オリジナル○○○をデザインしたい。
この股間と生きていくと決めたけれど、オリジナルおまたをデザインして、いつの日かその体に生まれ変われることを祈ったわたしの話。
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わたしにはチンコがない。かといって欲しいわけではない。というかなくていい。実物をまじまじと見たことがないのでどんなものか詳しくは知らないが、ぷらぷらしているのもなんだか想像したらえずくし、ビジュアル的に受け付けない可能性が大いにある。故になくていい。
そんなわたしの想像の中のわたしはいつもチンコがない。当たり前だ。自分の裸体を想像してください、と言われてとりあえずは現状の体をそのままに頭の中に思い描くことだろう。それに違和感があろうがなかろうが。嫌悪を抱いていようがいまいが。
後天的にチンコをつけた場合になんだこりゃ、と思うのはそりゃあそうだろう、という話でしかない。わたしは生まれてこの方、自分の体にチンコがある瞬間でさえ目撃したことはない。だから異物として捉えてしまうのだ。もし生まれた時からそこにあれば慈しみを込めて息子と呼ぶことがきっとできる。
わたしはチンコが欲しいが、そう簡単に現実が実るものじゃないので文章の中だけでもチンコがある想定で、という話をしているわけではない。息子と無条件に呼べるほどに密接な。そう呼ぶしかない。愛するしかない。そんななにかが欲しかった。
それは決して必ずチンコであらなきゃいけないわけではない。一番考えやすかったから例として出しただけだ。どうしてチンコが最有力候補かというと、今のわたしの股になにもないことも理由だ。なにもない、それは嘘だ。穴は開いているし、問題なく排泄も出来る。性行為だって普通に出来る。それでいいじゃないか、っていう話でもないのだ。
かといってチンコある身でこの世に生を授かっていればよかったのか、と問われると話聞いてたか?と殴り飛ばしたくなってしまう。愛を感じる呼び方を自分の一部にしたいが、呼べるものがなくあればいいのにな、というおとぎ話レベルの仮定談だ。
いざあったら、と考えるとそれはそれで吐き気がする。自分じゃない体になってしまった気もするのかもしれない。経験がないから分からないが。チンコがある体に憧れるし、憧れていない。憧れた時に叶って欲しくて、憧れが去った時に原状復帰して欲しい。それだけかもしれない。
フレックスという言葉の意味を知っているだろうか。柔軟性、という意味だ。フレックス制の会社、というと勤怠時間に規則がなく、柔軟に変更できる。ワークライフバランスなどというものを考えさせられる時代にはもってこいの会社のことを指す。
チンコがないわたしはフレックスでいたい。今、気づいた。チンコがあってもそう思っただろうか。それは分からない。どこかのメタバースにはチンコを持ったわたしがいる。そのわたしに聞いてみたい。
「この世界のわたしはチンコを持っているけどフレックスでいたい?」って。
別のメタバースを生きているわたしだよ、とまずは説明しなければいけないだろう。そうしなければわたしはただの不審者になってしまう。
今のこの股間に不満があるというわけでもない。生む気もないのに膣の内壁が月に一度剥がれ落ちてくるのはとても腹立たしいが、幸いその痛みもほとんどないに等しい。いわゆる「軽い」側の人間だ。
性を決定する要素としてチンコの有無はとても重要だと思う。同時に軽いか、軽くないか。その議論に実体験と共に参加できるかどうかも。
性を勝手に決められたくない、わけではない。
チンコが欲しいわけでもない。
ただフレックスでいたい。それはつまり、どういうことなのか。
着脱可能であればいいのだ。性器が。
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戸籍上の性別がどうの、みたいは難しい話は一度置いておく。わたしはその道のプロフェッショナルでもないし、堂々巡りの素人丸出しのつまらない話になってしまうだろうから。
股間こそ、その人を決める最終フェーズという認識がこの世にある。そんな仮定だけのこの話はとりあえず始めることが出来る。法律や、倫理のプロフェッショナルがいたらこの話はもはやエンターテイメントとしてほうり投げてくれて構わない。真剣になりたいところで真剣になってくれ。その場所が必ずしもわたしと同じである必要はないだろう。
わたしは今、真剣にチンコについて話しているのだ。
新しい生命については一度考えないものとする。生まれない、わけではなく作れない、に納得した人たちが集まるものとしよう。種はそこに存在しないが、二人いれば自慰ではなく突っ込み合いの性行為になる。そういう作りのためには貴方と希望が必要。多岐にわたる選択肢を取り外して考えてほしい。(答え合わせ。アナタとキボウからタキを取り外すと?)
わたしがえずくようなビジュアルを備えている立体物。体に密着していて接着面に手指を差し込んだりする隙間が少しもなく、快感を得られる突起がついている平面。ちょうどいいところに落とし穴のような深淵。この三つが必要ということになる。
仮定を付け加えて申し訳ないが上半身は関係ないことする。ナイスバディの条件が変更されることになるだろう。
立体物の立派具合はいつだって関係してしまうのか。いや、しないかもしれない。前述の三要素の全てを兼ね備えていて、わたしにとって不快じゃない程度の主張をしている立体ということになる。
もはや突っ込めればいいのだ。そして穴は短小なソレを突っ込まれただけで最奥に達することが出来るほどに浅くていいのだ。必要な筋肉量も変わってくるかもしれない。
立体は自身に加えられるしごき、によって快感を得る。平面の突起は立体と同じとして、穴は内部が満たされることによって快感を得る。
今、わたしは平面の突起は立体と同じとする、と述べた。要するにわたしが得るべき要素は二つでよかった、ということになる。ハードルが下がった。しかし今、わたしが持ち得ている平面に付属している突起には穴はない。立体は排泄と射精を別の管とはいえ、同じ先端から行うはずだ。単に肥大した突起、ではいけないのだ。
都合よく管がそう伸びるものとしよう。そうすればわたしに必要なものは短小な立体物と、その長さで最奥に触れることが出来る浅い穴でしかない。
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フレックスでいたいわたしは着脱可能であればいい、と述べた。それは今現在全てがわたしに着脱不可能であることを許さないからだ。倫理が邪魔をし、技術の発展途上も邪魔をする。
着脱可能、ではなくそもそもその股間で生まれるためには何度突然変異が起こればいいのだろう。少なくとも今日この日からわたしが死ぬまでには起こってくれないことだろう。猿からわたしたちホモサピエンスに進化するまで実に七百万年もの時間を経ている。
それでも、とわたしがこの現代で美とされない短小立体物と浅い穴を欲するならば切っても切り離せない倫理に背を向け、人体実験を繰り返すしかないのだろう。メスを入れ、ビキニを着ることを諦め、上裸を避け、傷だらけの体を背負い、満足したのだ、と自分を納得させる日々が続いてしまうのだろう。
別のメタバース。翌日にでもなればあちらの世界を生きる人間は夢だった、くらいにしか思われないようなこと。それも相手は他ならない自分自身のくせに臆病にも不審者になってしまうことを恐れるようなわたしにはそんな芸当は到底できやしない。
つまりわたしの人生はこの股間と共に在り続けるのである。
チンコのない体に納得して生きていくしかない。
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「オリジナル○○○をデザインしたい。」はカクヨムでも投稿しています。
々(のま)
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