18話 決意
教会出立から一か月。
すでに五つ目の村を訪れていた。
「次の患者の方! どうぞ!」
「大丈夫ですからね。すぐに治します」
「シスター! こちらの患者様の診断をお願いします!」
忙しなく動き回る聖女見習いたち。
現在、村の中央に位置するやや大きめの施設に全員が集まっている。
簡易ベッドと椅子が用意されており、今までの村に比べるとかなり体制が整っていた。
聖女見習いたちの半分はこの施設に滞在し、訪問してきた患者を治療。
そして残りの聖女見習いたちは各家を訪れ、寝たきり、あるいは移動できない患者を治療している。
聖騎士見習いたちは村全体の警戒、聖女たちの護衛を担っており、特に担当は決まってはいない様子だった。
聖騎士たちは患者の治療に必要な場合は手助けしてくれることもある。
彼らの中には落ちこぼれはおらず、全員が貢献している様子だった。
だが聖女見習いには一人だけぽつんと立っているだけの人物がいる。
テレジアである。
彼女だけ誰も治療していないのである。
それはこの村に来るまでの村々すべてを含んでいる。
つまりこの一か月の間、一人もまともに治療していないのである。
テレジアもただ突っ立っていただけではない。
彼女なりに頑張ったのだが。
テレジアは施設の端っこにちょこんと立っていた。
長い前髪を垂らしてゆらゆらと揺れながら立っている姿は、不気味だが、僅かに憐憫を誘う。
そんな中、施設の入り口に現れた一人の若い男性を見つけると、テレジアは全速力で走っていく。
「あ、あの治療を……ひ、ひぃっ!?」
突然走ってきた不気味な存在に怯える若い男性。
「あ、あの、あ、あたしが治療します」
妙に低く震えた声が余計に恐怖をあおる。
普段ならここで「や、やっぱりいいです」と逃げるか、怯えて腰を抜かすか、別の聖女見習いに患者を奪われるのだが、若い男性は比較的に勇気のある人だったようで逃げる様子はなかった。
「あ、じゃ、じゃあお願いします」
「っ! はい!」
やっと治療できるかも!
テレジアは喜びながら軽い足取りで若い男性を連れて、近くのベッドへと向かう。
ベッドに横たわる若い男性を見ると、確かに肩に大きな痣がある。
見たところそれ以外に外傷はない様子だった。
身体中心部に異常は見られないため、内臓が傷ついていることはないだろう。
つまり診断せずとも治療できる。
「仕事中に肩を打ってしまって……」
「す、すぐに治します」
テレジアは白魔力を怪我に触れさせる。
蝋燭二つ分の小さな光だ。
圧倒的に弱い光なため、治療効果は薄い。
数分経過しても痣に変化は見られず、若い男性は落ち着かない様子でちらちらとテレジアと怪我を交互に見ていた。
遅い、遅すぎる。
他の聖女見習いたちはすでに二人目の治療を始めている。
それなのにまだテレジアの治療は遅々として進まなかった。
と。
「あらあら、こんなに遅い治療をするなんて。患者様に失礼ですね」
「ええ、ええ、本当に。ここは私たちが治療しましょう」
「そうね、これは私たちのためじゃない。患者様のためですから。断ったりはしませんね?」
いつもの三人組が颯爽と現れ、テレジアが何か言う前に椅子を奪ってしまった。
このやり取りは審査中に数度行われている。
しかも三人組だけでなく、別の聖女見習いまで同じようなことをしてきた。
テレジアの治療が遅いせいで患者を待たせている、という理由をつけて患者を奪うのだ。
さすがにテレジアも納得いかず、不満の声を出そうとするのだが、なんと言っていいのかわからない。
「……ぐ、ぐぎぎぎ!」
結局、呪いの視線を送りながら、歯ぎしりすることしかできない。
三人組はテレジアを見ないようにしながらも顔を青ざめさせていた。
明らかに怯えているが、それでもテレジアから患者を奪うのだから、ある意味では大した根性である。
しかし、テレジアの目を見てしまった患者は怯えに怯え、尋常ではないほどに震え始める。
勇気のある若者も、テレジアの呪視には耐えかねた。
「ひ、ひいいぃっ!? ま、魔女!?」
思わずそんな言葉を言い放ち、逃げてしまった。
残された三人組とテレジア。
三人組はなぜか気まずそうにしながら、テレジアの方を見ないようにそそくさと逃げて行った。
「さ、さあ次の患者様が待っていますよ」
「ええ、ええ、本当に! 行きましょう!」
「まったく大変な目に合いましたね!」
それはこっちのセリフである。
テレジアはまだ一人も治療できていない。
明らかに三人組や他の聖女見習いたちが邪魔しているのだが、シスタークレアは何も言ってこない。
間違いなくこちらの様子に気づいているはずなのに。
しかもこの一か月で何度も同じことが起きているのに。
さすがに違和感がある。
(これは審査……恐らく実践形式の。実際の慰問ではシスタークレアはいない。つまり、同じようなことが起きても誰も助けてくれないってこと?)
もしかしたら治療中に同期以外の誰かが邪魔したり、妨害してくることもあるかもしれない。
それに対応する力も見ているのかもしれない。
加えて三人組や他の聖女たちの動向も見ているはずだ。
患者の治療を優先することが正しいのか、それとも他の聖女の患者を奪うことは間違っているのか。
どちらが聖女としての振る舞いとして合っているのだろうか。
とにかく、テレジアがきちんと治療できれば、あるいは毅然とした態度を取れれば問題はなかったはずだ。
(結局、自分のせいだってことだよね……)
聖女として振る舞おうとしているし、白魔術の修練もしている。努力はしているが、根っこのところは変わっていない。
自分の苦手な部分は変えようとしていないのだから。
テレジアは自分の前髪にそっと触れた。
この髪を切れば何か変わるのだろうか。
人と笑顔で接することができる?
流暢に話すことができる?
呪いの視線を送らずに普通に会話ができる?
わからない、わからないが、少なくとも何かは変わる気がした。
もう時間がない。
言い訳をしても誰も助けてはくれない。
自分で決断し、行動しなければならない。
テレジアは跳ねるようにその場から走り出した。
何かの衝動が身体を動かす。
施設を飛び出すと、目に付いたのは聖騎士見習いたちの姿。
その中に見たことがある人物がいた。
何も考えてはいなかった。
咄嗟だった。
正面にいたユリウスの下へ走り寄る。
ユリウスは少し驚いたように目を見開く。
彼の周りにいた聖騎士見習いたちはぎょっとしてテレジアを見ていた。
テレジアはそんなことには構わず、思わず叫んだ。
「あ、あの! 剣を貸していただけますか!?」
「……何に使うおつもりですか?」
「髪を切りたくて」
周りの聖騎士見習いたちが怪訝そうにテレジアを見ては、互いに顔を見合わせている。
いきなり剣を貸せ、髪を切ると言われれば、当たり前の反応だろう。
だがユリウスだけは真剣な顔でテレジアを見ていた。
テレジアは必死だった。
いつも自分を誤魔化して、黒魔女の演技をしてきた。
それは仕方がないことだと言い訳していた。
周りがそう仕向けたと周りのせいにもしてきた。
けれどそんな人生を、そんな自分を変えたくて聖女になろうと思ったのだ。
もううだうだと迷っている時間はない。
今なのだ。
聖女になれるのか、変われるのかは今、決まるのだ。
怖いけれど前に進む。
そのためにテレジアはここに来た。
いつもの恐ろしい形相ではない。
不気味なオーラも出ていない。
テレジアは、ただのテレジアだった。
そんな彼女をユリウスはじっと見つめると口を開いた。
「この剣は髪を切るものではありません。ですのでお貸しすることはできない」
「……そ、そうですか」
テレジアはしゅんとしてしまう。
確かにユリウスの言う通りだ。
大事な剣を髪を切るために使わせてくれと言われて快く引き受ける騎士はいないだろう。
「ですが」
「だ、誰か助けてくれ!」
ユリウスが何か言おうとした時、悲鳴が聞こえた。
全員が声に振り向くと、父親らしき男に抱えられた十二、三歳ほどの少女が見えた。
「中へ!」
テレジアはいつものおどおどとした態度ではなく、堂々とした態度で父親に話しかけた。
父親を引き連れ、施設内へと戻るテレジア。
「急患です!」
テレジアの声に、施設内の全員が振り向いた。