4-6 神は天にいまし、世は全て――(その6)
お待たせしました。第2部 第22話です。
宜しくお願い致します<(_ _)>
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。
魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖でいつも不機嫌そうな顔をしている。
エーベル:フィアが出会った少年。生活のために窃盗を繰り返していたところ、フィアが雇ったが貧民街で殺害された。
ユーフェ:エーベルと共にいる猫人族の血を引く少女。表情に乏しいが、エーベルを心配している様子を見せる。
ギュスターヴ:スラムを牛耳る人物であり、かつてはギースの親代わりをしていた。
シーファー:辺境から流れてきた元冒険者。エーベルを殺害した。
ギュスターヴは息を切らしながら通路を走っていた。大柄な体を狭い通路に合わせて縮こまらせて進むのは体力を使うのか、それとも日頃の不摂生が祟ったか、既に歩くより少々早いくらいの速度だ。或いは歳のせいかもしれない。
熊人族の血が入っているために体格はガッチリとして若く見えるが、ギュスターヴも五十を越えている。貧民街で頭役をこなしているだけあって年齢の割には体力はある方だが、この長い通路を走りきるには足りなかったらしい。酸素の足りない頭で「もうちっと体力をつけときゃ良かったな」と後悔した。
だがこのきつさからも間もなく解放される。光神魔法で作り出した微かな光で照らされた先には通路の終わりを示す階段があった。振り向いてみるが、先程の冒険者二人が追いかけてきている様子はない。このまま逃げ切って、しばらくは貴族の屋敷に転がりこんでほとぼりを冷めるのを待つか。金は惜しいが、自分の命が大事だ。シーファーが居るとはいえ一端の冒険者四人を相手にして勝てるなどという妄想を抱くようでは貧民街で長く生きながらえる事はできなかっただろう。
「よっこいせっと」
ギュスターヴは重い足で何とか階段を昇っていく。昇った先は天井であり行き止まりだ。だがギュスターヴが、手にした短剣の柄をそこに押し当てて力を込めると、天井がゆっくりと浮き上がっていった。
「……」
手で浮き上がった天井を支えながら慎重に顔を覗かせる。強くなった雨が跳ねて髭を濡らすがそれだけだ。彼の姿を認める者は居らず、ただ微かに華やかな音楽が雨音に混じって聞こえてくるだけだった。
ギュスターヴが逃げ出した先は貴族街の、それも領主の館の裏庭だ。広い庭の本当に隅っこで、雨が降りしきる中ではまずこうして顔を出しても見つかることはない。領主だけあって敷地の殆どには探知の魔法具が仕掛けられている。だがこの場所だけは仕掛けられていなかった。それも、ギュスターヴが領主と打ち合わせてさせた事で、だからこそギュスターヴは安心して這い出ることができた。
「今日が雨で良かったぜ」
空を見上げてニヤリと笑う。夜な夜なパーティを開いて遊びふける領主は、天候に恵まれれば敷地の庭を開放して野外パーティをすることも多い。そうなれば、いくら探知魔法具がなくても大騒ぎになるのは目に見えていた。
「どうなることかと思ったが……どうやら俺の悪運も尽きちゃいねぇみたいだな」
「そうかい。そりゃ良かったな」
逃げおおせた、と気を抜いていたギュスターヴに、背後から声が投げかけられた。心臓をつかまれたような驚愕を露わにして振り向くが、それと同時に腹部に衝撃が走った。
「がっ、は……!」
腹を押さえて体を丸めたギュスターヴは首元を掴まれて放り投げられる。直後に体が宙に浮くのを感じた。
ふわりと巨体が高く上っていく。領主の屋敷を取り囲む高い壁が眼下に収まり、自分が風神魔法を掛けられているのだと気づいた時には塀を乗りこえて地面に向かって急降下が始まっていた。
苦痛に顔を歪めながらもギュスターヴは何とか体勢を整える。太い手足を獣のように大きく広げると四つん這いの姿勢で屋敷の裏路地に着地。胃から逆流したワインで汚れた口元を拳で拭っていると、遅れて先ほどの声の主が目の前に着地した。
「ギース、てめぇ……」
「よう、元親父殿。待ちくたびれたぜ」
ポケットに手を突っ込み、皮肉げな笑みを浮かべてギュスターヴを見下ろすギースがそこに居た。
「……なんでテメェがここに居んだよ?」
「忘れたか? 俺は昔、テメェがこそこそ作ってたその通路に迷い込んだ事があったんだぜ?」
「……ああ、思い出したぜ。そういやぁンなこともあったな。確か、見つけた時ゃぁしこたまテメェを叱りつけて殴り飛ばしたんだったな」
「あん時は頭が変形するかと思ったぜ」
「殴ってやったから賢くなったんだろうが。で? 今しがたテメェが俺を殴ったのは、そん時のお返しってか?」
「半分くれぇだな、それは」
睨み合いながら互いの昔話に花を咲かせる。だがそれもすぐに土砂降りの雨に掻き消され、思い出は洗い流されていく。
「しかし、それはテメェがまだまだガキの時分の頃の話だろうが。そん時はまだこの通路は全然完成してなかったはずだ」
「ガキっつっても養成学校に入学する一、二年前くらいだけどな。
応える義理はねぇが、まあ、かつての親父殿たっての望みだ。教えてやるよ。
確かにテメェの言う通り、通路の出口は俺だって知らなかったぜ。大雑把な方向は知ってたけどな」
「なら何でここが分かったんだよ」
「せっかちだな。ンなだから嫌われるんだぜ?」ギースは鼻で笑ってみせた。「ちっと話は変わるがウチのパーティにはとんでもねぇアバズレが居てな。顔は絶世の美女なんだが、誰彼構わず股を開くそのクソビッチが、どんな気まぐれか知らねぇが教えてくれたんだよ。その通路の出口を、よ。罠や警報解除の類は俺の得意分野だからな。屋敷に忍び込む人間は居ねぇって高をくくってんのか、無効化はそう難しくは無かったぜ」
「は、テメェじゃどうしようもねぇから女の力を借りたってわけか」
「情けねぇ話だが、まあそういう訳だ。力の借り先がそのクソアマってのは気に食わねぇが、よぉ、元・親父殿」
「ンだよ」
「誰かの力を借りるってのは、それ自体は悪ぃ気分じゃねぇぜ」
ギースはギュスターヴに笑ってみせた。その笑みはいつもの皮肉っぽさが残っていたが、どこか誇らしげだった。
彼が見せた笑顔が雨で烟る。ギュスターヴは苛立ちを覚えながらも、その顔を眩しそうにしかめた。
「……勝手にしやがれ。いつか裏切られて泣きを見るのはテメェで、縁を切った俺にゃ関係ねぇ話だからな」
「そん時は俺が馬鹿だったと思って素直に諦めるぜ」
負け惜しみにも近い忠告を軽く受け流し、ギースはポケットに手を突っ込んだまま一歩ギュスターヴに近づいた。ギュスターブも一歩後ろに引いて半身になり、手に持った短剣を引き抜こうとする仕草を見せた。
「しかし解せねぇな。テメェの話が本当ならその女が通路の出口を知ってたって話だが、俺はどの女にも通路の事ぁ喋ってねぇし、作業した人間も全員始末したはずだ」
「なら口が軽かったのは一人しか居ねぇだろ」
ギースは自分の左手にそびえる屋敷を見上げた。ここスフォンの街で一番大きな屋敷。かつてとは持ち主は変わり、それを境にしてますます豪華さを増しているようだ。だがギースには夜の雨もあって、どこかおどろおどろしさが増しているようにも見えた。
「仮にも出口を敷地内に作ってやがったんだ。ご領主様も知ってたんだろ? ウチのアバズレが寝物語に聞き出してたとしても不思議はねぇな」
「ちっ……あの馬鹿が」
「だけど俺も疑問だな。スラムじゃ一廉とは言え、アンタみてぇな底辺の人間がどうやって領主なんて大物と知り合ったのか。アンタが弱み握った他の貴族から口利きでもしてもらったか?」
「テメェに教えてやる事はもうこれっぽっちもねぇ――よっ!」
ギュスターヴが巨体を揺らしてギースに襲いかかった。
鞘から短剣を抜き去り、ギースに向かって鞘を投げつける。ギースは一瞬だけ避ける素振りを見せるが、動きかけた脚を止めて鞘を受け止めた。
受け止めるために腕を突き出したせいで、ギースの視界が半分塞がれる。腕の向こうからは自分よりもずっと大きな敵が、体とは不釣り合いな小さな剣をギースに向かって突き出してきていた。
体を半身に引いて突き出た剣をギースはかわした。まとわり付いた雨粒が吹き飛び、雫が細かな礫となって雨に紛れ込む。短剣による攻撃を避けたギースだが、ギュスターヴはその肉体の活かし方をよく知っている。剣がギースに避けられるのは分かっていた事。だからギュスターヴは、その大柄な肉体ごとギースめがけて体当たりを食らわせた。
長身だが細身のギースの体は、ボールのように大きく吹き飛ばされた。石畳に体を擦り付け、水しぶきを激しく上げながら転がり、屋敷の石塀に強かに体を打ちつけた。
ギースの額から頬に掛けて赤い血がつつ、と流れ落ちる。赤い雫が顎から落ち、水たまりに溶けて消える。だがギースはその血を拭うこともせずに、口の中に溜まった唾を吐き捨てながら立ち上がった。
「おぉぉぉらぁぁぁぁっ!」
そこにまたギュスターヴが追い打ちをしかけてくる。ギースは左手で鞘を握り、右手をポケットに入れたままひらりひらりと攻撃をかわしていく。剣戟だけでなく蹴りや体当たりも混ざっているが、それらをギースは仏頂面で固定したまま捌いていく。
ギュスターヴは凶悪そうな顔で歯をむき出しにし、ギースは平素な顔。対照的な、数刻前までは親子だった者同士の戦いが静かな路地で繰り広げられた。
圧倒的攻勢なのはギュスターヴ。ギースは避けるだけで、攻撃の素振りを一切見せない。そうした戦闘が続く中、次第にギュスターヴの息が上がり、動きが鈍くなる。剣にもパンチにも鋭さは消え、ギュスターヴもそんな自分に気づいてか悔しそうに顔を歪めた。
「……なあ、親父」
攻撃をかわしながらギースはギュスターヴに呼びかけた。彼はもう一度ギュスターヴを「親父」と呼んだ。ギュスターヴはそれに気づかずに、荒い息遣いでしか応えない。
「アンタ……アンタは何を望むんだ? 確かに俺らは社会の底辺に居る。常に蔑まれて生きてきた。だがアンタは金を手にいれた。スラムとは言え、実情のトップはアンタだ。食うもんにも困らず、ちょっと前のアンタはスラム中から感謝もされてたし尊敬もされてた。皆心の中ではアンタを慕ってた。これ以上、何を手に入れれば気が済むんだ」
「テメェには分からねぇだろうな!」
ギュスターヴは汗を吹き飛ばしながら吠えた。歯を食いしばりながら叫ぶ獰猛なその顔が、どうしてだかギースには泣き顔に見えた。
「俺は成り上がるんだ! そう思ってここまで来た! 世界の一番下から、人族でも獣人族でもねぇハンパもんだと蔑んで嘲笑ってやがった奴らを、ただの生まれだけで偉そうにしてる連中を、実力もねぇくせに毎日美味ぇもん食って肥え太ってるあいつらを見返してやる! それだけが俺の生き甲斐だったんだよ! それを……こんな中途半端なトコで終わらしてたまるかってんだっ!」
「中途半端じゃねぇよ」ギースは流れる血をそのままにして、まっすぐにギュスターヴを見つめた。「それまでのテメェの事しか考えてねぇトップから頭の座を奪い取ったアンタはかっこよかった。全員じゃなかったけど、アンタはスラムの連中を出来る限り守ろうとしてた。仲間がやられりゃ役人相手にも喧嘩を売って、木っ端役人なんざアンタの敵じゃなかった。貴族相手にも堂々と渡り合って、俺はそんなアンタだったから慕ってたんだ」
「いつまで青臭ぇ事言ってやがる! そんな事言ってられるような、なまっちょろい時間は終わったんだよ! せっかくの、せっかくのチャンスが来たんだ……後もう少しで俺も貴族の仲間入りができるんだよ!」
「貴族、か……アンタ、昔っから貴族が大っ嫌いだったじゃねぇか……それもコンプレックスの裏返しって訳かよ。
俺には分かんねぇな。貴族って響きがそんなに価値のあるもんなのかよ?」
「冒険者としての才能があるテメェには分かんねぇだろうな! 何も知らねぇガキが邪魔すんじゃねぇよ!」
「今までアンタが積み上げてきたもの……その全てに泥ぶっかけて捨てていく程の価値が、本当にあんのかよ……?」
「俺にとっちゃ、今の生活なんざ何の慰めにもならねぇな!」
叫びがギースを穿つ。一瞬だけ動きを鈍らせたギースの左肩を短剣が貫いた。真っ赤な血が、白黒の宵闇に染まった街を鮮やかに彩った。
ギュスターヴはニヤリと肩で息をしながら笑った。だが、短剣を握った右腕をギースの右手のひらが掴んだ。
「この……」
ギースが歯を食い縛る。指をギュスターヴの太い腕に食い込ませ、顔をくしゃりと歪ませた。
痛みに耐えかねてギュスターヴの手から剣が離れる。それと同時にギースは顔を上げて大きく叫んだ。
「バカ野郎があああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
膝がギュスターヴの腹部に突き刺さる。ギースよりも重い体が浮き上がり、そして強く、爪が皮膚に突き刺さる程に握り込まれた拳が彼の顎を捉えた。
渾身の一撃が振り抜かれる。その瞬間、何かが砕けたような気がした。胸が痛みを微かに訴えたが、それをギースは無視して腕を振り切った。
ギュスターヴの体が後ろへ吹っ飛び、地面を滑っていき、そして止まる。脳が揺れて意識を失ったのか、また一層強くなった雨脚にも反応しなければ起き上がる素振りも見せない。大の字になって寝転んだ状態のままひたすらに雨に打たれ続ける。ただギースの荒い呼吸音が、屋敷から響く厳かな音楽に混じって夜の街に溶け込んでいった。
「ギース!」
名を呼ばれて振り向けば、ギースの叫び声を聞いたキーリがちょうど塀を乗り越えて走り寄ってきていた。キーリは倒れたギュスターヴとギースを交互に見遣り、だが特に言及もせずに立ち止まると一度眼を閉じ、そして何処からともなく布を取り出した。
ギースも何も言わず、自分で肩に刺さった短剣を抜き取った。血が溢れ、シャツが真っ赤に染まる。それを見て舌打ちをしながらシャツの汚れていない場所で剣についた血を拭い、鞘に収める。
「ほら、取り返してやったぞ……俺の汚ぇ血で汚しちまったがな」
「それよりお前の治療が先だ」
キーリに向かっていつも通りの皮肉っぽい笑みを浮かべてギースは差し出すが、キーリは受け取らずに布をギースの真っ赤に染まった肩に縛り付けていく。
「別に構わねぇよ。後で自分で適当にやる」
「黙ってろ、バカ。やせ我慢してんじゃねぇよ。お前の怪我が長引いたら、皆が困るだろうが」
「……ワリィな」
「そりゃこっちのセリフだ……けど、エーベルの剣を取り戻してくれてありがとうな」
ギュッと傷口近くを圧迫するとギースの眉間に皺が寄る。口元が歪んで声が微かに漏れるがそれを堪える。代わりに舌打ちをして誤魔化した。
キーリの応急手当が終わり、今度こそ短剣を渡し終えるとギースは背を向けた。頭をガシガシと乱暴に掻き毟り、息を大きく吸って溜息を吐くと何処かへ向かって歩き出す。
「ありがとよ……ワリィけど俺ぁ帰るぜ。ここは任せた」
「ああ、任せろ。それよりお前は後でシオンかアリエス……それかギルドの治療院でも良いから治療魔法を掛けて貰え。じゃねぇと後遺症が残りかねねぇぞ。それと……治療が終わったら落ち着いてしばらく休めよ。いいな?」
「わかってるっつの。テメェは俺のお袋かってんだ」
悪態を吐きながらも右腕で手を振ってギースはキーリと別れた。角を曲がり、キーリの姿が隠れるとギースは立ち止まった。ポケットからシガーケースを取り出すと湿気ったタバコを一本咥え、雨に濡れないように俯いて火を点ける。中々火は点かなかったが、しばらく火を当て続けると煙が昇り始めた。
誰もいない道を一人、ギースはタバコを吹かしながら歩く。雨は降りしきり、体は冷え切っている。だがそれくらいで今はちょうどいい、とギースは思った。
ふと立ち止まり、自分の左肩に手を遣る。キーリの巻いてくれた布にもジワリと血が滲んでいて、それをギースは撫でた。
「……痛ぇなぁ……」
グッと眉間に力を入れて溢れる感情を堪える。目元を揉み解し、顔を空へ向ける。雨が容赦なくギースの顔を濡らし、熱を持った両目を冷やしてくれた。
そして誰ともなく呟いた。
「あばよ……父さん」
雨に打たれ、タバコの火が音を立てて消えた。
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