第13話 琥珀洞は秘密の香り
琥珀洞は虫だらけの難関ダンジョンだ。少しでも準備をしておきたいところだが、本気で身を守りたいなら金属製の高価な防具で身を包むしかないらしい。
「皮の防具くらいは平気でぶち抜いてくるぜ。トミーのやつが一発で頭をぶち抜かれてよぉ!ぎゃははは!」
という恐ろしいアドバイスを受け入れ、装備は諦める。セレンが自信満々なので、一度行ってからどうなるかだな。
薬師ノエラの店で解毒剤と煙幕、それと専用の保存壺を購入して準備を終えた。
翌朝。
俺は門の近くにある馬車の駅で目立たないように立っていた。
ダンジョンへは駅馬車が出ている。一つは廃坑山ダンジョン行き。弱い魔物が散発的に現れる、ある意味安全なダンジョンだ。馬車は一台じゃ足りなさそう。
もう一つは俺が乗る予定の琥珀洞行き。不人気で利用者は少ないらしいが、街の大切な資源だからな。定期で馬車が運行している。
俺が隠れているのは、ザイラスとかち合いたくないからだ。あいつというか取り巻きのヨシュにだな。余計な事を喋られたくない。
あいつらが通っているのも琥珀洞らしいのだが、それだけで避けるのもなってことで、出発直前まで隠れている。あのザイラスの振る舞いから考えて、自分で馬車を手配するとは思えない。とことこ歩いたりもしないだろう。
結局やつらがやって来ることはなく、出発しかけた馬車を呼び止めて乗車した。
馬車は空だった。御者とは悶着があり、ダンジョン入口でもまたやり直すのが憂鬱だ。
「お前、本当にやれるんだろうな?琥珀洞の依頼は専門の連中か上級冒険者しかやらないらしいぞ」
『何度もうるさいわよ。私の魔法を見たでしょう?私は成長しているの、あなたと違ってね』
こっちは不安で仕方ないんだよ。
それだけ琥珀洞ダンジョンは危険なんだ。マジで頼むぞ。
馬車に揺られること一時間。たどり着いたのは森の入口だ。
番人が立ち、そばには簡易な詰め所が建てられている。窓はなく、最悪の場合は避難所にもなっているんだろう。
御者に礼を告げ、番人にギルドからの手紙を渡した。
「坊主、お使いか?偉いぞ。しかし御者に渡してくれたらいいのに、なんなんだ?」
ちげぇよ。いいから読め。そこには俺が本当に下級冒険者だと書いてある。受付のアメリアに書いてもらったものだ。
番人は手紙を読み進め、「マジ?」とこちらに確認してくる。冒険者証を見せ、無駄なやり取りを経て、ようやく中に入れた。
しばらくはこういうの多いんだろうな、凄く面倒くさい。
◇◆◇◆◇
「これがダンジョンか。確かに普通の場所ではないな」
『魔力があふれてるわ!でもちょっと質が悪いかも』
「なんだそれ」
琥珀洞ダンジョンは洞窟じゃない、森だ。ただし木々には大量の蜂の巣が垂れ下がり、濃厚な花と蜜の甘い匂いが立ち込める。
光を反射する蜂の巣は、琥珀色の宮殿のよう。その宮殿には共鳴する羽音が呪詛のように響いていた。まだ入ったばかりなのに、干からびた人だった物が転がっている。
琥珀洞は蜂の楽園。蜜を食べる巨大蜜蜂と、その蜜蜂を含む肉と蜜の両方を食べるキラービーが埋め尽くす。生半可な装備では突破できない難所だ。
巨大な蜂の巣の表面に張り付いている蜂は、一匹一匹が人間の子供サイズ。その尻に隠された巨大な毒針で一突きされたらどうなるか……。
「おい、無理なら早く言え」
『相手はただの蜂でしょ。私は花の精霊よ?魔力を蓄えた私の力を教えてあげるわ!』
そう言ってセレンは胸から飛び出してきた。
「上ばかり見てないで足元も見なさい。蜂の集める蜜は花の蜜、あの花たちから集めた蜜よ。つまり花が蜂を生かし、支配しているのよ」
「ただ吸われてるだけだろ」
木々を埋め尽くす琥珀色の巣に目が行ってしまうが、足元にも巨大な花畑が広がっている。巨大な蜂たちを支える、魔力を吸っておかしくなった巨大な花だ。
「文句言ってないで見ていなさい。花よ!」
セレンが小さく指を鳴らすと、周囲の蔓がざわりと震えた。
見えない糸に引かれるように、花々が一斉に揺れ出した。
濃厚な香気が溢れ、空気そのものが甘く染まっていく。
「来るよ……もっと強く、もっと大きく。咲いて!毒の蜜を滴らせなさい!」
セレンの声に応えるように、花弁が脈打つ。蜜線部が膨らみ、光を帯びた液滴が滴り落ちた。
そして、その香りに釣られた巨大蜂が、狂ったように突っ込んできた。
セレンは両手を広げ、さらに周囲の花々へ意識を繋ぐ。
地を這う根がぎしぎしと持ち上がり、花茎が獲物を捕らえるかのように揺れる。
咲いたばかりの花が瞬時に変質し、鮮烈な赤を帯びた。
ブブブブブブブブ!勢いを増した蜂達の羽音がこだまして身が竦む。明らかに興奮してるぞ!
「ほほほほほっ!存分に食らうがいいわ!甘い毒に群がる愚かで卑しいムシケラめ!」
口悪いな。
蜂共はセレンが操作した花畑に殺到し、ぼてぼてと落ちていく。
こいつこんな事が出来るようになっていたのか。最初出会ったときは蕾を咲かせるくらいしか出来なかったのに。初めて本当に花の精霊らしいことをしたな。今までは植物に詳しい精霊って認識だったわ。
大量の蜂が集まり、地面には落ちた蜂が積もっていく。セレンはそこから放たれる魔力に大喜び。だがこれは……
ブブブブブブブブ!空を埋め尽くす蜂共。その意識は全て花畑に注がれているようだが、いくらなんでも不味いんじゃないか?
「おい、集めすぎだろ」
「……ちょっと今黙ってて!」
セレンは既に余裕を失い、目を瞑って必死に制御していた。
誘引の波を大きくしすぎれば、俺達にまで蜂の群れが押し寄せるかもしれない。
花は咲き誇りながらも、セレンの意思で香りを絞り、近くに集まった獲物だけを魅了する。
甘美な花園は、毒の処刑場へと変わった。処刑人も大変だ。
◇◆◇◆◇
「ほ、ほほほほほ……よゆうね」
「そうだな」
どのくらい続いただろうか?一日中やっていたような、すぐに終わったような、あまりの衝撃で感覚がぶっ壊れてしまった。
セレンは見事にやりきり、集まった蜂たちは全て毒にやられて落ちた。その数は百や二百ではない。
「本当によく保ったな。途中で崩れたら終わってたぞ」
「フン!ここはダンジョンよ?魔力は周辺から集められるし、倒した蜂からもそれ以上の魔力を集めてる。ちょっと疲れただけよ」
「なるほどな」
セレンは強がって胸を張るが、すぐにふらふらと俺の中に入っていった。なんか小さくなってないか?
まぁいい。よくやった。後は俺が処理するだけだ。
落ちている蜂を掴み、ナイフでバラす。ぐちゃぐちゃと掻き回していると、膨らんだ腹の中に魔石を見つけた。
嫌なところにあるな。だが仕方ない。俺は魔石用の袋がいっぱいになるまで作業を続けた。
魔石の集めの次は蜂の巣だ。
ここの蜂は蜜蜂だけじゃないんだが、肉を食うキラービー達も蜜を集めている。どっちが美味いんだろうか?というか本当にこんな物が食えるのか?俺は蜂の巣なんて食ったことはない。
とりあえず近くにあった巣に手を伸ばし、端っこをちぎり取った。
鼻を近づけると濃厚な甘い香り。食欲を刺激されるが、ふと見るとそこには幼虫が蠢いていた。
うーむ、気色悪い。聞いた話ではこのまま齧るらしいが、正気か?匂いはいいが……。
「ウマーーー!!」
「おい」
いつの間にかセレンが飛び出して吸い付いていた。小さな体で巣に張り付いているのでベタベタだ。
「蜜だけ吸えばいいの。魔力がたっぷり含まれてるから回復効果もあるわ。ちゃんと私の分も確保しておきなさい」
「はいよ」
あまりに美味そうなので、俺も指で蜜をすくって舐めてみた。
「うみゃーー!!」
ぶっ飛ぶ美味さ!頭が真っ白になって膝が崩れそうになる!だが俺にはこの美味さを他に言い表せない!
「うーまーいーぞー!!」
「あむあむあむあむあむ」
最初は気色悪いと思ったけど、結局蜂の子も構わず食った。美味しかった。
腹一杯に蜂蜜と蜂の巣を堪能し、用意していた軽い壺にぎゅうぎゅうになるまで詰めた。
これはお裾分け用だ。高級品だが、今は金より味方が欲しい。俺についていると得だと思わせないとな。こいつはいい働きをしてくれるだろう。
壺三つに満タンの蜂の巣。袋いっぱいの魔石。大量に吸収した魔力。初めてのダンジョンは最高の成果を達成した。
体中がベトベトな事を除けばな。
◇◆◇◆◇
「魔石を獲ってきました。買い取りをお願いします」
「レオンくん。本当にダンジョンへ行ってたんだね。お姉さんはあんまり無茶するのはよくないと思う。まだ見習いの年齢なんだから、ゆっくり成長していけばいいじゃない?この仕事をしていると、無茶して帰ってこなくなる人は珍しくないんだよ?」
「この蜂の巣はお裾分けです。巣ごとなので、苦手な場合は蜜だけ垂らして集めると――」
「素晴らしいよレオンくん!私はレオンくんの挑戦を応援するよ!本当に心配しているから気をつけてね!本当だよ?でもこれはありがとう!」
「待ってください!独り占めはダメですよ!滅多に口に出来る物じゃないんですから!」
「ぼくもほしいー!」
琥珀洞の蜂蜜ってすげぇんだな。
蜂蜜の詰まった壺をそのまま渡しておいた。また行くから大丈夫と伝えたが、聞こえていたかどうかは不明だ。
その後にパンパンに詰まった魔石袋を渡したんだが、驚いてはいたものの反応がしょぼく感じた。蜂蜜が強すぎたんだよ。
次は薬師ノエラのところにも持って行く。いつもの薬草納品の代わりだ。
蜂蜜も蜂の巣も薬の材料になるらしい。特に蜂の巣の方が重要らしいが、蜜たっぷりのままお届け。
「れ、レオンくん。本当にいいの?」
「勿論です。僕はただ採ってきただけですから大丈夫ですよ。イリーナにも教えてくれると嬉しいです」
「まかせて!あの子にもしっかり仕込むから!」
いつもの薬草と同じ額で渡す。高級品とはいえ、本当に拾ってきただけだからな。惜しまないほうがいい。
薬師ノエラが壺を見る目は、調合素材を見る目ではなかったが……まぁそこは俺には関係ないか。
孤児院に持って帰ると、チビたちだけじゃなくグレタまではしゃぐほどの大喜びだった。
これだけ喜ぶなら運んできた甲斐がある。明日もまた採ってこよう。
「ところでレオン、ラグナルは見つからないかい?」
「あ、あぁ。つるんでる相手は分かってるからギルドに来るはずなんだけど、まだ見つからないんだ」
忘れてた。だけど嘘ついたわけじゃない、ザイラスと一緒にいるならいずれ馬車の駅で見つけるだろう。声をかけるチャンスを伺えばいい。
だがその翌日も、その翌日も、やつらの姿はなかった。
俺が見かけたあの日を最後に、ザイラスは姿を消していた。
以前にオルセンが、ザイラスは何かを企んでいるのかもと言っていたな。
もしかしたら、ラグナルに残された時間は少ないのかも知れない。