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4-2 神は天にいまし、世は全て――(その2)

第2部 第18話です。

宜しくお願い致します


<<登場人物>>

キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。

    魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。

フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。

アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。

エーベル:フィアが出会った少年。生活のために窃盗を繰り返していたところ、フィアが雇ったが貧民街で殺害された。

ユーフェ:エーベルと共にいる猫人族の血を引く少女。表情に乏しいが、エーベルを心配している様子を見せる。




 ギースは椅子に座って本を眺めていた。本は比較的高価なものだが、卒業して最初の仕事の報酬で購入したものだ。もう三年が経ち、何度も読んでいるために端が擦り切れているが、丁寧に扱っているために状態は悪くない。

 そのページをパラリと捲る。だが眼は文字を滑るばかりで内容は頭に入ってこない。もっとも、内容はすっかり覚えてしまっているのだが。

 今日する予定だった事は全て終わらせてしまっていた。なのでギースは暇だった。偶には本でも読むか、と思ってこの本を引っ張り出したのだが、どうにも集中できない。

 ギースは立ち上がると引き出しから巻きタバコを取り出して、指先で火を灯した。ジジジ、と音を立ててタバコが短くなり、咥えたまま吸い込んだ煙を吐き出した。惑うように空中を彷徨う煙を、ギースは椅子の背もたれに体を預けて何気なく行く先を眺めた。

 もう一度ギースは本を開いた。その本のジャンルは小説で、恵まれない貧民街の少年が様々な苦難に直面しながらも冒険者となり、やがて世界中から注目される程に栄達を果たすサクセスストーリーだ。まだギースが幼い時――ちょうどエーベルくらいの時に金のために本を盗んだのだが、貧民街のおっさんに本の内容を教えてもらったのだった。それ以来、少年ギースの中に冒険者になる目標が生まれた。

 ギースは深く煙を吸い込み、そして吐き出した。


「……なんでこんな本を買っちまったんだろうなぁ」


 自分で買って読んではみたものの、中身はご都合主義に溢れていて困った時に主人公に都合よく手を差し伸べてくれる人物が現れる。創作物としては二流が良いところだろう。冒険者となった今では読めば読むほどに設定にも粗が目立ち、もうちょっとマシな本を買えば良かったと後悔している。だが、それでもこうして何度も開いてみてしまうのは、自分にとってこの本が愛着のあるものとなっているからか。きっと、貧民街出身の自分とこの主人公を重ね合わせてしまっているのだろう。


「……止めだ」


 今度こそ本を閉じ、棚へと戻す。その足で窓際まで歩き、雨の降る街を眺めた。タバコを吸い終わるまでそうして、やがて灰皿に吸い殻を押し付けて頭を掻いた。


「寝るか……」


 何故だか気持ちが落ち着かない。こんな時には走って体を動かしたいところだが生憎の天候だ。一眠りすれば気分も変わるだろう、とギースはベッドに身を投げだした。そして眼を閉じて一呼吸おいたその時、けたたましく玄関のドアを叩く音が響いた。


「ちっ……誰だよ」


 眠りを邪魔されて苛立ちを舌打ちで表し、普段から不機嫌そうな顔を一層不機嫌さでコーティングして扉へと向かった。玄関へ移動するまでの間にも、玄関は絶え間なく、そして激しく叩かれている。迷惑な野郎だな、ともう一度舌打ちをした。


「うっせぇなっ! ンなに叩かなくても聞こえ――」


 不躾な来訪者に苦情を叫びながらギースは扉を開けた。しかし、その瞬間ギースは胸ぐらを掴まれた。そのまま部屋の中に押し込まれる。テーブルに背中をぶつけて飲みかけのコーヒーが倒れてこぼれた。


「ぐっ……ってぇなぁ!」


 強盗の類か、と自身の迂闊さを呪いながらギースは目の前の人物を押し返す。だが力いっぱい押してもびくともせず、相手の胸当てに触れるとその熱さに思わず手を離した。火傷しそうなその熱と痛みに顔をしかめながら「ウチには盗るものなんてねーぞ」と叫びかけ、しかしその視界に紅い髪が飛び込んできて、ようやくギースは胸ぐらを掴んでいる人物が誰であるか気づいた。


「おいおい、ぁンだ、フィアかよ。突然やってきてテメェ、一体どういう――」

「……は何処だ?」

「あ?」

「スラムの元締めは何処に居る、と聞いているんだ」


 フィアは力任せにギースを引き寄せた。ギースの喉元が締まり、苦しさに顔をしかめる。だがそんなものお構いなしにフィアはギースを睨みつけた。

 フィアの腕の震えがギースにも伝わる。熱い吐息がギースに吹きかけられ、その口元も細かく震えて歯がカチカチと音を立てている。だがそれが寒さや恐怖では無い事は一目で理解した。


「もう一度聞く。スラムの元締めの居場所を知っているならすぐに吐け」


 激しい怒りを必死に堪えて全身が震えていた。ギースは掴まれた喉元に焼けるような熱を感じ取った。それがフィアの怒りを如実に表している。ただならぬ事態が起きたのだとギースが理解するにはそれで十分だった。

 常ではないフィアの迫力にギースは気圧される。息が詰まる感覚を覚え、急速に口の中が乾いていく。


「……急にやってきてテメェ、いきなり何を……」

「余計な事は喋るな」一層低い声がギースを穿った。「私はな、ギース。今必死なんだ。自分を抑えるので精一杯なんだ。お前の事を仲間だと思っているし、傷つけたくはない。だがそれすらも自信がない。今すぐにでもエーベルを殺した奴を、あの剣を奪い取った奴を八つ裂きにして泣き叫ぶ口を縫い付けてやりたいんだ。その為ならばギース、お前にだって何をするか分からない。だからお前が知っている事を全部吐け」


 ギースは理解した。どうして自分の所へやってきたか。何故、こうもフィアが激怒しているのか。

 だから深入りするなと言っただろうが、とギースはフィアを殴りつけてやりたかった。腹立たしさにギースの拳が握りしめられた。


「フィアっ!」

「おい馬鹿っ! 止めろ! 何やってやがるっ!?」


 閉じかけの扉が勢い良く開かれ、フィアを追いかけてきたキーリとアリエスの二人が駆け込んできた。二人は急いでギースからフィアを引き剥がすと、そのまま羽交い締めにして拘束する。

 しかしフィアはそんな二人の拘束を振り解こうともがく。髪を振り乱し、歯をむき出しにして唸り声を上げた。


「離せっ! 離せぇっ!!」


 あらん限りの力を込めてもがき続けるフィアだが二人の拘束は振り解け無い。アリエス一人であれば抑えるのは難しかっただろうが、フィアよりも膂力に勝るキーリが居たことが幸いか。しっかりと彼女の腕を掴み上げてギースに近寄らせない。


「落ち着けってんだ! ギースに掴みかかったって仕方ねぇだろうが!」

「そうですわ! 頭に血が上る気持ちは分かりますけれども一度落ち着きなさいな!」

「そんな悠長な事を言っていられるかっ!」


 それでもフィアの興奮は治まらない。前のめりになって、抑えている二人さえもそのまま引きずってもう一度ギースに掴みかかりそうな勢いだ。

 仕方ねぇ、とキーリは舌打ちをしてやや強硬手段に出た。


「いい加減落ち着きやがれっ!」


 魔法でフィアの頭上に大量の水溜まりを作り出すと一気にそれを解放する。三人揃って水浸しになるが、雨の中を走ってきて今更である。だがそれでもフィアには多少の効果はあったようだ。真紅の髪から滴り落ちる水は、彼女の全身から発せられる熱であっという間に蒸気に変わっていくものの、キーリ達の腕の中で暴れることだけは止めていた。


「頭冷えたかよ?」

「……表面だけはな。だが――」荒んだ瞳をフィアは持ち上げた。「――今にも全身が沸騰しそうなままだ」


 全身の熱さとは対象的に彼女の声は怜悧さを保っている。首をもたげてギースを見据えるその視線は鋭く、まるで獣が獲物に喰らいつこうとしているようだ。

 それでもひとまずは落ち着いたか、とキーリとアリエスは顔を見合わせて溜息を吐く。そこでギースの舌打ちが響き、彼に対するフォローを行っていなかったことに気づいてキーリは気まずそうに頭を掻いた。


「あー……わりぃな、急な事でびびったと思うけどさ、実はな」

「聞いた。エーベルがおっ死んだんだってな」


 吐き捨てるような言い方にフィアがギリ、と奥歯を噛みしめる。それを見てキーリも慌ててフィアを掴む腕に力を込めた。

 ギースはそんな彼女を睨み返すと、テーブルに出しっぱなしにしていたシガーケースからタバコを取り出して火を点けた。


「あら? ギースってタバコを嗜んでましたかしら?」

「偶にな。だが最近は止めてた」


 窓の外を眺めながら紫煙を吐き出す。キーリ達に背を向け、黙って額を抑えた。


「そうか……ガキはくたばっちまったか」


 キーリからはギースの表情は見えない。だがその後ろ姿は、殆ど会ったことも無い貧民街の少年を心から悼んでいる様にキーリは思えた。


「……エーベルが殺されちまったのはもう今更どうしようもねぇ。だが、フィアが渡した剣だけは取り返してやんなきゃならねぇと思う。じゃねぇと――」


 短い間であったが、どれだけエーベルが本気で冒険者を目指していたかをキーリは知っている。今の、世界の底辺を這いつくばっている生き方から必死で這い上がろうとしていた。それは彼自身のためであり、同時に、彼が家族と信じていたユーフェに楽な生活をさせてやりたいという想いからだ。

 そして同時に、フィアがどれだけエーベルを大事に思っていたかもキーリは理解している。彼女のエーベルとユーフェを見る眼は優しく、特にここ数日は情が一層深いものになったように思う。まるで、家族のようだった。

 キーリも家族を失った。大切な人を殺された。だからこそフィアの気持ちが、怒りが、憎しみが身が引き裂かれる程によく理解できる。

 キーリ自身の憶測だが、恐らくエーベルの腹と手のひらの傷はフィアがプレゼントした剣によるものだ。特に手のひらのそれは、きっと最期の最期までエーベルが渡すまいと抵抗した時のもの。そしてフィアもそのことに気づいている。

 だからこそ。


「――じゃねぇと、報われねぇよな……」

「……」

「ユーフェが言ってましたけれど、貧民街で盗み取った物は一度その貧民街を取りまとめている大物のところに集められるのですわよね? 今ならまだきっと何処かに売り払われる前に取り返せますわ」

「そうかよ」


 一本目のタバコを吸い終わり、そのまま足元に放り捨てるとそれを踏み潰す。間髪入れずに二本目のタバコをすぐに吹かし始めながらギースは問うた。


「で、どうやって取り返すつもりだ?」

「それは……」

「金払って取り戻すか? それもいいだろうよ。だがテメェらが本気で欲しがってるって分かりゃ間違いなく法外でべらぼうな額をふっかけられるだろうよ」

「相手は犯罪者連中ですのよ? 実際にエーベルを殺しているのですし、捕まえて役人に引き渡せば……」

「やっぱテメェらは分かっちゃいねぇな」ギースは振り向くと鼻でせせら笑った。「犯罪者じゃねぇ奴を探す方が難しいスラムで、あの親父が何年取り仕切ってると思ってんだ? そんくれぇで捕まるくらいならとっくに捕まってるか、他の連中に殺されてんだろうよ。

 スラムの連中から強引に金を巻き上げてはせっせと貴族や役人連中に貢いで見逃して貰ってんだよ。同時に、その金で少々の悪さを他の連中がやらかしても裏から手を回して釈放してやってんだ。だからスラムの連中は頭が上がんねぇし、歯向かう奴も居ねぇ。

 悪い事は言わねぇよ。今日の事は不幸な出来事だと思って――」

「――ならば全て破壊してしまえばいい」


 咥えタバコの煙を吐き出しながらまた背を向けたギースの言葉を、怜悧な声が斬り裂いた。

 アリエスが驚きに眼を見張り、ギースの口からタバコが落ちた。


「小さな子供一人守ってやれない……そんな世界、クソ食らえだ。子供から搾取するしか能が無い町なんて消えてしまえばいいさ。私がそうしてやる」

「フィア……」

「テメェ……マジで言ってやがんのか?」

「ああ、大マジだ。何度だって言ってやる。悪い奴が正しく罰せられなくて、弱い者が泣き寝入りをするしかないなら、そんな世界はクソ以下だ。滅ぼしてしまえばいい」


 声は低く臓腑に響く様だ。そしてフィアが湛えている瞳は冷え切っている。


「フィア。テメェは自分が何言ってんのか理解してんのか? 確かにあの親父はクソだ。スラムなんざこの世の最果てで肥溜め以下の場所だ。ああ、それは認めてやるよ。けどな、そんな場所だって秩序はあるんだよ。野垂れ死ぬ野郎も多いが、そこでしか生きられねぇ奴も居る。あの親父が取り仕切ってるお陰でブタ箱の中で、クソッタレな役人崩れの看守にケツの穴を掘られる心配をしながらも暗い陽の光の中に戻ってこれんだ。俺みたいなクズでも生きていけるんだよ。

 あのクソ親父が居なくなりゃそれが全部オジャンだ。テメェが言ってんのは、そんな連中に全員野垂れ死ねって事だ。クズは生きる価値がねぇって事だ。路頭に迷って、慈悲も是非もねぇくたばり方をしろって事だ。それを分かっての台詞なんだな?」

「子供を犠牲にしなきゃ成り立たない大人ならば全員死んでしまえばいい」

「フィアっ! それは……」

「親父を殺りゃ、テメェの未来だって真っ暗なんだぞ?」

「……もう一度聞くぞ、ギース。お前の言うその『クソ親父』の居場所を教えろ」

「いい加減にしやがれっ!」

「止めろ、ギース!」


 激昂したギースがフィアに掴みかかる。先ほどとは逆にフィアの胸ぐらを掴み上げ、固く握りしめられた拳が振り上げられるもキーリの声でギースは思い止まった。

 歯を食いしばって感情を抑えるギース。それを冷ややかに見上げるフィア。二人の視線が交差し、睨み合いが続いた。

 胸ぐらを掴んだまま、ギースは拳を下ろして俯いた。


「スラムが無くなりゃ……エーベルみてぇなガキ共の居場所も無くなんだぞ……?」

「……懸命に生きても奪われるくらいなら……最初から希望なんて持たせない方がいい……」


 項垂れ、フィアはポツリと独り言のように呟いた。熱の抜け落ちたその声色は、ただひたすらに空虚にキーリは聞こえた。だからだろうか。フィアの垂れた赤髪を見るアリエスの視線はひどく痛ましいものを見るようで、眼を強く瞑って彼女から逸した。

 沈黙の帳が降りる。雨の音が耳障りな程によく響き、誰一人声を発せず、誰一人身動ぎできない。


「安心しろよ、ギース」


 そんな中で声を発したのはキーリだ。軽く瞬きをし、ギース、そしてフィアを見つめた。


「フィアに殺しはさせねぇよ。もっと言やぁ、スラムの秩序だって壊させやしねぇさ」

「キーリ! お前だって――」


 キーリの発言に噛み付くフィア。だがキーリは彼女の赤く熱を持った髪を乱暴に撫で付けてくしゃりとすると小さく皮肉気に笑った。


「別にその『親父』がエーベルを殺した訳じゃねぇ。確かに俺だって業腹だ。悔しいし、エーベルから大事なもんを奪い取ってそれを良しとするスラムを壊してやりてぇさ。だがギースの言う通りスラムが壊れりゃ迷惑を被る奴だって大勢居る。

 それに『親父』を殺しちまったらお前だって犯罪者だ。連中の仲間入りだ。フィア、お前だって本当の本心でそれを望んでる訳じゃねぇだろ?」

「だが、だが、私は……」

「お前以外に誰がユーフェを守るんだよ?」

「っ……!」


 エーベルが大事に守ってきた少女。幼くして肉親を亡くし、そして今日、新たに得ていた兄とも呼ぶべき存在を失った。そんな少女の存在に思い至り、フィアは言葉を失って大きく項垂れた。

 大事なものを見失っていた。怒りと悲しみと憎しみで心が曇り、本来ならば一番気にかけてやらねばならない存在を忘却の彼方へやってしまっていた。その事を彼女は深く悔み、恥じた。


「そうですわよ、フィア。貴女の怒りは理解しますけれど、今のユーフェにとって家族と呼べるのは貴女だけですわ」

「アリエス……私は……」

「だからそんなに自棄になってはダメですわ。今は……怒りを堪えて、ユーフェの事を第一に考えるべきですのよ」


 アリエスにも諭され、フィアは頭を垂れたまま黙した。怒りとユーフェへの想い。彼女の内でそれらがせめぎ合う。だが、もう大丈夫だろう、とキーリは彼女の腕を解いた。崩れ落ちたフィアの体をアリエスが支える。嗚咽が漏れ、その雰囲気にいたたまれなくなったギースは頭を軽く掻くと、先程落としたタバコを拾い上げた。水気を吸って湿気たそれを口に咥え、もう一度火を点け直した。


「俺も貰うぜ」


 キーリは返事よりも早く真新しい一本をケースから取り出すと、咎められる前に火を点ける。ゆらり、と二つの煙が空中で溶け合った。


「なんだ、テメェも吸うのかよ」

「たまに嗜む程度だがな。普段は吸わねぇよ、ンな体に悪ぃもん」

「そうかよ。後で返せよ」

「ケチくせぇな」


 二人は互いの顔を見ずにテーブルに体を預けてタバコを吹かす。

 タバコの残りが半分になった頃、キーリは厳しい表情を浮かべてフィアを見ながら口を開いた。


「ギース」

「ンだよ」

「『クソ親父』には責任を取ってもらうぜ」


 初めてギースはキーリの方を振り向いた。眼を見開いて驚きを露わにし、だがすぐに眉間に深いシワを寄せて睨みつける。


「……テメェもンな事言いやがんのかよ」

「殺しやしねぇよ。だがな、仮にもそんだけスラムで力持ってんだ。知らねぇじゃすまねぇし、その親父が少しでもエーベルの殺しに関わってんなら俺は容赦なく半殺しにして、犯人をフィアの前に突き出させる。野郎がしでかした、そのケツは拭かせてやる。奴の態度次第では公衆と役人の前で罪を全部吐き出させて、生きている事を後悔させてやる」

「ふざけたこと言ってんじゃねぇ!」


 静かに怒りを漲らせるキーリだが、ギースとしては看過できるものではない。キーリの胸元を掴んで激しく詰め寄った。

 しかしキーリの視線はフィアから動かない。涙を流して震える彼女をじっと見ていた。


「さっきの話聞いてたのかよっ!? 世の中綺麗事だけで成り立ってんじゃねぇんだ! ンな事くらいテメェだって分かってんだろうが!」

「ああ、わかってるさ――スラムの新しい頭になれる人間くらい居るってな。そしていい加減スラムの連中もその親父に嫌気が差してきてるってこともな」

「っ……! ンな奴、居るわけ――」

「なあ、ギース」キーリはギースの眼を覗き込んだ。「もう、お前もいい加減離れるべきだ」

「な、にを……」

「もうとっくに金は返し終わってんだろ?」


 突然のその言葉にギースは酷く狼狽した。キーリを睨みつけるも眼が泳ぎ、何処か迫力に欠ける。フィアを慰めていたアリエスは、想定外のキーリの言葉とギースの態度についていけず、フィアもまた理解の及ばないといった表情で涙で濡れた顔を二人に向けた。


「どういうこと、ですの?」


 アリエスが疑問をそのまま口にする。ギースは答えない。


「立派な冒険者になったし金も返して義理は果たした。だからお前も本心では離れたがってるんじゃねぇのか?」

「……コソコソとテメェ、いつ嗅ぎ回ったんだよ」

「それに答える義理はねぇな。

 ギース、もう潮時だったんだよ。お前の言ってる事も間違いじゃねぇかもしれねぇけど、罪は罪だ。いつまでも逃げ切れるもんでもねぇし、親父さんにゃ罪を償わせる時が来たんだよ」

「ギース! 貴方、まさかっ!」

「勘違いすんな、アリエス。ギースはこの件に一切関わっちゃいねぇだろうし、実際のところも知らねぇだろうよ。ただ、人となりとかから何となく背景を察して、だけど受けた恩から売る(・・)事に躊躇いがあっただけだ。そうだろ?」

「……」


 確信を持った問いかけにギースは無言で応じた。しかしキーリから眼を逸したその態度が如実に真意を物語っている。


「ギース……」

「時間がねぇ。エーベルの剣がその親父の所から出て行っちまったら探すのは骨だ。お前が教えてくれねぇんなら、やりたきゃねぇが虱潰しに一軒一軒探っちまわねぇとな」


 行こうぜ、とキーリはフィアを立たせてギースに背を向けた。


「邪魔したな」


 フィアの肩を抱き寄せながら扉を開ける。空は黒く、まだ当分止みそうにない。だが勢いは弱まり小降りに近くなっていた。アリエスと両脇からフィアを支え、三人は雨の中に脚を踏み入れた。


「待てよ」


 ギースは呼び止めた。三人が振り向けば、ギースは頭を抑えて迷っているようだった。

 タバコを咥えたまま前髪を掻き上げ、そのままの姿勢で雨で濡れた床を見つめる。眉間に皺を寄せ、紫煙は同じ軌道を描きながら中途より不規則に立ち上る。それは彼の深い煩悶を表しているようだ。

 沈黙。黙考。数分にも、数秒にも、どちらにも感じられる静寂が、やがて終わる。

 ギースは三人を睨みつけるようにしながら口を開いた。


「俺も行く」




今回もお読み頂きまして誠にありがとうございました<(_ _)>

ご感想やポイント評価等頂けるとありがたいです。気が向いたらで結構ですのでぜひ宜しくお願い致します。

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