4話 騎士の覚悟
数週間後。
闇の帳が降りてからさらに数時間後。
王都から少し離れた場所にある小山に、鞄片手に立っていたのはテレジアだった。
中肉中背。
異常に肌は白く、過剰に髪は長い。
左右で異なる色合いの瞳が、月光を反射し怪しげに光っている。
普段の全身黒づくめとは違い、亜麻色のローブを身に纏っている。
フードを被り、顔を隠しているが隙間から長い黒髪が垂れており、やや不気味な雰囲気を漂わせていた。
深夜に一人、そんな女が都市から離れた場所に佇んでいれば、誰もが幽霊だと勘違いするだろう。
「……お待ちしていました」
不意にテレジアが口を開く。
言葉から数秒後、背後の林から現れたのは長身の男だった。
全身を覆う外套を身に纏い、腰には剣を携えている。
歩くたびに揺れる艶やかな金の髪に加え、妙に整った顔立ちだった。
幽霊らしきテレジアに比べ、彼はさながら夜の世界を支配する王子のようだった。
体躯は引き締まっており、一目で一般人ではないことがわかる。
男は一歩二歩とテレジアへと近づいてくる。
その足取りは慎重で、テレジアへの警戒心が現れていた。
「なぜお気づきに?」
「魔力の……揺らぎを感じましたので」
テレジアはひたすら顔を前に向けたまま。
その視線の先にはバファリス王都が見えている。
背後から音が徐々に迫り、やがてその音はテレジアの隣で止まった。
距離は数歩ほど空いている。
「……私はユリウス・ヘルツベルグ。バファリス王国近衛騎士団所属の騎士です。此度は王の命を受け、テレジア様の護衛の任に就くこととなりました」
護衛などテレジアには必要がない。
それをラインハルト王も、ユリウス自身も理解しているだろう。
これは監視だ。
他国へ亡命しないように、自国を裏切らないように、自国の情報を漏洩しないように、監視をつけたに過ぎない。
「これからあなたは聖シア教会自治区へと向かい、聖女見習いとして修道院に入会することとなります。すでに入会手続きは済んでいます。審査の必要もありません」
通常、修道院入会には白魔力を持っているか、そして聖女にふさわしい人材なのかを審査する行程がある。
しかし、ラインハルトは国家君主。
弱小国家とは言え、世間的に見れば圧倒的な権力者である。
当然、教会への影響力や発言力も多少はある。
審査自体はそれほど難しいものでもないが、恐らくは王の恩着せの一環だろう。
いわば、褒賞分働いたという体裁を保つためのもの。
長年国を守り続けてきたという功績には、まったく見合っていないのだが。
テレジアはユリウスの言葉を黙して聞いている。
ユリウスはそんなテレジアを気にせず、さらに言葉を続けた。
「あなたが聖刻の儀を行う時分に、私はあなたの聖騎士となる予定です」
聖刻の儀とは、聖女に正式に昇華する儀式のこと。
そして聖騎士とは聖女を支える存在である。
白魔力を持った男性がなるものだ。
つまりユリウスも魔力を持っているということになる。
テレジアはさらに沈黙を貫く。
小さくコクリと頷いただけだった。
「……不満があるのは理解できます。ですがすべてを守るため……必要なことです。ご容赦ください」
ユリウスはテレジアを一瞥した。
その瞳には様々な感情が混在している。
多くは負の感情。
テレジアへの警戒心だった。
僅かな恐れはあるように見えたが、それも一瞬だった。
「髪色はどうなさいますか?」
テレジアは被っていたフードを外す。
そして次の瞬間、漆黒の髪は徐々にグレーの髪へと変わっていく。
髪色は魔力の影響を受ける。
つまり黒魔力が強ければ黒く、白魔力が強ければ白くなりやすくなる。
黒魔力を抑えれば、白魔力の影響が髪に出るというわけだ。
地毛の色にもよるので、全員が黒髪、白髪になるわけではない。
「心配は無用だったようですね。では、私は別ルートから教会へと向かいます。何かあれば連絡をいたします。後程、馬車が来ますのでしばしお待ちください。それでは失礼いたします」
ユリウスは言うだけ言うと、テレジアの返答を待たず踵を返した。
業務連絡をすれば用はないとばかりに立ち去った。
しばし歩き、離れた場所に待機させていた馬までたどり着くと、ユリウスは大きく息を吐いた。
あれが災厄の魔女。
近くへ寄るだけで相当な威圧感があった。
戦場で周りを数百の敵兵に囲まれた時と同じ、いやそれ以上の絶望。
幼い頃から鍛練と戦闘に明け暮れていたユリウスでなければ、恐らくあの場から逃げ出していただろう。
「何を考えている、黒魔女」
バファリス王国内でテレジアに近しい人物は存在しない。
彼女は人を寄せ付けない。いや、正確には近くにいることが耐えられない。
あの圧倒的な黒魔力と禍々しい空気、そして不気味な見目。
まともに会話などできようはずもない。
ゆえにテレジアは孤独。
誰も彼女を知らない。
彼女がどんな性格か、どんな生い立ちか、どんな環境に身を置いているのか、そして彼女の顔さえ、まともに見た人間はいない。
近衛騎士としてラインハルト王を護衛し続けてきたユリウスだが、まだ十九歳になったばかりだ。
王の命とあらば死地にでも赴く覚悟は常にできている。
だがこれは想定外だった。
まさか、呪いの権化とも称される黒魔女を監視することになるとは。
「しかしやらねば……命を懸けてでも」
ユリウスは己を奮い立たせた。
黒魔女テレジアは数え切れないほどの人間を殺戮してきたという話を思い出す。
聞くに最近の戦いでは安易に殺すべきではないと悟ったのか、敵を殺さず、戦意を失わせる手段をとっているらしいが、一体どんな方法をとっているのかさえわからない。
巨大な影を操っているらしいが何か怪しげな呪いをかけているのかもしれない。空恐ろしい話だ。
とにかく油断はできない。
たった一人で七万の兵を迎撃した女だ。
今まで彼女が数え切れないほどの戦争や討伐遠征に参加してきたことは知っている。
だが七万の兵を一人で撃退したなんて、災厄を越えている。神業だ。
彼女を怒らせてはいけない。
監視であることも悟られてはいけない。
何よりも自国から他国へ移籍されてはいけない。
そのためにまずは彼女の真意を探らなくては。
「……黒魔女が聖女になりたがる理由。それはなんだ?」
ユリウスは愛馬を撫でながら顔をしかめる。
黒魔術の申し子である彼女が聖女になりたがる理由が皆目見当もつかなかった。
今まで大量の人間を殺したことへの罪悪感?
それにしては今更感がある。
ではなぜ?
疑問は尽きないが、やるべきことは変わらない。
ユリウスは愛馬にまたがると、手綱を振った。
騎士となるためあらゆる厳しい訓練や任務をこなしてきたユリウスだったが、人生で最も厳しい任務になると覚悟を決めていた。
少しでも彼女の気分を損ねれば、殺されるかもしれない。
ユリウスは小さく身震いし、しかし己を叱咤した。
絶対にやり遂げなければならない。
黒魔女テレジアを自国へ繋ぎとめるため。
そして何か画策しているのであれば止めなければならない。
「そのためならば、この命、失っても構わない」
ユリウスは闘志を瞳に宿らせながら、覚悟を決めた。
必ずこの任務を完遂してみせる。
そう決意した。