07
スメールチが目を覚ますと、暗い顔をしてスメールチの顔を覗き込むリヴェラの顔が一番に目に入った。スメールチと目が合うと、リヴェラは大きく目を見開いて、それから後ろを振り向き、ガタンと大きな音をたててスメールチの視界から消えた。椅子から落ちたのだ。
「……落ち着きなよ。何やってるんだか…………いッ――――!!」
やれやれとため息をつきながら、椅子から落ちたリヴェラに手を貸すため起き上がろうとすると、身体の至るところから脳まで突き抜けるような痛みが襲い、スメールチは顔を歪ませた。
暫く痛みに悶えていると、頭のぶつけた箇所を擦りながら起き上がったリヴェラに心配そうな顔で覗き困れてしまったので、スメールチは思わず苦笑した。
「ごめんね、みっともないところばっかり見せちゃって。ヒヒ、これじゃ格好がつかないね」
起き上がることを諦めたスメールチは、寝たままの姿勢で話すことにする。
「君も辛かっただろう? 大丈夫かい?」
「……俺、は、別に……」
「そうかな。僕が君の立場だったら、凄くキツかったと思うんだけどね」眉を下げてスメールチは言う。「我慢しなくていいんだよ。君は子どもなんだ。辛かったなら、ちゃんとそう言わないと、かえって毒だ」
リヴェラが何を考えているか、大方の見当はついている。だからスメールチは出来るだけ表情を和らげて優しく言った。そして、走る痛みを顔に出さないようなんとか堪えて、リヴェラの頭に左腕を伸ばし、つかまえると、そのままリヴェラの頭を自分の胸に引き寄せた。
「……これは僕が勝手にしたことなんだ。だから、君が気負う必要なんて無いんだよ」
「…………ッ、でも、俺のせいで……ッ」
「君のせいじゃないよ。そうだね、どうしても誰かのせいにしたいんだったら――どう考えてもあのド変態が悪いよね」
自分を責め続けるリヴェラをどう罪悪感から解放したものかとスメールチは考えあぐねる。それと同時に、リヴェラは自分がされたことを全て目撃しているわけだから、トラウマになってしまっているのではないだろうかと心配していた。
と、ここでノックの音が聞こえた。そちらを見てみると、そこには二つの皿が乗っかったお盆を持ったネロがいる。
「……ああ、お兄さん。居たんだ」
「うん。お取り込み中悪いね。凄い音がしたから、起きたんじゃないかなって思ってさ」
そう言いながらネロは部屋に入ってテーブルの上に持ってきた皿を置いた。皿の中身はチーズリゾットだ。二人のために作ってきたのだろう。
スメールチはこのタイミングでネロが来たことをちょうど良かったと考える。心配事の方が解決できるかもしれない。
「ねえ、お兄さん。ちょっとお願いがあるんだけど」
「ん? 酒はダメだぞ」
「……そんなんじゃないよ。あのさ、お兄さんは記憶をいじれるんだよね?」
「……ああ、そういうことか。記憶をいじるって言うよりも、奪うって方が正しいよ。俺が知ることになるけど、いいのか?」
「良くはないけど、この際仕方無いよね」
リヴェラを胸に抱いた状態のままスメールチはネロと話を進めていく。スメールチが何を考えたのか察したリヴェラはスメールチの腕から逃れようともがいた。
「俺は……忘れたくは、ない」
やっとのことでスメールチの腕から抜け出すと、リヴェラは覚悟を決めたような顔でそう言った。勿論ネロとスメールチはその理由を問う。するとリヴェラは言いづらそうに口をもにょもにょと動かしながら小さな声で言うのだった。
「……守ってもらったのに……忘れるなんて、恩知らずなことは」
「ああ、そんなこと? 別に、僕は忘れられたって構わないんだけどね……ねえ、お兄さん。部分的に消すことはできるかい?」
困ったように言うスメールチに、ネロは「クリムとブランテの記憶だけ消して回った俺をなんだと思ってるんだよ」と妙に自信ありげに言うのだった。あまり誇っていいことでは無いのだが。
不安そうな顔を向けてくるリヴェラにネロは「大丈夫」と言う。「それともリヴェラ君は、あの男と同じような変態なのか?」
ブラックジョークを放ったネロにリヴェラは慌てて首を振った。全力で首を振った。それを見てネロは「それじゃあ決まりだ」と言ってリヴェラの首に軽く指を当てた。
ネロの指を中心に、黒い痣のようなものがリヴェラの首に広がり、それは段々コウモリのような形になっていく。
「目立たないようにはするけど、暫くは残ると思う。ごめんな」
そう言って首から指を離すと、ネロは顔をひきつらせた。リヴェラの記憶がネロに移動した証拠だった。
「本当……お疲れ様。ゆっくり休んでよ」
そう言ってネロは影を操り、リヴェラの意識をそっと闇に沈めた。
意識を失い眠り始めたリヴェラの横顔は大分安らかなものになっていた。