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4.注目選手

『さあ、いよいよ最終グループの登場です』

 僕は観客席に戻ると、テレビ中継の音声をイヤホンで聞きながらくるりを見守ります。

 トイプードルをイメージさせるブラウンを基調とした衣装の上にパーカーを羽織り、くるりは練習のためリンクへ飛び出して行きました。パーカーの袖から見える手袋の肉球と、スカートの上の部分のモコモコ尻尾が可愛らしいです。髪はまだ頭の上で結んだままで、犬耳は付けていません。

『六分間練習が始まりましたね。解説の八木池さん、今回の注目選手は誰でしょう?』

『やはり、月丘くるり選手でしょう。昨年まで無名だったのに、いきなり出てきましたからね。ショートプログラムで披露したルッツは、一人だけ次元が違っていました』

『そうですね。昨日は、トリプルルッツのコンビネーションを演技後半に決めてきました。審査委員全員が満点をつける出来栄えで、それだけで十四ポイントも獲得しています。去年の優勝者、新田双葉にった ふたば選手に五ポイント差をつけて、現在トップです』

 ――ふふふ、テレビの中継でもくるりが注目されてるじゃないか。

 僕は一人観客席でほくそ笑みます。

 リンク上でウォーミングアップ中のくるりを見ると、ジャンプの体勢に入ろうとしているところでした。

「ほら、皆に見せつけてやれ。世界一のルッツを!」

 僕のつぶやきに従うかのごとく、くるりは左足一本に体重を乗せ、後ろ向きに加速します。髪をまとめ、凛としたうなじで風を切る姿もまた魅力的でした。そして深く体を沈ませたかと思うと右足のトゥで勢いよく氷を蹴り、右回り気味にジャンプしました。

「そして左回り!!」

 最高到達地点に達したくるりは、今度は回転を左回りに変え、勢いよく三回転します。

「おおっ!」

 観客席から歓声が上がります。中には立ち上がる人も見えました。まだ練習だというのに。

 それだけ、くるりのルッツは見る人の心を捉えてしまうのです。そう、僕をはじめとして。

『すごいですね、月丘選手のトリプルルッツは!』

『本当にすごいです。あの体勢から逆回転ができるなんて、何回見ても不思議です。腹斜筋が相当強いんだと思いますよ』

 小学生の頃からくるりの努力を見てきた僕は、ちっとも不思議とは思いません。

 これも、愛犬アクセルのおかげなのでしょう。

 ――世界一のダンサーになって、アクセルが生きた証を残したい。

 その想いを胸に抱き、くるりは必死に練習を積み重ねてきました。緑野公園で何回も何回も転びながらジャンプを繰り返してきた成果が、今ここに世界一のルッツとして表現されているのです。

『ルッツはエッジエラーを取られてしまう選手が多く、難しいジャンプと言われていますよね』

『そうですね。普通の選手は最初から左回りに跳ぶので、エラーになってしまうことが多いのです』

 日本のエース、政田蒼まさだ あお選手もその一人です。

 彼女はルッツがとても苦手で、先日のグランプリシリーズ中国杯では、ショートプログラムでもフリーでも上手くルッツを跳ぶことができませんでした。今年は豊かな演技力が光っているだけに、これは非常に惜しまれます。

『しかし、月丘選手の場合はそれはありえませんね』

『そうですね。彼女は完璧に右回りにジャンプしているので、エッジエラーになることはありません。というか、正直言ってあれは逆回転トゥループの踏み切りですよ。どうやったらあそこから左回りに着氷できるのか、本当に理解できません』

 いい加減にくるりのジャンプを認めてくれよ八木池解説員、と僕が放送席の方を向いたその時でした。


「キャッ!」


 悲鳴にも似たくるりの叫び声がリンクから響いてきます。驚いて振り向くと、信じられない事が起きていました。

 くるりともう一人の選手が氷の上に横たわっていたのです。

 くるりは膝を手で押さえながら痛みで顔を歪めています。どうやら、二人は練習中にぶつかったようでした。

『おっと、練習中にアクシデントが起きた模様です。二人の選手がぶつかって、月丘選手がリンクに横たわったままです』

『どうやら、左膝を痛めてしまったようですね。演技ができるかどうか心配です』

 ――すぐにリンクに駆けつけて、くるりに声をかけてあげたい。

 はやる気持ちを押し込めるように、僕は観客席の手すりをギリギリと握りしめました。

 僕はスケートが滑れません。運動が苦手な僕は、知識や応援で彼女を支えるしか術がなかったのです。

「大丈夫か!? くるりっ!」

 僕の叫び声にチラリとこちらを見たくるりは、苦笑いを浮かべながら小さく親指を立てます。

 そしてゆっくりと立ち上がり、左足を庇うようにしながら右足だけで滑走。リンクサイドに上がると、コーチに抱きかかえられるようにして控室へと消えてしまったのでした。

「せめて犬耳を着けてくれれば、話を聞いてあげられるのに……」

 そして僕は、この日のために用意した秘密兵器の無線機を、ぎゅっと握りしめたのでした。

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