第17話 狂気
「ザイラス、あれが領主の娘だろ?すげぇ……貴族ってみんなあんななのか……」
「あぁ?見てんじゃねぇ、あれは俺のもんだ!」
「わ、わかってるよ。すまねぇ……」
姫が花冠を被り、カゴに入れた花びらを撒きながら歩いている。
綺麗だ、どんな女もあれの前では価値がない。あれこそ最高の宝だ。
この後、教会前に作られたしょぼい祭壇に登って鐘を鳴らす。その時がもっとも護衛から遠いタイミングだ。
護衛なんて怖くないが、時間を食うと姫が逃げてしまう。だから護衛から最も離れる瞬間を狙い、確実に捕まえる。
「あぁたまらねぇ、さっさと進めろや……!」
ゆっくりと焦らすように進み、やっと祭壇に辿り着いた。登れ、早く登れ!
姫が一歩一歩、祭壇を登る。まるで、俺のものになるために進んでいるみたいだ。
そうしてようやく鐘が鳴らされた。それが合図だ。
「火事だ!」
声が上がり、煙幕の煙が上がる。
「武器を持ってるぞ!」
続いて戦いの声、階段を登った姫は降りることが出来ず、最上段で戸惑っていた。
「精霊!力を出せ!」
いよいよだ。精霊に命令すると光が舞って体が包まれる。
全身を覆う硬い殻、頭には巨大な目が付いた兜が現れて辺りが広く見えるようになった。そして針のように長い槍。
体に力が溢れる!これがあれば誰にも負けねぇ、誰も俺を止められねぇ!
祭壇の裏側から最上段へ飛び上がった。
こちらに気づいた連中が悲鳴を上げ、護衛が向かってくるがもう遅い。煙で場は混乱し、祭壇の前は人混みでまともに動けない。更に子分達が足止めをしている。兵士じゃなくそこらの町人を斬ってやれば、それだけであいつらはこっちに来れなくなる。
目の前には待ち望んだ姫!金色の髪!青い目!白く輝く肌!すべて俺のものだ!ついに手に入れた!
「賊めが!」
「おっと、気がつえぇな」
目が合った途端に殴ってきやがった。面白い、スラムの女どもでも様子見するぞ。
腕を掴んでやればガキみたいに元気に跳ねる。その反応もいい。
もっと相手をしてやりたいが、間抜けな護衛が祭壇を駆け上ってきた。邪魔をしやがって。
「お嬢様を離せ!」
「ちっ!姫さんはちょっと大人しくてな」
姫の腹を一発殴ってやれば呻いて動かなくなった。こいつも他のやつと一緒だ、このまま攫ってしまえば俺のものだ!
「きさまぁっ!」
「うるせぇよ、死ね」
鉄の鎧で守られた腹に向かって槍を突き出す、それだけで終わりだ。
精霊の槍は、鎧など存在しなかったかのように胸板を貫いた。そのまま少し捻ってやれば血を吹いて動かなくなった。雑魚の癖に向かってくるからこうなるんだ。
「はははっ!貴族の護衛もこの程度か!姫さんよ!これからはつえぇ俺が守ってやるぜ!行くぞ、しがみついてろ」
気分がイイ!何でも俺の思うままだ!
「フロレンティアお嬢様!」
「あぁ?」
今度は女のガキが向かってくる。さっきのを見てなかったのか?馬鹿なやつ。
「死んどけ」
槍で貫こうと腕に力を入れたが――姫がしがみついてきた。こういうのはイラつくぜ。
「逆らうんじゃねぇ!」
「がっ!」
拳で頬を殴り、姫の体から力が抜けた。それを片手でしっかりと抱えてやる。最初からこうやって大人しくしてりゃいいんだ。
思わず姫のきれいな顔を殴っちまった。変な女のせいで俺の宝物に傷がついた。
これ以上付き合ってられるか。早く姫を連れて行こう。
向かってくる馬鹿女に向けて槍を突きだした。
「駄目!」
「はぁ?」
馬鹿女を庇って、別のガキが槍に刺さった。なんだこいつら?遊んでんのか?まぁ両方殺しちまえば――
「なにしてんだ!このクソ野郎!!」
「なっ!?」
何かが飛び込んでくる!精霊に強化された俺の視界の端から、反応する間もなく迫ってきた。
次の瞬間、こめかみがへし折られるような衝撃。
ガギィンッ!──金属が砕ける耳を裂くような音。騒がしい中庭の声が一瞬、引きちぎられた。
兜の装飾が粉々に飛び散り、冷たい空気が顔に触れた。
ありえない。どんな魔物の一撃もはじいていたこの鎧が、生身の拳で割れたのか――!
「なにっ、なんだお前は…!」
こいつはヤバい!更に周囲からも散っていた兵士が集まってくるのが見える。これ以上構っていられるか!
鎧の背中から蜂の翅を出す。薄い羽はブブブブブと羽音を立てて、俺と姫を空に運んだ。空を飛べば誰の手も届かない。追いつくこともできない。
安全なところに行こう。あそこなら誰も俺に手を出せない。姫も逃げようとすら思わないだろう。
アイツも俺に辿り着くことすら不可能だ。
動かない姫を抱えて向かうのは琥珀洞。俺が力を手に入れた場所であり、精霊が操る蜂が俺を守ってくれる場所だ。
琥珀洞に向かう途中、俺は姫の重さを左腕で感じていた。布地の柔らかさ、呼吸の震え。抱え込むと姫は身動ぎして嫌がる。外の喧騒が遠ざかり、羽音だけが空気を震わせる世界。ここなら安心だ。ここなら、思う存分に――。
空から琥珀洞ダンジョンに入った。光が遮られ、甘い匂いに包まれてようやく安心できる。ここなら大丈夫だ。
蜂共が反応を見せるがすぐに収まった。精霊は大量の蜂を同時に操れるわけじゃないが、襲わせないくらいは簡単だ。こちらから刺激しなければな。
地面に姫を静かに下ろし、顔を見下ろす。薄い頬に汚れと血、殴ったせいで一部が青く腫れてしまった。だがそれ以上に――生まれながらの位の違いを感じる顔だ。俺だけの宝物。
綺麗な青い目で俺を睨みつけるその目も俺のものだ。
「お前は何者だ。その力はなんだ。なぜこのようなことをする」
「ははっ!俺はザイラス、お前の夫だ。この力は精霊の力。嬉しいだろ?お前は英雄の嫁になるんだ。そしてお前がここにいる限り領主は俺に逆らえない。あの街も俺のものになる!」
「何を言っている?……父がお前の言いなりになる訳がないだろう」
「なるさ。ちょっと脅してやれば何でも聞くようになる。お前がいる限りな」
「愚かな……。一度攫われた私にはもう価値など無い。父は親である前に領主、私を切り捨ててお前を討つだろう」
「あぁ?舐めた口を利いてんじゃねぇぞ!また殴られてぇか!それとも今の状況がわからねぇのか!」
「下衆が。私がお前の物になどなるわけがない。舌を噛んだ後の我が死体にでも盛っていろ」
「黙れ!」
その目はなんだ!お前は俺に逆らえないはずだ!俺の方が強いのに、なぜそんな風に……!
「誇りを知らぬ者め。貴族とはお前のような者の思い通りになるものではない!」
「黙れぇ!!」
殴った。何度も何度も顔を殴ってやった。折角の綺麗な顔が腫れ上がって元がわからなくなっても止めない。
「オラ泣けよ!命乞いしろ!」
なぜ何も言わない!馬鹿にしやがって!
俺のものにならないなら死んじまえ!こいつは俺の考えていた姫じゃない!
「あ?なんだ?くる?」
突然頭に精霊の声が響いた。こいつが話しかけてくるなんて珍しい。
殴る手を止めると何かが聞こえる。周囲の蜂共が殺気立ち、次々と巣から飛び出していった。
「まさか……!」
次の瞬間、蜂共を吹き飛ばして現れたのは、全身が精霊武装で覆われた死神だった。