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白猫シュトラと旅の記憶  作者: 肉球ぷにぷに
7/23

鏡に映るのはRe

ep6.の続きです。

シュトラの銀色の尾が、夜の闇に一瞬だけ光を放った。その光は、まるで星が瞬くように柔らかく、しかし確かな意志を帯びていた。彼女は無口で、ミステリアスな旅猫であり、滅多に干渉しない。だが、この夜、彼女の蒼い目には、ほんの一瞬、何か異なるものが宿った。それは、憐れみでも同情でもなく、ただの気まぐれだったのかもしれない。


美咲の手術は失敗に終わった。鏡に映る顔は、かつての彼女の面影を完全に失い、歪んだ輪郭が彼女の心をさらに深く抉った。クリニックの冷たい光の下、彼女は震える手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。医師の説明も、スタッフの慰めの言葉も、彼女の耳には届かなかった。彼女の心は、砕け散った鏡の破片のように、修復不可能に見えた。


だが、その夜、シュトラは動いた。彼女は美咲のマンションの窓辺に再び現れ、静かに部屋の中を見据えた。美咲はベッドにうずくまり、涙に濡れた顔で眠りに落ちていた。シュトラの尾が軽く揺れると、銀色の光が細い糸のように部屋に広がった。それは、まるで月光が織りなす繭のようだった。光は美咲の身体をそっと包み込み、彼女の顔に触れた。シュトラは一言も発せず、ただその場に佇むだけだった。


翌朝、美咲が目覚めたとき、彼女は何か異変を感じた。部屋はいつも通りだったが、空気がどこか柔らかく、静謐な雰囲気に満ちていた。彼女は恐る恐る鏡の前に立った。そこに映る顔は、昨夜の絶望的な姿とは違っていた。確かに、彼女の顔は以前の施術の影響を残していたが、歪みは消え、かつての自然な輪郭がほのかに戻っていた。鼻の高さも、目の大きさも、唇の形も、過剰な人工感が薄れ、彼女がかつて愛した自分の一部がそこにあった。


「…え?」


美咲は自分の頬に触れた。冷たく硬い感触ではなく、温かく柔らかな肌の感触がそこにあった。彼女は鏡をじっと見つめ、涙がこぼれた。それは、悲しみの涙ではなく、どこか安堵と驚きに満ちた涙だった。彼女は自分の顔を、かつての自分を、確かにそこに見ていた。


シュトラの魔法は、完全な「美」を与えたわけではなかった。彼女の顔は、完璧な対称性や現代の美の基準に照らせば、依然として「普通」に過ぎなかったかもしれない。だが、その普通さの中に、かつての美咲の笑顔が宿っていた。彼女が初めて鏡を見て「私、綺麗」と感じた、あの純粋な喜びが、そこにあった。


美咲はその日から、少しずつ変わり始めた。彼女はクリニックの予約をキャンセルし、スマートフォンを手に取る時間を減らした。代わりに、彼女は古いアルバムを開いた。そこには、学生時代の彼女が、家族や友人と笑い合う写真があった。彼女は自分の笑顔を見つめ、胸に温かいものが広がるのを感じた。


シュトラは、遠くのビルの屋上からその様子を見ていた。彼女の蒼い目は、変わらず冷たく澄んでいる。だが、銀色の尾が一度だけ、ゆっくりと揺れた。それは、まるで満足のしるしのようにも見えた。彼女は干渉しない。だが、この一度の気まぐれは、美咲に小さな光を残した。


数年後、美咲は小さなカフェで働いていた。彼女の顔は、かつての過剰な施術の痕跡をほとんど残さず、自然な笑顔が戻っていた。彼女は常連客と他愛もない話をしながら、コーヒーを淹れる。客の一人が、彼女の笑顔を見て言った。「あなた、なんか素敵な雰囲気があるね。」美咲は照れ笑いを浮かべ、そっと頬を撫でた。


「ありがとう。…私、こういう自分でいいやって、最近思うんだ。」


その夜、シュトラはカフェの前の路地にいた。彼女の白い毛並みは月光を浴して輝き、蒼い目は静かに美咲の姿を映していた。美咲は店を閉め、鼻歌を歌いながら家路につく。彼女の背中は、かつての重荷から解放されたように軽やかだった。


シュトラは立ち上がり、尾を軽く振った。銀色の光が一瞬だけ夜空に溶け、次の瞬間、彼女の姿は消えていた。次の世界へ、次の時間軸へ。彼女は旅を続ける。無口で、ミステリアスな旅猫は、ただ見つめるだけだ。だが、ほんの一瞬の気まぐれが、誰かの人生に小さな奇跡を残した。


ネオンの瞬く街は、変わらず欲望と喧騒に満ちている。だが、その片隅で、ひとりの女性が自分の笑顔を取り戻していた。それで、十分だった。


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