20話 やってみなさい
呆気にとられた表情を浮かべるシスタークレアとベロニカ。
テレジアに振り返り、目を見開く二人は、いつもの冷静さを欠いていた。
汗だくになっているシスタークレアが小さく口を開いた。
「……呪い。今、そう言ったのですか?」
「はい。間違いなく呪いです」
テレジアは迷いなくそう返した。
自信のある様子にシスターテレジアは戸惑いを感じている様子だった。
「あ、あなた無能魔女が何を! 禍々しい姿だからって呪いに詳しいとでも言うのですか!?」
「ええ、ええ、本当に! 立場をわきまえるべきです!」
「白魔力がほとんどない無能が、何を言っているのかわかっているのですか!?」
三人組が憤りながら叫ぶ。
他の聖女見習いたちからもテレジアを責める声が上がる。
「落ちこぼれがシスタークレアに口出しするなんて」
「呪い? そんなわけがないわ。呪いだなんて誰がわかるの」
「診断は困難で聖女の大半ができないっていうのに」
次々にテレジアを非難する声が広がっていく。
それも当然のこと。
落ちこぼれであるテレジアの言葉なんて誰も信じるわけがなかった。
「呪いであると、なぜ断言できるのですか?」
「同じ症状を見たことがあるのです。苦悶の表情、喉を掻きむしる、痙攣と異常な発汗。心臓病を持たない健康な人が、最後には心臓発作で亡くなる呪いを」
黒魔女であるテレジアは、黒魔術書を閲覧する権利を持っている。
バファリス王国内に存在する黒魔術書は網羅したし、各国に隠れて入り込み、禁書も読んだことがある。
黒魔術には『影』『黒炎』『死霊』『精神干渉』『呪い』の五つがあり、テレジアが使える黒魔術は『影』のみだ。
しかし多くの黒魔術書を読む中で、影以外の黒魔術にも詳しくなった。
呪いに関してはその知識や記録が膨大だったが、知識欲や好奇心が旺盛だったテレジアはすべての呪いを覚えている。
それに加え、戦場で呪いを何度も見たことがある。
数は少ないが、黒魔女はテレジア以外にも存在する。
各国に存在する黒魔女が呪いを使い、兵士たちを殺すこともあった。
しかし膨大な黒魔力を持つテレジアには耐性があり呪いは効かなかったが、呪いを治療することもできなかった。
黒魔術は対象を壊す魔術であり、癒す魔術はではないからだ。
そのせいで多くの人間が犠牲になったこともある。
そんな苦い経験から記憶に蓋をしてしまっていたのだろう。
だが思い出した。
これはあの戦場で見た呪いと同じだ。
「あたしなら呪いの正体がわかります。診断を代わっていただけますか?」
「あ、あなた! 図々しいにも程がありますよ!」
「ええ、ええ! 患者さんが死んでしまうかもしれないのですよ!」
「その責任が取れるのですか!? 落ちこぼれで何もできないあなたに!」
三人組を筆頭に、聖女見習いたちはテレジアを責め続けた。
しかしそんな外野の声はテレジアには届かない。
患者を助けたい、ただその一心がテレジアを動かしていた。
テレジアはまっすぐシスタークレアの顔を見た。
白魔術の知識は少なく、技術も経験もほとんどない落ちこぼれ。
そんなテレジアを見つめると、シスタークレアはそっと患者である少女から手を離した。
「……やってみなさい」
「シスタークレア!?」
シスタークレアの言葉に、聖女見習い全員が驚きの声を上げる。
しかしテレジアにはわかっていた。
シスタークレアには呪いの診断はできない。
仮にテレジアの診断を信じ、治療を始めても、呪いは治療できないということを。
テレジアが歩を進めるとベロニカが小さく呟いた。
「テレジアさん、あなた……」
驚愕の表情を浮かべるベロニカ。
テレジアはベロニカに何か言おうかと思ったがやめた。
今は患者を救うことに集中しよう。
テレジアはシスタークレアの横に立ち、患者へ視線を移した。
「本当に呪いだと? そう断言できるのですね?」
「はい。これは間違いなく呪いです」
「……呪いが見えるのですか?」
「いえ、まだ。けれどすぐに見えます」
シスタークレアの言葉の真意をテレジアは理解した。
テレジアは少女の胸に手を触れる。
その瞬間、いつも感じていたあの感覚が蘇る。
禍々しく、不気味で、寒々とした、それでいてどこか破滅的な心地よさを感じる感覚。
そうこれは黒魔力だ。
呪いを生み出した誰かの、あるいは何かの黒魔力。
それは対象の体内の奥深くに潜むため、傍目では感じ取れないもの。
世界最強の黒魔女であるテレジアでも、対象に触れてやっと気づく程度のもの。
だが触れた瞬間、溢れたのは異常なほどの黒い感情。
間違いなく呪いだ。
黒い魔力の糸が心臓に巻き付き、まるで繭のようになっている。
それは今もなお伸びており、心臓を締め付けていた。
「やはりこれは呪いです。無数の呪いの糸が心臓に巻き付いています」
言うや否やそこかしこから悲鳴と怪訝な声があがる。
呪いを目の当たりにする機会は早々ない。
一般人が普通の生活をしていればお目にかかることは稀だ。
その特異性と異常性、そして何よりも危険性。
噂程度には誰もが聞いたことがあるはずだ。
その一端を、災厄の黒魔女であるテレジアは受けていた。
テレジアに関してはただの風評被害だが、実際に呪いとはそういう類のものだ。
「そ、そそそ、そんなの嘘に決まってます!」
「ええ、ええ、そ、そうです。なぜあなたがわかるのです!」
「呪いを診断できる聖女は数少ないはず! あなたにその力があるはずがないです!」
「そ、そうよ。嘘はおやめなさい」
「点数稼ぎのためでしょう! あなた、そんなことしてタダで済むと思ってるの!?」
三人組や他の聖女見習いたちが何か言っているが、テレジアは無視をし続ける。
「この呪いは時間進行型の呪い。治療をしなければ最終的に対象を殺すだけでなく、その後、呪いを広めるという厄介な呪いですね」
「……呪いを広める?」
「ええ、呪われた人間が死ぬと行き場を失った呪いが周囲の人間に移ります。その人が死ねばまた周囲に広まり、また死ねば広まりということを繰り返す……感染型の呪いです」
「で、ではここにいる人間全員が?」
「彼女が亡くなれば呪われるでしょう」
淡々とテレジアが話す中、シスタークレアは激しく動揺していた。
テレジアは耐性があるので呪われないが、他の人間は全員呪われるだろう。
「な、何やら急に体調が!」
「ええ、ええ、私もです」
「あ、後はお任せしますね!」
三人組が突然その場から走り出し、施設から姿を消した。
「わ、私も!」
「ど、どきなさいよ! 私が先よ」
「よ、用事を思い出したわ!」
それに続くように他の聖女見習いたちもほぼ全員がいなくなった。
残ったのは元々施設内にいた聖騎士見習い数人とユリウス、ベロニカ、シスタークレア、患者の父親と少女、そしてテレジアだけだった。
「あなたも外に出た方が」
「わ、私は残る……娘を一人になどさせるものか。死んでもここを動かんぞ!」
テレジアは父親に声をかけたが、父親は娘の手を掴んで離そうとしない。
呪われた相手に触れるだけで呪われるかもしれない。
そう考えるのが自然だが、そんなことは父親にはどうでもいいのかもしれない。
そんな中、ユリウスが他の聖騎士見習いと話していた。
「私が残る。おまえたちは外で待機してくれ」
「し、しかし、おまえひとりに任せるわけには」
「これは私の意思だ。聖騎士として守るに値するのか。それを見極めるための」
ユリウスはテレジアを一瞥し、そう言い放った。
彼には彼の理由がある。
聖騎士見習いたちは逡巡するも、ユリウスの言葉に従い、外に出て行った。
ベロニカは外に出るつもりはないようで、テレジアと患者の少女を交互に見ていた。
テレジアはベロニカに一瞬だけ視線を移したが、ベロニカと目が合うと気まずそうに顔をそむけた。
テレジアは再び患者に向き合う。
「テレジアさん、呪いを視認できるあなたにしか患者様の治療はできない。それは理解していますか?」
「ええ、わかっています。そのために残ったのですから」
シスタークレアは緩慢に頷くと真剣なまなざしでテレジアを見つめる。
「導き手として心苦しいですがあなたに任せるしかありません。すべての責任は私が取ります。あなたは全身全霊で治療にあたってください。ですが安心して。あなたの足りないところは私が補いますから」
「ありがとうございます、シスタークレア。お願いします」
ふーっと大きく息を吐くテレジア。
こんなに緊張したのは久しぶりだ。
死の存在を近くに感じる感覚。
自分が呪われずとも、周りの人間の命を自分が握っているという恐怖。
それをすべて飲み込み。
そして目の前のことだけを見つめる。
黒魔女の時、無数の兵を前にした時と同じだ。
覚悟を決め、すべてをもって立ち向かう。
災厄の黒魔女と言われたテレジアが、初めて人の命を救う。
さあ、始めよう。




