第32話 誓約の宝石
「リュミエ帰ったよ」
弾む声。
その声を聞いた瞬間、リュミエの表情がぱっと明るくなる。まるで長年待ち続けた客人を迎える子供のように、迷いなく駆け寄ってきた。
――その笑顔が、どうしてこんなにも薄いのだろう。
天空神はふと、自分の奥底に“別の何か”が浮かび上がるのを感じていた。
冷静で、計算高く、感情を切り離した何か。まるで誰かの人格が、自分の思考を代行しているかのように。
「リュミエ、聞きたい事があるんだけどいい?」
「うんいいよ!」
即答。迷いがない。
「君は言ったね。マリネが200年前からこの森を支配している、と」
リュミエは目を丸くし、きょとんと首を傾げる。
「うん!そうだよ」
無垢な顔。
だがその“無垢”が、あまりにも作り物じみている。
「では次の質問にも答えてくれるかな」
「もちろん」
その瞬間、室内の空気が変わる。
天空神の声が一段、低くなる。
「――『誓約の宝石』って知っているかい?」
わずかに沈黙。
「やだなぁ天空神さん。知ってますよ」
表情は崩れない。
天空神の脳が高速で回る。
“知っている”だけ。性能は語らない。
ここで詳細を聞けば、こちらが所持していると悟られる。
リュミエは森の管理者。500年前にウァーヌスが失踪し、200年前にマリネが現れた。
だが神殿会議で一度も報告がない。
そんな重大事が伏せられるはずがない。
嘘だと思っていた。
だがマリネは存在した。
そして消えた。
代わりに現れたのは――『誓約の宝石』が埋め込まれた指輪。
誓約の宝石は加工法で性質が変わる。
髪飾り。
ネックレス。
粉末。
そして――指輪。
指輪型は、対象を封じる。
婚約の証を模して。
ウァーヌスは封印された。
ではマリネとは何だ?
思考が組み上がった瞬間、リュミエが口を開いた。
「僕の事を疑っているのですか?安心してください。マリネに自我はありません」
――墓穴。
天空神は悟る。
自我の有無など、まだ問うていない。
「自我がないんですか?」
微笑む。
その微笑みに、リュミエが恍惚としたように微笑み返す。
「はい、断言できます」
その瞳がわずかに熱を帯びる。
これは尋問ではない。
観察だ。
「自我がないのに、森を“吸う”のかい?」
「生存本能です」
「私たちが近づいたとき光を放ったのは?」
「それも生存本能でしょう」
淀みがない。
まるでこの問答が起きることを、何百年も前から知っていたかのように。
「なるほど。貴方には正面から行った方がいいのですね」
天空神は指輪を取り出す。
誓約の宝石が埋め込まれたそれを、静かに掲げる。
「これは貴方がウァーヌスを封じたものだね?」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、リュミエの眉が動く。
だがすぐ戻る。
「それがなにか?」
否定しない。
「マリネは貴方が生み出した。封印したウァーヌスの神力を核にして。宝石の内部で神力を吸い続け、外部へ供給する“器”として。あの鳴き声も光も――内部からの抵抗では?」
「しかしマリネは森を吸っています」
淀みのない返答。
天空神は一歩詰める。
「マリネが森を吸うのは、いつも君がいない時だ。私は近づかなかった。無抵抗で。すると一定範囲だけ枯れた。遠隔操作だね?」
沈黙。
「……もう、わかるよね?」
そう告げた瞬間。
リュミエの頬が赤く染まる。
否定も焦りもない。
ただ――恍惚。
うっとりと、天空神を見つめている。
まるで長年渇望していた芸術品を目にしたように。
「やはり僕は君のその顔が好きだよ」
空気が凍る。
「君が冷たく僕を見下ろすその瞬間の瞳。計算して、切り捨てて、躊躇わない顔。あぁ……それを見るために、どれだけ準備したと思う?」
500年の封印も。
200年前の生成も。
結界も。
森も。
全部。
「壮大な計画だと思った?世界の均衡?神力の簒奪?違うよ。僕はね――君のその顔が見たかっただけなんだ」
聖夜神が凍り付く。
天空神の中で、先程まで支配していた“冷静な何か”が音を立てて崩れた。
「前回の君はね、僕を殴ったんだ。冷たい瞳で。長い銀髪を揺らして。僕を捕まえて、牢に入れた」
うっとりと語る。
愛を語るかのように。
「でも今回の君は少し優しいね。詰め方が綺麗だ。でも、前回の方がもっと冷たかった」
天空神の背筋に寒気が走る。
私は、そんなことをしていない。
「……リュミエくん」
声が、わずかに震える。
「ご同行お願いしますね」
リュミエは笑う。
心底、嬉しそうに。




