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9話 ベロニカ


 時として聖女や聖女見習いの白魔術は、人々に『奇跡』と呼ばれることがある。

 白魔力を持つ人間は多くはなく、そして治療をできる人間はさらに絞られる。

 ゆえに奇跡。

 人々が憧憬を抱く行為、のはずだが。

 テレジアの眼前にいる中年の男性は、怖ろしいものを見る目でテレジアを見ていた。

 ここは聖シア教会自治区の慰安地区。つまり最外周に存在する、世界中の人間が訪れる治療区画である。


 そこの簡易テントの一つに、聖女見習いたちと共にテレジアも訪れていた。

 古臭い椅子が二つ、向き合うよう置かれており、一つはテレジアが、一つは中年の男性が座っている。

 中年男性の腕には多少深そうな傷が走っている。

 仕事で怪我をしたとのことだった。

 テレジアは両手をその傷にかざし、必死に白魔術を使おうとしていた。

 だが生まれているのは蝋燭以下の小さな光。

 見ればわかるほどの脆弱な白魔術では、当然ながら男性の傷を癒すことなどできず。

 それに加え。


「ぐ、ぐぐぅ」


 地獄の底から生まれるような呻きがテレジアの口腔から溢れていた。

 恐ろしきはその表情。

 必死過ぎる顔。

 傷を呪いそうなほどに睨んでいるその眼。

 無駄に伸ばした長い髪。

 禍々しさを感じる黒いオーラを漂わせているかのように見えた。

 だが間違いなく黒魔力は発していない。

 これはテレジアが持つ、陰鬱な存在感がそう見せているだけである。

 遠目で見れば、いや近くで見ても幽霊だと勘違いされるような風貌である。

 そんなものを目の前で見れば怖がるのも無理はない。

 中年男性は半泣きになりながらも逃げずに、椅子に座った状態を維持していた。

 聖女見習いとは言え、いきなり逃げ出せば失礼にあたると考えたのだろう。

 憐れな子羊である。


「ぐ、ぐぬぬ、ぐぐぐぅっ!!」


 傷の治りが遅いと思ったテレジアはさらに白魔力を込める。

 必死過ぎて表情はより怖ろしいものへと変化していく。

 黒魔女の時は冷静であり、禍々しさを感じつつも落ち着いている風を演じていたが、今は黒魔女どころか悪魔である。

 周りがテレジアと中年男性の様子に気づいて、どよめき始めた。

 他の聖女見習いは不慣れながらも少しずつ患者の治療をしていたのだが、全員が手を止めテレジアの方を見ている。

 しかし誰も止めない。

 止められない。

 地獄絵図とはまさにこのことだった。


「テレジアさん、そこまでになさい」


 地獄に救いの手が差し伸べられた。

 シスタークレアがあきれ顔でテレジアの手をそっと握っている。

 はっとした表情を浮かべたテレジアは、シスタークレアを見上げた。

 諦観とはこういう表情を言うのだろう。

 シスタークレアは小さくため息を漏らすと、柔和な笑みを浮かべ中年男性に顔を向けた。


「ここからは私が治療いたします。ご安心ください」

「は、はいぃ……」


 大の大人が半泣き状態である。

 中年男性はシスタークレアに憧憬の視線を送る。

 この視線こそが本来、聖女たちが向けられるものである。

 呪いの権化かのような存在に向ける、畏怖の視線ではない。


「私の治療する姿をよぉく見ておきなさい。いいですね?」


 言われて、シスタークレアに椅子を譲るテレジア。

 しゅんとして俯く姿は、叱られた子供のようだった。


「なんてことでしょう、あんな失態初めて見ました」

「ええ、ええ。本当に。聖女見習いとしてあるまじき行為ですね」

「私まで恥ずかしくなってきました。ああ、嘆かわしい」


 こそこそと患者には聞こえない声で話す聖女見習いの三人組。

 一人目は細身で長身の嫌味な顔をしている。

 二人目はややぽっちゃり体型で一人目の機嫌をとっている。

 三人目は小柄で、顔にはそばかすが目立っている。

 その声はテレジアに届いていた。

 しかしテレジアは黙して何も返さない。


「白魔力を持っていると言えど、あんなに小さいのでは、ねぇ?」

「ええ、ええ、本当に。子供でもできるのではなくて?」

「あんな程度で聖女見習いになるなんて、驚きですね」


 声は徐々に大きくなっていく。

 咎める人間がいないとわかり、増長していることは明白だった。

 テレジアにギリギリ届く程度の声量のため、シスタークレアには聞こえていない。

 だが、周囲の数人には何か話していることはわかっただろう。

 少し気まずそうにしながらも黙している他の聖女見習いたち。

 どうやら三人組は聖女見習い組の中で、それなりに地位の高い連中のようだ。

 気づきながらも陰口を諫める人間はいなかった。


 そんな中、黙々と治療に勤しむ姿があった。

 聖女見習いたちの中でもっとも優秀で勤勉な女性、ベロニカだった。

 他の聖女見習いの列はまだ残っているようだったが、ベロニカの前にあった患者の列はすでになくなっていた。

 流れるような治療によってすべての患者を癒したためだ。

 聖女見習い以外にも、聖女たちも治療にあたっている。

 基本的に重めの症状の場合は聖女が行うため、聖女見習いが診る患者は多くはない。

 そして聖女見習いたち全員が患者を受け入れれば、聖女たちの邪魔になるため、交代制で治療にあたっている。

 陰口を言っていた聖女見習いたち三人は、自分たちが治療をする番になるまで待っていたわけだ。

 暇を持て余したがゆえの陰口だったのかもしれない。

 ベロニカは三人の方を見ずに、呟くように言い放った。


「聖女とは清廉潔白な者の名。人に尽くし、救い、癒す者の名ですわ。他者を愚弄し、貶める行為は清廉潔白と言えるのでしょうか」


 ギリギリ三人に聞こえる声量だった。

 先ほどまでくすくすと笑いながら、楽し気に話していた三人が途端に閉口した。

 気まずそうに互いに顔を見合わせる。

 ベロニカは三人の方を見ず、背筋をピンと伸ばしたまま、正面を見据えている。

 彼女は聖女見習いではあるが、人々からすれば聖女と変わらない。

 毅然と堂々と聖女として人々を癒すのが使命である。

 ゆえに患者の方だけを見続ける。

 その背中を見て、三人組はさらに気まずそうに目を白黒させた。


「あ、あちらの方が人が多そうですね」

「ええ、ええ、本当に。あちらを手伝いましょう」

「そ、そうですね。その方がよさそうです」


 三人組は、何やら言い訳をしながら、そそくさとその場を後にする。

 その様子に気づいたテレジアは、目をパチパチとさせた。

 助けてくれた?

 このあたしを?


(……誰かに助けてもらったのは久しぶり)


 幼い頃、ほんの少しだけ誰かに助けてもらったことを思い出す。

 それはちょっとしたことで、転んでしまった時に手を貸してもらったとか、お腹が空いた時にパンのかけらをくれたとか、そういう程度のことだ。

 それでも、とても嬉しかったことを覚えている。

 黒魔力の存在に気づいてからは、自分でどうにかしてきた。

 黒魔術の才に気づき、成長し始めてからは誰も近づいて来なくなった。

 誰かに気にかけてもらう。

 誰かに優しくしてもらう。

 そんなことは久しぶりだった。


 そうだお礼を言わないと、と思いベロニカに声を掛けようとするテレジアだったが、ベロニカはすでに新しい患者の治療を始めていた。

 それに今は治療時間中。

 この場を離れるわけにはいかない。

 お礼は後で言おう。

 今はシスタークレアが治療する姿を観察しなくては。

 白魔力をどう扱うか、そして白魔術としてどう治療するかを学ぶのだ。

 先ほどの中年男性はすでに治療を終えいなくなっていた。

 今は中年の女性が治療されている最中だ。

 テレジアは気を取り直してシスタークレアの姿をじっと見つめた。

 もっと見る、見る見る見る見る。

 徐々にテレジアの眼光が鋭くなり、やがて禍々しさを溢れさせる。

 傍から見れば「貴様を呪ってやる」と言っていてもおかしくはない姿だった。


「ひ、ひぃっ!」


 中年女性の悲鳴が響いた。

 シスタークレアは嘆息した。


   ●◇●◇●◇


「あの」


 慰安地区から居住地区へと移動する最中、テレジアは一人で歩くベロニカに声をかけた。

 普段、自分から誰かに声をかける機会は滅多にない。

 そのため、テレジアの声は僅かに震えていた。

 緊張のためである。

 

「……何か?」


 ベロニカは表情を変えずにテレジアへと振り返る。

 冷たいともとれるが、毅然としているともとれた。

 ベロニカはまっすぐテレジアを見つめ、テレジアは思わず目を逸らした。

 いつもとは逆である。

 なんて綺麗な瞳をしているのかと思い、鼓動が速くなる。

 これは照れや、恋心ではない。

 単なる動悸である。

 素の状態で話すことはテレジアには困難だった。

 陰の者なので会話は苦手である。

 ゆえに黒魔女テレジアが顔を出す。

 その途端、妙に空気が重くなり、禍々しいオーラがテレジアから溢れ出した。

 テレジアはベロニカをじぃと見つめ、暗い視線を送った。

 決して呪い殺そうとしているわけではない。


「……先ほどの擁護、なぜあのようなことを? あなたに利はないかと(さっきはありがとうございました、でもあなたを巻き込んでしまったのでは? 大丈夫でしょうか?)」


 テレジアは黒魔女を演じながら、胸中で頭を抱えた。

 だあああ、何を言っているの、あたしは! まずはありがとうでしょ! なんで詰め寄ってるの!? バカバカ、黒魔女のあたしのバカ! と叫んでいたが、表情に変化はない。

 長年培われてしまった黒魔女演技に僅かな綻びもなかった。

 しかし、ベロニカは気にした風もなくテレジアから顔を逸らす。


「わたくしはわたくしが正しいと思ったことをしただけ。あなたに興味があるわけではありませんわ」


 きっぱりと言い放つと共に、ベロニカは足早に先へと進む。

 しかし、突如として足を止めると肩越しに振り返った。


「あなた聖女の才能がないご様子。諦めた方がよろしくてよ」

 

 ベロニカは冷淡にそう言うと、再び足早に去っていった。

 残されたテレジアは目をパチパチとさせ、呆然と立ち尽くしだけだった。

 テレジアは思った。

 ベロニカさんって歩く姿も綺麗なんだな、と。

 そして思わず笑みをこぼす。


「フフフ、じ、自分から声をかけるなんて、なんて進歩……やったね、あたし。でもお礼言えなかったな……つ、次こそはちゃんとお礼を言おう……フフフ、でも頑張った、頑張ったよ、あたし」


 フフフと地獄の笑いを浮かべながら、ぶつぶつと何やら呟くテレジア。

 距離をとる聖女見習いの同期たち。

 その様子を見て嘆息するシスタークレア。

 そうして入会初日は終えることとなった。

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