25話 それは聖女のように
村の広場で大きな焚火が燃え盛っている。
その前に全員が集まり見つめていた。
テレジアの隣に立っていた少女の父親は戸惑っている様子だ。
「せ、聖女様、これで本当に呪物とやらを破壊できるのですか?」
「ええ。血石は簡易的な呪物で、大した効力はありません。強い火で燃やせば問題なく消滅させられるかと」
テレジアの言葉を聞くと父親は安堵していた。
その隣でシスタークレアは興味深そうな顔をしている。
「呪物は燃やせばいいのですか?」
「基本的に呪いの弱い呪物は燃やせば問題ありませんが、それ以外の強い呪物や、特殊な呪物は燃やすと余計に呪いが強くなり危険です。そういった呪物の場合は根本の呪いを浄化する必要がありますね」
「素人考えで安易に燃やすべきではない、ということですね」
「黒魔術全般に言えますが、一つ対処を間違うと危険な状態になることが多いです。もしも、そういったものに遭遇した場合は、できるだけ距離をとるか……自分がその対象になった場合は専門家に聞くべきでしょうね」
いつの間にか二人の会話にその場にいる全員が耳を立てていた。
黒魔術や呪いに関しての知識を持っている人間は非常に少ない。
誰もが興味を持って当然だろう。
呪いを目の当たりにしたとなればなおのことだ。
そんな中、一人訝し気にしている人物がいた。
ベロニカだ。
「……なぜテレジアさんはそんなに詳しいのですか?」
言われてみれば確かに、という視線がテレジアに集まる。
テレジアは目の前のことに必死になっていた。
つまり、特に何も考えずぺらぺらと喋っていたのである。
もちろん治療に必要なことが大半だったが、後半はただ質問に答えてしまっていた。
そしてようやく気付いた。
(ま、まっずぅ! や、やらかしたんじゃないのこれ!? 何も考えずに話しちゃってたけど、あたしが災厄の黒魔女だってバレるかも!? というより、元黒魔女ってバレてもまずいよね? ど、どど、どうしよう。なんて言えば……)
表面上なんとか平静を保っているテレジア。
それはいつもの黒魔女状態になっているだけで、内心は焦りに焦っていた。
誤魔化す? だとしてもなんて言えば?
そもそもテレジアは嘘が苦手だった。
黒魔女演技でどうにかしようとしても、明らかに動揺してしまうのだ。
ベロニカが真剣な顔でテレジアを凝視している。
妙案は浮かばず、頭は働かない。
万事休す!
「先程、彼女は同じ呪いを過去に見たことがあると話していました。その際に情報を得られたということでしょうね」
救いの手はすぐそこに差し伸べられた。
それはユリウスという聖騎士見習いの手だった。
彼は思案気味の顔で、何も事情を知らずに推理する人物を演じていた。
演技が上手い。
「世界中に黒魔術書はありますが、一般人が見られるものでもない。ですが呪いと遭遇したとなれば黒魔女がいたことになります。その黒魔女が所持していた黒魔術関連の書籍などを偶然見た、ということもあり得ますね?」
「え?」
シスタークレアの質問に、テレジアは思わず聞き返してしまった。
あまりに流れるような、断定的な疑問に疑問を返してしまったのだ。
あり得ますね? みたいに聞かれたのは人生で初めてかもしれない。
シスタークレアは「こほん」と咳ばらいをし、テレジアにだけ見えるように片目をつぶった。
不器用なウインクである。
察しの悪いテレジアもようやく気付き、何度も何度も頷いた。
「え、ええ! そ、そうです。たまたま見てしまったのです!」
「その割には知識が多いような」
「たまたま、たくさんの本とか何とかを見てしまったのです!」
ベロニカは完全に疑っていた。
明らかに信じていない様子でテレジアにジト目を送っている。
テレジアはだらだらと汗を流していた。
こんなに人に凝視されたこともないし、疑いの目を向けられたこともない。
初体験にテレジアの心臓は激しく脈打った。
じぃっとテレジアを見つめていたベロニカだが、途中でなぜか目を背けた。
「まあ、いいですわ」
なぜか諦めてくれたらしい。
九死に一生を得たらしい。
なんと怖ろしい時間だったのだろうか。
激しい動悸をなんとかおさえようとテレジアは自らの胸に手を添えた。
そんな中、焚火の中に放られた血石の首飾りは完全に灰へと変わっていく。
やがて焚火の火が弱くなると、日が落ち始める。
もうすぐ夜だ。
「これで呪物は消滅しました。ご安心ください!」
シスタークレアが締めの挨拶をすると、村人全員が喜びの声を上げる。
「聖女の皆様、聖騎士の皆様ありがとうございました!」
「ああ、女神シア様のご加護を賜り、心から幸せに思います」
「本当にありがとう、ありがとうございました……!」
村人たちは祈りながら聖女見習いとシスタークレアたちに何度も何度も礼を言う。
彼らの反応は様々で、泣いたり、笑ったり、家族や友人と抱き合ったりしている。
一歩間違えばここにいる全員が呪い殺されていたかもしれない。
そう考えると安堵して当然だろう。
テレジアは不思議な感覚を覚えていた。
今まで災厄の黒魔女として生きてきて、誰かに感謝されたことはない。
ありがとうという言葉をまともに言われたことがなかったのだ。
誰もが怯え、口先だけの感謝を言うことはある。
でもそこに本当の感謝はない。
言わなければ殺されると思っているからこそ出た言葉だ。
誰かを助けても、誰かのために戦っても、傷つけず相手を倒しても、最後には災厄の黒魔女だと言われ、疎まれ、蔑まれるだけ。
ずっと孤独だった。
誰も理解してくれなかった。
けれど、今は違う。
初めて心の底からありがとうと言われた気がした。
自分の存在が認められた気がした。
誰かのために頑張ることが、正しいのだと言われた気がした。
そして、その結果は今までの経験があったからこそ得られたものだった。
黒魔女時代の経験、知識、技術があったからこそ呪いを治療することができたのだ。
無駄じゃなかった。
ずっと一人で頑張ってきたことは無駄にならなかった。
テレジアは思った。
頑張ってきて良かったと。
「皆様が無事でよかったです」
それは心からの言葉だった。
本当に助けられてよかったと思ったのだ。
黒魔女のテレジアではなく、聖女のテレジアとしてそう思った。
その時、一陣の風が吹いた。
不意に喧騒が止んだ。
あれだけ騒がしくしていた村人たちが、一斉にテレジアを見て、呆気に取られていた。
強い風はテレジアの髪をなびかせ、彼女の顔を露にする。
テレジアは笑みを浮かべていた。
それは黒魔女らしさは皆無で、少女然ともしていない。
純粋な喜び。
純粋な感謝。
純粋な慈愛。
まるで女神のような美しい笑顔だった。
誰もが見惚れ、そして言葉を失った。
あまりの神々しさに、あまりの美しさに。
村人たちは一人、また一人とその場で膝をつき、頭を垂れた。
それはまるで女神シアを前にした信者のように。
誰が言わずとも、誰もがそうした。
あまりに異様な光景であるはずなのに、それが自然だとその場にいる誰もが思ってしまう。
それはシスタークレアも、ユリウスも、ベロニカでさえも。
違和感など感じず、ただその厳かな光景を眺めていた。




