雪の降る街
雪の街の少年
冬の街、フィオーレは雪に覆われていた。灰色の空から舞い落ちる雪は、まるで世界を白い毛布で包み込むかのように静かに降り積もる。石畳の路地に響くのは、少年の靴音だけだった。少年の名はレン、15歳。身寄りのない彼は、街の雑用屋として生計を立てていた。市場での荷運び、暖炉の薪割り、凍った窓の掃除――どんな仕事も引き受け、黙々とこなした。
レンの住処は、街外れの古い小屋だった。屋根には穴が開き、隙間風が吹き込むが、彼には他に選択肢がなかった。家族という言葉は、レンにとって遠い夢だった。市場で笑い合う親子や、窓越しに見える暖炉を囲む家族の姿に、彼の胸はいつも締め付けられるように痛んだ。「いつか、僕にも…」そんな願いを心の奥にしまい、彼は今日も雪の中を歩いた。
その日、市場からの帰り道、レンは雪の積もった路地で小さな光を見つけた。雪の中に埋もれるように、輝く小さな存在がそこにあった。膝をついてそっと雪を払うと、それは手のひらに乗るほどの小さな雪の妖精だった。透き通った体に、淡い青の光を放つ翼。目はその光を映し、まるで星の欠片のようだった。だが、妖精は弱っていた。翼が震え、輝きもかすかだった。
「君…大丈夫か?」レンはそっと妖精を拾い上げ、ボロボロのコートの内側にそっと包んだ。凍えるような冷たさが手に伝わったが、同時に不思議な温かさも感じた。
その夜、レンの小屋に奇妙な客がいた。窓辺に座る白い猫。蒼い目と銀色の尾を持つその猫は、まるで雪の妖精を見つめるようにじっとレンを見ていた。レンはその視線に気づき、首を傾げた。「君はどこから入ってきたの?」猫は答えず、ただ静かに瞬きした。その存在はミステリアスで、まるでこの世界に属していないかのようだった。レンはその猫を「シュトラ」と名付けた。なぜその名前が浮かんだのか、自分でもわからなかった。
雪の妖精との日々
レンは雪の妖精を「ユキ」と名付け、世話を始めた。ユキは日に日に元気を取り戻し、小屋の中をふわふわと浮かんで遊んだ。ユキの笑い声は、鈴の音のように澄んでいた。レンは市場で稼いだ僅かな金でユキのために花の蜜を買った。ユキがそれを喜ぶ姿を見るたび、レンの心は温かくなった。
「家族って、こういう感じなのかな」レンはユキと過ごす時間に、初めての安心感を覚えた。シュトラはいつもそばにいたが、決して干渉せず、ただ静かに見守った。ある夜、ユキがレンの肩に乗り、星空を見上げながら光を放つと、シュトラの蒼い目が一瞬、星と同じ輝きを帯びた。レンはそれに気づかなかったが、シュトラの存在がこの出会いに何か特別な意味を持っている気がした。
しかし、ある日、街の古老から衝撃的な話を聞く。雪の妖精は、星々が歌う夜空――天の川の彼方にある「星の庭」に帰らなければならない存在だという。帰らなければ、妖精は輝きを失い、やがて消えてしまう。レンの心は凍りついた。「ユキを…失う?」
その夜、レンはユキを抱きしめ、震える声で話しかけた「ユキ、帰らなきゃいけないんだね…でも、僕には君しかいないんだ。」ユキは悲しげに光を弱め、レンの頬にそっと触れた。シュトラは窓辺で、星空を見上げながら静かに耳を動かした。
葛藤と決断
レンはユキを失いたくなかった。ユキは彼にとって初めての「家族」だった。毎晩、ユキが星空を見上げる姿を見るたび、胸が締め付けられた。ユキの輝きは日に日に強くなり、星の庭への憧れが感じられた。だが、レンは自分の孤独を思い出すたび、ユキを縛り付けたい衝動に駆られた。
ある雪の夜、レンは小屋の外でシュトラに話しかけた。「君なら分かるよね? 僕がユキを手放したくない理由…家族って、こんなに大事なのに、手放さないといけないだなんて...」シュトラは無言だったが、蒼い目でレンをじっと見つめた。その視線には、まるで「答えは自分の中にある」と語るような深さがあった。
翌日、レンはユキを連れて街の外の丘へ向かった。そこは星空が最も美しく見える場所だった。ユキはレンの手の中で輝き、夜空を見上げた。星々がまるで歌うように瞬き、天の川が輝く中、ユキの翼が強く光り始めた。レンは涙をこらえ、ユキに囁いた。「ユキは自由になるべきだ。僕のエゴで…君を縛っちゃいけない。」
ユキはレンの頬に光のキスを残し、ゆっくりと夜空へ舞い上がった。その輝きは星々と溶け合い、天の川に吸い込まれるように消えた。レンは膝をつき、泣いた。シュトラがそっと近づき、レンの足元に身を寄せた。その銀色の尾が、星の光を反射してきらめいた。
新しい家族
ユキが去った後、レンは空虚感に襲われたが、同時に不思議な解放感も感じていた。ユキを自由にしたことで、彼の心に新しい希望が生まれた。シュトラはそれ以降もレンのそばにいたが、ある日、ふっと姿を消した。レンは少し寂しかったが、シュトラがどこか別の世界や時間軸を旅しているのだろうと感じた。
数ヶ月後、フィオーレの街に変化が訪れた。レンの働きぶりを見ていたパン屋の夫婦が、彼を養子として迎えたいと申し出たのだ。最初は信じられなかったレンだが、夫婦の温かい笑顔と、手作りのパンの香りに心が溶けた。彼は初めて「家」と呼べる場所を得た。
冬が再び訪れたある夜、レンは新しい家族と暖炉を囲みながら窓の外を見た。雪が降り、星々が輝いていた。ふと、遠くの空にユキの光のような輝きを見た気がした。そして、雪の積もった庭に、蒼い目と銀色の尾を持つ白猫が立っていた。シュトラだ。彼女は一瞬レンを見つめ、微笑むように瞬きすると、雪の中に消えた。
レンは笑った。「ありがとう、ユキ。ありがとう、シュトラ。」彼の心は、家族の温もりと、星々が歌う夜空への感謝で満たされていた。