第16話 ザイラス
「ザイラス、あっちは動き出したぜ」
「あぁ。お前らもしくじるなよ、死ななけりゃいいんだ。そしたら俺が出してやる」
「頼むぜザイラス!これで俺等もまともな暮らしができるんだ!」
スラムの連中に金を撒いて陽動で暴れさせた。よくある手だ。捕まっても姫を使って脅せばみんな出てこれる。大分金を使ったが構いやしない。
もう一手だ。もう一手であの姫さんが手に入る。あれは俺のもんだ、誰にも渡さねぇ。手に入れてしまえば後は商人の娘を攫ったときとおんなじだ。こっちの言うことに逆らえねぇし、うまいことやりゃいいんだ。
娘を攫って脅すのは経験がある。殺しも、子供を攫って売ったこともある。なんだってやった、これからもそうだ。こいつがいる限り俺は誰にも止められねぇ。
首の付け根に手をやる。そこに精霊がいるんだ。俺を幸運に導く精霊、俺があのクソな生活から抜け出した力。そう、あの時から俺は生まれ変わったんだ……。
物心ついた頃、俺はこの街のスラムでゴミを漁る蛆虫だった。ただ生きるために、何かを考えるゆとりもなく、食えるものを探して食うだけのムシケラ。
やがて盗みを覚え、奪うことを覚えた。ガキの頃はそれでよかった。
だが、大きくなるにつれてスラムのルールが分かってきた。何でもありのスラムだが、それでも小さなガキには手を出すなというルールみたいなもんがあった。俺は知らずにそれに守られ、知らずにその枠の外に出た。
それからは、盗んできたものを盗まれ、奪ってきた物を奪われた。力は付いたのに、今まで以上に生きるのが苦しくなった。
必死に食い扶持を探すなか、街の外のダンジョンに行く荷物持ちを探しているという男を見つけた。男は腕のいい冒険者で、悪名高いダンジョンにも慣れているという。そして見せられた前金は、俺の一ヶ月分の稼ぎとおんなじだった。
勿論ついて行った。初めての外、初めてのダンジョン、そして初めて魔物が人を喰う姿を見た。
恐ろしい化け物が冒険者を喰っている。でかい毒針で殺してから、その顎で体を引きちぎっていく。
次は俺だ。絶望で頭がおかしくなって叫び続けた。
そんでいよいよ、一匹の大きな蜂が俺の前に降りてきた。刺す必要も無いってのか、生きたまま喰らおうと近づいてきて……突然止まった。
瞬きも忘れて目を見開いていた俺の目に、小人の姿が映った。動かなくなった蜂の頭の上で眠る小人。俺は混乱したまま、無心でそいつを掴んだ。
騒ぐ小人に怒鳴りつけ、蜂をなんとかしろと言った。そうすると小人が何かをして、蜂たちは巣へと帰っていった。
小人は精霊だと名乗った。生まれたばかりの蜂の精霊だと。不思議な力を持っているのに、強く怒鳴れば言うことを聞く便利な精霊。俺は幸運を掴んだ。
精霊に命令して、蜂が地面で動かないようにさせた。それを冒険者の持っていた剣でブッ殺す。精霊が何か騒いでいたが知るか。これで魔石が手に入った。
それからは簡単だった。魔石を持っていけば冒険者ギルドは俺の登録を認めた。魔石を売って金を稼いだ。蜂の巣は驚くほどの高値で売れた。
俺の生活は一変した。俺を下に見ていた連中が、今度は俺の下だ。精霊の力を持つ俺には誰も逆らえない。馬鹿にしてきた連中を馬鹿にし返し、稼いだ金を使って街の金持ちみたいに暮らした。
そんなある日、ダンジョンへ行くための馬車が遅れていることにイラついていたら、豪華な馬車がやってきた。
屋根のない豪華な馬車から、小さな箱馬車へと乗り換える女。それは今まで見たどんな女より上質で、手入れされた髪が靡き、汚れのない服が完璧に引き立てていた。
女は領主の娘だった。聞くに、毎年春に戻ってきているが、既に婚約しているのであと何度戻ってくるかって話だ。
何度もいらん。後一回でいい。後一回戻ってきたなら俺がいただく。
女なんて攫ってしまえばしまいだ。領主だって娘可愛さに言いなりになる。後は手懐けて、上手くすればこの街も俺のものだ。
奪って俺の物にする。ずっとやってきた事だ。強いやつの特権、俺に逆らえるヤツなんかいない。
さあそろそろ行くか。最後の一手、護衛の減った姫を攫うだけだ。
すでにあの女は俺の腕の中にいるも同然。領主だろうが街の兵士だろうが、もう止められねぇ。
姫を思って涎が垂れそうになった。極上の獲物は眼の前。邪魔するやつは皆殺しだ。
◇◆◇◆◇
ザイラスの狙いを聞いて俺は走り出した。少し言葉が乱暴になったが、テオも泣き崩れていたし聞き流してくれるだろう。
俺の心にはいろいろなものが渦巻いていた。折角和やかに楽しんでいた祝祭を台無しにされてムカつく気持ち、面倒を起こしたザイラスの目的を達成させたくない気持ち、イリーナとリリアが巻き込まれてないかの心配、どれも嘘じゃない。
だが、俺の心を溢れさせたのは喜び。馬鹿な犯罪を、それも処刑確定のやらかしを露呈してくれた喜びだ。今の力があればザイラス殺せる。その自信がある。
「ザイラスは殺す。精霊はいただく。これは決まりだ」
『あんたね!少しはあの子達の心配しなさいよ!笑ってんじゃないっての!』
「なんだ?話したことすらないだろう?」
『何年見てきたと思ってるのよ!この鬼畜!悪魔!チンピラ!』
「やかましい。お前ももう隠さなくていいぞ。俺は今日、英雄になる」
『こんの……!言うに事欠いて!まだあの子達の無事も分からないのに……!』
ずいぶんお優しいことだ。まぁ結局やることは同じ、ザイラスを狙うことはそのまま二人を守ることになる。
身体強化を発動させて教会へとひた走った。
教会に近づくと既に大混乱状態になっていた。人々は逃げ惑い、悲鳴と怒号がそこら中から聞こえる。
行事を見物して連中がもみ合いになり、中々先へ進めない。
「ちっ!ザイラスはどこだ!」
『そのままこの先よ!精霊武装を発動してる!感じるわ!』
町中で武装か、丁度いい。俺も隠す気はない、派手に登場してやるぜ。
そんな事を考えながら人の波を押しのけて進み、突然波が切れて視界がひらけた。
教会前に兵士たちが倒れ伏し、花壇を血で染める。そしてその中心には全身を精霊武装で包んでいるザイラスと思われるもの。
片腕で女を抱き、もう片方には細長い槍。その先は――リリアの胸を貫通して、背中から突き出ていた。
「なにしてんだ!このクソ野郎!!」
無意識で距離を詰め、拳を振り抜いた。金属を殴るような鈍い衝撃が腕に返る。弾けるような音とともに、昆虫を模した兜が粉々に砕けた。
「なにっ!なんだお前は!?ちっ!」
ザイラスの歪んだ顔が見えた。だが追撃を入れる前に、背中の装甲から虫の翅を出して、女を抱えたまま空を飛び去っていく。
「リリア!リリア!いやぁぁぁ!」
追おうとしたところでイリーナの叫びが耳に入った。長い槍が抜けたリリアの胸からは、噴水みたいに血が吹き出していた。
「傷口を押さえて!中に運びます!」
イリーナが半狂乱で叫びながら胸を抑えていた。シスター姿の女が出てきて、リリアを布でくるんで教会の中へと運んでいく。
俺はただそれをぼーっと見ていた。砕けた拳の痛みだけがぼんやりと感じられる。
邪魔なやつだと思っていた。リリアに限らず、みんなどうでもいいと思っていた。あいつらがどうなろうが構わない、俺は全てを踏みつけて英雄になるんだと覚悟しているつもりだった。
だが俺は、本当は何も覚悟できていなかった。あいつらを捨てる覚悟などなく、ただ何も考えていないだけだった。だから今、動揺している。悲しむこともなく、怒ることもなく、ただ突然の出来事に混乱している。不様だな。
真の馬鹿は……俺だ。少し強くなって思い上がって、英雄になりたいだなんて。誰一人守ったこともない癖に。少し盗みが上手くて思い上がっていた頃と何が違う?
『リリアのところに行きなさい!』
「あ、あぁ」
教会の中には兵士達も運び込まれ、必死の延命が行われていた。
その中でリリアは……あぁもうだめだ。出血が多すぎる、スラムで何度も人の死は見た。
「とにかく布を巻いて止血して!出来る!?」
「薬師の弟子です!出来ます!」
イリーナは混乱から立ち直って必死にリリアを救おうとしている。それに比べて俺は……。
『馬鹿!こんな時に立ち尽くしてどうするの!私がリリアを繋ぎとめる、あんたはザイラスを叩き潰して精霊を連れてきなさい!』
「え?」
俺を叱りつけ、セレンは俺の中から抜け出した。
その小さな体から迸る光。
セレンは振り返り、俺を睨みつけて――
「――咲け、猛き花よ!!」
その叫びとともに、眩い光の花弁が炸裂した。
空間いっぱいに広がった光弁が、ひとひらごとに鋼へと変わり、俺の腕を、脚を、胸を、そして顔を覆っていく。
皮膚に触れた瞬間、焼けるような熱と共に魔力が流れ込んだ。
骨が軋み、筋肉が軋む。だが痛みは一瞬、次の瞬間には全て力へと変わる。
最後の一片が顔に触れ、視界が闇に閉ざされる。
次に開いたとき、俺の目は仮面の奥で煌めいていた。
――精霊武装。
だがセレンは俺の体内にいない。分離したまま、外から魔力を託している。
見ればセレン初めて会った時のような弱々しい姿に変わっていた。魔力を出し切っているんだ。
「行きなさい!」
それだけ言ってセレンはリリアの中に飛び込んだ。
「今のは!?リ、リリアの血が……!」
イリーナが驚きの声を上げた。
リリアから吹き出していた血が止まっている。しかし顔は白く、その体に生気はない。
魔力だ、魔力さえあればセレンが何とかしてくれる。
俺は拳を握りしめる。
先ほどまで動かなかった足が、今は炎のように熱を帯びて前に出る。
英雄なんかじゃなくてもいい。俺は俺の役目を果たす。
ザイラスを殺して精霊を奪う。それだけが俺のやるべきことだ。
奴のいる方向を感じる。精霊武装が引き合うのが分かる。一つになりたいんだな、すぐにそうしてやる。
教会の石畳を砕いて駆け出した。必ず戻ると誓って。