35話 永遠の契り
聖シア教会自治区、その中央付近に存在する礼拝堂。
半年に一度、自治区中の聖女や関係者が集まる日がある。
聖刻と聖伴の儀。
聖女見習いが正式に聖女となる儀式であり、聖騎士が聖女のパートナーとなる儀式でもある。
聖伴が結ばれれば、その二人は永遠を誓い合った夫婦よりも固い絆を結ぶことになる。
今回の合格者はテレジアとベロニカのたった二人だった。
礼拝堂内は長いベンチが等間隔に並び、その間に燭台が置かれていた。
正面には巨大な聖シアの像と絵画、祭壇が置かれている。
すでにベンチには大勢の関係者たちが座っていた。
高位な人間は二階の奥まった席が用意されている。
そこに上位の聖女が座っている。
そして更にその奥に大聖女ベアトリスが座っている。
美しさそのものを表わす存在。
二十代前半で、均整の取れた体つきをしており、長い銀髪が微風に揺れている。
神々しさを漂わせ、柔和な笑みを浮かべる顔を見れば、誰もが見惚れるだろう。
美しい純白の衣服を身に纏っている姿は女神シアを思わせた。
彼女の左右には従聖女たちが並んでいる。いわば付き人だ。
大聖女の姿を見られる機会は少ない。
誰もが思わず目を向け、そして不敬に当たると思い目を逸らす、という行動をしていた。
そんな中、テレジアとベロニカは祭壇前のベンチに隣り合って座っていた。
二人は儀式用の綺麗な純白のドレスを着ていた。
豪奢ではなくシンプルな意匠のみのドレスだが、その素材は一級品であることは明白だった。
少しそわそわしてしまうテレジア。
対してベロニカは堂々とした様子だった。
礼拝堂内には数百人を超えるほどの人間が入っている。
それなのに誰一人として言葉を発していなかった。
足音も最小限に留めているのか閑寂な空間だった。
と、恰幅のいい男性が祭壇へと近づいた。
儀式を執り行う神父だろう。
「ただいまより聖刻の儀を行います。新たに聖女となる二人は前へ」
言われてテレジアとベロニカは祭壇前まで移動する。
すぐに床に膝をついて、両手を胸の前で組んだ。
祈りの体勢だ。
先ほどまでは僅かな雑音が聞こえていたが、一瞬にして静寂が訪れる。
静謐な雰囲気の中、心臓の音だけがテレジアの耳朶を震わせていた。
「女神シア様。此度、聖女となる者たちが決まりました。大いなる慈愛と慈悲により、彼の者へその印を与え給え!」
巨大な女神像に向かい祈る神父。
彼の身体からは白魔力が溢れていた。
男性は白魔術を使えない。だが白魔力を持っている。
白い光は女神像へと注がれ、そして女神像がそれに応えるように一際大きく光った。
次の瞬間、テレジアとベロニカの手の甲に紋様が浮かび上がる。
それは聖刻。
聖女の証である。
文字にも絵にも人にも見える、そんな形をしている。
痛みはなかった。
聖刻は淡い白い光を発し続けていた。
「女神シア様のお許しをいただいた! これよりテレジアとベロニカの二人は、正式に聖女として認められたのだ!」
神父が仰々しく言い放つと、礼拝堂内にいる全員が祈りを捧げる。
テレジアは手の甲をちらっと見つめ、そして思わず頬を緩ませた。
黒魔女の自分が、まさか本当に聖女になれるだなんて。
これでもっと沢山の人を救える。
そして沢山の人に愛される。
善意と我欲が入り混じる中、テレジアは胸中に去来する達成感を噛みしめていた。
隣のベロニカは表情を変えてはいないが、少しだけ瞳が揺らいでいた。
恐らく彼女も感慨に耽っているのだろう。
「……続いて、聖伴の儀に入る。パートナーの聖騎士二人、こちらへ」
どこからか金属の擦過音が響く。
それは断続的に聞こえ、テレジアたちの方へと近づいてきていた。
やがてテレジアとベロニカの隣で止まり、そしてその姿を現す。
聖騎士の鎧は純銀の鎧。
穢れのない美しい光沢を放つ、最高品質の儀式用の鎧だ。
腰には聖騎士の剣を帯びている。
一人はユリウス、一人は確か慰問の時に同行していた聖騎士見習いの一人だ。
ユリウスはテレジアの隣に、もう一人はベロニカの隣に立っている。
「聖女の二人はパートナーに向き合いなさい」
テレジアとベロニカは立ち上がると互いに背を向けた。
そして互いのパートナーと目を合わせる。
ユリウスとは身長差があるため、かなり見上げる必要があった。
(そういえば、顔をちゃんと見るのは初めてかも?)
自らの盾であり、壁でもあった前髪はもうない。
その分、視界は良好でユリウスの顔は明瞭に見えた。
端正な顔立ち、引き締まった身体、スラッと伸びた四肢。
まるで物語から出てきた王子様のようだった。
物語であればこの瞬間、異性を意識し、心臓が高鳴りでもするのだろうが、そこは黒魔女であるテレジア。
まったくそんな感情は湧かず「綺麗な顔をしてるなぁ」くらいにしか思っていなかった。
のだが。
「それでは口づけを」
「……は?」
神父の言葉を聞き、テレジアは耳を疑った。
今、なんと?
口づけ?
口づけって、口と口をくっつけるってこと?
比較的落ち着いていたテレジアだったが、急に動悸が激しくなってくる。
(聞いてない聞いてない! そんなの事前に聞いてないから! な、なな、なんで!? 意味がわかりませんが!? ど、どど、どういう流れ!? というか、なんでみんな冷静なの!?)
思わず背後を盗み見るテレジア。
ベロニカの背中しか見えないが、彼女は戸惑っている様子はない。
それどころかパートナーへと一歩近づいて行くではないか。
完全に受け入れているということだ。
実はベロニカの耳は少し赤くなっていたのだが、そんな小さな変化にテレジアは気づかなかった。
(も、もしかしてあたしたちの年齢なら口づけくらいは当たり前? い、いやいやおかしいでしょ! だって聖女は清廉潔白ってことは、いわゆるその……け、経験がないってことじゃないの! じゃあ、く、口づけなんてしたことがあるはずないわ! それとも何? 口づけくらいなら問題ないってこと!? ふ、不純じゃない!?)
目をぐるぐると回しながら、思考の迷路を行ったり来たりするテレジア。
何が正しくて何がおかしいのかわからなくなっていた。
と。
気付くと目の前にユリウスの顔があった。
テレジアは思わず身を引いてしまいそうになるが、ユリウスがテレジアの腰をぐいっと引き寄せる。
あまりに強引な行動にテレジアは固まってしまった。
ユリウスの顔がさらに近づくが正面から逸れていき、耳元で何やら囁いてきた。
「テレジア様、口づけは振りで構いませんので、私にお任せください」
穏やかな声音にテレジアの動揺はすぐに収まっていく。
混乱していた頭が、不思議と澄んでいった。
ユリウスは再び姿勢を整え、テレジアと向き合った。
互いの距離は十数センチ。
眼前に顔がある。
動揺は収まったが、しかし心臓はうるさいくらいに主張を続けている。
別にユリウスを異性として意識していたわけではない。
しかし、口づけするとなればやはり意識してしまう。
これは恋愛感情ではない。
ただ、自分の経験のないことを目の当たりにして狼狽しているだけだ。
そもそも、今まで恋愛なんて考えたこともない。
人を好きになったことさえないのだから。
ユリウスが顔を近づけてくる。
テレジアはぎゅっと目を閉じ。
そして。
唇に触れる寸前で、ユリウスは止まった。
瞬間、互いの白魔力が溢れ、溶けあう。
それはまるで互いの存在が混ざり合うかのように。
「これより二組は正式な聖伴となる! 滞りなく聖伴の儀を終えることができました! 此度の儀式はこれにて終了となります!」
神父が言い放つと同時に、ユリウスはテレジアから離れた。
顔が赤い。鼓動が早い。
こんな感情は生まれて初めてかもしれない。
自分でも自分の気持ちがわからなかった。
「これからよろしくお願いします、テレジア様」
「あ、は、はい。こちらこそよろしくお願いします、ユリウスさん」
「あなたは聖女、私は従聖騎士。ならば敬称は不要です。ユリウスとお呼び下さい」
名前の呼び方など、特別な意味などない。
そう思うも逡巡してしまうテレジア。
思えば、誰かの名前を呼ぶ機会なんて、人生で多くはなかった。
呼び捨てとなれば恐らく一人もいなかっただろう。
テレジアはユリウスの顔を思わず見てしまう。
彼は柔らかな笑みを浮かべ、テレジアの言葉を待っている。
その優しさ溢れる表情を前に、テレジアはその言葉を自然と口にした。
「ユリウス」




