錬金術師の代償Re
陽だまりの再会
老婆、エレノアは縁側で涙を拭い、男の子に微笑みかけた。「さあ、もう遅いからおうちに帰りなさい。また明日、お話を聞かせてあげるよ。」
男の子は少し不満そうに唇を尖らせたが、元気よく手を振って走り去った。埃が舞い、夕陽がその小さな背中をオレンジ色に染めた。エレノアは静かにため息をつき、揺れる椅子に再び身を委ねた。彼女の胸には、アルベールの不在が重くのしかかっていた。彼が命を賭して彼女を蘇らせ、その代償として自らの命を失ったこと。それが彼女の心を締め付けた。
シュトラは縁側に座り、静かにエレノアを見つめていた。銀色の尾がそっと揺れ、蒼い瞳には深い知恵とほのかな哀しみが宿っていた。彼女は無数の世界を旅する猫であり、決して口を開かず、物語の傍観者であることを自らに課していた。だが、アルベールとエレノアの愛は、彼女の心に特別な波紋を広げていた。シュトラの瞳が一瞬、きらりと光った。それは、彼女が何か行動を起こそうとしている兆しだった。
エレノアはシュトラの視線に気づき、かすかに微笑んだ。「…いつもそばにいてくれるね。」彼女の声は優しかったが、どこか寂しげだった。シュトラは答えない。ただ、銀色の尾をゆらりと揺らし、静かに立ち上がった。その動きには、まるで何かを決意したような確かさがあった。
魔法の夜
その夜、村は静寂に包まれていた。満月が空高く輝き、星々が瞬いていた。シュトラは縁側から飛び降り、地面に爪で光の円を描いた。それはアルベールがかつて描いた錬成陣に似ていたが、どこか暖かく、柔らかな光を放っていた。シュトラの蒼い瞳が月光を映し、彼女の周囲に不思議な風が巻き起こった。彼女の銀色の尾が緩やかに揺れ、光がエレノアの小さな家を包み込んだ。
エレノアは突然、胸に熱を感じた。彼女は目を閉じ、なぜかアルベールの笑顔が心に浮かんだ。まるで彼が近くにいるような感覚だった。シュトラの魔法は、時間と空間の境界を揺さぶり、アルベールの魂が閉じ込められた狭間へと繋がっていた。光が一層強くなり、家の周囲の空気が揺らぎ、まるで世界が一瞬だけ別の次元と交錯したかのようだった。
アルベールは暗闇の中にいた。彼の意識は薄れ、記憶もぼやけていたが、エレノアの温かな笑顔だけは鮮明だった。彼の唇が無意識に彼女の名を呟いた。その瞬間、暖かな光が彼を包み、どこかへ導いた。光は柔らかく、彼の魂を優しく引き寄せた。
再会の約束
エレノアが目を開けたとき、彼女は見慣れた塔の地下に立っていた。そこはアルベールが研究に没頭した場所だった。埃っぽい書物、薬瓶、錬成陣の跡がそのまま残っていた。だが、陣の中心には一人の男が立っていた。白髪でやつれた姿だったが、その目はかつての情熱と愛を宿していた。アルベールだった。
「エレノア…?」彼の声は震え、信じられないという表情で彼女を見つめた。
「アルベール!」エレノアは駆け寄り、彼を強く抱きしめた。彼女の涙が彼の肩を濡らした。「あなたが…戻ってきた…!」
アルベールは彼女を抱き返し、呆然としたまま呟いた。「どうして…? 私は命を捧げたはずなのに…。」
そこに、シュトラが静かに現れた。彼女の銀色の尾がゆらりと揺れ、蒼い瞳が二人を見つめた。その瞳には深い慈しみと、ほのかな満足感が宿っていた。彼女の魔法は、錬金術の法則を超え、アルベールの魂を時間と空間の狭間から引き戻したのだ。等価交換の法則を無視した、旅猫の気まぐれな奇跡だった。
エレノアはシュトラを見つめ、涙ながらに微笑んだ。「…あなたが…。」彼女は言葉を続けられなかったが、感謝の気持ちがその目に宿っていた。シュトラは小さく首を傾け、まるで「当然のこと」とでも言うように尾を振った。
新しい朝
翌朝、村に朝日が昇った。エレノアとアルベールは小さな家の縁側に並んで座り、揺れる椅子に身を委ねた。アルベールの髪は白いままで、身体はかつての力を取り戻してはいなかったが、彼の目は希望に満ちていた。エレノアは彼の手を握り、陽だまりのような笑顔を浮かべた。
「これから、どうする?」エレノアが尋ねた。
アルベールは静かに笑った。「もう錬金術には頼らない。君と一緒に、ただ穏やかに生きるよ。この村で、君と。」
そこに、男の子が再び駆け寄ってきた。「おばあちゃん! おじいちゃん! またお話聞かせてよ!」
エレノアとアルベールは顔を見合わせて笑った。「おじいちゃん?」アルベールが苦笑いしながら言った。「まあ、悪くない呼び方だな。」
シュトラは少し離れた場所で二人の様子を見守っていた。彼女の銀色の尾がそっと揺れ、蒼い瞳が穏やかに輝いた。彼女の魔法は、二人に新たな時間を与えた。アルベールの身体は依然として弱く、時間は限られているかもしれない。だが、二人はそれを受け入れ、今この瞬間を愛し合うことを選んだ。
旅猫の新たな旅
シュトラは静かに立ち上がり、村の外へ歩き出した。彼女の旅はまだ続く。無数の世界、無数の物語が彼女を待っている。アルベールとエレノアの物語は、彼女の心に特別な輝きを残した。彼女の蒼い瞳には、ほのかな温もりが宿っていた。
月光の下、シュトラの銀色の尾が一瞬輝き、彼女は次の世界へと消えた。彼女は再び傍観者となるだろう。だが、時折、気まぐれに小さな奇跡を起こすかもしれない。愛と希望が織りなす物語のために。