第一章:東京、新宿区・神室町外れ
雨は上がっていたが、空気は重く、古びたネオンが路面に粘着質な光を投げかけていた。時刻は夜の九時過ぎ。神室町外れの、いかにも「裏」といった風情の雑居ビル街に、コイズミ・マサトは立っていた。
彼の服装は、特注の濃紺のスーツ。一見すれば、ただの高級な事務服だが、その内側には防弾繊維が織り込まれ、ポケットには許可された「武装」が忍ばせてある。
コイズミは、日本国税庁に籍を置く「特例徴収官」――全国でわずか三名のみに与えられた、武器の無制限使用と、事実上の「逮捕権」に準ずる強力な臨場権限を持つ特務職員の一人だ。
ターゲットは、雑居ビルの最上階に拠点を構える株式会社 金英社。表向きは不動産コンサルタントだが、実態は巨額の法人税を長年にわたり滞納し続け、その金の流れを暴力団組織へ供給している、国税庁にとっての「癌」である。
「金英社、滞納額、およそ45億円。再三の催告に応じず、執行妨害の前科有り。武装抵抗の可能性、極大」
コイズミは首筋の無線機に短く報告し、黒い手袋の指をきつく握りしめた。右腰のホルスターには、国から支給された対人制圧用のカスタム・オートマチックが収まっている。彼の目の前には、薄汚れた鉄の階段があるだけだ。
「納税義務のための特別監査を開始する」
コイズミは低く呟き、静かに、しかし迷いなく、錆びついた階段を踏みしめた。金属がきしむ音が、夜の静寂に不吉な響きを立てる。
最上階の分厚い鋼鉄扉の前。彼は身分証を提示する義務さえ省略し、その場で姿勢を低くすると、足元に忍ばせていた小型のC4爆薬を、扉の錠前部分に正確に貼り付けた。
ドンッという、乾いた破裂音。鉄扉は内側に大きくひしゃげ、火花を散らして沈黙した。硝煙の匂いが、コイズミの冷たい顔を撫でる。
中から、怒号と、金属が擦れるような音が響き始めた。
「誰だ!何事だ!おい、何やってんだ!」
コイズミは、ひしゃげた扉の向こうの闇に向かって、微動だにせず、冷静な声で告げた。その声には、一切の感情が乗っていない。
「国税庁 特例徴収官、コイズミ・マサト。株式会社金英社 代表取締役以下、全従業員に告ぐ。これは、法人税滞納に対する臨場差押である。抵抗は、納税者への信頼を裏切る重罪と見なす」
そして、彼はスーツの胸元から、特殊なコーティングが施された大型のマグナムを取り出した。夜のネオンが、銃身に鈍く反射する。その銃の名は「マタイ(MATTHEW)」。
十二使徒の一人、マタイは、キリストに従う前は汚れた職業とされた徴税官(取税人)だった。この特例徴収官だけに支給されるカスタム銃は、「罪の穢れを清める、最も効率的な徴収手段」として、その名を冠している。
コイズミは、冷たい鉄の塊をしっかりと握りしめる。
「命より、税金を優先する――それが、俺たち特例徴収官の“正義”だ」
彼は引き金を引く指に力を込め、闇の中へと、躊躇なく踏み込んでいった。




