19話 それは呪いです
患者の少女は施設の奥にあるベッドへと運ばれた。
担当はベロニカ。
シスタークレアは別の患者の治療中で、診断のできる他の聖女見習いも同様だった。
そのためたまたま手の空いているベロニカが担当することになる。
ベロニカもまた、診断ができる数少ない聖女見習いだ。
「うぐ、ぐぅっ!」
「安心してください、すぐに治しますから」
苦悶の表情を浮かべる少女に、ベロニカは柔和な笑みを浮かべ話しかける。
少女にはベロニカの声が聞こえていないようだった。
よほど苦しいのだろう。
隣で父親らしき男性が自分の手を胸の前で握り、祈り続けていた。
「どうか、どうか娘を助けてください!」
「大丈夫です。わたくしにお任せください」
ベロニカの言葉に、父親は少しだけ安堵した顔を見せた。
ベロニカは少女の胸に手を触れさせ、白魔力を放出する。
これは治療の白魔力ではなく、診断の白魔力。
白い光の粒子が、少女の胸辺りから生まれて全身へと広がる。
頭部から足の先まで無数の光の粒子が漂い、そして少女の身体の中へと入っていく。
繊細な白魔術の技術。
美しく神々しい診断魔力だった。
ベロニカは目を閉じた状態で白魔力を操作し続ける。
診断は白魔力を患者の全身に行き渡らせ、元に戻る部分を感知し、患部を探す。
そのあと患部を集中的に調べ、原因を見つけ、適切な処置をするというわけだ。
診断、特定、治療。
白魔術の治療は基本的にこの流れになる。
本来なら数秒から数十秒の間に診断は完了する。
だが数分経過しても診断は終わらなかった。
ベロニカは徐々に険しい表情になり、それでも診断を続けた。
何事かと他の聖女見習いたちが集まり始める。
最初の治療からかなりの時間が経ち、すでに夕刻になっているため、多くの聖女見習いは大半の患者を治療し終えており、施設内に患者はほとんど残っていなかった。
「くっ……!」
ベロニカが小さく呻く。
彼女は治療でも授業でも、いつも完璧で冷静沈着だったことをテレジアは思い出す。
その彼女が焦っていた。
「……重病の方かしら?」
「まさか疫病?」
「しっ! ご家族に聞こえますよ」
ひそひそと話す聖女見習いたち。
幸い、少女の父親には聞こえなかったようだ。
聖女を含め、村人も疫病の感染対策はしていない。
本来なら感染予防としてマスクをするべきなのだが、人々の導き手となる聖女としての性質上それを許さない。
ただ感染する病気を特定できた場合は患部と原因は判明するため、聖女たちも自分自身で予防できるし、患者たちを治療できるので問題ないとされている。
逆に言えば特定できなければ危険を伴うということだ。
半ば博打であるが、これが聖女の慣習になっている。
ベロニカの診断はまだ続いていた。
すでに十分が経過しようとしている。
しかしベロニカの体勢は診断を始めた時と変わらないまま。
いや、彼女の表情はより険しく、そして額に汗が滲んでいた。
見守る聖女見習いたちのどよめきがどんどん大きくなる。
「ベロニカさんでも診断できないなんて」
「彼女以上に優秀な人は、聖女見習いにはいませんが」
「ど、どうすれば」
そんな声が耳朶を揺らす中、テレジアは思わず俯いてしまう。
(あたしには何もできない……あたしは無力だ)
テレジアは見守ることしかできない自分を恨んだ。
黒魔術には才能があったのに、白魔術にはまったく才能がない自分を。
人を壊せるのに、どうして癒せないのか。
災厄の黒魔女という言葉が脳裏をよぎる。
やはり自分は人を幸せにはできないのだろうか。
人を不幸にすることしか。
「ベロニカさん、代わります」
聞き慣れた声が隣から聞こえた。
それはシスタークレアだった。
落ち着いた声音と女神のような笑顔でそこにいた。
シスタークレアはベロニカの肩にそっと触れる。
ベロニカは振り向かず目を開けると、一瞬だけ悔しそうに顔をしかめたが、すぐに平静を取り戻したようだった。
「……お願いします」
ベロニカに代わりシスタークレアが診断を始める。
シスタークレアは少女の胸に手を当て、白魔力を放出すると全身に行き渡らせる。
ベロニカがやっていた診断方法と同じだ。
目を閉じて集中している様子のシスタークレア。
その様子を全員が固唾をのんで見守る。
「……全身に微細な白魔力の反応アリ。怪我ではありませんね。血管、筋肉、骨、内臓、腱、神経、眼球、脳……全身に僅かな異常が見られる。特に心臓部分に強い反応があります。娘さんに心臓の持病などはありますか?」
「い、いえありません。娘は健康で、いつも走り回るほどに元気なので」
「毒物を摂取した可能性は?」
「そ、それはありません。食事はかならず私としますし、なによりよくわからないものは食べないようにと強く教えているので」
「毒でも持病でもない。しかし患部が心臓なのは間違いない。ですが他部位に異常は少ない。原因は血管? 血流に病生物が紛れ、心臓の疾患が発症している可能性もある。しかし、病生物であるのならば、全身に違和感があるのはなぜ? いえ、この症状になる病気も考えられる。ですが……」
シスタークレアが呟きつつ、ベロニカと同じように険しい顔をしている。
彼女が言葉を紡ぐたびに全員の緊張が徐々に強くなる。
シスターと呼ばれる彼女は、聖女としての経験や知識、技術がある。
聖女見習いに授業をするにはそれ相応の能力を求められるためだ。
一般的な聖女の中でも上位に位置するほどの有能な女性であるということ。
その彼女がここまで悩んでいるのであれば、この場にいる誰もが対応できないだろう。
シスタークレアは必死の形相で診断を続けていた。
すでにベロニカの診断を含め、二十分が経過している。
「ぐああああ! あぐうぅっ!」
突如、少女が痛みで叫び始めた。
喉を掻きむしり、目を限界まで開いている。
激痛が走っていることは容易に見てとれた。
そんな様子を見て、父親が泣き叫ぶ。
「せ、聖女様! む、娘を助けてくれ! は、早く治してくれッ!!」
父親が掴みかからんばかりの勢いでシスタークレアに近づく。
しかし父親の腕を掴んで止める人物がいた。
ユリウスだ。
「落ち着いてください。治療の邪魔になります」
「だったら早く治療してくれッ!! 娘があんなに苦しんでるんだ! ずっと手を触れるだけでなんにもしやしないじゃないか! 早く助けてくれ!」
父親が泣いて叫び、暴れようとするがユリウスの腕を振り払うことはできない。
ユリウスは真顔で父親の顔を見ていた。
瞳に小さな揺らぎが見えるが、傍目では無表情と感じる、そんな顔だった。
毅然としたユリウスの態度に、父親は怒りを薄れさせ、その場に膝をついた。
暴れる様子はないが、強い落胆を感じた。
憐れみの視線を向ける他の聖女見習いたち。
他の聖騎士見習いたちも何人か施設内に現れる中、シスタークレアの診断はまだ続いている。
先ほどの騒ぎでもシスタークレアは一切目もくれず診断を続けていた。
そしてテレジアもベロニカも同様に、少女とシスタークレアの様子をじっと見つめている。
三人だけが患者と向き合っている。
ただ一人を助けるために自分に何かできないかと考えていた。
しかし、診断は終わらない。
シスタークレアは顔中に汗をにじませ、白魔力を放出し続けている。
魔力量は問題ないだろうが、白魔力を操作するには非常に繊細な操作が必要で、精神疲労は著しい。
「……心臓。心臓が患部なのは間違いない。けれど原因は? 他の部位の白魔力の反応がなぜ同じ揺らぎなの? 心臓病でもないのにどうして心臓にだけ疾患が? それとも家族が気付かなかっただけで心臓に病気を抱えていた? いえ、それなら激しい運動はできないはず。わからない。どの病気にも当てはまらないのに、どの病気の要素も持っているような」
シスタークレアが泣き言を漏らす姿を、テレジアは初めて見た。
それだけ追い詰められているということ。
そしてそれを口にしなければならないほどに、糸口がつかめていないということ。
テレジアはそんな彼女の横顔を見て、思った。
三か月間お世話になった人の助けになりたい。
そして目の前で苦しんでいる人を助けたい。
無能だと言われても自分にできることを探すのだ。
それが今ここにいる理由。
テレジアにできることは一つ。
見ること。そして診ること。
患者を凝視するテレジア。
少女は喉を掻きむしろうとしているが、それを聖騎士見習いたちが止めている。
苦悶の表情を浮かべ、白目をむきながら呻いている。
そして僅かな痙攣と異常な発汗。
心臓の持病でもなく、毒でもない。
(一つ。違和感がある。なぜ彼女は喉を掻きむしろうとしているの? 確かに心臓疾患で喉の圧迫感や違和感を覚えることはある。けれど喉を掻こうとするほどなのかな?)
まるで体内から出てくる何かを掻き出そうとするかのように。
幻覚? あるいはそれに近い何か?
まるで幾つもの病が同時に発症しているかのような。
「あ」
テレジアは思わず声を漏らした。
記憶が突然蘇り、ある光景が浮かび上がる。
それは黒魔術書の一文。
それは戦場の光景。
それは苦悶の表情で喉を掻きむしり痙攣する兵士の姿。
それは……。
「それは呪いです」