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白猫シュトラと旅の記憶  作者: 肉球ぷにぷに
18/23

やまない雨


雨が降っていた。

この村では、雨は決して止まなかった。灰色の空から落ちる水滴は、まるで世界そのものが泣いているかのように、絶え間なく地面を叩き続けた。石畳の道は常に濡れ、苔むした壁には水が筋となって流れ落ち、村全体が涙に浸されているようだった。そして、村に住む人々もまた、涙を流し続けていた。


生まれたときから、彼らの目は涙で濡れていた。誰もが泣き続け、笑うことを知らない。子供も大人も、老人も、皆が同じように涙を流し、それが当たり前だと受け入れていた。この村では、涙を拭う者はいなかった。なぜなら、拭ったところでまた新たな涙が溢れるからだ。


シュトラは村の外れの丘に座っていた。白い毛並みは雨に濡れてもなお輝きを失わず、蒼い目はまるでこの世界の秘密を見透かすように静かに光っていた。銀色の尾が、ゆっくりと左右に揺れる。彼女は無口だった。ただ見つめ、ただ存在する。彼女は旅猫であり、幾多の世界や時間軸を渡り歩く猫だった。だが、彼女がこの街に足を踏み入れたのは、単なる偶然だったのか、あるいは彼女だけが知る理由があったのかもしれない。


シュトラは村を見下ろした。石造りの家々、濡れた屋根、傘も差さずに歩く人々。彼らの顔には涙が流れ、雨と混ざり合って地面に落ちる。彼女の蒼い目は、村の中心にある古びた広場に注がれた。そこには、ひとりの旅人が立っていた。


旅人は村に現れたその日から異端であった。

彼は黒いマントを羽織り、頭には深く被ったフード。雨に濡れても平然と歩き、村の人々が涙を流すのを見つめながら、どこか不思議な笑みを浮かべていた。彼の目は、まるでこの村の悲しみを吸い込むように鋭く、しかし温かかった。


「止まない雨は無えさ。雨も涙も俺が止めてやるよ」


広場でそう言い放ったとき、村人たちは顔を見合わせた。涙に濡れた目で、半信半疑の視線を旅人に投げる者もいれば、嘲笑する者もいた。


「一生このままさ。これが当たり前だからね」

老いた男が呟いた。声は震え、涙が頬を伝う。彼の言葉は、この村の常識を代弁していた。雨は止まない。涙も止まらない。それがこの村の掟だった。


だが、旅人は笑った。


シュトラは広場の片隅、濡れた石のベンチに座り、そのやり取りを静かに見つめていた。彼女の銀色の尾が、ゆっくりと揺れる。彼女は干渉しない。それが彼女のルールだった。世界を渡り、物語を眺め、ただそこにいる。それがシュトラという存在。だが、この旅人の言葉には、どこか彼女の心を揺さぶるものがあった。


旅人は村に留まり、動き始めた。

彼はまず、村の古い記録を調べた。図書館の埃っぽい書庫で、雨と涙の歴史を紐解いた。そこには、数百年前に始まった呪いの記述があった。


「この村は悪魔に呪われている。長い年月贄を捧げる事をしなくなった傲慢な民に対して悪魔は永遠の罪を与えた。雨は悪魔の呪いであり、人の涙は悪魔の罰である」


古い羊皮紙にそう書かれていた。だが、旅人はその記述を読み終えると、鼻で笑った。

「悪魔の呪い? そんなもんじゃねえさ」


シュトラは図書館の窓辺にいた。彼女の蒼い目は、旅人が羊皮紙を手に持つ姿を捉えていた。彼女には見えていた。この村の雨と涙は、確かに呪いだった。だが、それは悪魔の仕業などではなく、もっと古く、もっと深いものだった。彼女は知っていた。だが、彼女は黙っていた。


旅人は村を歩き、人々に話を聞いた。涙を流しながら答える村人たちは、誰もが同じことを言った。

「これが普通だ。生まれたときからこうだ」

「雨も涙も、止まることなんてない」


旅人は歩き続け、彼は村の外れにある古い井戸を見つけた。そこは、村人たちが近づかない場所だった。井戸の周りは苔に覆われ、雨水が溜まり、まるで小さな湖のようになっていた。


シュトラは井戸の縁に座っていた。彼女の白い毛は雨に濡れ、銀色の尾は静かに揺れていた。旅人が近づいてくると、彼女は一瞬だけ彼を見上げ、すぐに視線を逸らした。彼女は干渉しない。だが、旅人は彼女に気づいた。


「お前、ただの猫じゃねえな」

旅人はそう呟いたが、シュトラは答えなかった。彼女はただ、蒼い目で井戸の奥を見つめていた。


旅人は井戸の底に降りた。

そこは暗く、湿った空気が漂っていた。井戸の底には、古い石碑があった。石碑には、忘れられた言語で何かが刻まれていた。旅人はその文字を読み解き、呟いた。

「やっぱりな。こいつが原因だ」


石碑には、村の始まりと呪いの真実が記されていた。かつて、この村は豊かな土地だった。だが、人々は神の信仰を忘れ、水神の井戸を封じた。嘆き悲しんだ水の神は、街に永遠の雨と涙を降らせたのだ。


シュトラは井戸の縁からその光景を見ていた。彼女には、水神の姿が見えていた。井戸の底で眠る、青い光のような存在。それは怒りではなく、悲しみに満ちていた。シュトラは知っていた。この水神は、忘れられたことに傷つき、涙を流していたのだ。


旅人は石碑の前に跪き、静かに語りかけた。

「お前が悲しいのは分かる。だが、いつまでも泣いてても何も変わらねえ。俺がお前の涙を止めてやる」


彼はポケットから小さな水晶を取り出した。それは遠い土地で手に入れた、神を鎮めるためのものだった。彼は水晶を石碑に捧げ、祈りを捧げた。


その瞬間、井戸の底から光が溢れた。青い光が天に昇り、雨雲を突き破った。シュトラの蒼い目は、その光を静かに追った。




雨が止んだ。

村に、初めての静寂が訪れた。村人たちは顔を上げ、涙が止まっていることに気づいた。頬を伝う水滴がなくなり、代わりに、ぎこちない笑顔が広がった。子どもが笑い、老人が驚き、大人が互いに抱き合った。


広場では、旅人が静かに立っていた。


村人たちが彼に感謝を伝えようと集まったが、旅人は手を振ってそれを制した。


「言ったろ? 止まない雨は無いってさ」


彼は名も告げず街を去っていった。

雨の止んだ村には、陽光が差し込んでいた。


シュトラは丘の上からその姿を見送った。彼女の銀色の尾が、ゆっくりと揺れる。彼女は知っていた。この旅人は、また別の世界で、別の物語を紡ぐだろう。そして彼女もまた、次の世界へ旅立つ。


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