消えたエージェント 前編 1
HAUNDSの拠点は港南エリアにあるタワーマンションの最上階にある。名義上は『一条晴臣』、つまり晴臣の自宅になる。そのうちの部屋の一つがほたるのプライベートルームだった。
出しそびれた可燃ごみの袋がドアの前で山になっている。ローテーブルには使いかけのコスメ。食べかけの菓子の袋。捜査資料とタブレット端末の充電器が所狭しと載っている。
「片付けなきゃ……でも……体、だるい」
息が荒い。手が震える。
「そうだ、薬……」
ほたるは床に置いた鞄から錠剤とペットボトルの水を取り出して、飲み込んだ。冷たい錠剤が喉を伝っていく。
ペットボトルをベッドサイドに置いたまま、メイクも落とさず、着替えることもせず、ほたるはそのまま眠りについた。
***
翌朝。迅はプロテインシェイカーを欠伸しながら振っていた。
大型テレビモニターから今日の瘴気予報が出ていた。品川区・港区エリア、やや少なめです。良く晴れるでしょう――にこやかに予報士が解説する。
ダイニングテーブルの席について、ピシッとしたスーツに袖を通したほたるが、カタカタとキーボードを動かしながら弾丸の補充発注を依頼していた。
「あ、迅さん! おはようございます!」
「おう、お前今日も元気だな」
へへ、とほたるは曖昧に笑う。ふにゃりと力が抜けたような笑顔。どくん、と心臓が跳ねる音がした。同時に、酷く懐かしいような気持ちになる。
「お前、なんかに似てるよな」
「なんかって何ですか」
「なんだろうなぁ。あぁ、この間資料で見たな。警察犬のポメラニアン」
迅の頭の中には「ヘゥン」と気の抜けた声を上げ、小さな舌を出してドヤ顔で制服を着せられたフワフワのポメラニアンが浮かんでいた。目がつぶらだ。
「なんかすごく酷いこと言いませんでしたか、今!?」
「ああ、私も見たよ。人命救助したとかってお手柄のポメラニアンの記事」
デミタスカップを片手に持ちながら、ニコラがモニターを覗き込む。
迅の脳内はドヤ顔のポメラニアンが背筋を伸ばして表彰されている映像で満たされていた。なんという名前だったか、あの犬は。
「あとマガジン二つ分追加してもらえると助かる」
「ポメラニアン呼ばわりする人の分は発注しませんよ」
「……ラ・メゾン南青山のガトーショコラでどうだい?」
「三つ追加しておきますね」
現場を走り回る小型犬の映像が頭から離れない。迅はハッとして顔を上げた。
「ダメだ、ニコ。ポメラニアンにチョコレートは良くない」
「だからポメラニアンじゃないですって」
「お、全員揃ってる。ちょうどいい、諜報部から情報をもらってね」
珍しく部屋から出てきた晴臣がタブレットを操作しながら言った。
「ほたる君、調べる価値がありそうだ」
「【蜘蛛】から? あいつらから情報を寄越すなんて珍しいこともあるもんだな」
「まあ……そうだね。諜報は管理局の中でも秘匿性が高いから。僕でも良くわからないところが多い。友人がいたころはまだ情報が流れてくることが多かったんだが……もう五年も前か」
友人、五年前――その言葉にほたるの表情が曇る。
「……お前、友達いるんだ……」
迅がひどく驚いた顔で呟いた。
「失礼だな。僕にも友人の一人や二人くらいいる。話を戻そう」
晴臣はタブレットの画面を操作する。
「ここ数年の間に東京都内で失踪者が結構な数で出ているのは知っているね? この失踪者たちの関連性はわかっていないから警視庁も家出で処理してしまっていることが多いみたいなんだ。まあ、この生き辛い世の中で珍しいことじゃないからね……だがその失踪者の中にBPMAの人間がいたとしたら……蜘蛛はあらゆる手を使って巣を張りながら獲物を捕ろうとするだろう。そこに上手いこと引っかかったらしいよ、蝶々がね」
「晴臣さん……。その失踪者って」
「察しの通りだよ、ほたる君」
晴臣はタブレットにスーツを着た男の画像を映し出した。
「君の兄――調月匡だ」
ほたるの蜂蜜色をした瞳が揺れた。
「……っ」
ほたるのキーボードを叩く手が宙で遊ぶ。指先が、ほんの少し震える。
「お兄ちゃんが……見つかったんですか……?」
「いや。だが、手がかりが掴めたかもしれない」
画面に映し出されるのは、旧晴海の衛星写真――赤い円で囲まれたエリア。
「株式会社アル・アジフ――表向きはIT関連企業、ネット通販を主としているようなんだけどね。実体がないんだよ」
「ペーパーカンパニーってことか? 名前からして嫌な感じがするね。関わりたくない」
「実体がないだけじゃ手ェ出せないだろ。それとも、EHC関連企業ってことか」
「冴えてるじゃないか、迅。表向きには生活雑貨だとか、服飾品を扱っているらしいが……機能してないんだよ」
「購入しても届かないってことか? 詐欺じゃねえかよ。それって警視庁案件じゃね」
迅は眉をひそめた。
晴臣はウェブサイトを匿名回線で開く。一昔前のデザインをした通販サイトだった。更新されている様子がない。
「ここでやり取りされるのは品物じゃなくて『情報』なんだよ」
晴臣が画面を切り替える。
「裏帳簿だったり、極秘の資料だったり、アイドルの密会現場の写真だったり……そういうものを売ってる。その中にここ数年の失踪者の名簿だったり、遺品……というのかな。彼らが身に着けていたものなんかも扱ってる」
「そこに、お兄ちゃんの……」
「ここの失踪者のリストをちょっと僕の方で拝借してね。その中に特定の血筋の一族の人間が含まれていた」
「勿体ぶった言い方すんなよ、早く見せろ」
画面に名前のリストが浮かび上がる。調月匡――その名前が赤くハイライトされていた。
信じられない、とでも言うように。ほたるの唇は震えていた。
「お兄ちゃんは……生きて、いるんですか?」
「……わからない」
晴臣は首を振った。
「だが、確かめる価値はあると思う」
ほたるが唇を噛んだ。涙が溢れそうになるのを必死に堪えている。
「ほたる……」
「大丈夫です。わたしは……大丈夫です」
心配そうに顔を覗き込む迅に、ほたるは強がった笑顔を向ける。
晴臣は新東京の港湾地区の地図をモニターに映し出した。こんな目と鼻の先に、ずっと五年間探し続けていた兄が存在していたのだ。画面を見つめるほたるに、迅は声をかけることができなかった。




