3-4 想い、欲するモノ(その4)
第2部 第15話です。
宜しくお願い致します<(_ _)>
<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。
魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強いが、重度のショタコン。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。
エーベル:貧民街でフィアが出会った少年。十歳程だが、生活のために窃盗を繰り返している。
ユーフェ:エーベルと共にいる猫人族の血を引く少女。表情に乏しいが、エーベルを心配している様子を見せる。
雨は小降りから瞬く間に土砂降りになった。
通りに屋台を出していた者は大慌てで店じまいをし、表にテーブルを並べていたカフェや食堂では店員が濡れながら片付けをしていた。
賑わっていた道はあっという間に人の姿が消えていき、閑散とした中を幾人かが雨に打たれながら走っていく。
フィアもその中の一人だ。
キーリ達と別れて鍛冶屋に向かった彼女だったが、店に着いた時にはまだ短剣は完成していなかった。ちょうど最期の仕上げをしているところで、鐘一つ(≒一時間)程店で待って引き渡してもらったのだが、折しもちょうど雨が本降りに変わったのであった。
迷宮に潜った一昨日は晴れていて雨具を用意していなかった。その為、フィアは短剣が濡れてしまわないように懐に大事にしまって人気の引いた街中を駆けていく。
「こんな事ならキーリにも付いて来てもらえば良かった……」
そうすれば短剣もキーリの影の中に仕舞えるし、まして彼の荷物は基本的に全て影に収納されているのだから雨具の一つや二つも入っているだろう。だが後悔しても遅い。フィアは、雨で張り付いた前髪を鬱陶しそうに掻き上げて、早くプレゼントを渡したいと家へと向かう速度を上げた。
「ただいま!」
全身をぐっしょりと濡らし、雫を全身から滴らせながらフィアは家の扉を勢い良く開けた。
レイスはフィアの気配に気づいていたようだが、突然扉が開かれてエーベルとユーフェは一瞬面食らって眼を丸くした。だがすぐに気を取り直して、予め用意されていたタオルを差し出した。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「……おかえり、なさい」
「ああ、ただいま。タオルもありがとう」
頭の天辺から流れ落ちる雨を簡単に拭い取ると、フィアは笑って二人の頭を撫でる。最初は嫌がっていたが、今は二人共嬉しそうだ。エーベルの方はまだ若干の恥ずかしさが残っているようだが、意地を張って振り払われる事もない。
仕事という事を抜きにしてもフィアを見るエーベルの眼は以前と比べて柔らかくなっているのがよく分かる。ギラギラとした荒んだ色は瞳になく、かなり子供らしさを取り戻してきているようで、フィアはそれが嬉しい。
「……」
「どうしたんだ、レイス?」
「いえ、何もありませんが?」
レイスからの視線を感じ、フィアは彼女を見た。表情の変化に乏しいいつものレイスだが、彼女との付き合いの長いフィアには分かった。
ははぁん、とレイスの期待を察し、「ニヤァ」と茶目っ気たっぷりに笑う。そして「ちょっとこっちに」とフィアは手招きした。
「何でしょうか、お嬢さ――」
素直に寄ってきたレイス。見る者によっては冷徹さを感じさせる彼女だが、その頭にぽふ、とフィアは手を乗せた。
「レイスもありがとう。私はいつも世話になるばかりだな。感謝しているよ」
ナデナデ、と黒く艶やかなレイスの髪を撫でていく。よく手入れされているようで、なるほど、エーベルやユーフェにも劣らないくらい触り心地はいい。たまにはレイスを撫でるのも悪くないな、とフィアは満足げだ。
一方でレイス。突然頭を撫でられて一瞬呆け、しかし自分が敬愛するお嬢様に撫でられていることに気づくと一気にボンと顔から湯気が吹き出した。
「お、お、お、お嬢様!?」
「ん? 嫌だったか? てっきり期待しているのかと思ったんだが」
「ききき期待などしておりませんこともありませんしむむむむしろありがたくて喜ばしくて狂喜して嬉しくて私は夢見心地で昇天してしまいそうでああ一生お嬢様に撫でて頂いた今日この日を忘れる事はなく一生撫でて頂いたこの髪を洗うことはないでしょうくらいには嬉しくて嬉しくてたまらないわけでございまして」
「いや、髪はキチンと洗ってくれ」
顔を真っ赤にして瞳はフィアを見つめたままグルングルン。良く分からない事を口走り、体がフラフラと揺れ始めた。そしてツツツ、と垂れ始める情熱。
何を言っているのかは良く分からないが、フィアはとにかくレイスが相当喜んでいるらしい事は分かった。
「これからも迷惑を掛けるかもしれないが、宜しくな」
「勿体無いお言葉でございます……」
そんな彼女の様子を見つめる瞳があった。エーベルとユーフェである。二人は初めて見るレイスの痴態を唖然として眺めていた。
レイスはその視線に気づき、コホンと一つ咳払いをした。
「も、申し訳ありませんが、少しだけお時間を頂戴させて頂きます。エーベル、お嬢様をお風呂へご案内して差し上げなさい」
「あ、ああ、うん……」
すっかり素に戻ってしまっているエーベルにもレイスは気づかない。ボトボトと流れる情熱で白いエプロンドレスを真っ赤に染めながら一礼し、フラフラと椅子や壁に体をぶつけながら、奥の部屋へとレイスは消えていった。その姿には普段の冷静さも威厳もあったものではない。
フィアは彼女を見送りながら楽しそうに笑い、隣のエーベルに話しかけた。
「面白いだろう?」
「え? ああ、うん……あ、いえ、はい」
「もう今日の仕事は終わったのだろう? だったらもう普通に喋っていいぞ。レイスも見てないしな」
それもそうだ、とエーベルは肩の力を抜いた。
「レイス様……レイス姉ちゃんもあんな風になるんだな」
「おもしろかった……」
「あまり気持ちを表に出さないがな。冷たそうに見えて、何と言うかな、実は結構感情豊かなんだ。見る目が変わっただろう?」
「うん、悪い人じゃないとは思ってたけど、なんつーか、からかい甲斐がありそうなんだな」
「ただしレイスが落ち着いてる時にからかおうとすると手痛いしっぺ返しを喰らうからな。タイミングを見計らうのが大切なんだ。特に不意打ちに弱い」
「覚えとくぜ」
悪戯っ子な顔で笑うと、エーベルはフィアに風呂に入るように伝える。
「姉ちゃんもそのままだと風邪引いちゃうぜ? お湯は溜めてるから入ってきなよ」
「分かった。正直少し寒かったんだ。だがその前に」フィアはエーベルを手招きした。「ちょっと手を出してくれないか?」
「? なんだよ?」
首を傾げながらもエーベルは言われた通り手を差し出す。そこに、フィアは懐から取り出した短剣をそっと置いた。
「これって……!」
「私からのプレゼントだ。余り高価な物では無いが受け取ってくれないだろうか?」
エーベルの小さな手のひらに置かれた短剣。その鍔の部分には紫の小さな宝玉が埋め込まれていて、派手さはないものの丁寧な装飾が施されている。高くは無いとフィアは言ったが、それなりに値の張る一品だ。
ずっしりと重みを感じながらエーベルは恐る恐る剣を鞘から引き抜いた。そして天井からの明かりにかざしてみた。銀色に刀身が輝く無骨な美しさと宝玉の控えめながら鮮やかな煌めき。エーベルは眼を惹かれて思わず魅入った。
「気に入ったか?」
「ああ! すっげぇ嬉しいよ! でも……」
喜びに顔を年相応に綻ばせ、しかしすぐに表情が曇ったものに変わった。
「どうした? 嫌か?」
「んな事ねぇよ……
なぁ、姉ちゃん」揺れる瞳でエーベルはフィアを見上げた。「なんで俺なんかにここまでしてくれんだ?」
「なんで、と言われてもな……私がそうしたかったから、としか言えないな。エーベルは将来冒険者になりたいんだろう? だからその助けになればと思って作ってもらったんだが……」
「だからっておかしいだろ? 俺なんて単なる汚くて何もできないガキだぜ? 得意なことっていやぁ盗みとか忍び込んだりとかそれくらいしかできねぇし、俺なんかにこんなに金と手間を掛けたってアンタには一文の得にならないだろっ?」
「だからそれは……」
「同情だって言うんだろ? でも、それにしたってここまでする必要も義理も姉ちゃんには無いじゃん。俺らを腹を空かせたかわいそうなガキだって思うんなら、ただ単に金でも渡せば良かったんだ。そうすりゃ姉ちゃんだって良い事したって満足だし俺らも腹が満ちて嬉しい。それで十分なんだ。なのに、なのに……なんでこんな高い剣まで作らせて、俺らに構うんだよ……」
エーベルは吐露した。喉の奥に粘りついているものを吐き出すように、表情を苦しげに、本当に苦しげに歪めながらフィアに向かって内心で渦巻いていた疑問をぶつけた。
不思議だった。最初に働き始めた時は良い雇い主に雇ってもらって幸運だ、くらいにしか思っていなかったが、フィアとの距離が近づくに従って心が落ち着いていくのをエーベルは感じていた。不信と疑念に満ちていた世界が、少しずつ色づき始めていた。同時に、まだエーベルは気づかないままでいたが、心の奥底で何か小さいものが蠢き始めていた。
それが顕著になり始めたのは、キーリから木剣を貰い、一緒に食事をした日だ。温かい食事を一緒に食べ、エーベルの気持ちも温かいものに包まれた。ユーフェ以外の誰かと一緒に食事を取るなんて久しぶりで、エーベルは嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。だがフィア達と別れ、貧民街の自分たちの寒くて汚い家に辿り着いて一気に気持ちが冷めた。そして湧き上がってきた何かに体だけでなく心まで冷却されたような気分になった。
エーベルの抱いたそれは、敢えて名前を付けるのであれば不安だ。急に自分の人生が恵まれたものに変わってしまったようで、自分が自分ではない他の誰かに変わってしまったようであった。
そして生まれた疑念。
――果たして、フィアは本当に自分を傷つけないのだろうか。
優しくしてくれるフィアが分からなかった。優しくしてくれる大人など居なかった。上辺だけですぐ裏切る大人しか居なかった。目先の利益しか考えない人間ばかりで、だからエーベルも目の前の大人が、自分を通してどんな得があるのかを無意識に考えるようになっていた。
だがいくら考えてもフィアの得が分からない。自分を雇うことでどんな得があるのか、自分を手懐けてどんな良いことがあるのかが全く理解できなかった。
仕事こそ任せてくれるがそれだって対価を支払っている。恵むばかりで何も要求してこないフィアが理解できない。分からない。だからエーベルは怖かったのだ。
いつかまた、自分が捨てられるのではないか、と。
「エーベル……」
疑問と疑念をぶつけてくるエーベルの瞳から涙が流れ落ちた。つぅ、と一筋の雫が頬を伝い、それを見たフィアは言葉を失い、ユーフェはレイスから持たされたハンカチを、背伸びしてエーベルの目元に当てた。
「泣い、てる……?」
「ち、ちげぇっ! ちげぇんだよ! 泣いてねぇし! 俺は、俺はっ……!」
ゴシゴシとシャツの袖で乱暴に目元を擦る。浅黒い肌が微かに赤くなり、けれど擦っても擦っても涙は枯れてはくれない。
「な、なんでだよっ……別に悲しくなんてない、の、にっ……!」
だがその時、ふわりと赤い髪がエーベルの頬を撫でた。
「……すまない」
フィアは膝を突き、優しくエーベルを抱きしめる。ビクリとエーベルの体が強張る。フィアもそれを感じ取り、折れそうな心を支えるように、怖がらせないようそっと後頭部と背中に手を当て、ゆっくりと擦ってやる。それに従い、少しだがエーベルのしゃくりあげる声が治まっていく。
「不安にさせてしまったのだな、私は……確かにそうだな。理由がよく分からなければ、きっとエーベルには偽善に見えてしまうだろうな」
「ちがっ……姉ちゃんの事を俺は別に――」
「私は『家族』が欲しいんだと思う」
エーベルを抱きしめながらフィアは囁いた。
「かぞ、く……?」
「ああ、そうだ。母は私が生まれた時から体が弱く、結局あまり話せないまま幼い頃に亡くなった。兄は二人居たんだが、長兄は数年前に病で亡くなり、次兄とは私が家を出るまでの間、殆ど顔も合わせる事も無かった。父とも、会話が無かった訳ではないが彼の考えが理解できず、理解できないまま勝手に家を飛び出してきてしまってもう何年も顔を合わせていない。一家が集まって食事を取った記憶も、皆で旅行に出かけた事も、楽しく会話を交わした思い出もない。だから……家族に憧れがあるんだと思う。
贅沢な悩みに聞こえるだろうな、エーベルには。血の繋がった家族が居るだけ、恵まれていると」
「……」
「だが……やはり寂しかったんだろうな。あの夜にエーベル達に出会って以来、二人の事が気になって、『ああ、もし自分に年下の弟妹が居たら』と考えてしまったんだ。もし居たのなら、私のように寂しい思いはさせないのに、と」
夜の街で飢えた兄妹。何も信じるもんかと固く信じた冷たい瞳。愛を注がれなかった、孤独に慣れきった子供達。
そんな彼らを生み出した大人達。そして助けようとしない大人達。そんな彼らの仲間になりたくはなかった。そんな正義の味方はいらない。居てはいけない。
だからフィアは手を差し出した。誰も彼も救えはしない。けれど目の前で手の届く場所にいる子供ならば、弱くて戦う以外の大した力を持たない自分でも助けられる。
寂しさを紛らわせるため。自分の勝手な正義のため。エゴを親切で塗り固めて押し付けて。
「……勝手だな、私は。自分の思いばかりを二人に押し付けて。
――すまない、すまなかったな」
神に懺悔するように、冷えた体でフィアは許しを請うた。外ではますます雨が激しくなっているようで、窓を叩く雨音が静まり返った部屋に響いてきている。
「姉ちゃん……」
「……なんだ?」
「体、震えてる」
言われてフィアは自分が震えていることに気づいた。それは体が冷えてしまったからか、それとも嫌われる恐怖からか。
「……風呂、入ってきなよ。せっかく準備した湯が冷めちまうぜ」
エーベルはフィアの腕を解く。そのまま、距離を置いた。
「……そうだな、せっかくエーベルとユーフェが準備してくれたんだからな」
フィアは立ち上がり、エーベルを撫でようとして手を引っ込めた。エーベルは顔を伏せている。ユーフェはエーベルの袖を掴んだまま、表情を殺した瞳でフィアを見た。そうフィアには見えた。
「俺、いや私は料理の準備をしてきます」
エーベルは使用人としての仮面を被り直し、キッチンへと逃げるようにして消えていく。続いてユーフェも後を追っていった。見えなくなった二人の消えた方をフィアは肩を落とし、湧き上がる感情を押し堪えながらシャワー室の方へと重たい脚を引きずっていく。
「あの……お嬢様」
キッチンの方から、彼女を呼ぶ声が聞こえた。フィアは湿った瞳で振り向いた。エーベルの姿は無くて、声だけが聞こえた。
「雨が止むまで……今日はここに居てもいいですか?」
今回もお読み頂きまして誠にありがとうございました<(_ _)>
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