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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第二章 ロゼでのダール狩り
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2-6.オーベルの記録②

『XX80年7月3日、ジルヴィア・ダールベルク

 終戦から二ヶ月が経過した。オーベルは父親と娘の死亡報道を聞いて以来、ずっと放心状態だったが、こちらも会社を独立したばかりで忙しく、彼女に構っている暇はなかった。しかしこの日、彼女は何を思ったか仕事の雑務を手伝ってくれた。流石為政者の娘だけあって、その仕事ぶりは早かった。しばし様子を見ることにする。』

『XX80年10月14日、ジルヴィア・ダールベルク

 彼女は案外使える。仕事は早いし、この多忙の中家事をこなしてくれるのは、かなりありがたい。手放すのが少々惜しく思えてきた。』

『XX81年3月18日、ジルヴィア・ダールベルク

 反ヘルデンズのほとぼりが少し冷めてきたので、変装させたオーベルを外に出してみた。目の前に宿敵の娘がいるというのに、誰一人振り向きもしない。これはスリリングで、少し面白い。』

 めくってもめくってもそこにあるのは母の写真ばかり。最初こそ彼女は疲弊した様子だったが、日を追うごとに彼女は穏やかな笑顔をカメラに向けるようになっていた。

 やがて、フィルマンやカミーユと一緒に映る写真が増えてきた。それは仕事関係のものもあれば、プライベートのようなものもあり、まるで常に互いを支え合うパートナーのように彼女は二人に寄り添っていた。

 母は、おそらくフィルマンがこんな事を書いているとは知らないままに、彼の元で活力を取り戻していた。

 しかし、その結末を、ブランカは知っている。

 母は最終的にデモ隊に捕まっていた。

 アルトロワ広場で見せ物にされて、無惨な死を遂げた。

 これまでの経緯を踏まえれば、あれもきっと――。

 ブランカは、『オーベルの記録 その5』を本棚から引き抜いた。

 最初のページを開ければ、そこにはシュミーズ姿のジルヴィアが、両手首と首を鎖で繋がれた状態で床に転がる写真が貼られていた。

『XX85年3月28日、ジルヴィア・ダールベルク

 オーベルが脱走しようとしたのは、これで四回目。あまりに聞き分けが悪くなってきたので、いつもより厳しめに罰を与えた。G・A氏からの連絡を待っているのだが、なかなか返事が来なくて困っている。』

 書かれた日付は、たった一ヶ月半前。かなり最近だ。

 四冊目を読まずに開いたから、あまりの状況の変わり様に目を瞠ったが、驚くべきところはそこだけではなかった。

――G・A氏。

 たったそれだけの文字に、ブランカは息を呑む。

 たまたま同じイニシャルなだけなのか。もしくは本人か。どちらにせよ、そこから連想される名前を、ブランカは一つしか思い浮かばない。

 まさか、本当に――……。

「――勝手に入るなんて、悪い子だね」

 突然聞こえてきた声に、ブランカは凍りついた。

 嘘……。

 車の音も扉の音も聞こえなかったのに……!

「君は利口なのに、こんな一面があるとはね」

 後ろから、足音が近づいてくる。

 早くここから立ち去らなければ。そう思うのに、身体が縫い止められたかのように動かない。

 心臓が息苦しくなるほどに音を鳴らした。次から次へと流れる冷や汗に、身体が震える。

 フィルマンは後ろから彼女の首筋に手を這わせた。気持ち悪さと冷たい感触に、全身がぞっとする。

 その様子を鼻で笑いながら、彼は耳元で囁いた。

「罰が必要かな――クラウディア」

 聞こえてきた言葉に、ブランカの心臓が凍り付く。

 今、フィルマンは、何と言った?

 後ろから苦笑が漏れ聞こえてきた。

「ふふ……もしかして君は覚えていないのかな? 二週間、アルトロワ広場のステージにジルヴィアが現れたとき、君は何度も身を乗り出そうとしていたね。それどころか、君はあの時、ジルヴィアに向かって何度も『お母さん』と呼んでいた。誰だって気が付くよね」

 言われてあの時のことを思い出す。

 二週間前、アルトロワ広場でダールの公開処刑が行われたとき、ブランカは目の前に現れた母の姿に冷静さを失っていた。あまりに必死になりすぎて、自分が何を叫んでいたのかすらきちんと覚えていないが、確かに「お母さん」と叫んだ記憶はある。

 わたし……なんてこと……。

「もっとも、僕はダムブルクで最初に会ったときから気が付いていたけれどもね」

 言いながら、フィルマンはブランカの手に広げたままのジルヴィアの写真を手で示した。

「いくら髪色が違っていようと、火傷で誤魔化されていても、君はジルヴィアによく似ている」

 彼は、大げさにため息を吐いた。

 愉しげな口調でブランカの耳元で囁いた。

「ジルヴィアのことは非常に残念だったよ」

 瞬間、頭がカッと熱くなった。

 まるで母の死を軽んじられているかのような物言い。しかもこの人はそれに荷担していたのだ。

 心の奥底から、怒りが沸々と湧いてくる。

「よくそんなことを!」

 ブランカは反射的に振り向き、フィルマンを押しのけた。

 フィルマンはブランカの様子におどけながらも、至って愉しげに笑っていた。

 ブランカは彼をまっすぐ睨み付けた。

「あなたはアルトロワ広場で母が殺されるのを知っていながら、デモ隊に差し出したんでしょう、お金のために!」

「随分な言いようだ。しかし、それは違う。ジルヴィアが殺されたのは、全くの想定外だった」

「でも、あそこで母が辱められるのは知っていたんだわ!」

「まぁ、それはね。しかし、感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはないな。何せ、肉親の死に目に会わせてあげたのだからね。君はジルヴィアに会いたがっていただろう?」

「そんな……! ひどすぎる!」

「ひどい、ね。確かに、ひどい。だが、よくよく考えてごらんよ。もっとひどいことを、君のお祖父さんはさんざんしてきたのだからね」

 その一言は、ブランカの怒りを削ぐには十分だった。祖父のことを引き合いに出されたら、ブランカには何も言い返せない。

 フィルマンの言うとおりだ。祖父が戦争を引き起こさなければ、深い恨みも生まれなかった。祖父が愚かな占領政策を敷かなければ、あんなデモも起きなかった。

 母だって無惨に殺されることも、なかったのだ。

 フィルマンはニヤリと笑みを浮かべて「それに」と続けた。

「君も、あんな作文を書いていたんだから、責める権利はないよね」

――あんな、作文。

 ひと月近く前にラジオ放送で読まれた、八歳の自分が書いた作文。幼いながらも、アジェンダ狩りやダール体制を助長するような内容ばかり書かれた愚かなそれ。

 返す言葉が何も出てこない。

 心臓が詰まりそうだった。

 フィルマンは妖しく微笑みながら、ブランカに一歩詰め寄った。彼女は一歩下がるが、すぐに背中に本棚が当たる。逃げ場が無くなってしまった。

「――さて、ジルヴィアのことよりもまず、君は自分の心配をするべきじゃないかな」

 彼はブランカに広げたままの『オーベルの記録 その5』のページをめくり始めた。

 数ページはまだ母の写真が続いていた。進むにつれて、アルトロワ広場で見た母の様子に近づいていく。

 しかし、途中から写真は別の人物に変わった。ブランカはそれに目を瞠る。

 予想はしていた。けれど、一体どこでいつ撮られたのか分からない。

 そう、そこに映るのは、右頬に赤い火傷を負ったくすんだ白っぽいおかっぱ頭の――ブランカ自身。

「いやああ!!」

 ブランカは『オーベルの記録』ごと、力の限りフィルマンを突き飛ばした。彼がよろけた隙にブランカは書斎から飛び出した。

 彼女は全速力で廊下を駆ける。

 逃げなきゃ。

 早く逃げないと……!

 やはりフィルマンはブランカを売るつもりだった。最初からそのつもりだった。

 一体どこへ売られていたのか。

 デモ隊か。それとも――。

「逃しません」

「いやっ放して!!」

 あと少しで玄関に差し掛かるというところで、カミーユに腕を取られた。振り解こうにも、男の力の前では微動だにしない。

 そうこうしているうちに、書斎からフィルマンが笑顔を浮かべたまま近づいてきた。

「そうそう、クラウディア。君の引き取り手は今こちらへ向かっている最中だ。今晩中には到着する。夕方職場に電話が掛かってきたんだが、どうやら君もこちらで彼と話したようだね」

 くすりと笑みを深めるフィルマンの言葉に、ブランカは絶望的な気持ちになった。

 まさか、本当にあの人なの? 

 どうして今更、という言葉が、頭の中を飛び交う。

 でも、そんなことよりも――。

――あの人に捕まるのだけは絶対に嫌!

 ブランカは何としてもカミーユの手を振り払おうと、勢いよく腕を振り上げた。

 するとその時、玄関の扉が開いた。

 まさかもう来たのかと、ブランカは恐る恐るそちらを見るが、そこにいたのはバゲットを買いに出たきりのカミーユの母だった。

 彼女は、玄関近くで手を組み合うブランカとカミーユ、そしてそれを眺めるフィルマンを見ると、不思議そうに目を丸くした。

「カミーユ、女の子を乱暴に扱ってはいけないわ」

 彼女はこの光景をまずそのように捉えたらしい。

 カミーユはブランカの腕を掴んだまま、肩を竦めた。

「彼女が言うことを聞かないから叱っているんです」

「でも力を使うのは良くないわ。女の子はか弱いのだから」

 彼女はカミーユとブランカの間に割って入った。それと同時に、ブランカの腕を掴んでいたカミーユの手の力が弱くなった。

 ブランカは瞬間的にカミーユの手から自分の手を振り解いた。

「カミーユ、逃すな!」

「待ちなさい!」

 すかさずカミーユが腕を伸ばしたが、ブランカはそれよりも早く玄関の扉を開け放ち、外に躍り出た。

 後ろからカミーユとフィルマンが追い掛けてくる。ブランカは力の限り足を動かし必死に走った。

 やがて、二人分の足音が遠ざかっていく。

 そんな中で、フィルマンの叫び声が後ろから聞こえてきた。

「ブランカ! 戻ってこなければ、君の写真をフラウジュペイ中にばらまいてやるぞ!」

 しかし、ブランカは立ち止まらなかったし、フィルマンの屋敷へも戻らなかった。

 ブランカは暗いロゼの街へと、逃げ出した。


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