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1-1 森の中にて(その1)

 テンプレな作品になるかと思いますが、自分も含めて楽しめる作品に創り上げていけたら、と思っています。

 ご感想、評価等を頂けたら嬉しいです。






 霧医・文斗(きりい・ふみと)はその瞬間、呼吸を忘れた。

 体を震わせる寒さに負けて眼を開ければ、そこには曇天の空が広がっていた。分厚い雲が恐ろしい速さで流れ、なのにどこまでも雲は広がっていて太陽が顔を覗かせる気配はない。

 周囲には黒色と見紛うほどに深緑の葉を持った木々が所狭しと並んでいた。そのため文斗から見える空は非常に狭い。昼間なのに暗く空の表情は目まぐるしく変わって、そのいずれもが暗澹たるもの。まるで世界の終わりだ。或いは、世界の果てか。呼吸を思い出した文斗は立ち尽くした。


「何処だよ、ここは……」


 不安に駆られて呟いてみるも何処からも返事は無い。風切り音が嘲笑った。


「なんだって俺はここに……?」


 もう一度疑問を声に出してみる。声が震えている。体も震えている。それは寒さのせいではない。不安と恐怖のせいだと自分で気づいた。

 問いかけに答える者は無く、代わりに寒風が葉を揺らして文斗を嘲笑する。高まる不安と自身の置かれた得体のしれない状況に歯がカチカチと鳴った。


「……ともかく、何処かに行かなきゃな」


 意識して声を出す。誰も居ない状況の中で黙っていたら心が折れてしまいそうだった。体を動かさなければ、泣き叫んでしまいそうだった。

 息を深く吐き出し、新しく空気を吸い込む。それを何度か繰り返すと熱を持って混乱していた頭が少しは落ち着いた気がした。

 そうして立ち上がろうとし、だが文斗はバランスを崩して転んだ。仰向けに倒れ、背中を打ち付ける。軽い衝撃から遅れて土から冷たさが伝わってくる。


「あ、あれ?」


 体が上手く動かない。いや、動かないわけではない。腕も脚も特にどこかが痛んだりだとか、めまいがするなどはない。それどころか記憶の中よりもずっと視界もクリアで、抱えていたはずの偏頭痛もない。眼を覚ます前よりもずっと健康だ。

 だというのに体に違和感を覚える。頭の中のイメージと体の動きが咬み合わない。そんな感覚。何もかも自分が知る状況と違い、より一層恐怖を覚える。不意に涙が滲んだ。


「なに泣いてんだ、俺は」


 こんな程度、なんてことは無い。思ったとおりに物事がいかないなんて、自分の人生では当たり前の事じゃないか。乱暴に目元を擦った。

 とりあえずはついた土を払おうと文斗は両掌を重ねあわせた。そこで文斗は再び息をする事を忘れた。

 見下ろした自分の掌。成人していたはずの自分の手は遥かに小さく、男っぽいゴツゴツした質感も一転して柔らかなものに変化している。全身を見下ろせば、着ていた紺色のカッターシャツは見窄らしいボロボロのTシャツに変わっていて、半ズボンから伸びる脚は細く短く、そのくせに肉付きが良い。

 顔に手を当てれば掛けていた眼鏡は無く、にもかかわらずハッキリと木々の葉の形まで見える。明らかに視力は回復していた。文斗の頭は混乱を極めた。


「なんで……どうしてこんな……」


 狼狽えながらも記憶を探る。

 文斗は確かに工学部の大学生だったはずだ。九州の国立大学の二年生で、安いアパートで一人暮らしをしながら毎日電車で通っていた。思い出せる最後の記憶も通勤客で満員の電車に揺られていたものだ。体格も人並みで、決してこんな風に幼児の様な背格好ではなかった。ましてこんな、何処ともしれない森の中に足を踏み入れた記憶など欠片もない。

 場所が記憶と合致しないのはまだ分かる。考えたくもないが、誰かに拉致されて置き去りにされた、という可能性もゼロではない。だが体が縮むとは一体どういう事か。そんな事例は聞いたことがない。

 文斗が呆然と自分の体を見下ろしていたその時、森がざわめいた。

 ズシン、ズシンと地面が悲鳴を上げる。何かが踏み鳴らしながら近づいてくる。もう嫌だ。情けないとは分かりつつも文斗は泣き叫びたくなった。

 やがて、木々の影から二つの影がヌゥっと姿を現した。


「お、鬼……?」


 文斗の前に現れたのは紛れも無く鬼だった。今は一メートルも無いほどに体が縮んだ文斗だが、以前の体であっても見上げるだろう程の巨躯を持ち、文斗を見下ろしてくる頭部の額には一本の角が天に向かって伸びていた。一体はヒゲのような体毛がもみあげから伸びて顎全体を覆っている。二人とも体の色は全体が褐色で、着ている着物の様な服の下には屈強な筋肉質な肉体が覗いていた。


「んあぁ? 何だ、人族のボウズ一人か?」

「あれまぁ……結界に反応があったからどんな連中が来たかと思えば、ずいぶんと可愛らしい侵入者だね」笑みを浮かべながらヒゲの生えていない方の鬼が文斗を見下ろした。「それで、アンタ。どうすんだい?」

「そうだな……

 おい、ボウズ」


 二人の会話を、文斗は腰を抜かして聞いていた。

 間違いなく自分は食われる。そう思い込んで自失していた文斗は、これまで「ボウズ」と呼ばれる様な年齢では無かったこともあって自分が呼ばれていることに気づけず、ただ震えるだけであった。


「おい、ボウズ! 聞いてんのか!」

「は、はい!」


 飛び上がって返事をする文斗。あまりの恐ろしさに立ち上がった脚がガタガタと震え、慣れない体の問題もあって簡単に倒れてしまいそうだ。ヒゲの鬼は厳しい面で文斗を睨みつけ、気を抜けば漏らしてしまいそうだった。

 野太い声を掛けてきた鬼は睨みつけるようにして見下ろしていたが、その頭を隣の鬼が突然殴りつけた。


「いってぇ! エル、何しやがる!?」

「『何しやがる』じゃないよ、この馬鹿ルディ! いきなりこんな小さい子を怒鳴りつけるなんてどういう了見だい!?」

「べ、別にそんなつもりは……」

「アンタにそんなつもりは無くったって怒鳴られた方はびびるに決まってんだろ!」


 ルディ、と呼ばれた大鬼を比較的小柄な、恐らくは女性と思われるエルという鬼が怒鳴りつける。文斗からすればどちらかと言えばエルという鬼の怒鳴り声の方が怖かったが、怖すぎて声が出ない。

 エルは柳眉を逆立ててルディを睨んで鼻を鳴らし、踵を返して文斗に向き直る。かがんで幼い文斗にできるだけ目線を合わせ、そしてルディの時とは一転して微笑みながら優しい声色で話しかける。


「さっきはウチの馬鹿が大声出して悪かったね。おばちゃんたちは怖くないからそう震えなくていいんだよ」

「は、はい……」


 かろうじて震える声で返事をすると、ルディは詰まらなさそうに鼻を鳴らし、エルは柔らかい笑みのまま文斗の頭を撫でた。本人は優しく撫でているつもりだろうが今の文斗からすれば首がもげてしまいそうな力だったが。

 それでも彼女のその仕草に文斗は幼い記憶を思い出した。微かな記憶の果てにある母の掌。優しい母だったように思うが、彼女もまた頭を撫でるのが下手で文斗は撫でられたいが撫でられたくないという矛盾した感情を抱えていたような気がする。その後、父も母も何処かに蒸発してしまったのだが。

 記憶の中の母を思い出して恐怖が薄らぎ、心が冷える。同時にエルの大きな手から伝わる体温をひどく欲した。無意識に文斗は小さな掌でエルの太い指を握った。

 その行動にエルは面食らったように「あれまあ」と声を発したが、そのまま文斗にされるがままに放っておいた。


「いい子だ。幾つか聞くけど答えられるところで答えてくれるかい?

 坊やの名前は?」

「……霧医です」

「キリィ?」

「いえ、その、霧医……」

「言いにくい名前だね。この地方の生まれじゃないのかねぇ……そうさね、うん」エルは空いた左手で首元を撫でた。「悪いけど勝手にキーリと呼ばせてもらうよ」


 恐怖の権化からそう言われては頷く他ない。機嫌を損ねぬように振る舞うので文斗は精一杯だ。


「それでキーリ。どうしてキーリはこんな森の中に居るんだい?」

「わ、わかりません。気づいたらここに居て……」

「そうかい? ああ、別に責めてるわけじゃないからね。正直に答えてくれりゃそれでいいのさ。

 質問を続けるよ。キーリの他に誰か居たかい?」

「……いえ。僕もさっき眼を覚ましたばかりで途方に暮れてて……お二人以外には誰も何も見てません」

「ルディ」

「ああ、この辺りにはそのボウズ以外に人族どころかモンスターの気配すらねぇよ。ボウズの言う通りだろうな」


 エルが名前を呼ぶと直ぐにルディはエルの意図を理解して返答した。

 その答えに満足気に微笑むとエルは文斗に向き直る。


「ありがとさん。んじゃキーリ、お父さんやお母さんはどうしたんだい? それと、何処に住んでたとか分かるかい?」


 文斗は答えに窮した。

 実の両親はすでに他界している。そう思っている。法律上の養父と養母は健在だが「お父さん」「お母さん」とはとても呼べない距離だった。二つ目の質問に関しては、日本と回答して通じるとは思えなかった。

 鬼など地球上をくまなく探しても見つからないだろう。昔話や作り話に出てくるだけの存在であり、しかし今目の前にその鬼が居る。幾分落ち着きを取り戻しつつある頭で考えてみても、とてもこれまでと同じ世界の生物とは思えなかった。

 ならば果たして、今自分の立っているこの場所は、本当に何処なんだろうか、と考えながら地面とエルの間で視線を彷徨わせていると、エルは「何を言っても怒らないから言ってごらんよ」と促してくる。

 文斗はできるだけ素直に応えることにした。


「父と母は昔にいなくなりました。養ってくれた方は居ましたが……あと、何処に住んでたかですが、たぶんここからずっと遠い所だと思います」

「おや……悪いことを聞いたね。キーリは賢い子だね。教えてくれてありがとうよ」


 もう一度掌で頭をワシャワシャと撫でるとエルは立ち上がって文斗から離れ、ルディと小声で会話し始めた。途中で「口減らし」という単語が風に乗って耳に届いてくる。どうやら二人は勘違いしているようだが、現状の理解が文斗でさえ及んでいないのだ。否定する事もできず文斗はぽつねんと一人取り残された。

 そうして一人で立ち尽くしていると、文斗の中に一つの感情が湧き上がってくる。それは現状ではなく今後に対する恐怖だ。

 ルディとエルの二人がどんな相談をしているのか分からないが、どうやら食い殺されることはないようだというのは雰囲気から察することができた。だが、ここで二人に置いて行かれたらどうなるか。右も左も分からない、頼れる人も居ない場所で幼児が一人。頭脳だけは幼児では無いつもりだが、サバイバルの経験だって無く道具も無い。文斗を置いて二人が去ればきっと待っている未来は野垂れ死にしかない。

 そこまで考えが至って、文斗は急激に怖くなった。体が震え、寒さもこれまでよりずっと強く感じられる。


(どうすれば……)


 見捨てられずに済むだろうか。おそらく近くに二人が住む村なり町なりがあるのだろうが、そこに住まわせてもらうまでは行かなくとも、しばしの時間を過ごせる場所に連れて行ってもらいたかった。せめて、せめて数日しのげるくらいの食料と何か道具があれば……

 ドキドキしながら会話が終わるのを待つ。どうするか。見た目が幼児であることを活かして二人に媚びるか。無理だ。文斗には誰かに意図的に甘えられるようなコミュニケーション能力は無い。であれば正直に頼み込むしか無い。ルディはともかくも、エルはかなり好意的に思える。彼女は子供が好きなのかもしれない。

 文斗は口が得意では無いが、本気で頼み込めば悪いようにはしない気がする。いや、だが相手は鬼だ。今は人間を喰わなくても食糧事情に因っては人を喰うかもしれないししかし非常食扱いであっても今のどうしようもない状況を抜け出すためには受け入れる必要があるかもしれなくてだけども――


「待たせたね」


 戻ってきたエルが文斗の思考を妨げ、文斗はループから脱出した。

 文斗は恐る恐るエルとルディの顔を見上げた。エルは嬉しそうに、ルディは何処か面白く無さそうに口をへの字に曲げている。

 言わなきゃ。文斗は意を決して声を上げた。


「あ、あの!」


 だが言い終わるよりも前に文斗に向かってルディが手を伸ばした。小さな体がむんずと掴まれ、地面から離れて一気にルディの厳しい顔へと近づいていく。


(喰われる――!)


 体が強張って抵抗すらできない。文斗は覚悟して眼を閉じた。

 しかし――


「え?」


 文斗の体はルディの頭の上を通過し、そしてそのまま首にまたがって肩車される形になった。むき出しの肩から高めの体温が、またがった太ももを通して伝わってくる。


「え、あ、う」

「あ、なんだ? 俺の肩車じゃ不満か?」

「え、あの、僕を食べるんじゃ……」

「は! 誰が人族なんぞ喰うかよ。まして自分のガキを喰う奴がいるか」

「自分の……ガキ?」


 誰が誰の子供だというのだろうか。ルディの頭の上で混乱に拍車が掛かる文斗を見かねたのか、エルが笑いながら事情を教える。


「ルディと話し合って決めたのさ。キーリ、今日からアンタはウチらの子だよ」


 説明になっていない説明に、いよいよ文斗は目眩を覚えた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ルディの肩の上にまたがったまま、キーリは鬼人族の集落へと連れて行かれた。

 初めは訳が分からぬまま、集落で他の鬼たちとともに生きたまま喰われるのかと卒倒仕掛けたキーリだが、道中に楽しそうなエルと仏頂面のままのルディから詳しい事情を聞いてひとまず落ち着いた。

 ルディはルドマンズ、エルはエルディアナというのが本名とのことで、ルディは鬼人族の族長のような役割をしているとの事だった。そして二人は夫婦であり、しかしずっと子供が出来ずにいると寂しそうにエルはキーリに話してくれた。

 そういう事情があって二人は本気でキーリを自分たちの子供とするつもりだった。


「もちろんキーリが嫌だっていうんなら無理強いはしないよ。それでアンタを森に放り出す真似なんてしないし、村で生活できるよう取り計らうくらいはするから安心しな。ああ、当たり前だけどアンタを取って喰おうなんて気はさらさら無いからね」


 そう言いながら柔らかく笑うエルを見て、キーリはようやく彼女を信じることができた。そして自分のこれからについて落ち着いて考え始める。

 ルディの横で、手を上に伸ばしてキーリの左手を握って歩くエルを見た。頭に角を生やした鬼人族。当然キーリは今まで見たことなど無く、そして自分はこんな子供では無かった。


(もしかして……これが転生というやつだろうか)


 それもキーリ――文斗が知らない世界での転生。そんな設定の話は創作では耳にしたこともあるし、眼にしたこともある。だからといってそう簡単に自分が転生したなどと信じられない。

 しかし今の自分を顧みるに、そんなファンタジーが身に降りかかったと信じざるを得ないだろう。少なくとも今、自分は新たな生を生きているのだ。そして、家族を手に入れようとしている。そう考えると、気分が高揚してきた。

 早くして両親を失ったキーリは、人一倍他人の感情に敏感であった。生活力の無いまま孤独の身となったため、生きるために誰かに嫌われないように顔色を窺いながら生きてきた。しかし必要以上に心を近付ける事はしない。誰もが信用できる存在ではなく、そして心から信用できる存在は皆無に近かった。中学卒業後は奨学金を貰いながら一人で暮らし、大学生にまで成長した霧医・文斗だったが、その心は疲弊していた。


「ん? どうしたんだい? アタシの顔に何か付いてるかい?」

「い、いいえ。何でもない、です」


 そんなキーリであるから、エルがキーリに対して抱いている感情が掛け値なしの善意と親愛であると感じ取っていて、それでいて信じられなかった。無償の愛を注いでくれる存在があると信じられなかった。だがそれをキーリは心から欲していた。心を休める場所が必要だった。加えて、この見覚えの無い世界に放り出されて頼るべきものを無意識に欲していた。

 そんな感情をキーリは自覚できない。自覚できないが、エルとルディを信じたいと思った。出会ってから僅かな時間。信じられる相手であると判断するだけの材料など無い。なのにどうしようもなく彼女たちといたいと思ってしまう。


「宜しくお願いします」


 鬼人族であるエルより高い位置からだが、深々と頭を下げる。と、エルが楽しそうに笑い声をあげた。


「賢いだけじゃなくて礼儀も正しい子だね。元々裕福なところの子だったんだろうね」そしてエルもキーリに向かってお辞儀をした。「キーリを引き取るのはアタシが望んだ事だからね。こちらこそこれから宜しく頼むよ」


 やっぱりこの人は良い人だ。キーリは思った。

 二、三歳にしか見えないキーリにも礼を尽くそうとするその真摯さに、キーリは一遍に彼女の事が好きになった。

 だが――


(ルディはどう思ってるんだろう……?)


 先程からエルは好意を示してくれているが、ルディはキーリを肩に乗せたまま言葉を発しない。不安になってそっと頭上から見下ろしてみても不機嫌そうに仏頂面で前を見ているだけだ。キーリを一瞥だにしない。


「大丈夫だよ。心配しなさんな」


 そんな不安をエルは察したらしい。彼女はルディと話し合ったからそう思うのだろうが、キーリはルディと一緒に過ごしていけるのか、ひどく不安だった。

 だがそんな不安は村に着いたところで解消された。




 ルディとエルが戻ってくるのを待っていたのか、二人が村に戻ってきたことに気づくと次々に鬼人族が姿を現した。皆、ルディ達と同じように額に角を持ってたくましい体つきをしており、だが余り裕福では無いようで着ている衣服は擦り切れが目立つ。

 ルディたちの姿を眼にして誰もが顔を綻ばせ、だがすぐに肩に乗せているキーリに気づいて驚き、一転して雰囲気が険しいものになる。


「どうして人族の子供などを村に連れて帰った?」


 血気盛んな若者が一人ルディの前に進み出て、嫌悪感を隠そうともせずにキーリを指差して吐き捨てた。それを皮切りにして「人族などに村を荒させるな」、「ルドマンズは何を考えている?」などのざわめきが広がっていく。

 どうやら世界が変わっても人種差別は健在らしい。前はそういった問題には関心が無かったが、いざ自分がされる立場になるとグッと突き刺さるものがある。だが余所者に排他的な反応というのも理解できなくはない。キーリだって、自分の居場所に見知らぬ存在が陣取れば快くは思えない。それでも言い争う彼らの声が途方も無く悲しかった。


「こいつは今日から俺たちの子供だ」


 若者の問いに返答する形でルディが宣言し、ざわめきが一層大きくなった。雰囲気が瞬く間に剣呑なものになり、「ルドマンズは気でも狂ったか!」などという声も聞こえてくる。特に若者の間でそれが顕著だった。


「黙れっ!」それをルディの怒声が叩き割った。「ガキに鬼人族も人族もあるかっ! エルが腹を痛めて無くとも俺とエルの子だ! 今日からコイツは俺達の同胞だっ! キーリに手を出してみろ! 二度と歩けねぇようにしてやる! コイツにテメェらのくだらねぇ悪意をぶつけてみろ! 二度と口が利けねぇように口を引きちぎってやる! 分かったな!」


 ビリビリと空気が裂けてキーリは竦み上がった。思わずルディの頭にしがみつく。それくらいの迫力があった。前の世界の極道が怒鳴った時よりも余程恐ろしかった。

 それは他の鬼人族も同じだったようで、それまで好き勝手に口々に不満を漏らしていたが一気に押し黙る。そのタイミングを見計らっていたのか、静かになった一同に向かってエルが声を張り上げた。


「アンタらの思いは理解しているよ。アタシだって十五年前の事件は忘れちゃいないし、人族がアタシらに与えた屈辱は忘れちゃならない」言いながらエルはキーリを抱きかかえて地面に下ろした。「だけどそれはこの子じゃない。まだ生まれてもいないこの子にその時の咎を背負わせるような、そんな情けない一族じゃないはずだよ鬼人族は」

「こいつは試金石でもある」


 打って変わって静かに話しながらルディがキーリの頭を初めて撫でた。クシャクシャにキーリの灰色の髪が乱れた。


「同胞としてキーリに愛を注ぎ俺たちと良好な関係を築くか、それとも身に覚えのない恨み辛みをぶつけられて、結果的に俺らに牙を向く反逆者となるか。それは全て俺らがコイツに何を与えられるかに掛かっている」

「アタシらは誰かを恨むために生きてるんじゃないんだ。幸せになるために生きている。だから、皆もこの子が私達の……鬼人族の子供となることを認めて欲しい」


 キーリの体が抱えられてそっと地面に下ろされる。キーリはルディとエルを見上げた。エルは笑っていた。ルディは恥ずかしそうに太い指先で鼻頭を掻きながら、それでもキーリの眼を見てはっきりと頷いた。

 キーリは二人の意図を察した。同時にルディの心の内が垣間見えて、ルディの本心が分かって嬉しくなった。


(二人に拾われて……本当に僕は幸運だ)


 暖かくなる心に引かれて気まずそうな雰囲気が満ちている鬼人族の前に進み出た。


「霧医……いえ、キーリです。人族とか、鬼人族とか良く分かりませんけど僕は……ルディをお父さんと呼びたいです。エルをお母さんと呼びたいです。そして……ここにいる皆さんの家族となりたいです。だから、宜しくお願いします」


 その日、キーリは鬼人族の家族となった。




 ――それから三年が経った。


2017/4/16 改稿

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