3-5 想い、欲するモノ(その5)
第2部 第16話です。
宜しくお願いします。
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。
魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。
エーベル:貧民街でフィアが出会った少年。十歳程だが、生活のために窃盗を繰り返している。
ユーフェ:エーベルと共にいる猫人族の血を引く少女。表情に乏しいが、エーベルを心配している様子を見せる。
夜中、フィアはまんじりともせずにずっと天井を見つめていた。
ベッドに横になり、眼を閉じて眠ろうとはするものの意識は遠のいてくれはしない。迷宮に潜って体は疲れているのに、頭の中はもやもやとしてグルグルと考えばかりが巡る。土砂降りに近かった雨音は、今は小降りになったか響く音は小さい。しかしその微かな音さえ耳障りだ。寝返りの回数だけが増えていき、それに伴って溜息も回を重ねていく。
「はぁ……」
気持ちは一向に落ち着いてはくれず、数え切れない溜息の後でフィアは眼を閉じることを止めた。
「嫌われた……だろうな」
ぽつり、とそんな言葉が口をついて出た。
家族。エーベルを抱きしめながら口から飛び出した言葉に、もしかしたら一番驚いたのはフィア自身だったかもしれない。
何故エーベルとユーフェにあそこまで拘るのか。それはフィアにとっても疑問であり謎であった。それがあの瞬間に氷解した。そして全てがスッと自分の腑に落ちたのを感じ取った。
愛に飢えていたのは自分。寂しかったのはエーベルでもなくユーフェでもなく自分だった。仲間に恵まれても、今の自分に満足していても、いや、満足しているからこそ得られなかったものが愛おしく、恋しく、そして喉が乾くほどに欲しくなる。
愛を与えて欲しい。だがそれは叶わない夢。だから愛を与えたい。
姉代わりは居た。レイスだ。だが彼女は姉というよりも友人。フィアを支え愛してくれているが、姉と呼ぶには、一歩引いた場所を離れない彼女は遠すぎた。それが悪いとは言わない。まして、それ以上を望むのは身勝手が過ぎる。
「家族、か……」
今度は口に出してみた。胸が締め付けられた気がして、フィアは布団の中で体を小さく丸めた。
「だが……」
エーベルには残酷な事を言ってしまった。落ち着いた今ならば、どうしてあんな事を言ってしまったのだろうと後悔がフィアを責め立てる。
エーベルにとって大人は敵だ。それは間違いない。だがそれ以上に、今の明日を生きるとも知れない境遇に突き落としたのは彼の親である。家族である。そんな彼に向かって「家族になりたい」とは、自分はなんと無神経なのだろう。もう一度フィアは寝返りを打ち、悔恨の念のこもった溜息を深々とついた。
「もう……雇われてはくれないだろうな」
彼を酷く動揺させた。気持ちを告げた後で執事としての仮面を被り直したのはきっと、彼の心が傷つくのを避けるための自己防衛だったに違いない。あの後、一緒に食事もしたが一度たりともエーベルはフィアを見なかった。賢いあの子は、何事も無かったかのようにいつも通りにふるまってくれていたが、内心ではどうだっただろうか。きっと平静を保つのに必死にならなければならない程に私は傷つけたのだ。
数ヶ月続いたこの関係もついに終わり。それは自分の撒いた種だ。彼らから避けられるのは辛いが、それは自分の罪として受け入れなければなるまい。そう考えると酷く陰鬱な気分に襲われるが、乗り越えなければなるまい。
それでも。
フィアは壁に立てかけた自分の剣を見つめた。
「守ってやりたいな……」
ここで縁が切れようとも、彼らが自分を拒絶しようとも、未練がましく私は二人を守ってやりたい。無事に成長してもらいたい。せめて、彼らが一端の大人となるまでは。
「っ……」
思考に没頭していたフィアだったが、それは扉の向こうから感じた微かな気配によって遮られた。
物音はしない。だが確かに誰かがそこには居る。フィアは音を立てないようにそっと動いて枕元の短剣に手を伸ばした。
「……姉ちゃん、起きてる?」
しかしその手は、聞こえてきた声によって止まった。
「もしかして……エーベル、か?」
問い直すも、その声は疑いようも無い。
強く降り続いていた雨のため、確かにエーベルとユーフェは今晩フィアの家の空いていた客室に泊まった。お休みの挨拶さえしないままに二人は部屋へ消えていった。それを見て、もしかしたら明日の朝には二人はこっそりと出ていっているかもしれないとさえ思っていた。そんなエーベルが今、扉の向こうにいる。
フィアは短剣を元の位置に戻し、動揺を押し殺して出来る限り優しく声を掛けた。
「ああ、起きてるよ。入っておいで」
暗闇に静かな声が溶けていく。しばしの間が空き、やがてゆっくりと扉が開いていってその奥からエーベルとぬいぐるみの手を握ったユーフェが現れた。
「どうしたんだ、こんな夜更けに? 眠れないのか?」
迷ったようにエーベルは黙り、そして小さく恥ずかしそうに頷いた。
まだ朝までは遠い。年相応の反応を見せるエーベルにフィアは柔らかく微笑んで、少し迷ったが布団を捲ると、軽くポンポンとベッドのシーツを叩いた。少なくとも彼に落ち込んでいる姿を見せる訳にはいかない。エーベルとユーフェに同情はさせてはならない。
「おいで。一緒に寝よう」
「……」
「せっかく泊まってくれたんだ。我慢してたけど実はエーベルと一緒に寝たかったんだ」
「……そう、かよ」
「そうなんだ。だからお姉ちゃんのわがままを聞いてはくれないだろうか?」
「……ユーフェに変な事しないだろうな?」
「しないしない」
「鼻血を出したりは?」
「……自信は無いが、極力出さないよう努力する」
最後の要求には若干フィアは顔を引きつらせたが、ここで無理と言ってしまえばお終いである。失敗は出来ないな、と一人気を引き締めているとおずおずといった様子でエーベルがフィアの隣にコロン、と横たわった。反対側にはユーフェ。彼女は横になるとぬいぐるみを胸元に抱きしめてフィアの方を向き、体を丸めて眼を閉じていた。
「なぁ、姉ちゃん……」
「……なんだ?」
「姉ちゃんも……寂しかったのか?」
エーベルの小さな問いかけに、フィアは眼を閉じて彼の方へ寝返りを打った。
「自覚は無かったがな。たぶんそうなんだと思う」
「大人のくせに、自分の事なのにわかんねーのかよ」
「本当の自分の気持ちほど気づきにくいものはないさ。本当に深い所にある気持ちはな、大人だって気づくために何かきっかけが必要なんだよ」
「ふーん……そっか……」
エーベルは小声で呟いた。じっとフィアの臍の辺りに眼を向け、だがエーベルの眼にはフィアの姿は映っていない。
「姉ちゃんは……寂しいからって俺なんかと家族になりたいのかよ?」
「そうだよ。もっとも、王国の法律では正式には認められはしないが」
「そうなんだ?」
「ああ。だが……形なんてどうでもいいんだ」
帰宅時の事もありフィアは迷ったが、正直に自分の考えを告げることを選んだ。
「私がエーベルを『弟』だと思い、ユーフェを『妹』だと思う。それを二人が許してくれるならば、それはもう立派な家族だと思うんだ」
「姉ちゃんと俺は、父ちゃんも母ちゃんも違うんだぜ? それなのに家族って言えんのかよ?」
「血の繋がりの事を気にしてるのか? 確かにそれは重要な事の一つかもしれないな」
「だろ?」
「でも、それが全てでは無いと思うんだ、私は」フィアはゆっくりと眼を開いた。「血は繋がっていても憎み合う人も居る。全くの無関心な人も居る。だがそれは家族とは呼べないと思う。大事なのは、どれだけ誰かを大切に思っているか、だ」
「大切に思う?」
「ああ、そうだ。楽しい事も、悲しい事も、嬉しい事も、辛い事も、どんな時にも傍に居たいと思わせてくれる、どんな時でも大切で愛おしいと思わせてくれる。家族とはそういうものだと思う」
「……よく分かんねぇ」
「エーベルにはまだ早かったかもな。だがきっと、いつかエーベルも気づく時が来るさ」
「……大人ってのは、難しいんだな」
「そうさ。私だってまだまだ未熟さ。エーベルよりもちょっとだけ長く生きているだけさ。もしかしたら、世の中には大人と呼べる人は居ないのかもな」
「姉ちゃんは俺とユーフェのことが……その、大切か?」
「口に出すのは少々気恥ずかしいが……大切にしたい、といつも思ってるよ」
「まだ二ヶ月くらいだぜ? そんなに短い時間で本当にそんな風に思えるのかよ?」
「信じられないか?」
フィアの質問にエーベルは顔を上げて、迷ったように曖昧に頷いた。
「そうか。だったらこれから家族になればいい」
「これから?」
「ああ。時間が足りないと思うのならば、これから一緒に過ごす時間を増やしていって、それから判断すればいい。きっと私は至らないところばかりだから正直不安だが……」
「そんな事ねぇ。姉ちゃんは凄ぇ人だと思う」
「そうかな?」
「うん。優しいし、面白ぇし、何より強ぇもんな。
……俺、姉ちゃんみたいな冒険者になりたいんだ。強い冒険者に」
エーベルは自分の拳を見つめると、ギュッと強く握りしめた。そんなエーベルの頭をフィアが撫でると、エーベルは不安そうに見上げた。
「なれるかな?」
「なれるさ。だが……」フィアはいい機会だ、と疑問に思っていた事を尋ねた。「どうしてそんなに冒険者になりたいんだ? 確かに実入りはいいが、その分危険も多い。成長すれば他にも仕事はあるだろうに、どうして?」
するとエーベルはフィアから眼を逸して押し黙った。静かになった部屋に、ユーフェの小さな寝息が聞こえた。
「姉ちゃんになら教えてもいっか……俺は強い男になりたいんだ。ユーフェを守れるくらい。どんな悪いヤツからでも守れるくらいに強く。強くなるなら冒険者が一番だろ? 強くなるにしても、スラムのガキが兵士になんてなれないしな」
「ユーフェを本当に大切に思ってるんだな」
「まーな。大切に思える人が家族ってんなら、ユーフェは俺の家族だからな」
微笑むフィアに向かってエーベルはへへ、と笑って恥ずかしそうに鼻の下を人差し指で擦った。
「……そうか。ならば及ばずながら私もこれまで以上に精一杯エーベルを鍛えてやろう」
「これまで以上に……」
今の訓練でも十分にキツイのだろう。エーベルはげんなりとした顔をした。
そんなエーベルを見てフィアは楽しそうに笑ったが、「だが」と表情を引き締めた。
「本気で冒険者を目指すなら最初に教えておかなければならない事があるな」
「なんだよ?」
「養成学校で習った事の受け売りになるんだが、冒険者にとっての武器――今のエーベルならば短剣だな。それが何のための武器か、ということを常に意識するんだ」
「何のためって、迷宮のモンスターを倒すためのものじゃないのかよ?」
「それは否定しないな。確かに武器はモンスターを倒すためだ。だがその本質は、お前の後ろに居る誰かを守るための剣なんだ」
「守るための剣……?」
エーベルは、フィアの向こう側で寝ているユーフェに眼を向けた。
「そうだ。誰かを傷つけるためじゃなくて、仲間や街の人、そしてお前が大切だと思う誰かをモンスターや悪いヤツから守るために剣を奮うんだ。だから決して徒に剣を鞘から抜いてはいけない。もし剣を抜くのなら、それは剣を抜かなければ守れない時だ。そして、剣を一度抜いたなら躊躇ってはダメだ」
フィアは静かに、だが真剣な面持ちで語り諭す。エーベルはそれを熱心な瞳で見つめ、一言一句を心に刻み込んでいく。
「なら……俺がもし、姉ちゃんから貰った剣を抜くとしたら、ユーフェを守る時ってことだな?」
「そうなるな。余り剣を抜くような場面に遭遇してほしくは無いが、もし何かあった時はエーベル、しっかりお前が守るんだぞ」
「当たり前だろ。
……よし、なら姉ちゃん。俺を思いっきり鍛えてくれよ」
「さっきも言っただろう? 言われずとも一角の冒険者にまで鍛えてやろう」
先程までとは変わって、エーベルの眼にはやる気が満ちていた。
「でも姉ちゃんみたいになるのにどれくらい時間が掛かるんだろ?」
「なに、焦らずにいけば良い。地道に努力を続けていけば少しずつでも必ず強くなれる」
「そうだよな……
俺が姉ちゃんみたいに強くなれる頃には……家族にも、なれるかな?」
「……ああ、なりたいと思ってくれるなら、きっとなれるさ」
「そっかぁ……」
エーベルは一度ゴロン、とベッドの上で転がり仰向けに姿勢を変えた。しばらく黙ってそうしていたが、やがて再び寝返りを打ってフィアの方に体を向けると、ゆっくりとフィアの背中に手を回して抱きついた。
「エーベル……」
「ごめん……今日はこのまんま寝てもいいかな?」
フィアは突然のエーベルの行動に驚いたが、彼女の腹部に顔を押し付け、不安そうなくぐもった声を聞くと愛おしさがこみ上げてくる。彼女もまた体をエーベルに向け、その背に手を回してやる。
と、彼女のシャツの裾に軽い抵抗を感じた。首だけで振り向けば、ユーフェがいつの間にか小さな手のひらでシャツを握りしめていた。寝息は穏やかで、恐らくは無意識なのだろう。
フィアはエーベルに断り、仰向けになる。そして両腕で二人を抱き寄せた。
「今日はこのまま三人で寝よう。きっと……三人共いい夢が見れる」
「夢……いい夢見れるといい、な……」
フィアの体温を感じて安心したからだろうか。エーベルの瞼が落ち始め、声が小さく遠ざかる。程なくしてエーベルの方からも小さな寝息が聞こえ始めた。それに気づいたフィアは軽く彼の白い髪を撫で付けると自分も眼を閉じた。
少し前まではとても眠れそうになかったが、両端からの寝息のハーモニーを耳にしていると心地よく、二人の温もりが安心させてくれる。
(本当に……今夜はいい夢が見れそう、だ……な……)
やがて寝息が三つになる。一つのベッドに三人が寄り添って穏やかな寝顔だ。
その様は、間違いなく一つの家族の姿であった。
今回もお読み頂きまして誠にありがとうございました<(_ _)>




