾い上げたとほぼ同時。

 シーファーの姿がブレ(・・)た。

 残像を残してフィアの視界から姿が掻き消え、彼女が振り下ろした剣が虚しく空を斬り、発せられる熱が雨を蒸発させていくだけ。

 何処に、と気配を探ったその時。

 フィアの背筋が凍るような怖気が走った。そして振り下ろした自身の剣に微かな衝撃。直後に鮮烈な痛みが左脇に走った。


「ぐっ……!」


 斬られた、とフィアは察した。火の棒を押し付けられた様に傷口が熱を持ち、脳を刺激し、髪色と同じ色の血がドロリと流れ出した。

 しかしフィアの本能は更なる危機を察知した。

 誰も居ない正面めがけて地面を蹴った。そうすべきだと、理屈や視覚情報が伝えるよりも早く本能が彼女の体を動かした。

 背中に鋭い痛みが走る。フィアの喉から声にならない悲鳴がこみ上げ、それを鉄の意志で飲み干した。

 前方へ投げ出された体はバランスを崩し、だがかろうじて手をついて堪えると水しぶきを上げて地面を滑りながらフィアは背後に体勢を向き直った。そこには刀を振り下ろした姿勢のシーファーと、ベルトを斬られたせいで落ちた彼女の胸当てが転がっていた。


「今の一撃で終わるやもしれんと思ったが……見事だ」


 残心を解きシーファーは体を起こして直立になる。追撃をしてくる気配はなく、薄ら寒い笑みを浮かべてフィアを見下ろしていた。その眼に油断は無く、代わりに自分の予想を超えた相手に対する敬意と尚もまた斬り結べる歓喜が宿っていた。

 そしてその相手であるフィアは苦痛に顔を大きく歪めていた。右手の剣をシーファーに向けているものの、脇を押さえている左手は自身の血で真っ赤に染まっている。背中の傷も浅いとは言え、雨で打たれるだけで焼けるような痛みを主張していた。


「今の動きは……魔素の自己制御か」

「ご明察だ。このような非効率的なものを俺以外に使いこなしている者が居たとは驚きだ。まして、まだそなたのような若い女子(おなご)が使うとは思わなんだ。とっさの判断も上々。剣を盾にされたお陰で斬り裂ききれなかったな」


 だがお陰でまだ続けられる。シーファーは嬉しそうに刀を構え直した。まだまだこれから、と言わんばかりに。

 対するフィアは満身創痍に近い。傷もそうだが一呼吸置いてしまったせいで、自己制御の疲労が一気に吹き出て全身の痛みが酷い。吐息でさえ熱く、喉を焼いてしまいそうだ。


(だが……!)


 ここで屈する訳にはいかない。エーベルの(かたき)が目の前にいるのだ。仇を取るのだ。でなければ、家族を守れなかった今の私には何の価値も無いではないか。

 血に濡れた手で剣を握り締める。体勢を低くしてフィアは自ら地面を蹴った。

 ギン、と音を立てて剣が交差する。憎き男が目の前にいる。吐息が掛かるばかりの直ぐ側にいる。負けてなるものか。フィアは後の事を考えるのを止めた。

 今自分が操れる全力を以てシーファーに斬りかかる。筋肉が千切れ、骨が砕けても構わない。地面を踏みしめ、体を捻る度に鮮血が脇から飛び散っていった。


「長引けば不利……状況判断も悪くはないな。このまま成長を続ければ楽しみだっただろう。力量差を知ってもなお諦める事の無い心根の強さといい、あの少年の師というだけのことはある」

「貴様がっ、エーベルの事を口にするなぁっ!!」


 怒りに駆られ、フィアの全身から発せられる熱が一層増していく。彼女の体を打つ雨が次々と蒸発していく中、シーファーは動じる事無く要所要所で自己制御を用いてフィアの攻撃を受け流していく。


「強い、その歳ではまさに感嘆せざるを得ない。だが――」


 フィアの顔面をシーファーの左拳が打ち据えた。

 こめかみに食らい、再び地面をフィアは転がっていく。溢れ出た血を撒き散らし、全身が泥に汚れて鮮やかな彼女の髪も色あせた。


「が、がはっ、げほっ」

「つまらないな。心躍る戦いができるかと思ったが、どうやらそこは俺の買い被りだったようだ。昼間の少年の方がよほど殺し甲斐があった」

「なん、だと……?」


 ゆっくりと迫りくるシーファー。フィアはその脚を霞む眼で捉え、膝に手を突き、剣を支えにしながら辛うじて立ち上がった。

 剣を構え、シーファーの接近を牽制しながら彼の眼を見つめる。そこにはもう、興奮も高揚も、フィアに対する興味も失われていた。


「左様。そなたを斬っても俺は到底満足できないだろう。だが案ずるな。せめてあの少年と同じく光神の元へ送ってやろう」

「私は、お前を斬る……! なんとしても……!」

「気概は立派だ。だが最早俺はそなたを斬ることに作業以上の意味を見出だせぬし、この場でどれだけ足掻こうとそなたの剣は届かんよ」

「そんな事、分かるものかっ……」

「分かるさ。そなたには俺との力量差を覆すために決定的に足りぬものがある」


 何を、とシーファーを睨みつける。すると、いつの間にか彼女を見下すシーファーが直ぐ側に立っていた。眼と眼が交差した瞬間、フィアは意識が冷却されていくのを感じた。

 冷たく感情を灯さない瞳。そこにフィアを生物だと見なす色は微塵も無かった。彼女の中に初めて、彼に対する恐怖が芽生えた。


「自らでは気づかぬか? ならば冥土の土産だ。教えてやろう」

「……っ、ぜひとも聞かせてもらいたいものだな」

「大した話ではない。心根の問題だ。そなた――」シーファーはフィアの瞳を覗き込んだ。「自らの命に頓着が無いな?」

「――っ」


 無色の瞳に射抜かれ、フィアは自分の性根を見抜かれたような気がした。眼を大きく見開いて驚きを露わにした彼女を見て、シーファーは小さく嘆息した。


「その反応……本当は気づいておったか。気づいていながら気づかぬ振りをしていたな?」

「ちがうっ……私はっ……!」

「無論進んで死のうなどと考えてもおらぬだろう。だが、そうだな……自分がいつ死んでも構わぬ。誰かのために命を投げ出せるのであれば本望だ。本心ではそのように考えているのではないか?」


 問われ、フィアは返答をすることができなかった。

 否定したかった。そんなことはないと声高に叫びたかった。だができなかった。そういう気持ちが自らの中に存在することに気付かされてしまったから。


「だからつまらぬ。俺が斬りたいのは単なる強者ではない。生きることを切望し、生きることを心から欲する者だ。己に頓着せぬ、己の命さえ他者に委ねる事ができてしまうような粗末な人間など斬っても面白くもなんともない」


 すっかり熱の冷めた眼をしてシーファーは鼻を鳴らした。侮蔑と不機嫌さが彼の態度全てに表れており、顔を青ざめさせているフィアに切っ先を突きつける。


「そのような人間など気に留める気にもならんが、こうして眼前に居られると目障りだ。生きる価値も無い。だから――」シーファーは刀を振り上げた。「今すぐに斬り捨ててやろう。あの世で少年と仲良く暮らすが良い」


 フィアは気づけば膝を突いていた。冷え切った体で、ただその刀を眺める。反抗する気も最早起きなかった。全てがシーファーの言う通りだった。

 思えば、キーリの時もそうだった。ダンジョンワームに食いつかれる時に考えたのは自分の身ではなくキーリの命。キーリに生きて欲しいと願いながら自分を粗末に扱ってしまう。全く、どの口で彼と共に歩もうと言ったというのか。

 そして思い浮かぶはエーベルの悪ガキな笑み。どうして自分はまだ生きていて、エーベルは死んでしまったのか。こんな情けない自分ではなく、あの子の方が生きているべきだったのに。あの子は生きることに必死だった。懸命に生きていた。苦しみながらも生きようと藻掻いていた。

 だというのに自分は既に諦めてしまった。シーファーには到底敵わないと気づいた。心を折られてしまった。生きる意思が無い者が、どうして生きることに拘る者に敵おうか。

 傷口を抑えた指の隙間から血がずっと流れ落ちる。その速度が増したようだ。それはフィアの命が流れ落ちているのと同時に、彼女の生きる意思さえも流れ落ちているようであった。


「さらばだ」

(すまない、エーベル……そして、皆……)


 刀がフィアの首めがけて振り下ろされる。時の流れがゆっくりになり、迫り来るそれを眼にして、何処か穏やかな気持ちで眼を閉じた。

 いつから、こんな自分になってしまったのだろうか。暗くなった世界の中で彼女は思った。母が死んだ時だろうか。長兄が亡くなった時だろうか。それとも、父が自分を遠ざけていると気づいてしまった時だろうか。自分を愛してくれる家族が誰も居ないのだと知ってしまったからだろうか。

 もう間もなく、自分という命は散る。だというのに、怖くはなかった。それはすなわち、シーファーの言う通りであることの証左だ。そんな命、なるほど、生きる価値は無いのかもしれない。惜しむらくはエーベルの仇を取ることができなかった事だが、きっとキーリ達が短剣を取り戻してくれているはずだ。ならばそれで、いい。


(……本当にそうか?)


 疑念が過ぎった。


(本当にこのまま死んでしまっても良いのか?)


 本当に、それを良しとできる程度の人生だったのか。思考がそこにたどり着いた途端、フィアの頭の中で何かが瞬く間に溢れ出した。

 常に自分に寄り付き添い、悲しい時にレイスが抱きしめてくれた。シオンは懸命に努力し、抱きつきじゃれる私に呆れながらも甘えさせてくれた。良きライバルとしてアリエスは互いに鍛え合い、至らないところを叱ってくれた。スフォンにやってきてから多くの出会いがあった。

 それは記憶の奔流であった。仲間と高め合い、時に共に旅をし、時に苦しみ、時に悩み、笑い合った。多くのかけがえのない思い出がフィアの中で積み上がっていた。そのことに、彼女は今、気づいた。

 そして――泣きそうなキーリの顔が浮かび上がった。


(フィアっ!!)


 ああ、そうだ。これはダンジョンワームに私が食い貫かれた時のキーリだ。普段は何処か余裕ぶっているのに、あの時は必死になって私の身を案じていた。本気で私を心配してくれていた。

 色々な表情が浮かぶ。流れていく。カレンやイーシュ、ギースにシン。数多くの笑みがフィアに向けられている。エーベルの笑みが深く染み入ってくる。ユーフェの穏やかな寝顔が愛おしい。素晴らしい思い出が、幾らでも溢れてくる。

 やがて、声が聞こえた。


(――俺と一緒に居てくれるか?)


 フィアの意識が広がった。


「――っ!?」


 シーファーの刀が止まった。それと同時に全力で地面を蹴り、後ろへと飛び下がった。

 直後、彼の目の前を鋭く何かが斬り裂いた。避けきれなかったそれが眉間を浅く斬り裂き、細い赤い筋を形作る。シーファーの表情は驚きに染まり、やがて不敵な笑みへと移り変わった。


「……土壇場で殻を破ったか」


 彼の見つめる先。そこに、フィアが立ち上がっていた。脇から血を流し、体を震わせ、眼には怯えを露わにしながらもフィアは立って剣をシーファーに向けていた。

 歯がカタカタと鳴り止まない。剣先は小刻みに震え、手は目一杯、絶対に離さないとばかりに強く柄を握り締めている。


「怖いか? それが――死というものだ」


 シーファーに問われ、フィアは浅い息遣いで応えた。

 怖かった。失うのが怖かった。これまでの思い出を全て忘れ去ってしまうのが恐ろしかった。

 これまでに過ごした彼らとの時間は、簡単に手放してしまえる程度の価値だっただろうか?

 これから更に積み上がっていくかけがえのない時間は、そう簡単に諦めてしまえる程度の期待だろうか?

 フィアが導き出した答えは、いずれも否。手に入れた物の一つだって失いたくない。手に入れるだろう物の一つだって諦めきれない。キーリ、アリエス、レイス、そして全ての出会った人たち。彼らと共に過ごせないなんて事、受け入れる事ができようはずもない。

 だからフィアは恐れた。未来が閉ざされる事が、それが意味する事がどうしようもなく怖くなって、気づいたら夢中で剣を振り払っていた。


「良い。今のそなたは何を捨ててでも斬る価値がある。

 その傷では立っているのも辛かろう。時間切れで動けなくなったところを斬るなどという無粋な真似はせん。

 ―― 一撃だ。一撃で全てを決しよう」


 表情に高揚が戻り、刀を構えるとシーファーは意識を集中させていく。言葉通り、ただ一撃で以てして勝敗を決めようというのだろう。

 フィアもまた相対して剣を八相に構えた。

 どうしようもなく震える。怖い、怖い、怖い――。向けられた殺意が、シーファーの剣先がただただひたすらに怖い。


(死にたくない……!)


 フィアの頭を占めるのは、ただ生き残ることのみ。戦術も、戦略も何も無い。強い思いのみが、強い生への執着が彼女を支配する。


「……参るっ!」


 シーファーが地面を蹴った。それまでとはまるで動きが違う。気迫が違う。ただ一筋の閃光となってフィアに迫った。

 体が自然に動いた。何も考えずとも、これまでの鍛錬の積み重ねが適切な動きを作り出す。生きる意思が最適解を導き出す。

 眼ではシーファーの動きを捉えきれていない。それでも無意識に体が熱を帯び、剣が炎を帯びる。魔素が無駄なく体を強化する。果たして、力強く彼女は加速した。

 二つの閃光が交差した。微かに剣と刀がぶつかり合い、束の間の邂逅は瞬く間に終わりを迎えた。そして静まり返った貧民街の広間で二人は背を向けあった。

 フィアの体が崩れ落ちた。左脇腹からの出血が激しくなり、膝をつく。剣で辛うじて体を支え、口から血の混じった唾が荒い息と一緒に吐き出された。


「……素晴らしい意思であった」


 つぅ、とシーファーの口端から血が流れ落ちる。両手がダラリと下に垂れ下がり、カラン、と音を立てて刀が地面に落ちた。満足そうに笑うと雨空を見上げる。そしてそのまま仰向けに倒れていった。

 シーファーの腹は真っ赤に染まっていた。胸から腰に掛けて衣服が斬り裂かれ、服の下からはおびただしく出血している。


「はぁ、はぁ……」


 フィアは剣を杖にしながらシーファーへとよろめきながらも近づく。顔は青く、疲労の色が濃い。それでも彼の元に行かねばならないと思った。自分が生きるために、初めて殺した人の最期は見届けねばならない、と。


「そのような顔をするな」

「……」

「途中我が眼が曇ったかと思ったが……中々どうして、見事な純粋なる意思であった。これ以上人を斬る歓びを感じられぬのが何とも口惜しいが……これまで多くの生きる意思を斬り伏せてきたのだ。死を悔やむのは流石に彼らに対する冒涜が過ぎるだろうな」

「どうしてそこまで……」

「人を斬ることに拘るのか、か? それとも、散々生きる意思を口にしておきながらこうもあっさりと死を受け入れている事が疑問か?」

「……両方だ」


 人を斬った感触は今もまだフィアの手に残っている。モンスターを斬る時とは違って何とも気持ちが悪く、ヌルリとした感触が、刃が肉を切り裂く感触がこびりついているようだ。二度と斬りたいとも思えないし、忘れられるならば――生涯忘れられないだろうが――一刻も早くこの感覚を忘れてしまいたい。だというのに、人を斬ることに歓びを感じるというシーファーが、フィアには信じられなかった。


「答えは簡単だ。人を斬る。これこそが俺という人間が『生きる』ということだからだ」

「生きる……」

「左様。俺という人間は欠陥品でな。人を斬らねば生きた心地がしないのだ。強い生への欲求を持った人間を斬り伏せる……その時にこそ俺は俺自身が生の瞬きを強く実感できるのだ」

「意味が分からないな、私には……」

「だろうな。理解されようとも思っていない。社会的には間違いなく俺は悪であろう。さしずめ、そなたは何十という人間を斬り殺した悪人を斬り殺した正義の味方というところか」

「……」


 ごぽり、とシーファーの口から大量の血が吐き出された。大義そうに息を吐き出して眼を閉じる。その顔はとても穏やかだった。


「……そうして斬ることに執着した。俺は精一杯自らの生を謳歌したのだ。後悔の無いようにな。全力で生きて、そして死ぬのだ。生きることに全力を傾け、それが叶わなかったのが今日だったというだけだ。そなたは今日まで生きることに対して死を意識していなかった。だから死が恐ろしかったのだよ」

「貴様は満足かもしれないが……もう、エーベルは帰ってこない」

「ならば俺に止めを刺せ。気が済むまで滅多刺しにするが良い。恨みなど、生きるには支えになるかもしれんが命の輝きを著しく鈍らせる。俺を殺したそなたの命が輝きを失うのは名残惜しい。良い。冥土への土産だ。恨みごと俺が死後の世界へ持ち去ってやろう」


 そう言ってシーファーは血で汚れた口元を歪め、両手を左右に大きく開いた。誘うように笑って眼を閉じ、最期の時を待つ。フィアは悔しそうに、それでいて悲しそうに眉尻を下げ、強く唇を噛み締めた。

 折れそうになる足で体を支え、震える腕で剣を空に掲げた。歯がカチカチと鳴り、視線が定まらない。

 眼を閉じて天を仰ぎ、そしてフィアはシーファーに向かって剣を振り下ろした。


「……っ!」


 だが剣はシーファーの顔の横に逸れて、そのまま地面に突き刺さる。地面から剣を伝ってくる衝撃にフィアは耐えきれず、咳き込むと膝を突く。体を引きつらせ、しゃくりあげるようにしてフィアは泣いた。


「何が……何が『恨みは俺が持っていく』だ……止めの前にもう逝ってしまっているではないか……」


 満足したようにシーファーは一人で死んでいた。安らかで、ただ眠っているよう。とても、何十人も殺し、エーベルの命を奪った極悪人には見えない。エーベルはあんなに苦しそうだったのに、とフィアは滲む視界で理不尽さを呪った。


「――、――っ!」


 フィアは吠えた。雨雲に向かって掠れた声で叫んだ。喉が焼け付くように熱く、声は声にならない。しかしそれは確かに彼女の心の底からの慟哭であった。

 消耗した体力に耐えられなくなり、フィアの体が傾く。受け身も取れずに地面に倒れ込み、泥水がバシャリと跳ねて彼女を汚した。


「……約束、守れなかったな……」


 シーファーの横に並び、虚ろな瞳で彼の死に顔を眺める。キーリと交わした約束を反故にしてしまった事を悔み、しかしそれさえも段々とどうでも良くなってくる。

 今の彼女は、ただ眠たかった。考える事を放棄し、フィアはゆっくりと眼を閉じた。




お読み頂きましてありがとうございました<(_ _)>

これにて第二部第一章は概ね完結です。

後味は悪いかもしれませんが、後日談的な話を経て第二章に続きます。


ご感想等頂けましたら有難いです。

またお気に召しましたら、お気に入り登録、ポイント評価等頂けると幸甚でございます<(_ _)>


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