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白猫シュトラと旅の記憶  作者: 肉球ぷにぷに
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その騎士の名は


粉々になったステンドグラスが、かつての聖なる光を嘲るように地面に散らばっていた。木材は黒く焦げ、折れた柱が無言の墓標のように突き刺さる。空気には鉄と血の匂いが立ち込め、何かの生き物だったであろう肉片が、戦争の無慈悲な爪痕を物語っていた。この廃教会は、かつて人々の祈りが響き合った場所だった。今はただ、静寂と死が支配する。


蒼い目を持つ白猫シュトラは、崩れた祭壇の端に静かに座っていた。彼女の銀色の尾が、まるで月光をまとったようにかすかに揺れる。シュトラは無数の世界を渡り歩き、時間軸を滑るように旅する傍観者だ。彼女の言葉は少なく、感情は深く隠されている。彼女にとって、この世界の悲劇もまた、繰り返される無数の物語の一つに過ぎなかった。


教会の奥、古びた墓の前に一人の騎士が跪いていた。彼の名はアーサー。錆びて焦げた茶色の鎧は、かつての輝きを失い、まるで彼自身の魂を映しているようだった。アーサーは長い祈りを捧げ、時折見せる横顔には深い悔恨が刻まれていた。墓石には、簡素な文字で「ステラ」と刻まれている。かつての恋人。その名を口にするたび、アーサーの心は締め付けられるように痛んだ。


シュトラの蒼い瞳が、騎士を静かに見つめた。この男は、なぜここにいるのか。なぜ、滅びた教会を守り続けるのか。シュトラは知っていた。アーサーがこの場所を離れられない理由を。ステラの笑顔が、彼の心に焼き付いているからだ。彼女の声、彼女の温もり、彼女の優しさ。それらはアーサーの魂を縛る鎖であり、同時に彼を生かす唯一の光だった。


過去の光と影


シュトラは時間を遡る。この世界の別の断片を覗くためだ。彼女の銀色の尾が一閃し、風景が揺らぐ。そこはまだ戦争がこの教会を飲み込む前の時代。ステラは生きていた。金色の髪を風に揺らし、柔らかな笑顔でアーサーに話しかけている。二人は教会の庭で、野花を編んで冠を作っていた。


「アーサー、こんなものでも、騎士の冠になるかしら?」ステラが笑いながら花冠をアーサーの頭に載せる。アーサーは照れくさそうに笑い、彼女の手を取った。


「君が作るなら、どんな冠だって俺には宝物だよ。」


その頃のアーサーの鎧はまだ銀色に輝き、錆びることを知らなかった。彼は若く、誇りに満ち、愛するステラと故郷を守る誓いを立てていた。だが、シュトラの目は冷ややかだ。彼女は知っている。この幸福な瞬間が、どれほど脆いかを。やがて魔王の軍勢がこの地に押し寄せ、すべてを焼き尽くすことを。


戦争は突然やってきた。魔物たちが村を蹂躙し、黒い炎が空を覆った。アーサーは剣を手に戦った。だが、どれだけ魔物を斬り倒しても、敵は尽きなかった。ステラは村人たちを教会に避難させ、祈りを捧げ続けた。彼女の声は、絶望の中で希望の灯火だった。


シュトラはあの日の光景を思い出す。教会の扉が魔物の爪で引き裂かれ、ステラがアーサーを庇うように立ち塞がった瞬間を。彼女は叫んだ。「アーサー、生きて! あなたは騎士なのよ!」その言葉が、アーサーの心に刻まれた。だが、ステラは魔物の刃に倒れ、アーサーは彼女を救えなかった。


シュトラの尾が再び揺れる。彼女は現在に戻る。アーサーはまだ墓の前で祈っている。シュトラは思う。この男は、ステラの死を自分の罪だと信じている。彼女を守れなかった自分を許せない。だから、この廃教会に留まり、彼女の墓を守り続けるのだ。


魔物の襲来


夜が訪れ、廃教会に不穏な気配が漂う。シュトラの瞳が鋭く光る。魔物の気配だ。彼女は動かない。ただ、静かに見つめる。アーサーは祈りを終え、ゆっくりと立ち上がる。彼の手には、錆びた剣が握られている。


「また来たか…」アーサーの声は低く、疲れ果てていた。だが、その瞳にはまだ戦う意志が宿っている。ステラの墓を守るため、彼はどんな敵にも立ち向かう。


魔物が教会の崩れた壁を越えて現れる。黒い鱗に覆われた巨体、赤く光る目。かつてステラを奪った魔物の同類だ。アーサーは剣を構え、突進する。錆びた鎧が軋み、剣が魔物の鱗に火花を散らす。戦いは激しかった。血と汗が混じり、アーサーの息は荒くなる。


シュトラは静かに観察する。この戦いは、アーサーの運命を決めるだろう。彼女は介入しない。それが傍観者の掟だ。だが、彼女の心の奥底で、何かが揺れる。アーサーの愚直なまでの愛と誇りに、シュトラはわずかに共鳴していた。


戦いの最中、アーサーの兜が吹き飛び、血しぶきが宙に舞う。魔物の爪が彼の肩を切り裂いた。だが、アーサーは倒れない。彼は叫ぶ。「ステラ、俺はまだ諦めない! 君の眠るこの場所を守る!」


その瞬間、奇跡が起きた。否、奇跡ではない。ステラの魂が、アーサーに力を与えたのだ。彼女の声が、アーサーの心に響く。「アーサー、ありがとう。あなたは最後まで、私の騎士だった。」


アーサーは最後の力を振り絞り、剣を魔物の心臓に突き立てる。魔物は咆哮を上げ、崩れ落ちる。だが、アーサーもまた、力尽きる。彼はステラの墓の前に倒れ、ゆっくりと目を閉じた。


シュトラの旅路


シュトラはアーサーの傍に歩み寄る。彼女の蒼い瞳が、騎士の顔を見つめる。彼の表情は安らかだった。誇らしげでもあり、まるで眠る子どものようだった。シュトラは小さく呟く。「愚かな騎士よ。だが、君は確かに何かを成し遂げた。」


彼女の銀色の尾が光り、風景が揺らぐ。シュトラは次の世界へと旅立つ。彼女はアーサーとステラの物語を胸に刻む。傍観者である彼女にとって、感情は無用なものだ。だが、この物語は、彼女の心に小さな波紋を残した。


廃教会は静寂に包まれる。アーサーの身体はステラの墓のそばで眠り続ける。やがて、風が野花を運び、二人の上にそっと降り積もる。戦争の傷痕は残るが、この場所には、今、穏やかな時間が流れていた。


シュトラは別の時間軸で、再び白い姿を現す。彼女は思う。愛とは、かくも愚かで、かくも美しいものなのか。彼女の旅は続く。次の物語を、ただ静かに見つめるために。


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