幼蝉
いつもの日常のはずだった。その日も朝早く妻に起こされて、多少不機嫌だった私は、
『おまえは本当に使えない女だ。最愛の夫をもっといたわって起こせないのか? 飯を作らせてもダメ、掃除をさせてもダメ、何ができるんだ? なぁお前は何ができるんだよ? 言ってみろよ。○○○○くらいのもんだろお前は。○○○○だけだよまともなのは。お前の利用価値なんてのはそれくらいだろ。それがなくなったら、もうお前死ねよ。死んで償ってくれ。そうすればお前の妹をもらってやるから。それで丸く収まるんだよ』
といつものようにまくし立てたのがいけなかったのだろうか……。
仕事から帰ると、妻の様子がおかしいことに気付いた。
「オカエリナサイ、アナタ。ゴハンニシマスカ? オフロニシマスカ?」
無表情でカタコトを喋る妻の異常さ。まばたきなど一切しない。私は一瞬恐ろしくなったが、今朝の事で精神に異常をきたしたのだろうと思っていた。
「ネェアナタ、ドウナサイマス?」
「あ、ああ……飯だ……」
「キョウハアナタノスキナモツナベョ」
そう言えば家に帰ってからもつ鍋のいい匂いがする。私の好物を覚えているくらいだ、大丈夫なんだろう。
リビングに入ると匂いはいっそう強いものになった。いや、寧ろ強烈なまでの生臭さに変わった。
グツグツ煮えたぎる、鍋の中身は一体何だ……。
「サア、メシアガレ」
そう言ってサチコは鍋の蓋を開けた。
見ると普通のもつ鍋だったが、この強烈な臭いが何とも言えない。
「これはなんのモツなんだ……?」
また凍りついたように動かない表情のサチコは答えた。
「メッタニテニハイラナイ、トクベツナモツナノヨ」
「…………」
もう疑いようがなかった。ある一つの疑念が私の頭から離れなかった。このモツはサチコの臓物だということ……。
とにかく口に入れまいと無言で席を立った時、台所の方に物影が見えた。
ちょうど腹部のあたりから、半分に折られた人間らしきもの……。ただの抜け殻。皮と肉になり果てたサチコ……。
だが私にはなんの感情も湧き上がっては来なかった。
「アナタドウシタノ?」
ここでまた、ある恐ろしい疑念が浮かび上がってきた。
「アナタノスキナモツナベガ、サメチャウワヨ」
果たしてこの疑念は、自分自身で否定しきれるのだろうか……?
「ドウカナサッタノ? アナタ」
「イイヤ、ダイジョウブダヨ。ナンデモナインダ。ナンデモナイ……………」
2010/4




