23話 ありがとうございます
異常な集中力を保ち、テレジアは呪いの治療を続けていた。
すでに治療を始めて一時間。
白魔力の放出量は大したことがないため、休憩を挟まずに続けられているが、ここまで集中力を保つのは常人には不可能だろう。
テレジアは死線を何度も乗り越えてきた。
生と死の狭間に自らを置き、戦いの中で生き続けてきた。
一般人が一生に一度も体験しないほどの緊迫した状況を無数に経験してきた。
その経験から得た技術。それは覚悟を決めるということである。
こうだと決めたことは全力で取り組む。
何の迷いも憂いもなく、ただそれに集中する。
僅かな雑念もそこには存在しない。
ゆえにテレジアは繊細な白魔力操作をすることができる。
すでに呪いの糸は九割ほど消えていた。
「うっ……くっ……」
患者の少女はまだ意識を取り戻さず、時折苦しむ様子がある。
しかし、呪いは徐々に薄まっているのか、最初に比べると明らかに症状は弱くなっている。
だがまだ安心はできない。
完全に治療するまでは。
そう思った瞬間。
「う、ぐっ……がっ、がはっ!!」
突如として少女が苦しみだし、吐血した。
真っ白なベッドが鮮血で染まっていく。
父親が慌てて叫んだ。
「な、何が起こってるんだ!? あ、あんた何をしたんだ!?」
場は騒然としつつも、シスタークレアやベロニカ、ユリウスはテレジアを見るだけで何も言わなかった。
余計なことを言えばテレジアの集中が途切れると気づいていたのだろう。
しかし、動揺は抑えられない様子だった。
「あがががが、がぐぎぎぎ!」
少女が苦悶の表情を浮かべ、喉を掻きむしり始める。
その手をユリウスが咄嗟に掴んで止める。
少女の首の掻き傷からは血が溢れ出していた。
頸動脈を傷つけたらしい。
「ベロニカさん、首の治療を! 呪いから離れた患部なら呪いに大して影響はありません!」
「は、はい!」
シスタークレアの指示を受け、ベロニカが慌てて、少女の首の治療を始める。
少女の父親は最初のように暴れることはなかったが、狼狽していた。
誰もが慌ててしまう状況でもテレジアは冷静に呪いの治療を進めていた。
呪いの糸に揺らぎはない。間違った箇所を浄化してもいない。
つまりテレジアのミスはなかったのだ。
「安心してください。恐らく、これは術者が用意した最後の悪あがきです。呪いの治療を進めると呪われた人物に危険な症状が出ている、と見せかける。そうすることで慌てさせ、治療を止めようとしているだけです。正しく対処すれば命に別状はありません」
吐血に関しては全身に微量の呪いが巡っているので、血流を操作したのだろう。
しかし、頸動脈を傷つけたのは想定外だった。
テレジア一人であれば治療できなかったかもしれない。
呪いは心臓にだけ作用しているわけではない。
だからこそ少女に色々な症状が出ているのだから。
テレジアの言葉を受け、全員が安堵している様子だった。
どんな状況でも理由がわかれば、少しは安心するものだ。
当然、誰がその理由を話したのかも重要だ。
だがその言葉は落ちこぼれと言われたテレジアが発したもの。
普段ならば鼻で笑われ無視されるだろう。
しかし今の状況は違う。
テレジアはこの場で最も信頼を寄せられている存在となっていた。
それを誰も自覚せず、自然とテレジアの言葉を信じたのだ。
ベロニカの治療により、少女の首の傷は癒えていく。
同時にテレジアは呪いの治療を進めていった。
そしてやがて少女の苦悶の表情も、異常な行動もなくなっていった。
それから十数分後。
残りの僅かな呪いの糸を、慎重に白魔力で浄化していくテレジア。
そして。
呪いは完全に消え去った。
少女は最初の状況が嘘のように穏やかな表情を浮かべていた。
「……ん」
少女は瞼を震わせ、徐々に目を開けた。
その瞬間、父親が少女を抱き寄せる。
「お父さん……? どうしたの?」
「何でもない……何でもないんだよ……よかった、本当によかった……っ!」
「もう、なんで泣いてるの? またお酒でも飲み過ぎたの?」
号泣している父親の背中を優しくポンポンと叩いている少女。
その姿は、先ほどまで呪いで死にかけていたとは思えないほどに健康そのものだった。
それを見て、ベロニカはシスタークレアに思わず話しかける。
「呪いの治療のあとはあんなに元気なものなのですか?」
「……いえ、呪いの治療は非常に難しく、治療ができても後遺症に悩まされることも少なくありません。完璧な治療だったということでしょう」
二人の会話はテレジアの耳に入ってこない。
テレジアは呆然と立ち尽くし、息を切らしていた。
今まで気にしていなかったが相当な集中力を維持していたため、体力を消耗したのだ。
ふらりとバランスを崩し、倒れそうになるテレジア。
それを咄嗟に支えたのはユリウスだった。
ユリウスの顔が目と鼻の先にある。
いつもなら体に触れられた上に、目の前に他人の顔があれば動揺してしまうだろう。
黒魔女状態になって、そっけなく返答するだけだったはずだ。
しかし、疲労が蓄積しているためか頭が回らない。
視界もぼんやりとしているし、なんだかよくわからなかった。
だからテレジアは自然に笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます」
いつもの歪んだ笑顔ではなく、素の笑み。
それは黒魔女とは到底思えない、少女らしい綺麗な笑顔だった。
ユリウスは明らかに驚いていた。
綺麗に整った顔が人間らしく歪んでいる姿は、傍から見れば愛らしく見えただろう。
我に返ったらしいユリウスは視線を僅かに泳がせる。
「いえ、お気をつけて」
短く言葉を切るとテレジアが立ちやすい様に、少し力を加える。
ユリウスの手を離れ、姿勢を正すテレジアの目の前に、少女の父親が慌てて近づいてくると、勢いよく頭を下げた。
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! 聖女様のおかげで娘は助かりました。なんとお礼を言ったらいいか……最初のご無礼をお許しください」
「い、いえ」
テレジアは両手をぱたぱたと振って謙遜する。
そんな中、ぼーっとしていた頭が徐々に晴れていく。
全員がテレジアを見ている。
今まで必死だったのだが、周りから注目されていることに気づき、動揺が激しくなった。
ああ、ダメだいつものが出てきちゃう!
「……できることをしたまでですので、では」
黒魔女状態になったテレジアは、猫背になり、ゆらゆらと揺れ、前髪で顔を隠しつつ、淡々と言い放った。
そして父親と少女に背を向け、おぼつかない足取りで入り口へと歩いていく。
禍々しいオーラを醸し出し、誰も寄せ付けない空気を漂わせていた。
いつもの姿。
誰もが忌避し、嫌悪する黒魔女の姿だった。
しかし、テレジアの背を見る面々の目には、負の感情は微塵もなかった。
父親と少女は頭を下げ、シスタークレアは喜びの笑みを浮かべ、ベロニカはテレジアに羨望の眼差しを向け、ユリウスは戸惑いを抱きつつもテレジアへの興味を隠そうとしなかった。
この日、聖女史に刻まれることになる。
呪いを治療した少女。
テレジアの名が。




