11話 勘違いは加速する
ユリウスは修道場から少し離れた建物の影から、テレジアを見つめていた。
聖騎士見習いとなったため、腰には安物の剣しか刺さっていない。
服も近衛騎士時代と比べ、ずいぶんと質素な格好になっている。
色味も薄く、簡素な麻の服と革のブーツを履いているだけだった。
ここ一週間、つまり聖騎士見習いとなってから今まで、合間を縫ってはテレジアを監視していたのだ。
住居地区内は関係者以外は入らない上に、官憲の類も配置されていない。
それは神聖なる教会内で悪事を働けば厳罰が待っている上に、末代まで不幸になると考えている人間が多いことが原因であった。
そんな教会内で、こそこそと婦女子の様子を覗き見ている自分は大丈夫なのかと、ユリウスは罪悪感に苛まれる毎日だった。
茂みや木々、建物の影からこっそりとテレジアを監視している姿は、誰にも見せられない。
見られたら恥辱のあまりその場で死を選んでしまうかもしれない。
そんな葛藤がありながらもユリウスはテレジアを監視していたのだ。
そしてユリウスはこんな感想を抱いた。
(あの方はなぜあんなにもおっちょこちょいなんだ……?)
テレジアは何をするにも失敗ばかり。
白魔術関連の修練や治療はもちろんのこと、家事全般もまったくできていなかった。
しかも頻繁に黒魔女の呪いの視線……すなわち呪視を誰かに送っている。
相手を殺すんじゃないかとひやひやしたが、どうやらそこまではしていないらしい。
だが安心はできない。
ユリウスは黒魔術に詳しくないため、よくはわからないがもしかしたら時間をかけてじわじわ相手を殺す、あるいは不幸が訪れる呪いかもしれない。
災厄の黒魔女であるテレジアが何かやらかし、その上、正体がバレてしまえば国際問題に発展する可能性もある。
教会は特殊な立場であり、世界各国が大きく関わっている国でもある。
教会の力は世界中に影響を与え、国民の感情にもまた大きな影響がある。
どの国も教会を敵に回したくはないのだ。
当然、バファリス王国も同じだ。
王であるラインハルトは軽く考えているようだが、ユリウスは違った。
テレジアの行動いかんでは最悪の事態を招きかねない。
もしも彼女が何かやらかしたら、あるいは正体がバレそうになったのなら、全力でそれを阻止しなければならない――のだが。
テレジアは別の意味でやらかし続けていた。
今現在、修練場でシスターからお叱りを受けている様子。
ユリウスはその光景を遠く窓から観察していた。
(あれは演技なのか? それとも本来の姿? わからない……あの災厄の黒魔女と称される、最強最悪の黒魔女が、あれほど……なんというかダメな人間なのだろうか?)
ユリウスは険しい顔つきで顎を撫でつつ思考する。
異常なほどに端正な顔立ちで物憂げな表情を浮かべるとそれだけで絵になるものだ。
しかし本人は真剣に悩んでいる様子だった。
王ラインハルトから受けた命令は、テレジアの監視と護衛。
監視の内容は、主にテレジアが亡命しようとした場合の阻止である。
テレジアがやからした場合や、正体がバレかけた場合の助力は任務に入っていない。
しかしユリウスは自己判断でそれが必要だと考えた。
視線の先で今もシスターに怒られているテレジアを見て、その思いはより強くなっていく。
(彼女を野放しにしていけない。本能がそう言っている! あの状況が続けばシスターの身が危ない。黒魔女の逆鱗に触れれば恐ろしい未来が待っているはずだ)
ユリウスは色々な意味で勘違いしていた。
しかし真面目なユリウスは真剣そのものだった。
テレジアが何か企んでいると本気で考えているのである。
そろそろ鍛錬の時間だ。
ユリウスは修道場に背を向けてその場から立ち去ろうとした。
(災厄の黒魔女……彼女は七万の兵を一瞬にして倒す力を持っている。その上、世界中から忌み嫌われている。恐らく、胸中では黒い感情を煮えたぎらせているに違いない。人を憎んでもおかしくない。それは……同情に値するが)
と、考えてユリウスは修道場に振り返る。
机に置かれた羊皮紙を睨んでいるテレジアの姿が目に入った。
それは恐ろしく、禍々しく、不穏な光景に見えたが、懸命に修練に励んでいるようにも見えた。
ユリウスはテレジアがどういう人物か知らない。
強大な力を持ち、黒魔術で多くの敵を倒してきた黒魔女。
その視線は他者を呪い、会話をすることにさえ気をつけなければならない。
人を嫌い、最低限の接触しかせず、彼女の人となりを知っている人間はいない。
そんな彼女が聖女になりたいと話した。
それをユリウスは謀略を張り巡らせているからだ、と勝手に考えていた。
(仮に聖女となり、教会の重要人物となれば多くの情報を得ることができる。伝手もコネも権力も手に入れば……はっ!? もしや、教会を支配しようと!? あるいは他国を……もしやバファリス王国を侵略しようとしているのか? 彼女の力があればそれは可能。だが力任せの支配は破滅の道を進むことになる。だから教会の力を利用するつもりだとすれば……)
ユリウスの思考は明後日の方向へと進んでいく。
まったくもって見当違いである。
しかしユリウス本人は至って真面目であり、自分の考えがそう間違っていないと思い込んでいた。
テレジアほどの力があれば国家の当主になることも可能だろう。
恐ろしき存在である黒魔女であれば、そんな謀略を練ることもあり得るはずだ。
そこまで考えてユリウスは僅かな違和感を覚えた。
(……だが彼女が人を殺したという話は聞かない。それに国民を傷つけたという話も……。それにずっと国に尽くしてきている。聞くに幼い頃から戦争や討伐遠征に参加していたとか)
テレジアは宮廷魔術師として任務をまっとうしている。
それどころか彼女がいなければ、とっくの昔にバファリス王国は滅んでいるだろう。
彼女が礎であり要なのだ。
感謝こそすれ恨んだり、疎んだりする理由はないはずだ。
だが過ぎた力を持つ彼女に、好意的な感情を抱く者は少ない。
なぜならばあまりに強大すぎて怖ろしいからだ。
蟻が人間に好意を抱くだろうか。
人間が竜を信頼するだろうか。
竜が神を同列と考えるだろうか。
答えは否である。
仮にその者自身を慕おうとも、必ず根っこにあるのは恐れである。
恐れがないのであれば、それは相手を侮っていると同義。
どうせ傷つけることはできない、どうせ殺せはしないと高を括っているのである。
そうではないと断じるならば、それは信頼と称し、誤魔化し、意を借りているに過ぎない。
もちろんそれは同族の、同じ力を持つ程度の人間相手でも同じことが言える。
例えば相手が突然逆上し、剣で切り殺してくるかもしれないと思わないのは、相手への信頼と社会的地位、罪と罰の抑止力、安全に対する思い込みなど様々な理由があるが、同程度の力関係であってもそれが揺らぐことはままある。
相手との体格差、相手の言動、性格が温厚か感情的か、あるいは過去の罪や行動、禍根があるか否かなどの要素に寄るのである。
しかし、テレジアと普通の人間ではそんな些末な要素が関係ないほどに、人間と神くらいの力量差がある。
彼女がその気になれば一瞬で殺される。
一人や二人ではなく、数万の人間が殺され、国が滅ぼされるのだ。
恐れを抱かないでいられる人間は稀だろう。
見た目は同じ人間だが、中身は違う。
間には大きな壁があるのだ。
もしも良き関係を築けるとしたら、それは崇敬の念、以外にはないだろう。
しかし彼女を崇拝するのは、一部の魔女教と呼ばれるカルト教団くらいである。
ユリウスは今までテレジアと関わる機会がほとんどなかった。
そのためどんな人間なのか、など考えたこともなかったのだが。
(見極める。もしもまともな人物なのであれば良し。だが、もしも噂に違わぬ悪人なのであれば……守らなければ。彼女の周りの人達を)
ユリウスの任務は監視兼護衛。
テレジアの監視と、テレジアの周りの人間の護衛が正しい任務である。
相手はあの災厄の黒魔女。
戦えば殺されるだろう。
だが白魔力を持つ自分ならば、僅かにでも黒魔術に抵抗できる。
その一瞬の隙に守ることはできるかもしれない。
近衛騎士の中で唯一白魔力を持っていたユリウスに課せられた使命。
それは己の命を賭して、黒魔女の暴走を防ぐこと。
そして白魔力を用いて周りの人たちを助けることである。
だからこそ必要なのだ。
冷静にテレジアという人間を見極めることが。
彼女に感情移入せず、常に冷静でいることが。
彼女が聖女となった際には、自分は聖騎士となる。
聖伴の儀を行い、パートナーとなるのだ。
その時までテレジアが、あるいはユリウスがまだ教会にいるかは誰もわからない。
できることなら何事もなく時間が過ぎれば良いのだが。
ユリウスの感情に揺らぎはない。
すでに覚悟は決めている。
(この命はすでに国に捧げている。何があっても後悔はない。黒魔女テレジア……何かあれば私があなたを止めてみせる!)
ユリウスは闘志を滾らせる。
災厄の黒魔女を倒すことは不可能だし、そのつもりもない。
テレジアはバファリス王国の国防の要であり、敵ではないのだ。
だが彼女が亡命しようとした時、あるいは暴走した時には止める必要がある。
しかし今の自分にはそんな力はない。
だから鍛えなくては。
この身と、白魔力を。
ユリウスは早足で聖騎士たちが住まう居住区画へと戻る。
その先には鍛練場が見えた。