彼とブタと青い涙 ―セールスマン・オン・ザ・ブループラネット―
短編というかショートショートというか。
通勤・通学の合間のお供になれば嬉しいです。
その国の指導者は生まれついてのセールスマンだった。ジュニアスクールの時代からクラスメイト相手やネットオークションでコミックを売り捌いて月々の小遣いを得ていた。
コミックの大半の仕入先は三つ年上のいとこのジミ-だった。ジミ-は大のコミックマニアで部屋のクローゼットに何百冊と溜め込んでいた。
彼はジミ-に向かってあきれた顔で言う。
「ジミ-、いい年してコミックに夢中なんて恥ずかしくはないかい? 君はそれでいいのかも知れないけれど、いとこの僕まで学校の連中から後ろ指をさされるのは耐えられないよ」
勿論彼は自分がコミックを売り捌いて収入を得ていることをジミーには話してはいない。
そしてまたある時は、
「ビッグサプライズだジミ-。メアリージェーンが君に興味があるんだって。あのメアリージェーンがだよ!? この田舎町でハリウッドに一番近い娘だと大人たちも噂するほどのあのメアリージェーンだ!その彼女がいま一番お喋りをしてみたい男の子はジミーだと話ていたって! もう学校中が蜂の巣をついたように大騒ぎさ! ああ、ジミーいとこのぼくも鼻が高いよ」
と、平然と嘘をついた。
「……でも心して聞いてくれ。実は彼女はコミックマニアは嫌いなんだってさ。それでどうだい、メアリージェーンにばれる前にクローゼット中にある山のようなコミックを処分しないか? 勿論全部じゃなくていい。ぼくだってコミックを崇高なアートだと思ってる。でも他の連中は違う。特にメアリージェーンはね。これはいい機会なんだと思わないかい? ジミーが大人の男へと成長して、今までバカにしてきた連中を見返してやるためのビッグチャンスなんだ。だから彼女の耳に入る前にせめて半分は処分するべきだよ。彼女がこの部屋に遊びに来た時に、コミックがクローゼット一杯にあるのと半分しかないのとでは、与える印象が天と地ほどかけ離れているからね。そう思わないかいジミー?」
少し頭の弱いジミ-は三つ年下の彼にそう詰め寄られて夢を見る。
今年の夏休み、街外れの河原でデートをする自分とメアリージェーンの姿を。
その日の晩、ジミーは五年間かけて集めたコミックの半分と、カンザスへドライブへ行く途中に交通事故で死んでしまった叔父が20年かけて集めていたコレクションを手放すことに決めた。
そうやってまんまとコミックを無償で手に入れた彼のもとには、その年齢にしては莫大な金額が流れ込むことになった。特に叔父のコレクションの中にあった数十点のレア物はネット上でいい金額で取引された。売上はそのまま利益となり、この時の蓄えの一部がその後始める事になる事業資金の一部となった。
彼はハイスクールを卒業と同時に貯めこんだお金と幾ばくかの借金で日本車のディーラーを立ち上げた。特に車好きだった訳ではない。日本車は売れる――理由は単純明快だった。
彼はオーナー兼やり手のセールスマンとして業績を上げ、二年後にはその国でナンバーワンのディーラーに踊り出ていた。
そして店舗網を拡大していき高級車ディーラーで築いた上流階級の人間たちとの人脈は、一気に彼の見える世界を押し広げていく。
ある日、見知らぬ一人の男が彼のオフィスに訪ねてきて、そっと顔を近付けて耳元でこう囁いた。
「――君のその類稀なセールス力を世界中で試してみる気はないかい?」
ありふれた誘い文句だった。しかし彼の心は震えた。理由はわからない。ただその男の瞳を見て言葉を聞いた時に、頭の中に青い星が浮かんだ。
そして三日後には彼は中東の紛争地帯に降り立っていた。軍需企業のセールスマンとして。
交渉相手は軍であり反政府ゲリラであり、ジャングルの奥の麻薬カルテルだったり、敵だったり、味方だったり、カルト教団だったで、秒刻みのスケジュールで忙しくプライベートジェットで地球を飛び回った。
時には戦争のきっかけを演出し、戦後の事後処理に提言をしたりもした。アフターサービスと言うやつだ。
彼にはこれと言った思想も理想もなかった。ただ商品が売れた時の達成感、それだけが彼を突き動かす原動力だった。
五年間世界を飛び回った後、国に帰って州知事となった。理由は単純だった。所属していた軍需企業が政府内により太いパイプを求めて、彼に白羽の矢をたてただけだった。
彼は特に迷う事もなく政治家の道を志した。理由は特にない。ただこの時も頭の中に青い星が浮かんでいた。それに何の意味があるのかわからない。
ただ自分は大きな力に流されている――そんな漠然とした思いを抱くようになっていた。
彼が四十代になるとその国の若き指導者となっていた。世界一の軍事力を誇り、世界一の経済力を持つ巨大帝国の支配者。世界は彼の一挙手一投足に注目した。
彼が生まれつき持っていた提案力と交渉力は長年のセールスマン生活で最高潮に達していて、時には強大な剣となり、時には絶対破れない楯となり、マスコミはこぞって最強の外交力を持った最高のリーダーと評価した。
この頃から彼はただ一点だけを見つめて突き進んでいた。頭の中に絶えず浮かび上がってくる青い星だけを見つめて――
ある夏の昼下がり。
視察で訪れた西部で、一番大きなホテルで地元の後援者たちに招かれたパーティーでの事だった。
初老の体格の良い老人が彼に歩み寄ってきた。口は微笑んでいたがブラウンの瞳には大きな悲しみを携えている事は一目瞭然だった。
「…… 大統領、知っているかね? この辺りじゃここ数年行方不明者が後を絶たない。いや、ここだけじゃない。国中で年間どれだけの人間が消息不明になっていると思う? わしの孫娘も突然姿を消してしまった。家出なんかする子じゃなかったのに…… みんなこの異常な状況に気付きながらも余りの数の多さに、考える事も問題解決に取り組むも諦めてしまっている。なあ、でもあんたなら出来る筈だ。頼む、どうかこれ以上わしのような哀れな人間を増やさんでくれ」
初老の男は震える手で一枚の写真を取り出した。ピンクのドレスを着てテティベアを胸に抱いた5、6歳の少女が写っている。
「大丈夫。そう気を落とさずに。勿論今その問題については連邦警察及び各調査機関が全力をあげて取り組んでいる所です。近いうちに何かしらの成果が出ると約束しましょう。お孫さんも大丈夫ですよ。きっと近いうちに見つかるでしょう。私を信じてください」
と、彼は初老の男の肩に優しく手を回して励ました。
そのパーティーからの帰りのリムジンの中で、彼は普段は吸わないキューバ産の葉巻をくわえて老人から渡された写真を見つめていた。するとおもむろに写真を二度、三度と破くと葉巻と一緒に灰皿へと突っ込んだ。
リムジンはしばらく夜の街を走り、郊外へと向かい、やがて荒野の一本道で静かに止まった。何もない荒野にこの国の大統領を乗せたリムジンが一台。護衛の車もいつの間にかいなくなっていた。
しばらくすると暗闇の中に人影が一つ。当たり前の様にドアを開けて彼の隣へと座り込む。
人影はスーツを着た太った老人だった。
彼を自分の会社へ誘い、世界中を飛び回らせ、政界へと後押しした男。
彼は隣の男に目もくれず、目を瞑ったまま深く息を吐いた。まるで身体の中の酸素を全て取り替えないとすぐに死んでしまうかもしれないと思わせる深い深い呼吸だった。
彼は眉間に深い皺を刻ませて搾り出すような声で、隣の男に話しかけた。
「…… ミスター・シュタイン、一日に何千台もの車が猛スピードで駆け抜けるハイウェイがあと少しで崩れ去ると知ったら君ならどうする? 時刻は夜だ。しかも嵐のせいで視界はとてつもなく悪い。なのにドライバーは狂人ばかりで、ヘッドライトも点けずワイパーを動かす手間さえ惜しんで暗闇の中を物凄い勢いで走り抜けて行く。皆このゴールの見えない狂ったレースに感覚が麻痺してアクセルを緩める事もできない。いや、とっくの昔にブレーキなんてものが、どこについていたのかさえ忘れてしまっている。そんなハイウェイで横に並んだ車からドライバーが顔を出して泣きながら叫ぶ。孫娘を捜してくれないか、と。君ならどうする?」
「ひっひっひっ、相変わらずおもしろい男だ、君は。答えなんて簡単だ。おれなら見つけた娘をひき殺して食べちまうよ。そうだろ? もしかしておれを非難しているのか? 今更、ちっぽけな良心にめざめたとでも言うのか? 君も他の奴らと一緒で安っぽいヒューマニズムとやらを振りかざして大局を見失うつもりなのか? おれはどっちでもいいんだ。帰る場所はある。しかし君や他の人たちは? なあ、さっきの質問をそっくりそのまま返すよ。君なら一体どうするんだ大統領? 」
そう言い返されて彼はスモークガラスを開けて、遠くを見るように暗闇を睨んだ。
「……多少の犠牲は覚悟している。ハイウェイの損害を最小限にとどめて、狂ったドライバーたちを緊急停止させてこの無益なレースを力ずくで終わらせるためには犠牲がいる。きっと流れた血が大河を作り、海は真っ赤に染まるだろう。しかし未来に続くハイウェイが無事ならば、人はいつかまた走り出せる」
「そう!それでこそ俺が見込んだ男だ!」
男は興奮した口調で叫び、顔の皮をひっぺはがした。精巧なマスクの下から現れたのは豚のような顔をした怪物だった。赤黒い肌に耳まで裂けた口。豚の様に突き出した鼻。そして人の血のように真っ赤に煌く双眸。
「いいか、これはビジネスだ。俺がこの星に流れてきて百年。武器商人になりすまして人類をずっと見てきた。いや、そそのかしたと言っていいだろう。歴代の指導者たちは俺の宇宙船から得たテクノロジーをヒントに作り上げた武器をありがたがり、戦争を繰り返した。しかし誤算があった。行き過ぎたパワーゲームはいつしか俺の手を離れてコントロール不能になっていた。この星の終わりも俺には見えている。人食いが趣味の俺はこの星がなくなるのが寂しかった。だからお前に賭けたのさ。お前を初めて見た時、おれにはピンと来たんだ。だからビジネスのパートナーとして選んだ。お前は俺が切り札として隠し持っていたオーバーテクノロジーの武器でやがてこの星の王となり、家畜場を作り上げるのさ。俺の為にな!」
車内にはまさに豚の鳴き声のような笑い声が響き渡った。
その笑い声を聞きながら彼はそっと目を瞑った。瞼の裏に青い星が輝いている。漆黒の中の淡いブルー。心安らぐ青。それは大いなる意思の涙粒。
星という一つの生命体はいま体内に増殖した寄生虫と混入した異物により瀕死の危機に接している。その声無き叫びが彼の耳には聞こえていた。ずっと。いつの頃かわからない程の昔から。
「どうだ、同朋を売った気分は? お前はまさにこの星のトップセールスマンさ!」
「――請求書だ。払ってくれ」
彼はおもむろに内ポケットから銃を取り出して、豚のこめかみに押し当てた。
夜の荒野に一発の銃声が鳴り響いた。
タキシードに飛び散った緑の血液をハンカチで拭いながらリムジンの外へ出ると、彼は夜空を見上げた。
そこにはいつの間にか空を埋め尽くす程の大船団があった。船体には彼の国の旗が棚引いている。
「きっと人はまた走り出せる。この星が無事ならば……」
彼は左手を上げた。
「これより合衆国は全世界統治に向けての戦闘を開始する。武装解除を拒みこの覇道楽土建設に抵抗する国と地域はすべて焼き払え。それがこの地球の大いなる意思である!」
彼が売ったもの、それは幾ばくかの同胞の命であり、手にしたのはこの星の未来。
やがて生まれてくる子供たちが、また走り出すために――
長編の方にも目を通していただけるとキャンキャン転げ回りますw