ACT2 ThePerson
初戦を生き残ったレイズ。しかし彼の心には大きな傷が残った。 戦う男達の、心の中とは……
Captur 1
朝、彼は自分の目がひらっきぱなしであることに気付き、慌てて目を閉じた。
乾いた目に涙がしみる。
眠れなかった。寝付くことが出来なかった。
戦闘から帰還した後、自分がどのようにこの部屋へ帰ってきたかも分らない。
目を開ける。
ぼやける視界の中、いつも最初に見えてくるのは、数百の朝と夜を跨いで目に焼き付けた、見慣れた天井。
毎日、来る日も来る日も、薄汚れた同じ天井を目線でなぞり、壁に掛けてある時計に目を移すのが彼の日常で、その日も彼はそうした。
刻々と時間を刻む長針。午前8:30。
「やばっ!」
ベッドから飛び降り、部屋備え付けのクローゼットから服を乱暴に引っ張り出して、急いで着替え出す。
洗面所で顔を洗い、鏡で自分の姿を見たとき突然彼は、その動きを止めた。
首に掛けられた、薄べったい、アルミ製のドッグタグ。
新品の、傷一つ無いそれには、『503』と刻印されていた。
「そうだ……。僕、もう訓練生じゃないんだった……」
友を失った、あの戦い。
蘇る記憶。忘れる事の出来ない記憶。
彼はタグを強く握り締め、重い足取りで寝室に取って返す。
その時、部屋のチャイムが鳴った。
「ザナルティー軍曹、親展書類だ。確認しろ」
彼が扉を開けると、士官は何も言わずに封筒を手渡した。
何も書かれていない白い封筒。裏面には、サンヘドリンの紋章が印刷されているだけで、やはり何も書かれていない。
彼は封筒を開け、一枚の書類を取り出した。
それは、サンヘドリン人事部から送付された、訓練校から実戦部隊への正式な異動命令書類だった。
それを見て、溜息をつくレイズ。
訓練生だったときの……、友と一緒だったときの思い出。
それが一瞬で砕け散った。
ヤンは、ソルジャーの拳に叩き潰されて死んだ。
ミカは、レイズ達のすぐ後方で、敵に狙撃され、誘爆して死んだ。
スタイナーは、コックピットを撃ち抜かれ、蒸発して死んだ。
生きていたころの、皆の笑顔。
今の彼にとってはそのすべてが、心のヒビに打たれる特大の楔。
自らを責め、迷い、悩む。足掻く度に、足を捕られる。
彼は目を開け、ふと気づく。
封筒の中には、もう一枚の書類が同封されている。それは、宿舎の移動先を聞き記した書類。
彼は書類と同封されていた新しい部屋のカードキーを見つめ、もう一度、大きく溜息をついた。
****************
薄暗い無機質な部屋。
その中心に設置されている、透明なシリンダー。
シリンダー上下には、何本ものコードやパイプが接続されており、内部には透明な液体が満たされている。
その液体の中に浮かぶ、うっすらと白みを帯びた肌色の物体。
身体だ。
華奢だが、ふくよかな起伏に富んだ、柔らかい女の身体だ。
彼女は液体の中に、目を閉じたまま静かに浮かんでいる。
「エステル、メインシステム。ユグドラシルとの接続完了」
室内に響く、合成音声。
彼女の身体にはセンサー針が食い込み、彼女の身体データを逐一検査している。
「スキャニング開始」
彼女の身体を走る、何本もの光のライン。
それは彼女の身体を撫でる様に、何度も、何度も、往復を繰り返した。
「スキャン完了。生体機能異常無し」
「戦闘データ、バックアップ……」
「完了」
「メモリーデータ、バックアップ……」
「完了」
「センサー、パージ」
一瞬ぴくりと痙攣する彼女の指先。
巻き取られるセンサーコードが、エステルの身体からセンサー針を抜き取っていく。
「調整槽、排水開始」
シリンダー内を満たしている“保護液”が内部から排出され、やがて彼女は、自分の脚で調整槽の中に立った。
流れていく保護液。
開放される強化ガラス製シリンダー。
彼女はゆっくり調整槽の外へ歩み出、そして静かに、美しい銀色のロングヘアーを体からはがしながら、部屋の端のタオルの置かれた場所へと歩いて行った。
タオルを手に持ち、身体を拭くエステル。
微妙な粘性を含んだ保護液が、彼女の身体から離れるのを惜しむかのようにゆっくりと、タオルの繊維の中へ吸い込まれていく。
すると彼女は突然、その手を止めた。
「何の御用ですか? エビング博士」
振り向く彼女。
するとそこには、白衣を身に纏った長身の女性が立っていた。
「この部屋寒くない?」
「質問の答えになっていません。エビング博士」
「昔は“エレナ”って呼んでくれたのに……。つれないわねぇ」
「それはあなたに、『そう呼べ』と言われたからです」
「でもそれに従ったのはあなた」
「イクサミコは、人間に従うように作られていますが、愛するようには作られていません」
何も纏わぬまま、白衣の女の顔を見据えるエステル。
「自分で言ってて悲しくない?」
「第一ここは、あなたの管轄では無い筈です」
「まったく……“飼い主に似る”って奴かしら? あなたのその無愛想さは」
エレナは、一瞬溜息をついてから静かに微笑み、エステルのすぐ側へ近付いた。
「でも……」
エステルの腰に手を触れるエレナ。
「……それがいいのよね」
彼女はそう言うと、エステルの肌を撫でた。
「確かに“あの人”好みの身体してるわよね…あなた…」
ぴくりと動く、エステルの背中。
「でも……彼は貴女の事を本当に愛しているかしら?」
彼女はエステルの耳元でそう呟くと、その手を徐々に、腰から脇腹へ。脇腹から胸へ滑らせた。
「やめて下さい……博士……」
エステルの声を無視するエレナは、エステルに身体を密着させ、首筋に残された、淡く血の滲むセンサー針の痕に優しくキス。
彼女の口の中に広がる、エステルの血と肌の味。
エレナは、それを求める様に、何度もエステルの首筋に唇と舌先を這わせる。
「やめて!」
声を荒げるエステル。
彼女は、エレナの身体を手の平で突き放し、タオルで自分の身体を隠した。
「私はもう……」
困惑の表情を浮かべるエステル。
そんなエステルを見てエレナは、不敵な笑みを浮かべてから彼女に言った。
「そうね、あなたには“彼”が居るものね……」
一瞬寂しそうな表情をするエレナ。
そして彼女は、最後にこう言って部屋を出て行った。
「彼に……、グラムによろしくね」
彼女を見送るエステル。
一人、部屋に残された彼女は、タオル越しに自分の肩を抱いて、呟いた。
「この部屋寒いわ……」
Captur 2
円い部屋の中で余韻を残しながら反響する声。
会議室の前方では、対ヴァリアンタス戦闘における情報参謀的部署である、情報軍団のハルト准将が、今回の戦闘に関する戦況、部隊の戦果、戦略戦術に関する情報を、各軍団や省庁士官に報告しているが、グラムはその声を聞き流していた。
耳で聴いてはいるが、聞こえていない。
ぼんやりと何も無い空間を眺めるグラム。
彼の目の前に置かれた分厚い資料の上に、ミネラルウォーターのペットボトルが、微かな光を分散させて投影している。
「……以上が、今回の対ヴァリアンタス戦闘に於ける諸元であります」
長い報告の終わり、突然彼の意識が引き戻される。
「ご質問は?」
周囲を見回すハルト准将。周りの士官と比べると、非常に若い。
「では次の点ですが…」
彼は上がっている手がない事を確認すると、小さく咳払いをしてから再び報告を始めた。
さらに続けられる会議。
その会議室の外で、彼女は待っていた。静かな様子で、そして待ち焦がれる様に。
彼女は待っている。彼を待っている。
彼女と彼が初めて出会ったのは、今から約3年前。
その時も調度今日の様に、彼女は待っていた。
彼女に名前は無い。
彼女は“人”ではない。
彼女の目の前に、彼は立った。
彼の知るかぎり、彼女は始めから、そこに居た。
彼女がどこから来たのかも、彼は知らない。
彼女は始めから、そこに居た。
彼女は彼に言った。
「貴方が私のユーザーですか?」
彼は答えた。
「そうだ」と。
会議室の扉が開いた。
疲れた表情の将校達に混じり、部屋から出るグラム。
彼女は彼の前に立ち、あの日の様に、彼の瞳を見つめた。
****************
午後になり、レイズは訓練を行っていた。
狭いシミュレーター内、目の前に広がる空間の中で、彼は機体を機動させる。
土地設定は“市街地”。敵数は“不明”
無線に通信。
「501から503は左から。505と506は、このまま正面へ。常に、スリーマンセルで行動しろ」
各機から返ってくる、了解の返事。
レイズの乗るHMAは、他の二機と共にスラスター飛行へ移った。
レーダーに表示される数個の光点。敵機、数、8。
「いたいた……! ソルジャータイプ、八機!」
先頭を機動する機体から通信。
「掃射するぞ。高度を上げてから、連射を加えて擦過する」
「502、諒解」
「……」
返事を返さないレイズ。
「おい、503。どうした? トラブルか?」
「あ、いえ……503、諒解」
うだつの上がらない返事を返す彼を尻目に、二機はスラスターで、さらに高度を上げながら加速した。
その後に従うレイズ機。
敵機ロック、ガン・ラン。
目標の斜め上空から迫る三機のHMAは、高空を擦過しながら、アサルトライフルのフルオート斉射を加えた。
巻き上がる砂煙。数個の爆炎が散り、三機は上空を通り過ぎていく。
「斉射完了。軌道旋回による空中支援に入る」
「了解。こちらは突入して殲滅戦に移る」
突入する地上部隊。
隊長機を含めた3機のHMAが、地上戦を展開し、残存兵力を掃討していく。
地上部隊の上空を軌道旋回する三機。
突然、レーダーに反応。
「フラッシュ。敵機感知」
「ターゲットチエック」
「ナイト。数、2」
「なに!?」
旋回を繰り返すレイズ達の更に上空から、二機のヴァリアント。中級指揮官型ヴァリアント、コードネーム“ナイト”。
それが二機、部隊に迫っている。
ナイトは、高速機動による近接戦闘に特化した種。接近されれば厄介だ。
「迎撃するぞ! 503援護しろ!」
「り、諒解!」
先攻する二機のHMA。
レイズは空に向かってライフルを構えた。
モニターに上書きされるFCSの射撃視界。その中を踊るクロスゲージが、小刻みに揺れる。
トリガーに掛けられる彼の人差し指。
先行していった二機のHMAが、ナイトに向かってライフルを発砲。
回避するナイト。空を切り裂く弾丸。
二機のナイトは左右に別れ、その機体を大きく機動させた。
「今だ503! 撃て!」
レイズの耳元に響く声。
突然彼の脳裏に、あの記憶がフラッシュバックする。スタイナーの乗るHMAは、レイズの目の前で崩れ落ち、そして爆ぜた。
遺体は一瞬で蒸発したのだろう。欠片も残らなかった。
目を見開いたまま、動きを止めるレイズ。
震える指先。それと連動するかの様に、ライフルの銃口が左右にぶれる。
「503! 早くしろ!」
「レイズ軍曹!」
彼をサポートするサラが、彼に向かって声を上げた。
「503……!」
途切れる無線。
連帯のとれた動きで、二機のHMAを瞬時の内に葬る二機のナイト。
二つの火球が空に散った。
「レイズ軍曹!」
再びサラの声。さっきより強く。
我に返る。
次の瞬間、ナイトから一条のビームが放たれた。
「回避が……!」
“イクサミコ”
機体制御、手動制御から切断。
マニューバーシステムに一時強制介入。
機体制御、及び、マニューバーシステム、イクサミコ中枢システムと接続。
オートマニューバーモード、発動。
機動開始。
光の速度で思考する“イクサミコ”は、それを瞬きより早くやってのける。
迫るビーム。
瞬間、左肩のバーニアを噴射。射線から回避。
ナイトから放たれたビームが機体を擦過。ビームパルスで、左肩装甲が焼け、熔解。それと共に、すり鉢形のバーニアノズルが熱で歪み、爆ぜた。
歪む機体のフレーム。
機体過負荷、イクサミコへフィードバック。支援ユニット、システムダウン。
「サラ!」
体勢を崩す機体。
機体はそのまま、重力に捕われ、落下し始めた。
カウントダウンしていく高度計。
ナイトは、落下する彼の機体の横を、高速で追い抜いて行く。
次の瞬間、地表で幾つもの閃光が散った。
迫る地面。
落下の荷重が、コクピットの中を掻き回す。
「と……まれぇ……!」
凄まじいスピードで落下する、70tの鉄塊。
逆流する血液。
狭まる視界。
薄れゆく意識の中、彼は渾身の力を込めて、操縦桿を引いた。
一気に推力を開放するスラスター。
巨大な推進ベクトルが、機体を突き刺す。
更に歪むフレーム。
次の瞬間、機体は轟音を立てて、地面に激突した。
「(なんだ? これは……)」
身体の感覚が無い。
暑さ、寒さ、痛み。全ての感覚が無い。
「(そうか……。これが“死”か)」
広がる闇。
「(じゃあ、僕は死んだのか……。そんな馬鹿な……だってこれは……)」
闇は、無限の彼方まで広がっている。
「(そうか、スタイナーはこれを見たのか……)」
彼は何故か非常に落ち着いた気分だった。
「(あぁ……ここにずっと居られれば……)」
小さな光点が、闇の中に現れた。
白くて明るい、、温かい光。
「(眩しいなぁ。なんだよ、もう……)」
目をつぶろうとも、身体の感覚が無い。
第一、瞼が有るかどうかも解らない。
突然、彼の“身体”が取り戻される。
闇に浮かぶ身体。
彼は無意識に、掌で光を遮る。
すると、“誰か”が彼の背中を押した。
「うわっ!?」
声が出た。
光に吸い込まれていく彼の身体。
彼は急いで振り返った。
「スタイナー!!」
彼は無意識にそう叫んだ。
光に包まれる彼の身体。
次の瞬間彼は、シミュレーターの中にいた。
頭を左右に振るレイズ。
思考にブランク。
「シミュレーター……?」
0.5秒で気付く。
「サラ! 大丈夫かい!? サラ! サラ!」
サラの肩を揺らす彼。
彼女はゆっくり目を開けた。
「ん……」
「よかった……」
サラの無事を確認したレイズは安堵の表情を見せた後、直ぐに肩を落とした。
そんな彼に、サラが言う。
「すみません、でした……」
彼は彼女の瞳を見つめ、聞き返す。
「何故謝るんだい?」
「私は……」
突然、シミュレーターのハッチが開く。
「軍曹、無事か?」
顔を覗かせる隊長。
彼の眉間には、シワが寄っていた。
「すみません……大丈夫です」
謝るレイズ。
そんな彼を見た隊長は、大きな溜息をついてからレイズに言った。
「お前に面会だ。女だとさ」
「面会、ですか……?」
怪訝な表情のレイズ。
隊長は、彼の胸倉を掴んでシミュレーターの中から引っ張り出した。
「とっとと行け。そして休暇でも取れ」
彼はレイズにそう言うと、突き放す様にその手を離した。
「でも……」
サラの様子を伺う彼。
彼女は一瞬、彼の顔を見てからすぐ、目を逸らす。
眉を歪めるレイズ。
彼はシミュレーション室から、施設ロビーへ、脇目も振らずに向かった。
逃げる様に。
目を背ける様に。
ロビーへ着くレイズ。
すると、黒い喪服を着た女性が目に留まった。
一瞬目が合う。向こうもこちらに気が付いた。
何故かは解らない。だが彼には、彼女が、自分を待っている人だと自然と悟った。
「あの……」
「ザナルティーさん?」
「あなたは……?」
彼女はレイズの瞳を見つめた。
悲しい目で。
この世の一切合切を憂いでいる様な目で、彼女は彼を見つめた。
Captur 3
三年前、彼女は彼にこう問い質した。
「貴方が私のユーザーですか?」と。
その問いに彼は、「そうだ」と答えた。
そしてその日から三年が経った今日、“その日”の様に彼女は、彼の瞳を見つめた。
会議室から出ていく人込みが、彼を追い越していく。
毎日の様に見ている筈の彼女の瞳が、今の彼にとっては、これほどまでに美しいと思う、不思議な感覚。
「すまない、待たせてしまったな」
「いえ……」
人込みはやがて消え、グラムとエステルの二人だけが残された。
「あの大佐、そろそろお時間ですが……」
「すまん、これからの予定は全てキャンセルだ」
「……また、あそこへ行かれるんですか?」
廊下を歩き始めた彼の後から随って歩くエステルが彼に向かってそう聞くと、グラムは振り返らずに答えた。
「今日は君にも一緒に来てほしい」
「私も……?」
グラムは、部屋に戻って上着を着替え、車のキーを持った。
彼はエステルを助手席に座らせ、キーを挿した。
イグニッションをアクセサリーに。
コンソールが光る。
そしてスタートの位置までキーを回す。
GM社179年製スティングレイスポーツタイプのボンネットの下に隠された、180年式水素パルスエンジンが、トルクフルな唸り声をあげた。
シフトを一速に。
アクセルをゆっくり踏む。
車の中で、彼女は彼に言った。
「お疲れなのでは?」
「いや、大丈夫だ」
嘘だ。
彼女は心の中で呟いた。
もう3年も一緒にいる。癖も分かってる。彼は疲れていると、右手人差し指を小刻みに揺らす。
現に、彼の指先がさっきから小刻みに上下している事に、彼女は気付いている。
ハンドルを握る彼。
やがて車は、軍施設区域を出て、シティー区画へ。大きな通りにその車体を乗せる。
「しまった」
彼が突然呟いた。
「え……?」
「渋滞だ」
車の赤いテールランプが見えた。
自然にスピードが落ちる。この街特有の、帰宅ラッシュ渋滞。建築物の間を縫うように走る高速道路を、無数の車が埋め尽くしている。
車が止まった。
溜息をつきながら、シフトレバーをニュートラルに。
この車は珍しい種類、言わば“趣味の車”だ。
22世紀にもなって、未だにマニュアルシフト。駆動も“タイヤ”だし、第一、自分でハンドルを握る必要がある。
でもグラムは、この車が好きだ。AI任せのドライブではなく、自分で運転するこの車が。
静かな車内で、彼女が言った。
「あの……」
途切れる言葉。
「どうした?」
彼女の唇は、言いかけの言葉を閉じ込める様に曲がっていた。
「いえ……」
言葉を飲み込む。
何回か、短い言葉のやり取りが続く。どれも単語だけの、単調な会話。
解消されない渋滞。
時間だけが過ぎ、やがて都市の明かりが傾き始めた時、グラムはもう一度、溜息をついた。
「私はこの車と同じなんだ、エステル……」
ルームミラーに後続車が映る。
「進む事も出来ない。戻る事も出来ない。他の道を見れば、そっちの方が良かったと必ず後悔する。同じ所で回り続ける、出来の悪い戯曲の様に……」
エステルは彼に言った。
「貴方は後悔しているのですか? 今の道に……」
グラムは答えた。
「ああ、後悔している。どんなに強力な力を手にしているとしても、全員を護れる訳じゃない。今も昔も、私は誰ひとり護れなかった…いつも感じる、感じるんだ、エステル……。私は誰か、とても大切な誰かを失ったと。……誰かは分からない。だが、失ったと、確かに感じるんだ」
「貴方は大勢の命を救いました。失われた命も確かに有りましたが、貴方が戦わなければ、もっと多くが死にます。それに……」
彼女は言った。
「ゆっくりでも、少しずつでも……。前に進んでさえいれば、いつかは必ず、目的地に着けますよ。解消されない渋滞は無いんです」
再び動き出す車群。
彼は一瞬短く息を吸ってから、シフトを一速に入れ、アクセルをゆっくり踏み込んだ。
走り出す車。前の車との車間距離が、徐々に開いてゆく。
解消されていく渋滞。
車は二人を乗せ、道路を駆けて行く。
通りから脇道へ。そして物静かな、小高い丘の上へ。
公共の駐車場に車を止め、降りる。
周りには木々が植えられていて、涼しい風がそよいでいた。
駐車場から、丘の上に続く小道を歩いていく。紅葉した銀杏の落ち葉の絨毯を踏み締め、小川の上に架けられた小さな橋を渡って、木立を抜ければそこには、広大な土地が広がっていた。
平坦で広い、芝生の敷き詰められた閑静な共同墓地。数千数万の骸が眠るそこには、黒い良く研かれた、真新しい墓石が幾つも立てられていた。
墓石に刻まれている文字。
皆、違う場所、違う時間に生まれ、違う生い立ちを歩みながらも、死んだ日は皆同じ、『2188年10月19日』。
彼は、その真新しい墓石の群をゆっくりと歩いていく。
全体を視野に収められる様に、広く、空間を眺める。
エステルは、静かな様子で彼の背中を見つめた。
「お花は、奉げられないんですか?」
彼は答えた。
「両手に持ちきれないからな」
遠くを見つめたまま答えるグラム。
彼女は、彼のすぐ横に立ち、言った。
「あなたは、今まで護ろうとしてきた人々と、護ることのできなかった人たちの心をすべて、お一人で背負うおつもりなのですね……」
彼は振り返り、彼女に答えた。
「私は戦うことしかできない男だ。ただひたすらに破壊のみを求め、戦いの中でしか自分を保てない。この戦いの中に身を投じてから私は、後悔の連続だった……。なにもかもな」
エステルの心の中に、何か冷たい物が流れ込んだ。
“彼女”の言う通りかもしれない。
彼は……彼は私を本当は……
突然、彼の足が止まった。
目線の先。
そこには、墓石の前で自分の頭に銃を突きつけている男の姿があった。
Captur 3
「ザナルティーさん?」
彼女はそう言うと、彼の顔を見つめた。
「あなたは……?」
彼が不思議そうに聞き返すと、彼女は、持っていた小さなポシェットの中から一枚の写真を取り出し、それを彼に差し出した。
「これを、貴方に渡したくて……」
レイズとスタイナー、そして数人の仲間が共に写る、スナップ写真。
「あなたスタイナーの……」
次の瞬間彼は、苦い表情で眉を歪め彼女から顔を背けてしまった。
「……僕は、貴女に合わせる顔がありません。僕は貴方の大切な人を……」
「ザナルティーさん。本当は私、あなたにお願いがあって来たんです」
「お願い?」
「ええ」
彼女は、彼の瞳を見つめ、ゆっくりとした落ち着いた口調で話し始める。
「彼の遺品を整理している時、出てきたんです、その写真。……彼は貴方の話をよくしてくれました」
「スタイナーが僕の……?」
「彼は貴方の事を、最高の親友だと、いつも笑顔で言っていました。だから、その写真を見たとき、すぐに分かったんです。彼の横に立つ、笑顔の優しい人が、あなただって。それで私は思ったんです。『この人だ、この人しかいない!』って……。ザナルティーさん、私のお腹にいる彼の命の、名付け親になってくれませんか?」
「僕が……名付け親に……?」
彼は、自分の心が熱くなるのを感じた。
最愛の人を残し、この世を去ったスタイナー。
せめてあの戦闘だけでも生きて帰っていれば、もう一度彼女の笑顔を見られただろう。
もう一度愛し合う事が出来ただろう。
それなのに……
「……僕が死ねばよかったのに」
彼はぽつりと呟いた。
「いつも、“護らなきゃいけない人がいる奴”が死んで、“どうでもいい奴”が生き残って……なんでなんだよ……。なんでいつもそうなっちゃうんだよ……。もしそれが運命なんだったら、僕が代わりに死ねばよかったのに……!」
突然彼女が、レイズの頬を平手で打った。
「ザナルティーさん……。たとえ貴方が代わりになったとしても、今度は彼が苦しみます! 死ねばよかったなんて、そんな事、簡単に言わないで下さい! この世に、どうでもいい命なんて無いんです! 死んだら駄目なんです……死んだら駄目なんですよ! ザナルティーさん!」
――死んだらだめなんですよ!
そんなことは分っている。
死んだら全てが終わりだ。
だからこその救いもある。
「ムリだよ、スタイナー。こんな悲しい世界で生きていける訳がないじゃないか……」
彼女と別れた後、レイズはスタイナーの墓石の前に居た。
胸に拳銃を忍ばせて。
彼は大きく息を吸い、拳銃を抜いて自分の頭に突きつけた。
そのとき。
「それがおまえのやり方か」
突然の声にレイズは驚いて振り向く。
そこに居たのは……
「ミラーズ、大佐?」
「お前はそうやって逃げるのか」
「え……?」
「ただ悲しみに身を任せ、耐えることもせず、自分を変えようともしない。そうやってお前は逃げるのか」
「……僕は貴方みたいに強くありませんから」
「そうだな、お前は弱い。このままじゃ自殺しなくてもいずれ死ぬだろうな」
「あなたは、僕を止めたいんですか? それとも止めたくないんですか?」
「さあな、どちらでもいい。だが一つ言っておく。死んで楽になろうだなんて甘いぞ。お前は生き残った。なぜだ?」
「なぜって…」
「その答えが分らないなら、引き金を引け。私は止めん」
彼はそう言って、レイズの下を去っていった。
レイズは、再び、自分の頭に銃口を向ける。
指が震える。
全身から汗が噴出し、心拍が上がる。
なぜ引き金を引けない…?
指が動かない。
恐い……
死が……
恐い!
死が恐い!
「死にたくない……死にたくない!」
レイズが、銃口を放して泣き崩れる。
「それが答えだ」
レイズの横にグラムは立ち、ゆっくりと語り始めた。
「誰でも死は恐い。その恐怖を胸に刻め。死を恐れろ。ひたすら生きろ。そして死を憎め。憎んで戦え。戦って、強くなれ」
グラムはそう言って、レイズの肩を叩いた。
顔を起こし、レイズはまっすぐにグラムを見つめて言う。
「大佐……僕は戦いたい。戦いたいです!」
グラムが、レイズに問う。
「貴様、名前は?」
「レイズ……、レイズ=ザナルティー軍曹であります」
「そうか、ならばレイズ軍曹。私の下に来い。戦い方を教えてやる」
グラムはそう言い残し、ゆっくりと去っていった。
「どうした?」
墓地から帰る途中、突然エステルが立ち止まった。
「私は、あなたと何年間も共に過ごしたのに、あなたの想いを、共に背負うことができませんでした。私は……」
エステルの言葉を、グラムの声がかき消した。
「エステル、この三年間で唯一、君に出会えたことだけは、後悔していない。そばに居てくれるだけで、私は十分だ……」
グラムの顔を見上げるエステル。
彼女の瞳を見つめる彼。
「……本当に後悔、していませんか?」
「ああ」
風が、彼女の頬を撫でた。
大きくなびく彼女の髪。
彼はそれを手で優しく押さえた。
「帰ろう、エステル。私たちの家に……」
彼女は微笑んだ。
「ええ、帰りましょう。私たちの家へ……」
二人は風に揺られ、散っていく銀杏の葉の中を歩いた。
歩調をあわせ、ゆっくりと。
手を握り、寄り添いながら。
ゆっくりと歩いた。
***************
それは清々しい朝だった。
気温23度前後、湿度35パーセントの適度な空気。
彼は身体を起こし、ベッドの上で深呼吸した。
部屋の中を満たす清浄な空気が、起きたばかりの彼の肺の中に吸い込まれ、血液の中に溶けていく。
部屋に差し込む光。
カーテンの切れ目から見える、朝霧に包まれた都市の姿は、まるで空の上に突き抜ける無数の塔のように見え、一瞬自分が空の上にいるように思える。
その日も彼は、そんな錯覚に酔いしれていた。
朝の6:30。
彼の隣では、エステルが静かな寝息を立てて眠っている。
「……ん」
寝返りをうつエステル。
銀色の髪が、流れるように波打ち、窓から差し込む光が彼女の髪を照らした。
彼女の髪を、優しく撫でるグラム。
彼は、エステルの寝顔が好きだ。
子供のように無垢で、女神のように美しい彼女の寝顔が。
三年間も共に暮らし、共に戦ってきた彼女が、今の彼にとっては唯一の安らげる場所だからだ。
想いを重ね、
言葉を重ね、
身体を重ね、
お互いを感じあえるその瞬間が。
この部屋を出れば、今日もまた、あの地獄のような戦場に向かわなければならないかも知れない。
人種、政治、軍、正義、倫理、イデオロギー。
その全て……、その全てのために、彼は戦ってきた。
だから、今日くらいは。
今日くらいは、彼女と共に、寝坊をするのも良いだろう。
今だけでも……。
彼女には、肩の荷を降ろし、夢の中で微笑んでいてほしい。
後はすべて、自分で背負おう。
せめて今だけでも、その無垢な寝顔を壊さぬように。
************
約10ヶ月後、例の彼女は元気な女の子を産み、レイズはその子を『アンジェラ』と名付けた。
アンジェラは今も、すくすくと育っている。
[ACT2]終




