8話 聖女になれない!?
修道院内の修練場。
白魔術の授業や修練は基本的にここで行われる。
古い長テーブルとベンチが等間隔で並べられ、正面には教壇があった。
部屋の端には本棚が並び、そこには白魔術や教会関連の書籍が並んでいる。
まるで学校の教室のようだった。
とはいえ、学校は基本的に貴族が通う場所のため、もっと豪華で設備が整っているのだが。
テレジアはシスタークレアと共に教壇の横に立っていた。
修練場内の席には他の聖女見習いたちが座っている。
誰もが背筋を伸ばし、汚れ一つない修道服を着ていた。
全員が薄い髪色をしており、白魔力の才があることを如実に表している。
髪が白に近ければ近いほど白魔力を持っている証となるためである。
対してテレジアの髪色はやや黒ずんでおり、聖女と見えなくもないが、やや暗い印象が強い。
テレジアは緊張の面持ちで聖女見習いたちを見渡した。
二十人ほどの女性たちが理路整然と席に座っている。
彼女たちがあたしの同期なのかと考えると、高揚感を抱かずにはいられなかった。
聖女見習いたちはテレジアを見て、僅かにどよめいた。
それもそのはず。
テレジアは妙に長いグレーの髪を前後左右に垂らしており、瞳の色は左右で違い、しかもなんだかよくわからない陰鬱な空気感を醸し出しているからである。
これはテレジアが長年演じてきた黒魔女が、存在感を表しているためである。
一人の時は自分らしくいられるのだが、人前だとどうしても黒魔女状態になってしまう。
長年染みついた習慣というものは中々治らないものだ。
明らかに異質な空気を醸し出すテレジアを気にした様子もないシスタークレアが口を開いた。
「今日から入会することとなったテレジアさんです。さあ自己紹介をなさい」
シスタークレアに言われ、テレジアはぎこちなく一歩前へと踏み出す。
人目にさらされることは慣れているが、ここまで凝視されることはまずない。
いつもみんな目を逸らすからだ。
黒魔女と目を合わせると呪われると言われていたのである。
それはそれとして。
緊張をほぐそうと、テレジアはいつもの黒魔女を演じることにした。
というよりも自然にそうなった。
むしろそれ以外の方法を知らなかった。
「テレジアです。よろしくお願いいたします」
テレジアは緩慢に頭を下げる。
緊張などおくびも出さず、無表情の状態。
黒魔女らしく流麗で落ち着きながらも、ぼそぼそと低い声を出した。
すると聖女見習いたちも綺麗に頭を下げた。
「「「よろしくお願いいたします」」」
見事に重なった挨拶が帰ってくる。
なんと美しい声なのだろうかとテレジアは内心、感動した。
自分とは大違いである。
「あなたの席は中ほどにあるあちらの席です」
シスタークレアに言われるがまま、空席へと座るテレジア。
修練場は独特の空気感があり、思わずむずむずふわふわしてしまう。
入会して早々に授業なんて緊張するがワクワクもしていた。
これから聖女になるための勉強が始まるのだ。
「今日は新しい家族が増えたことですし、白魔力を披露するようにいたしましょう。各自、自分の最大白魔力を放出し、どれほどの量があるかをお見せなさい」
白魔力を放出して白い光を発生させろ、ということである。
ただそれだけだが、どれだけの魔力を持っているのかを見せる実技でもある。
そもそも白魔術の技術や知識は教会外部の人間には秘匿とされている部分が多いため、入会初日のテレジアにできることは白魔力の放出くらいしかないので、授業内容を変更したのだろう。
「それでは一人ずつ前に出て、私の前で披露してください。まずは――」
●◇●◇●◇
名前順に並び、一人ずつシスタークレアの前で魔力放出し、シスタークレアは魔力の量を紙に書き込んでいく。
前列の人たちの白魔力を見る度に、テレジアは心の中で感嘆していた。
真っ白な魔力。美しく穢れのない白の光。
漆黒の穢れた黒魔力とは違い、まっさらな色。
それを他人が発していることに、なぜだが嬉しく思ってしまう。
みんな手元から白い光を発しているが、その光量は様々で、大体は頭ほどの大きさの光を出していた。
その中で一際目立っていた少女がいた。
ベロニカと呼ばれていた、美しい澄んだ水色の髪をしている少女。
手入れの行き届いた髪は彼女が身じろぎする度に踊っていた。
彼女は他の同期たちの数倍の白魔力を放出させていたのだ。
感嘆の声がそこかしこで生まれていた。
「ベロニカさんは素晴らしい白魔力をお持ちですね。今後も励むように。聖女への道もそう遠くはないでしょう」
「ありがとうございますわ、シスタークレア」
流れるように礼をし、自分の席へと戻るベロニカ。
あまりに流麗な所作に思わず見とれてしまう。
どこぞの上級貴族のご令嬢なのだろうかとテレジアは思った。
「次、テレジアさん」
シスタークレアの前へと踏み出すテレジア。
独特の緊張感がする中、テレジアはすーっと目を閉じ、呼吸を整えた。
心の中に存在する、清らかな魔力の存在。
それに手を伸ばし、ゆっくりと手のひらに乗せる。眩いほどの光が体中を包み、そして姿を現すイメージ。
慈愛そのものとも思える暖かな光。それを外に出すだけだ。
過去、何百、何千、何万の敵と戦ってきた。
己を守るため、国民のため、そして敵を傷つけないようにするために、黒魔術を鍛えに鍛えた。日々研鑽し、ほんの僅かな油断さえなく、時間の許す限りに修練を続けた。
結果、災厄の黒魔女と呼ばれるまでに強くなった。
そのテレジアが。
今、本気で、白魔力を放出する。
「こ、これは!?」
驚嘆の声がテレジアの耳朶を揺らす。
シスタークレアの声は僅かに震えていた。
「な、なんという!」
声は修練場中にあがっていた。
誰もが驚き、動揺していた。
おやおや、これはこれは。
ちょっとばかし、脅かしが過ぎたかな?
胸中で得意気になるテレジア。
普段は冷静で大人、やや危ういという黒魔女を演じることで人と交流を図っていたテレジアだが、今はただのテレジア。まだ十八歳の少女である。
少しばかり得意顔を披露しても罰は当たらないだろう。
そんなことを思いながらテレジアはゆっくりと目を開けた。
「な、なんて小さい光!!」
シスタークレアがわなわなと震えながら叫んだ。
ん?
「こ、こんな弱い白魔力は初めて見ました」
「う、嘘でしょう? あれが白魔力? 蝋燭の光ではなくて?」
同期たちが動揺を越え、もはや恐怖さえ抱きながら叫んでいる。
んん?
「……テレジアさん、よおくごらんなさい。あなたの光を!」
シスタークレアがテレジアの肩を優しくつかみ、諭すように言った。
んんん?
一体どういうことだろうと、テレジアは自分の手元を見た。
そこにはほんの小さな白い光が見えた。
そう、めちゃくちゃ小さい。
小指程度の光である。
んんんん!?
おかしい。そんなバカな!
他の聖女見習いの人たちはこの数十倍は白魔力があったはずだ。
自分もそれくらいは出せると思っていたのに。
確かに白魔力を修練する時間はあまりなかった。
日々を戦争やら討伐やらで忙殺され、僅かにあった時間を白魔力の修練に使った程度だ。
その時も同じくらいの小さな光しか出せなかったのだが、それは常に疲弊していたため、たまたま白魔力の量が少なくなっているだけだと思い込んでいた。
勘違いしていた。
黒魔力の量は世界一だと自負していた。
だから白魔力の量も世界一とは言わずとも、それなりに多いだろうと勘違いしていた。
だが現実は。
小指の光!
蝋燭以下の光源!
何の役にも立ちゃしない!
王ラインハルトの前で白魔力を見せた時、光が弱かったことに何となくテレジアは気づいていた。
けれどあの時点でもう引けなかったのだ。
だって言葉にしてしまっていたから。
だってしたり顔で魔力を見せてしまっていたから。
だって最強最悪災厄の黒魔女なのに、白魔力が小指程度しかないだなんて言えやしなかったから。
だから無意識の内に見ない振りを決め込んでいたのだ。
だがテレジアは気づいてしまった。
自分には白魔力はほとんどなく、白魔術の才能はないっぽいことに。
突如としてダラダラと大量の汗を掻き始めるテレジア。
周りを見渡すと、憐憫と畏怖と侮辱の視線がテレジアへと向けられていた。
これは、まずいことになったかもしれないとテレジアは気づいた。
だが最早すべては遅い。
もうやるっきゃないのである。
「……と、とにかくテレジアさんは席に戻りなさい。で、では次の方!」
シスタークレアが何とか気を取り直し、授業を再開した。
しかし誰もがテレジアを視線で追っていた。
その中で最も強い視線をテレジアへ送っていたのはベロニカと呼ばれていたあの少女だった。
テレジアはその視線に気づけない。
なぜなら動揺し過ぎて周りが見えていなかったからだ。
テレジアは席に戻ると落ち着いた様子で汗をハンカチで拭い、背筋を伸ばした。
表情に変化はない。
いつもの黒魔女の演技をすることで平静を保っていた。
だが胸中はこうだった。
(ど、どどど、どーしよ……あたし聖女になれない!? 無理? 無理なのぉ!?)
七万の兵を前にしても鼓動が速くなることはなかったテレジアだったが、今現在の彼女の心臓は激しく脈打っていた。