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白猫シュトラと旅の記憶  作者: 肉球ぷにぷに
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錬金術師の代償


温かな日差しと揺れる椅子


温かな日差しが降り注ぐ小さな村の縁側で、老婆はゆったりと揺れる椅子に身を委ねていた。木の軋む音が心地よいリズムを刻み、彼女の瞼はうたた寝の重さに負けて閉じかけていた。その静かな時を破るように、小さな男の子が駆け寄ってきた。埃を巻き上げ、弾けるような笑顔で彼は叫んだ。


「おばあちゃん、おばあちゃん、またお話聞かせてよ‼︎」


老婆はゆっくりと目を開き、皺だらけの顔に柔らかな笑みを浮かべた。彼女の目は、遠い記憶を映すようにかすかに揺れていた。「おや、また来たのかい? さて、今日はどの昔話にしましょうかね...」


男の子は目を輝かせ、縁側にちょこんと座った。そこにはもう一つの存在があった。白い毛並みに蒼い瞳、尾だけが銀色に輝く猫。シュトラと名乗るその旅猫は、静かに老婆と少年を見ていた。彼女は決して口を開かず、世界を観察する。


老婆は男の子の期待に満ちた顔を見やり、ゆっくりと語り始めた。「今日は、とある錬金術師の話をしようかね...」


錬金術師の誓い


その男の名はアルベールといった。錬金術師として名を馳せた彼は、若くして愛する妻、エレノアと結ばれた。エレノアは笑顔が陽だまりのように温かく、どんな暗い夜も彼女の存在で明るく照らされた。だが、幸福は長くは続かなかった。エレノアは原因不明の病に侵され、アルベールの必死の努力も虚しく、静かに息を引き取った。


彼女の死は、アルベールにとって世界の終わりだった。彼はエレノアの冷たくなった手を握り、涙を流しながら誓った。「君を取り戻す。どんな代償を払っても、君をこの世界に戻すよ...」


その日から、アルベールの人生は錬金術に捧げられた。古びた塔の地下にこもり、埃にまみれた書物と薬瓶に囲まれ、彼は研究に没頭した。夜を徹して実験を繰り返し、禁断の知識に手を伸ばした。錬金術の奥義、生命の創造。それは神の領域に踏み込む行為だったが、アルベールにはそんなことはどうでもよかった。彼の心はエレノアの笑顔だけを求めていた...。


その塔の片隅には、シュトラがいた。銀色の尾をゆらりと揺らし、蒼い瞳でアルベールの狂気を静かに見つめていた。彼女は時間と空間を渡る旅猫であり、アルベールの物語を偶然目撃した観客だった。彼女は知っていた。この男が求めるものは、大きな代償を伴うことを。


禁断の秘術


何年も、何十年も、アルベールは研究を続けた。髪は白くなり、目は落ちくぼみ、手は震えるようになった。それでも彼は諦めなかった。ある嵐の夜、ついに彼は一つの結論に辿り着いた。


「生命の等価交換...」彼は呟いた。「エレノアを蘇らせるには、相応の代償が必要だ」


錬金術の禁忌。それは生命の創造には、等しい価値のものを捧げなければならないという法則だった。アルベールは自分の命を捧げる覚悟を決めた。いや、命だけでは足りないかもしれない。彼は全てを投げ打つ準備ができていた。


古い書物に記された秘術は、複雑で危険なものだった。星の巡り、特定の鉱石、精製された薬草、そして術者の魂の一部。それらを組み合わせ、完全なる錬成陣を描く。アルベールは震える手で準備を進め、ついにその夜がやってきた。


満月の下、塔の地下に描かれた巨大な錬成陣が光を放った。シュトラは遠くからその光を見つめていた。彼女の蒼い瞳は、まるで全てを見通すように静かに輝いていた。アルベールは陣の中心に立ち、エレノアの遺した髪の毛と彼女の愛した指輪を手に持った。


「エレノア、君を必ず取り戻す」


彼は呪文を唱え、陣に自らの血を滴らせた。光が一層強くなり、空間が歪んだ。雷鳴のような轟音が響き、アルベールの身体から力が抜けていくのを感じた。彼の命が、魂が、陣に吸い込まれていく。だがその瞬間、陣の中心に一人の女性の姿が浮かび上がった。


「エレノア...!」


彼女はそこにいた。かつての輝く笑顔そのままに、アルベールの前に立っていた。アルベールは涙を流しながら彼女を抱きしめた。彼女の温もりは本物だった。だが、シュトラの瞳は一瞬、悲しげに揺れた。彼女は知っていた。この奇跡がどれほどの代償を伴うかを。


束の間の幸福


エレノアが蘇ってから、アルベールはまるで夢の中にいるようだった。二人は再び小さな家で暮らし、朝日を浴びながら笑い合い、夜には星空を見上げた。エレノアは以前と変わらぬ優しさでアルベールを見つめ、彼はそれだけで十分だった。


だが、幸福は脆いものだった。エレノアの身体は時折、奇妙な揺らぎを見せた。彼女の笑顔は変わらないが、アルベールは気づいていた。彼女の存在は完全ではない。錬金術の法則は完璧ではなかったのだ。彼女をこの世界に留めるためには、さらなる代償が必要だった。


アルベールは再び研究を始めた。エレノアを完全に取り戻すために、彼はさらに深く禁忌に踏み込んでいった。シュトラは遠くからその姿を見守っていた。彼女の銀色の尾は、まるで警告するように揺れていたが、アルベールは気づかなかった。


ある日、エレノアが倒れた。彼女の身体は透明になり、まるで消え去るように揺らいだ。アルベールは必死に彼女の手を握った。「お願いだ、エレノア、行かないでくれ!」


彼は再び錬成陣を描き、さらなる代償を捧げた。自分の寿命、記憶、そして心の一部。彼は全てを投げ打った。シュトラは静かにその光景を見つめていた。彼女の蒼い瞳には、哀れみにも似た光が宿っていた。


老婆の涙


時は流れ、老婆は縁側で物語を語り終えた。男の子は目を丸くして聞き入り、最後にこう尋ねた。「おばあちゃん、その後、錬金術師はどうなったの?」


老婆は静かに微笑み、こう答えた。「暫く夫婦で幸せに暮らした後に亡くなったよ、とても満足そうな顔をしてね」


彼女はボソリと呟き、涙を流した。「ほんと私を残してバカな人、貴方が居なければ何の意味も無いのに...」


男の子は不思議そうに尋ねた。「おばあちゃんなんで泣いてるの?」


「ふふ、なんでかしらね...。」老婆は笑ってごまかしたが、その目には深い悲しみが宿っていた。


シュトラは縁側に座り、静かに老婆を見つめていた。彼女は知っていた。この老婆こそ、エレノアその人であることを。アルベールが命を賭して蘇らせた女性。そして、彼がその代償として自らの命を捧げ、彼女をこの世界に残したことを。


シュトラの銀色の尾が、そっと揺れた。彼女は立ち上がり、静かに歩き出した。次の世界、次の時間軸へ。彼女は決して干渉しない。ただ、物語を見届けるだけだ。だが、その蒼い瞳には、ほんの一瞬、老婆への温かな眼差しが宿った。


旅猫の記録


シュトラは無数の世界を旅してきた。彼女は多くの物語を見届け、愛と犠牲の物語を胸に刻んできた。アルベールとエレノアの物語は、彼女の記憶の中で特別な1ページだった。愛のために全てを捧げた男と、その愛によって残された女。その結末は、悲しくも美しいものだった。


シュトラは次の世界へと歩みを進めた。銀色の尾が月光に輝き、彼女は静かに消えた。彼女の旅は終わることなく続き、彼女はまた新たな物語の傍観者となるだろう。


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